宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

人類を光の世界へ(6)

2023-04-20 08:01:21 | 祈り
   (前日からの続き)
人間のいのちが
どんなに
自由で
明るく
無邪気な
神への愛と
人への愛に
みちたものであるか
この一点を
示されるために
神様は
五井昌久という
働きの場所を
お使い下さったのです 
決して私がとびぬけていた
わけではありません
私が特別
とびぬけたすぐれた人間で
あったわけではないのです

ただ
私は
どんな時にも
神様に素直だった
神様の前に
いのちを
投げ出して
完きよろこびに
あふれこそすれ
それを
一度も後悔したことのない
人間だった
ただ
それだけなのです
そして
これは
こういうことは
私一人に
おきることではないのです

実は
人間の真性は
本来そういう
すなおな
光にみちた
ものなのです
人間というものを
考えるときに
みんなどうしても
この肉体界の目に
みえる範囲のなかで
片づけてしまう

元々
肉体界というところは
波動のあらいところだし
肉体人間は
この眼で
たしかめられるものに安心して
そこにすがって
生きてきた
それが
ならい性なのです
けれど
それが
人間のすべてではない
目にみえる世界などという
せまい世界が
人間の本来の場所ではないんです

人間は
自由の天地の住人です
神の
分生命
分霊として
縦横無尽に
神の光と
人にやどった
分生命
分霊としての
光を
交叉させて
働き
活きづいてゆく
その天地を
一人一人が
からだの
奥に持っている
そういう
存在なのです

神界は
あなた方の
なかにあるのです
一人として
神界の住人でない
人はいないのです
   (つづく)

人類を光の世界へ(5)

2023-04-19 10:49:30 | 祈り
  (前日からの続き)
あなた方の
生まれる以前から
守護の神霊は
あなた方の
いのちが
光にみちた
もので
あることを
知らせるために
あらゆる
手段を
使ってきて
そうして 
祈りの座に
あなた方を
みちびいてきたのです

この
守護霊
守護神
そうして
神様の愛を
おもうとき
私たちは
自然に
暗い所から
明るい所へ
すなわち
闇から
光へと
場所を移され
いのちが
本来
そのかがやきを
放っている世界
本心
本体
真実の
人間が
活きづいている
自由の
天地へと
永遠の住み家に
案内され
移されるのです
  (つづく)


人類を光の世界へ(4)

2023-04-18 07:12:28 | 祈り
  (前日からの続き)
主の祈りも
南無阿弥陀仏も
みんな
救世の大光明が
かがやきわたっているのですが
世界平和の祈りは
さらに
救世の大光明の
本体そのものから
光を 
放射される
そういう
光の本尊みたいな
祈りなんです

だから
この祈りを
してゆく内に
知らず知らずの間に
みんなの心が
平和になり
平安になってくる
肉体ばかりではなく
霊体
神体まで
光がみちてゆくのです
そういうすごい力を
持った
祈りというものを
神様が
人間に
与えて下さっているのです
だから
何にも
心配することは
ないのです

もっというと
みんな
厚かましく
五井先生に
荷物を
預けなきゃあ
みんな
遠慮して
こんなことを
五井先生に
頼んじゃわるい
こんな泣きごとを
ならべては
申しわけないと
思っちゃう
何が申しわけないんですか
預けて任せて
スッキリした
いのちに
ならない方が
よっぽど
神様に
申しわけないんですよ

神様の前に
はだかになる
はだかの心で
祈るというのは
神様に
恥をさらす
ことじゃありません

人間の
おもいでは
はずかしいとか
何とか
あっても
そういう
いろいろなものが
まざっているのが
肉体人間の
おもいであり
おもいぐせなんですから
だから
それを
自分一人で
解決しようなんて
思うと
とんでもなく苦しいんです

そのまま一度
すっきりと
神様に返してしまう
返してしまって
もう一度
いのちの
明るい
朗らかな
光をいただく
自分の中に
かがやいている
天命に
気付いてゆく
天命の存在に
気付いてゆく
それが
日々の
新生ということであり
いただきなおす
生生
ということなのです
そのことに
気付けば
おのずから
生命は
光にみちるのです
   (つづく)

人類を光の世界へ(3)

2023-04-17 10:09:37 | 祈り
  (前日からの続き)
いつも
私が申しますように
祈りというのは
光のはしごなんです
世界人類が平和でありますように
という
祈りのエレベーターにのれば
そのまま
辛いまま
悲しいまま
肉体がいくら
辛がっていても
かなしがっていても
そのまま
光にみちる 
そういう
光のエレベーターである祈りを
私は
神様との約束事で
いただいたんです
これは
私たちみんなの
人類すべての
祈りです

誰をも
痛めず
誰をも
傷つけない
自己も
他己も
自分の心も
他人の心も
本心の奥の奥まで
てらして
そのままに
光にみちさせ
その人の肉体が
意識していようが
いまいが
光の世界に
つなげてゆく
祈りなんです

主の祈りも
南無阿弥陀仏も
聖者といわれる人々が
説いた祈りには
みなこの
力がこもっています
だから
どこから入っても
いいんですけれども
しかし
私が
神様から
いただいた
世界平和の祈りは 
この力の
源みたいな祈りなんです
      (つづく)

人類を光の世界へ(2)

2023-04-16 07:09:19 | 祈り
  (前日からの続き)
いのちというもの
いのちを
支えている
人間の天命
神様から
与えられた
天命というものは
ずっとずっと
宇宙神の
みこころの
大奥の
奥底にまで
つらなっている
ものなのです
それを
私はみているんです

だから
この世の中での
或る
一人の個人を
いやす
かしわ手を
打っているようでいて
実は
その人の
何十生
何百生
何千生後の
みちすじを
ばーっとみて
それで
その道筋は
誤りなく
保つことができるように
守護の
神霊が
その人の魂を
みちびきやすいように
とりあえず

とりのぞいておいた方がいいものを
のぞくわけです
けれども
のぞくといったって
それが
その人の
願い通りのものを
とりのぞくとは
かぎらないんです

あくまでも
この世も
あの世もなく
ひとつづきに
ずーっと
つづいてゆく
いのちというもの
その人のその人らしさと
いうものが
真実に
発揮できるように
そのために 
のぞくわけなんで
今の今
とりのぞいてほしいと
思うものと
神様側で
とりのぞくものとは
ちがうんです

しかし
それじゃあ
人間の
現在の苦しみを
かえりみないと
いうことになって
神様というのは
何て不公平だというと
それは
やっぱり
ちがうんです
どうちがうかと
いいますとね
そこに祈りが
与えられている
これで
不公平じゃないんです
    (つづく)