日本のいちばん長い日
半藤一利
文春文庫
名高い作品だが、映画のほうは既に観ていたものの原作を読んでいなかった。先立って猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」をよんだので、それではということで終戦にまつわるこちらも読むことにした。
8月14日のポツダム宣言受諾から玉音放送までのこの24時間は本当にいろんなことがあったわけだが、事態をややこしくした最大は日本陸軍畑中少佐のクーデター未遂事件だろう。
ただ、このクーデターを狂気に陥った一軍人が起こした特異な事件とみなしてはいけないと思う。「軍隊」というのは、あれば戦いたくなる、ということをなんとなしに思う。
古来から言われるように、刀というのはあれば人を斬りたくなる、銃はあれば人を撃ちたくなる。軍はあれば戦争したくなる。少なくともそういう人間が一部から出てくる。存在意義そのものを突き動かすからだ。仮に畑中少佐が決起しなくても、誰かが大なり小なりの事を起こしたのではないか。実際に、8月15日前後には、畑中少佐以外にも散発的にあちこちで造反行為が起きている。著者が指摘しているように、これらがすべて互いに独立した散発的な動きで済んだので大事に至らなかったわけだが、もし何らかの連携がとれていたら、またずいぶん違った結果になったかもしれない。
「軍隊」というのはあれば戦争したくなる。もちろん徴兵で駆り出された下士官以下はそうではない場合も多かったと思う(思いたい)が、施政者サイドにはそんな力学があるような気がする。それは冷静な決断のときもあれば狂気の暴走のときもあろうが、「軍隊」というのはそもそも戦うための組織だから、おのれの本分である「戦う」ことでなにかソリューションにつなげようとする思考回路がバイアスとして働いてしまうのはしごく当然といえる。
このクーデターは近衛師団をとりまとめる森師団長が同意しなかったこと、後先顧みず、その森師団長を惨殺してしまったことで逆に統制がとれなくなったことでクーデターは失敗するのだが、こうやって殉死者が出てしまうくらいの事態はおきてしまうのである。
逆に言えば、せっかくそろえた軍隊を戦わずに済ます、というのは相当な理性と知性を働かせなばならない。現代日本をはじめ世界の多くの国はシビリアンコントロールを採用している理由はここにある。
そういう意味では、当時の陸軍大臣が阿南惟幾であったことは僥倖だったとも言える。終戦の幕引きをはかるために東西奔走した人は数知れないのは承知の上だが、「御聖断」の昭和天皇は別としても、総理大臣鈴木貫太郎と、陸軍大臣阿南惟幾が、このときいたから終戦できたのではないか。鈴木貫太郎は敗戦処理を期待して任命された総理大臣だが、阿南惟幾がどう出るかは賭けの部分が多分にあった。
仮にこの8月14日の聖断がなくても日本はいずれ終戦(敗戦)はしただろうけれど、さらに遅れていたら、ソ連軍の侵攻はさらに進んでいて北海道の命運も危なかっただろうし、三発目の原爆投下も目前だったとされている。これらの結果、日本国のその後のありようは大きく変わったであろう。8月14日にポツダム宣言受け入れを決定できたのは本当にギリギリのタイミングだったのではないかと思う一方で、これさえも遅きに逸したとも言える。ポツダム宣言をその場で受諾していれば、広島長崎の原爆投下やソ連軍の満州攻撃もなかったかもしれないわけで、その意味ではこの決定タイミングは既に多くの犠牲を伴うものだった。
歴史にIFの話はナンセンスというのは百も承知だけれど、すべての未来は細かいひとつひとつの意思決定と偶然の連なりでできている。日本では終戦記念日として8月15日が、点としてクローズアップされがちだけれど、いかに始まり、いかに終わったかを知ることは歴史に学ぶという点ではやはり大事である。