そらママのひとりごと

季節の花を求めて、
気の向くまま足のむくまま出歩いています。

出津教会

2020年12月27日 | 旅行 お出かけ

数年前九州を旅した時、初めて目にした潜伏キリシタンという文字、

学校では隠れキリシタンとしか教わらなかった、

何故そのような言い方があるのか?どう違うの?と素朴な疑問が、

私はクリスチャンでも仏教を信じている訳ではありません、

只々知らないことを知りたいそんな気持ちなんです、

3月に潜伏キリシタンの教会を巡ってみようと計画を立て始めたが、

コロナ禍であえなく中止しました、

GOTOキャンペーンが始まりにホテルなど予約した、

出かけてみると、教会を見学される人は殆どいなく友達と二人きりだった、

これは、想定内、

いざ出かけてみると、コロナのこともあり内部の見学は、何処も出来なかった、

素晴らしいステンドグラスをこの目で見たかったのに、仕方がないですね、

ただ教会の写真を撮ってくるだけになりました、

ここは出津教会です、

 

 

 

この教会堂もフランス人宣教師マルク・マリー・ド・ロ、通称ド・ロ神父によって建設されたもので、明治15年に献堂式が行われ、正面および背面の増築を経て明治42年に現在の姿となりました。
 
出津教会堂は明治前期に建設された希少な初期教会堂の一つで、後世の増築も、同一の設計者によって均整を保った拡充が図られており、高い価値が認められ、国の重要文化財に指定されています。煉瓦造りおよび木造、正面と背面に塔屋付。 ネットより
 
1879年潜伏キリシタンが多かった外海の出津
小高い山の上に建っていた、寒くって震えながらの見学。
 
 
禁教期に小規模な潜伏キリシタンの信仰組織が連携し、聖画や教義書、教会暦などを密かに伝承し、自分たち自身で信仰を続けた集落である。解禁後は、段階的にカトリックへ復帰する者と禁教期の信仰形態を継続するもの(かくれキリシタン)に分かれた。
1882年にはド・ロ神父が集落を望む高台に出津教会堂を建てた。それは出津集落における「潜伏」が終わりを迎えたことを象徴している。
                   ネットより

 

コメント
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