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成城みつ池緑地・旧山田邸(旧山田家住宅)➀03-6379-1620
旧山田家住宅は、米国で事業を成功させた実業家の楢崎定吉が、帰国後にアメリカ風住宅の影響を受けて昭和12年(1937年)頃に建設したと伝わっています。終戦後は、一時進駐軍(GHQ)に接収されていたといわれています。
昭和36年(1961年)には、画家で「南画院(なんがいん)」(現特定非営利活動法人南画院)の代表として活躍した山田盛隆氏(雅号・耕雨)が購入し、住まいとしました。購入してからは、水周りを除きほとんど改築されず、当時の設計意図が維持されています。
平成28年度に、山田氏が購入した昭和36年頃の姿を保存するために改修工事を行いました。
旧山田家住宅(成城四丁目)について
2018.11.12 https://www.seijogakuen.ed.jp/edu-lab/news/cequ200000002p6a.html
学園の正門から並木通りを西に向かって7~8分ほど直進すると、大きなヒマラヤ杉のある小さな広場に行き当たります。そこを左折して少し行くと、右手にしゃれた感じの古い洋館が目に入ってきます。
ここは世田谷区の指定有形文化財(建造物)「旧山田家住宅」として、一年半前から一般公開されています。旧山田邸は成城みつ池緑地内の崖線(国分寺崖線)の上に所在し、特設デッキの下には、ゲンジボタルの自生地として知られるみつ池の林が広がっています。
実は、この建物は学園と深い関わりを持っています。1937年に、この家を建てたのは楢崎定吉という実業家で、子弟を学園に通わせるため引っ越して来ました。終戦後、進駐軍に接収されていた時期もありましたが、1960年に家を購入した山田盛隆(雅号・耕雨、日本画の南画院代表)も子弟を学園に通わせていました。
特色ある窓、床板、天井など、様々な工夫が凝らされた室内には、成城や区内の住宅地の歩みを振り返るパネルが展示され、また旧山田邸と街の歩みに関する二本の映像作品が、常時上映されています。そのうち「成城町とみつ池」(約10分)を観ると、街の成り立ちに、学園の果たした大きな役割を実感することができます。
教育研究所は、展示パネルと動画「成城町とみつ池」に昔の風景や書類の写真を提供して制作に協力しました。管理をする(一財)世田谷トラストの担当の方は、「地域に開かれた施設として、積極的に利用して欲しい」と話されています。
街中の散歩や学園近辺での校外学習の際に、学園と由緒の深いこの建物にちょっと立ち寄ってみてはいかがでしょうか?街への理解が深まる機会になると思います。
※この施設に関しては、下記URLもご参照下さい。
http://www.setagayatm.or.jp/trust/map/pcp/index.html
201901018 見学・史跡
東京都世田谷区成城 旧山田家住宅
セブンカルチャー「東京・有名建築散歩」⑬ 第3金曜日
「一級建築士とお食事も楽しみながら!⑬」
デギスタシオン DEGUSTATION 食事
小田急・成城学園-成城五丁目猪股庭園「見学」-旧山田家住宅「見学・休憩」-成城学園駅(ランチ・デギスタシオン)-世田谷美術館分館 清川泰次記念ギャラリー-東宝スタジオ-(仙川)-世田谷おおくら大仏 日蓮宗 妙法寺-次大夫堀公園民家園「見学」-次大夫堀公園(じだゆうぼりこうえん)「民家園・見学」-(バス※場合によっては成城大学・二子多摩川園へ)-瀬田四丁目旧小坂緑地(旧小坂家住宅)-二子多摩川園駅
旧山田家住宅
旧山田家住宅は、米国で事業を成功させた実業家の楢崎定吉が、帰国後にアメリカ風住宅の影響を受けて昭和12年(1937年)頃に建設したと伝わっています。終戦後は、一時進駐軍(GHQ)に接収されていたといわれています。昭和36年(1961年)には、画家で「南画院(なんがいん)」(現特定非営利活動法人南画院)の代表として活躍した山田盛隆氏(雅号・耕雨)が購入し、住まいとしました。購入してからは、水周りを除きほとんど改築されず、当時の設計意図が維持されています。
第36回成城から住宅。仙川を楽しむ旅「1」 セブンカルチャー「東京・有名建築散歩」⑬ デギスタシオン DEGUSTATION
デギスタシオン DEGUSTATION 第36回成城から住宅。仙川を楽しむ旅「1」 セブンカルチャー「東京・有名建築散歩」⑬ 記録
デギスタシオン DEGUSTATION 第36回成城から住宅。仙川を楽しむ旅「1」 セブンカルチャー「東京・有名建築散歩」⑬ 食事記録