宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

短 信(四十)

2011-03-06 09:21:02 | 祈り
生命を生き生きと生きること、これが人間の
本来の姿であります。
 ところが、この世の中にくらして
おりますと、中々いつも生き生きという
わけには参りません。
 腹の立つことも、かなしいことも起って
参ります。
 普段、何もない時は、神様、世界人類が
平和でありますようにと祈れるけれども、
辛い悲しいことが起ってくると、なかなか
祈れない。そして、良心の鋭い人であれば
ある程、自分を責め抜いて、自分の光を
弱めてしまうということになるのであります。
 わたくしは、この感情と申しますか、心の、
気持ちの起伏ということを認めた上で、
しかし、人間の本来は生き生きとした
さながらの生命(いのち)、光そのもの
なのだと申し上げているのであります。
 人間の本体というものは、何があろうと
動かされることなく、光っている、光明体、
白光そのものなのだと申しているので
あります。
 これは、誰かれの区別なく、人間は、
一人のこらずそうなのである。なぜなら、
私どもは、神から分かれてきた生命、神の
光の一筋だからであります。
 世の中を生きてゆく上で、さまざまに
悩んだり、苦しんだりするのは、それは、
教義にも説いておりますように、過去世の業が、
時を得てあらわれ、そして、消えてゆく姿
であって、思い悩む自分が、真実のあなた
自身ではないのであります。
 けれども、私は、人間の心というものを
否定致しません。私もまた、人間に生まれて、
種々のよろこびとともに、かなしみや寂しさを
味わい尽くしてきた一人であるからであります。
 人間の心というものは、自然を感応出来る
ようにつくられております。もろもろの
いのちの呼び声に対して、感動し、また対話を
重ねてゆくことができる微妙さをそなえて
おります。
 なぜ、私どもの心に、かなしみやさびしさが
たくわえられているのかといえば、この自然の、
もろもろの生命の呼び声に対して、心耳を
澄まし、とけ合い、それらの生死と一体と
なって、ついに神をたたえるそのゆたかさの
ためにたくわえられているのであります。
 まことに、我々は自然の一部であります。が、
この種々の感情は、人をはなれたものでは
ありません。我々は、幾人幾十人の人と心の
機微をかよわせてこそ、生きているという
ことがいえるのであります。
 かなしみや寂しみは、この心の通い合いの
なかで、やさしさと愛をはぐくむ源となって
ゆくものであります。
 誰一人として辛いこと、悲しいことを歓迎
する人間はおりません。しかしながら、人の
痛み、負った傷、また負わされた傷の深さを
はかって、真実に、人間本来が持って
おります愛と、そして、やさしさを発揮する
ためには、時に耐えがたいかなしみや、寂しみ、
また怒りすらも味あわされる。これは、業
ではなくて、あなたの守護霊、守護神が、
その魂の成長のためにおいたつまづきの石
であるのであります。
 業とは、すべてのことにとらわれ、こだわり
つづけることであります。
 よいことであれ、わるいことであれ、
とらわれつづける時、我々は、我の世界に
おちこむのであります。
 わがままと申しますが、これは、我の
ままに動かされる人間のすがたを申したもの
だといってもよいでありましょう。
 かわいらしいわがままもありますが、
自らのいのちのすがたに気付かず、それを
歪めてゆくというのは、これは最大のわがまま
であります。
 いのちのすがたというものは、先にも
申しましたように、何物にもとらわれず、
動かされず、あるがままのすなおな光
そのものであるのです。
 私どもは、この生命を持って生きている。
 この生命によって生かされているので
あります。このいのちがなければ、私どもの
肉の身は、とっくの昔にほろんでおりましょう。
 そして、このいのちとは、神の愛と智恵と
やさしさにほかなりません。私どもは神から
ながれてくるこの三つのものによって、
瞬々刻々、この生命を生きているのであります。
 神の愛という神の息吹きのながれを
受けなければ、私どもの生命は、全くその
流れをとめてしまうのであります。
 このように、神の愛によって生きている
私ども、生かされている私どもの生命が
歪められてそのまま、不幸の唯中に
つきおとされるということはあり得ないので
あります。
 私どももこの愛のなかに生きている、
私どもは光の住者なのであります。
 神の愛というものは無限に深いもので
ありまして、その働きは人智を越えております。
 神様は、守護霊は、守護神は、我々
一人一人のいのちをすこやかにみちびくために、
ひとときも、あなたのそばをはなれることが
ありません。
 どうぞ、世界平和の祈りによって、かなしみの
唯中にあるあなたのこころを、私に、神に頒け、
おまかせのいのちとなって祈り一念におすすみ
下さいますように。
 世界人類が平和でありますように       
                     合 掌
                       昌 久