読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

日本のいちばん長い日

2020年08月09日 | ノンフィクション

日本のいちばん長い日

半藤一利
文春文庫


 名高い作品だが、映画のほうは既に観ていたものの原作を読んでいなかった。先立って猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」をよんだので、それではということで終戦にまつわるこちらも読むことにした。

 8月14日のポツダム宣言受諾から玉音放送までのこの24時間は本当にいろんなことがあったわけだが、事態をややこしくした最大は日本陸軍畑中少佐のクーデター未遂事件だろう。

 ただ、このクーデターを狂気に陥った一軍人が起こした特異な事件とみなしてはいけないと思う。「軍隊」というのは、あれば戦いたくなる、ということをなんとなしに思う。
 古来から言われるように、刀というのはあれば人を斬りたくなる、銃はあれば人を撃ちたくなる。軍はあれば戦争したくなる。少なくともそういう人間が一部から出てくる。存在意義そのものを突き動かすからだ。仮に畑中少佐が決起しなくても、誰かが大なり小なりの事を起こしたのではないか。実際に、8月15日前後には、畑中少佐以外にも散発的にあちこちで造反行為が起きている。著者が指摘しているように、これらがすべて互いに独立した散発的な動きで済んだので大事に至らなかったわけだが、もし何らかの連携がとれていたら、またずいぶん違った結果になったかもしれない。
 「軍隊」というのはあれば戦争したくなる。もちろん徴兵で駆り出された下士官以下はそうではない場合も多かったと思う(思いたい)が、施政者サイドにはそんな力学があるような気がする。それは冷静な決断のときもあれば狂気の暴走のときもあろうが、「軍隊」というのはそもそも戦うための組織だから、おのれの本分である「戦う」ことでなにかソリューションにつなげようとする思考回路がバイアスとして働いてしまうのはしごく当然といえる。
 このクーデターは近衛師団をとりまとめる森師団長が同意しなかったこと、後先顧みず、その森師団長を惨殺してしまったことで逆に統制がとれなくなったことでクーデターは失敗するのだが、こうやって殉死者が出てしまうくらいの事態はおきてしまうのである。
 
 逆に言えば、せっかくそろえた軍隊を戦わずに済ます、というのは相当な理性と知性を働かせなばならない。現代日本をはじめ世界の多くの国はシビリアンコントロールを採用している理由はここにある。

 そういう意味では、当時の陸軍大臣が阿南惟幾であったことは僥倖だったとも言える。終戦の幕引きをはかるために東西奔走した人は数知れないのは承知の上だが、「御聖断」の昭和天皇は別としても、総理大臣鈴木貫太郎と、陸軍大臣阿南惟幾が、このときいたから終戦できたのではないか。鈴木貫太郎は敗戦処理を期待して任命された総理大臣だが、阿南惟幾がどう出るかは賭けの部分が多分にあった。
 仮にこの8月14日の聖断がなくても日本はいずれ終戦(敗戦)はしただろうけれど、さらに遅れていたら、ソ連軍の侵攻はさらに進んでいて北海道の命運も危なかっただろうし、三発目の原爆投下も目前だったとされている。これらの結果、日本国のその後のありようは大きく変わったであろう。8月14日にポツダム宣言受け入れを決定できたのは本当にギリギリのタイミングだったのではないかと思う一方で、これさえも遅きに逸したとも言える。ポツダム宣言をその場で受諾していれば、広島長崎の原爆投下やソ連軍の満州攻撃もなかったかもしれないわけで、その意味ではこの決定タイミングは既に多くの犠牲を伴うものだった。
 歴史にIFの話はナンセンスというのは百も承知だけれど、すべての未来は細かいひとつひとつの意思決定と偶然の連なりでできている。日本では終戦記念日として8月15日が、点としてクローズアップされがちだけれど、いかに始まり、いかに終わったかを知ることは歴史に学ぶという点ではやはり大事である。

 


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南極ではたらく

2020年08月04日 | ノンフィクション

南極ではたらく

綿貫淳子
平凡社


 「悪魔のおにぎり」を知ったのはクイズ番組「世界で一番受けたい授業」だったか。
 天かすと青のりとめんつゆで握るおにぎり、ということでさっそく我が家でも試してみた。
 なるほと確かにこれは中毒性がある。天かすと青のりはちまちませずに豪快に入れるのがよいようだ。

 ちなみに試行錯誤のすえ、ぼくはさらにアジシオを加えるようになった。めんつゆだけだとちょっと甘すぎるように思えたからだ。
 しかし高カロリーの上に塩分強化だから「極悪魔のおにぎり」ある。だけど、この誘惑の力はすさまじい。朝食も食べずにぷいっと学校に行こうとする中学生の娘に、悪魔のおにぎりだけど! というと「食べる!」といって顔を出してくる。さすが悪魔の名は伊達じゃない。


