幕の内弁当というのは、ポプュラーな弁当かもしれにない。名前の由来は、舞台の合間に食べるために、いろいろなものをまとめて入れているとも聞く。今日は御徒町駅前にある食品のデパート「吉池」が展開する弁当店、「妻有の郷」からの物らしい。丁寧にまとめられた弁当だった。
ご飯に梅干しをドント供えたもの。おかずは、①メンチカツ②焼き鮭③鶏の照り焼き④肉団子、副菜として⑤かまぼこ⑥ほうれん草の煮浸し⑦高野豆腐の煮物となっていた。彩りも、配置も考えられた簡易弁当の容器はよく考えられている。冷えていたが、ご飯はおいしく保たれていた。
洋物から食べていく。揚げ物のフライは油が良いのであろうか、脂っこさはあまり感じない。つついて鮭。丁度良い塩具合。やはり弁当には焼き鮭は外せないかもしれない。ご飯がすすむ。あとは気ままに食べれば、これだけの量食べ終わってしまう。意外と味が濃かったのは、鶏の照り焼き。でも弁当のおかずはやや濃いめ、こんな物かもしれない。
今日も大宮での仕事、お昼には弁当が提供された。とんかつ和幸の「ひれかつ弁当」。なかなかボリュームのある物。
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幕の内弁当の「幕の内」とは一体・・・ https://ichi-point.jp/makunouchi/
■幕の内弁当の定義
幕の内弁当とは、「俵型の握り飯と数種類の副食(おかず)を詰め合わせた弁当」のことです。ご飯の上に黒胡麻を散らし、卵焼き・かまぼこ・焼き魚・揚げ物・煮物・漬け物・佃煮などを詰め合わせます。ごま塩俵握り飯であることは、今日でも大方が継承しています。ただ、おかずはお店によって多少違いがあり、それぞれ工夫を凝らした料理を詰めるようにしています。駅弁などでは使い捨ての折り詰めに入れられていますが、芝居小屋では重箱に入れられ、容器は食後に回収されることもあります。
こうしてみるとちょっと贅沢なお弁当ですね。
■なぜ幕の内弁当というの?
幕の内弁当として売られるようになったのは江戸時代の後期といわれ、「芝居文化の発展とともにうまれた弁当」として、歌舞伎と深いつながりを持っています。
●名前の由来
「幕の内弁当」と呼ばれるようになった由来には諸説あります。
1.芝居興行のときに役者や裏方に出していた弁当をやがて観客も食べるようになり、幕間に食べる弁当だから。
2.役者が幕の内(舞台裏)で食べていた弁当だから。
3.芳町の「万久(まく)」という店が、小さな握り飯にお菜を添えた弁当を売り出したから。
4.相撲取りの「小結(こむすび)」が幕の内力士であることになぞらえて、そう呼ばれるようになったから。
5.戦国時代、戦陣の幕の内で食べた弁当だから。
なかでも1,2の説が有力とされており、「幕の内弁当と番付の幕内とは関係がない」との説もあります。
ただいずれにせよ、幕の内弁当は芝居小屋や相撲茶屋など江戸の庶民の娯楽につながっていたことはたしかなようです
幕の内弁当 - Wikipedia
幕の内弁当(まくのうちべんとう)とは、白飯と数種類の副食(おかず)からなる弁当である。長い歴史を持ち、細かな定義や特徴については諸説ある。
白飯と副食とを組合わせ、単なるおにぎりなどと比べると手のこんだ弁当が「幕の内弁当」と呼ばれるようになったのは、江戸時代後期で、「江戸時代の芝居文化にあらわれた弁当」の総称と定義されることがある。はじめは芝居見物の際に役者や裏方のために作られ、やがて観客向けのものが登場し発展した。こうした弁当はやがて規格化され、量産されるようになった。
『守貞漫稿』(1837年(天保8年)起稿)によると、江戸時代末期には握り飯に副食物を添えた弁当を幕の内と呼んでおり、最初に作ったのは芳町にある万久という店であった。幕の内弁当はやがて芝居に限らず病人への見舞いや贈答にも用いられるようになった。
明治以降、幕の内弁当は駅弁の様式のひとつとして広まった。明治22年(1889年)、兵庫県姫路のまねき食品が、握り飯一辺倒だった駅弁に導入したのが始まりであり、12銭(現在の2千円~3千円ほど)だったという。(駅弁自体の最初期は諸説あるが明治10〜17年頃で、握り飯と香の物が添えられた簡素なものが5銭程だった)
駅弁は容器の回収ができないことから、使い捨ての経木の折詰に盛る方法が広まった。ただし、幕の内弁当が弁当の典型的・代表的な存在であったことから、必ずしも「幕の内弁当」で呼ばれるとは限らず、単に「弁当」「御弁当」などと呼ばれることも多かった。
第二次世界大戦後、懐石風の幕の内弁当が高級飲食店や来客をもてなす家庭料理として人気になる一方、多様ながらも少量で貧弱な副食物を飯とともにポリ容器に盛り付けたものがデパート、スーパーマーケットや弁当屋で販売されるようになった。20世紀末期から地方色が強いもの、特定の食材を重視したものなどへの傾斜を深めたが、幕の内も依然根強い人気がある。コンビニエンスストアなどでも多様な弁当が売られるようになったが、その中でも幕の内弁当は一定の割合を維持している。
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