(前日からの続き)
ですから、世界平和の祈り、あるいは
種々の祈りの文言というのはもちろん
不動のものでございますけれども、
さらにそれぞれの民族、それぞれの
国語、それぞれの文化ないしは考え方
というものに対して私どもが一歩深く
二歩深く、あるいはさらに深く心の中に
下りるぐらいのつもりで、その人々の
言葉や、それからそれを通しての違い
などを理解をし、そしてその理解を通して、
さらに人と人がつながれている。
それはどういうことかというと、人と人が
結局のところ、一つの大きな大光明に
なっている、それは事実でありますけれども、
そのことを宗教全く関係のない、全く
そのことを知らない、そういう人たちの
赤子のようなまろい、生まれたてのような
純粋なそういう心が、中に奥底に潜んで
おるわけでありますから、私どもは、
一見して、例えば争いと争いの国境の所、
あるいは今で言えば、韓国あるいは北朝鮮
と呼ばれる所、あるいはロシア、あるいは
中国、経済だけではなくて、それぞれが
筆頭、自分が群を抜いて先ず第一になりたい、
という我の世界に今、生きております。
(つづく)
ですから、世界平和の祈り、あるいは
種々の祈りの文言というのはもちろん
不動のものでございますけれども、
さらにそれぞれの民族、それぞれの
国語、それぞれの文化ないしは考え方
というものに対して私どもが一歩深く
二歩深く、あるいはさらに深く心の中に
下りるぐらいのつもりで、その人々の
言葉や、それからそれを通しての違い
などを理解をし、そしてその理解を通して、
さらに人と人がつながれている。
それはどういうことかというと、人と人が
結局のところ、一つの大きな大光明に
なっている、それは事実でありますけれども、
そのことを宗教全く関係のない、全く
そのことを知らない、そういう人たちの
赤子のようなまろい、生まれたてのような
純粋なそういう心が、中に奥底に潜んで
おるわけでありますから、私どもは、
一見して、例えば争いと争いの国境の所、
あるいは今で言えば、韓国あるいは北朝鮮
と呼ばれる所、あるいはロシア、あるいは
中国、経済だけではなくて、それぞれが
筆頭、自分が群を抜いて先ず第一になりたい、
という我の世界に今、生きております。
(つづく)