(前日からの続き)
人間のいのちが
どんなに
自由で
明るく
無邪気な
神への愛と
人への愛に
みちたものであるか
この一点を
示されるために
神様は
五井昌久という
働きの場所を
お使い下さったのです
決して私がとびぬけていた
わけではありません
私が特別
とびぬけたすぐれた人間で
あったわけではないのです
ただ
私は
どんな時にも
神様に素直だった
神様の前に
いのちを
投げ出して
完きよろこびに
あふれこそすれ
それを
一度も後悔したことのない
人間だった
ただ
それだけなのです
そして
これは
こういうことは
私一人に
おきることではないのです
実は
人間の真性は
本来そういう
すなおな
光にみちた
ものなのです
人間というものを
考えるときに
みんなどうしても
この肉体界の目に
みえる範囲のなかで
片づけてしまう
元々
肉体界というところは
波動のあらいところだし
肉体人間は
この眼で
たしかめられるものに安心して
そこにすがって
生きてきた
それが
ならい性なのです
けれど
それが
人間のすべてではない
目にみえる世界などという
せまい世界が
人間の本来の場所ではないんです
人間は
自由の天地の住人です
神の
分生命
分霊として
縦横無尽に
神の光と
人にやどった
分生命
分霊としての
光を
交叉させて
働き
活きづいてゆく
その天地を
一人一人が
からだの
奥に持っている
そういう
存在なのです
神界は
あなた方の
なかにあるのです
一人として
神界の住人でない
人はいないのです
(つづく)
人間のいのちが
どんなに
自由で
明るく
無邪気な
神への愛と
人への愛に
みちたものであるか
この一点を
示されるために
神様は
五井昌久という
働きの場所を
お使い下さったのです
決して私がとびぬけていた
わけではありません
私が特別
とびぬけたすぐれた人間で
あったわけではないのです
ただ
私は
どんな時にも
神様に素直だった
神様の前に
いのちを
投げ出して
完きよろこびに
あふれこそすれ
それを
一度も後悔したことのない
人間だった
ただ
それだけなのです
そして
これは
こういうことは
私一人に
おきることではないのです
実は
人間の真性は
本来そういう
すなおな
光にみちた
ものなのです
人間というものを
考えるときに
みんなどうしても
この肉体界の目に
みえる範囲のなかで
片づけてしまう
元々
肉体界というところは
波動のあらいところだし
肉体人間は
この眼で
たしかめられるものに安心して
そこにすがって
生きてきた
それが
ならい性なのです
けれど
それが
人間のすべてではない
目にみえる世界などという
せまい世界が
人間の本来の場所ではないんです
人間は
自由の天地の住人です
神の
分生命
分霊として
縦横無尽に
神の光と
人にやどった
分生命
分霊としての
光を
交叉させて
働き
活きづいてゆく
その天地を
一人一人が
からだの
奥に持っている
そういう
存在なのです
神界は
あなた方の
なかにあるのです
一人として
神界の住人でない
人はいないのです
(つづく)