中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策(案内)221 「東京北西部-267」 新宿区立記念館マップ

2021-09-12 05:52:26 | 東京 北西部

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です 

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ) https://blog.goo.ne.jp/sosamu25

 

新宿区立記念館マップ

新宿区内の街歩きに最適な観光マップ。落合エリア版は、佐伯祐三アトリエ記念館や林芙美子記念館など文化人ゆかりの地や、自然あふれるスポットなどを掲載しています。分かりやすい路線図やエリア情報も便利。ホテル・飲食店・小売店・区施設など、約140ヵ所で配布しています。

 

https://www.kanko-shinjuku.jp/pamph/-/map.html

 

佐伯祐三アトリエ記念館

〒161-0032 東京都新宿区中落合2-4-21

窓口時間:
午前10時~午後4時30分(5月~9月)、午前10時~午後4時(10月~4月)
お休み:
月曜日(月曜日が休日にあたるときはその翌日)、年末・年始(12月29日~1月3日)
電車 西武新宿線下落合駅下車 徒歩10分
JR目白駅下車 徒歩20分
バス 都営バス(白61・池65)練馬車庫前行
 目白駅→聖母病院入口下車 徒歩5分
関東バス(宿02)丸山営業所行
 新宿駅西口→聖母病院前下車 徒歩2分

 

 

佐伯祐三アトリエ記念館とは
佐伯祐三は大正10年に、豊多摩郡落合村下落合661番地(現・中落合2丁目4番)にアトリエ付き住宅を新築しました。この地で佐伯が生活し、創作活動をしたのは、米子夫人と長女彌智子と共に、フランスに向かう大正12年までと、大正15年に帰国し、再びフランスに渡る昭和2年までの合わせて4年余りにすぎません。
しかし、この地は、佐伯がアトリエを構え、創作活動拠点とした日本で唯一の場所であり、現在も、当時のままの敷地に、大正期のアトリエ建築を今に伝える建物が残されている貴重な場所です。
このアトリエを、新宿に残る大切な「土地の記憶」、「まちの記憶」として保存・継承し、広く発信していくために、新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館として整備・公開しています。
 
 
 
中村彝アトリエ記念館とは
中村彝(つね)は大正期に活躍した洋画家で、大正5年(1916)、落合村下落合464番地(現・新宿区下落合3-5-7)にアトリエを新築しました。
彝の没後、このアトリエは彝のもとに集まった画友らを中心とした中村彝画室保存会により保全され、やがて洋画家の鈴木誠(1897~1969)の所有するところになり、今日まで保存されてきました。
この記念館は、後年増改築された建物を、大正5年建築当初の姿に復元したものです。当時の部材も数多く活かして復元されたアトリエは、この記念館の最大の財産です。彝が病魔と闘いながら制作を行った
 
 
 
林芙美子記念館とは
この建物は『放浪記』『浮雲』などの代表作で知られる作家・林芙美子が、昭和16年(1941)8月から昭和26年(1951)6月28日にその生涯を閉じるまで住んでいた家です。
大正11年(1922)に上京して以来、多くの苦労をしてきた芙美子は、昭和5年(1930)に落合の地に移り住み、昭和14年(1939)12月にはこの土地を購入し、新居を建設しはじめました。
芙美子は新居の建設のため、建築について勉強をし、設計者や大工を連れて京都の民家を見学に行ったり、材木を見に行くなど、思い入れは格別でした。山口文象設計によるこの家は、数寄屋造りのこまやかさが感じられる京風の特色と、芙美子らしい民家風のおおらかさをあわせもち、落ち着きのある住まいになっています。
 
 

漱石公園について

漱石が亡くなるまでの9年間を暮した「漱石山房」があった敷地の一部は、新宿区立漱石公園として整備されています。園内には富永直樹製作の漱石胸像や、「猫の墓(猫塚)」があります。また、「道草庵」では漱石や漱石山房に関する資料を展示しています。

 夏目漱石(本名・金之助)は、慶応3年(1867)、江戸・牛込馬場下横町(現・新宿区喜久井町)で、町方名主を務める夏目小兵衛直克の五男として生れました。1歳で四谷太宗寺門前の名主・塩原家の養子になりますが、9歳の時養父母が離婚し実家へ戻されました。

 第一高等中学校時代に正岡子規と出会い俳句の手ほどき受け、子規とは彼の死まで深い友情で結ばれました。明治26年(1893)、帝国大学(現・東京大学)文科大学英文科を卒業、大学院まで進み、卒業後は松山・熊本で教師を務めましたが、明治33年(1900)文部省から命じられ英文学研究のため2年間英国留学をします。帰国後、大学講師となりますが、留学中から神経衰弱に悩まされていた漱石は、気晴らしに文章を書くことを虚子に勧められ『吾輩は猫である』を執筆、これが人気を博し作家としての道を歩み始めます。この頃から漱石のもとには多くの門下生が集い、毎週「木曜会」と呼ばれる会合が開かれるようになりました。

 明治40年(1907)、大学を辞め朝日新聞社に専属作家として入社し、新聞紙上で『三四郎』『それから』『門』などを連載しました。明治43年(1910)『門』を執筆中に胃潰瘍を患い、転地療養先の伊豆修善寺で大量吐血(修善寺の大患)、危篤状態となったものの一命をとりとめます。その後も、『彼岸過迄』『こゝろ』『道草』などを発表しますが、大正5年(1916)49歳の時長年患っていた胃潰瘍が悪化、『明暗』を未完のまま残し、早稲田南町の家で亡くなりました。

https://soseki-museum.jp/

 

新宿区立新宿歴史博物館

所在地

〒160-0008 東京都新宿区四谷三栄町12-16

電話

03-3359-2131

FAX

03-3359-5036

開館時間

9:30~17:30(入館は17:00まで)

休館日

第2・4月曜日(祝日の場合は翌日)
但し、全館燻蒸作業日(12月)と年末年始(12/29~1/3)は休館いたします。

観覧料

常設展示 一般300円、小・中学生100円 団体20名以上の場合は一般150円、小・中学生50円
(注意)特別展については、別途定めます。
※ただし、小・中学生及び20人以上の中学生以下の者を引率する方は、次の期日について観覧料が免除されます。
1.土曜日・日曜日
2.国民の祝日(振替休日を含む)・都民の日(10月1日)
3.区立小・中学校の夏季・冬季・春季休業期
※次の方は、手帳を受付にご提示いただくと観覧料が無料になります。また、観覧の際に介助が必要な場合は、原則1名まで、介助の方も無料になります。
1.身体障害者手帳の交付を受けた方(15歳未満の者につき、その保護者が身体障害者手帳の交付を受けた場合においては、当該15歳未満の者)
2.東京都の愛の手帳の交付を受けた方
3.精神障害者保健福祉手帳の交付を受けた方

https://www.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/

 

コメント
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