中山千里
「船に乗れ!」「カルテット!」に続いてクラシック音楽小説第3段。ただし今回はミステリー小説なので、ネタばれはご法度である。
新人作家なのだが、文章も描写も構成も、そして音楽への造詣も「カルテット!」よりははるかに達者である。
それにしてもここまでクラシック音楽を題材に小説が出てくるというのは、やはり「のだめ」効果なのだろうか。特にこの「さよならドビュッシー」はピアニスト志望の女子高生が主人公だから、もろに「のだめ」被りである。のだめが“嫌味のようにらくらく弾く”ショパンのエチュード作品10-2や、ルイがその技巧の切れ味を見せまくるリストの超絶技巧練習曲「マゼッパ」が、この小説でも効果的に出てくる。
だが、タイトルにもあるように、この小説で主人公が魅せられたのはドビュッシーである。「のだめ」ではマラドーナ・コンクールの課題曲としてドビュッシーの「喜びの島」が取り上げられていたが、こちらでは「月の光」と「アラベスク第1番」という曲が使われる。
「月の光」と「アラベスク第1番」。どちらもドビュッシーのピアノ曲としては初期の曲であり、芸術的価値は先述の「喜びの島」や、組曲である「版画」とか「映像」、あるいは「前奏曲集」のほうが高いとされる。ただ、中期以降のドビュッシーはわりと晦渋なところもあって鑑賞者を選ぶのも事実であり、むしろ初期の曲のほうが万人の耳になじみやすい。特に「アラベスク第1番」は、今となってはほとんど子供の学習用の曲であり、プロのピアニストがコンサートでとりあげることは、全曲演奏会でもない限りまずないと言ってよいのだが、しかしその官能的な旋律、ゆらめく和声の響きは、確かに魅力的なのである。
「月の光」も、超メジャーな曲で、各種アレンジも横行している。本来はベルガマスク組曲という4曲からなる組曲の3番目の曲なのだが、これだけが有名になって、こちらのほうはコンサートでも、アンコールなんかで弾かれることがある。この曲、弾いている本人も気持ちいいのである。
この小説では、他にもいろいろな曲が出てくるし、もしかすると要求される知識、つまり知っていればなお臨場感が増すという意味では「船に乗れ!」よりもはるかに読者を試しているように思える。
だが、僕が思う範囲内では、もちろん荒唐無稽なところもあるとは思うけれど、でも矛盾はない。にわか仕込みの知識で埋め尽くしている感じでもない。それどころか、楽曲の選定も、その描写もかなりよく考えこんであると思う。「月の光」も「アラベスク第1番」も最初はえー?と思ったが、よくよく読めばどうしてなかなか必然的な選曲である。
それでいながら、これは、さらにミステリー小説なのである。
ミステリーの出来、あるいはミステリーの種類についてはここではいっさい触れないが、チャレンジャーだなあと思う。クラシック音楽と推理のダブルスタンダードといってよい。得てして、こういうものはどちらかが立ちすぎて、どちらかが中途半端になることが多かったりするのだが、新進にしてはかなりうまくいっているのではないだろうか。もっともミステリーに関しては、海千山千の読者がいて、もしかしたらクラシック音楽の部分以上に、いろいろクレームをつけてくるかもしれない。そういう意味でも、宿命的に口うるさい読者を2倍相手にしなければならない小説なわけで、「このミステリーがすごい!」でも大賞受賞とのこと。すごい人が現れたものだ。同じ登場人物でぜひシリーズ展開してもらいたい。