 で、悪魔のおにぎりの生みの親、綿貫さんの南極越冬隊体験記である。
 南極越冬をした女性は彼女が初めてではないし、このときの調理隊員は著者ひとりでもないのだが、やはり「悪魔のおにぎり」で一躍有名になってしまった。
 本書は、調理のことだけでなく、1年間の南極越冬のさまざまな生活体験記だ。昭和基地の中の様子とか、隊員とのコミュニケーションとか、南極という閉ざされた世界での女性ならではの意識とか様々なことがつづられている。
 そのひとつひとつが面白い。ノンフィクションには「題材そのものがレアで面白い」ものと、「題材そのものは地味だが書き手の巧みさで面白い」ものとある。本書にあっては前者ということになろうか。著者はプロのライターではなく、もともとは一介の主婦であった。
 したがって、Amazonの評をみると、いまいち芳しくない。話があっちこっち飛ぶわりに脈絡がないとか、エピソードの掘り下げが足りないとか。

 そんな前評判を知っていたので、大丈夫かなと思ったのだが「悪魔のおにぎり」に敬意を表してAmazonをポチッた。結論としては心配無用だった。
 たしかに、文章を生業にしている人に比べると散漫なのかもしれないが、これはこれで大いにありだと思った。むしろリアリティがある、といったほうが良い。理路整然と流れる文章、起承転結のある物語は後知恵が多いにはいった再編集である。これはストーリーではなくてナラティブなのだ、と思ったら、むしろ南極生活のリアリティとはこういうことなんじゃないかなんて思ったりもしたのだ。いろんな出来事が、脈絡なく同時多発に起こり、刹那的な感興や、オチがないエピソードや、他人からみると何が面白いのかさっぱりわからない、でも本人的にはツボにはまるような感情も起こる。我々の生活だってそうではないか。この本は、南極越冬をした主婦の問わず語りなのである。

 限られた食事資源。ひたすら氷点下の季節環境。変化のない人間関係。こういった生活下で、ひたすら30人の隊員の食事を3食用意するというのは想像を絶するが(余った食材や料理をリメイクする話はなかなか勉強になる)、こういうとき、人間のサバイバル本能はより研ぎ澄まされていくのだろう。隊員のほとんどが男性ということもあって、女性特有の気になることや気遣いもクローズアップされやすくなる。
 こんなミクロ的にはヤマもオチも予定不調和でハードでルーズな、でも全体的にはルーチンな毎日を送ったら、そりゃ帰国したら廃人にもなるだろうなんて思う。著者が帰国後に南極ロスみたいな心理状態になって「南極に帰りたい」とつぶやくくだりをみて、さもありなんと思った次第である。

 感心したのが、南極隊員による季節の行事やイベントを大切にする姿勢だ。南極というのは一年の半分が昼で半分が夜で、ひたすら氷点下の1年だが、だからこそか、隊員は熱心に七夕まつりをやったりクリスマスを祝ったりする。仲間の誕生日を祝い、毎週映画上映会を開催する。桜の木なんかないのに、部屋をピンク色に装飾して宴会する「花見」なんか極めつけだ。そして和菓子づくりにいそしんで南極にて餡子をこねる著者の姿を想像し、人間の文化の偉さをみた思いがする。


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昭和16年夏の敗戦

2020年08月03日 | ノンフィクション

昭和16年夏の敗戦

猪瀬直樹
中公文庫


 太平洋戦争が開戦される前、日本中のトップエリートが集まり、何度も戦争シミュレーションをしてみた。しかし、何度試しても日本は負けるという結論だった。
 これは、僕が小学生のころか中学生のころか、そのへんは定かでないのだが、父から聞いた話である。なにか戦争シミュレーションゲームの話題をしていた折に出てきた話だった。

 この話、僕は記憶として残っていた。いま思うとこれがネタ本だったのだ。


 なにしろ、父からこともなげに言われた話なので、これは誰もが知っているものすごく有名な話なのだと思っていたのだが、そうではなかったのね。少なくとも、昭和58年に猪瀬直樹が膨大な資料や証言にあたって本書を書くまでは、一般にはほぼ知られていないことだったらしい。
 また、巻末の石破茂の談を信じるならば、石破茂は2003年に防衛庁長官をやっていたときまで、本書のことも「総力戦研究所」のことも知らなかったとのことである。

 
 本書をして、「データより空気」を優先する日本人のメンタリティをそこに見出し、警鐘をならしたり教訓にするような読み方はたぶん間違ってなくて、書評なんかでもそうしたものが一般的だが、僕が本書を読んでみてさらに感じたのは次の2つである。

 ①東条英機はアイヒマンだった
 ②政治は観念で動く

 本書は「総力戦研究所」に集った若きエリートたちの命運がメインストーリーだが、もうひとつ並行するストーリーがあってそれは東条英機である。総力戦研究所の「虚(シミュレーション)」と、東条英機の「実」が並行し、交差するのがこの「昭和16年夏の敗戦」だ。したがって、本書ではデータを武器にシミュレーションをした総力戦研究所に対比して、東条英機は何を根拠に実働したのが描かれている。

 そこでまず①だが、日本近現代史上最極悪人となってしまった東条英機をして「官僚的体質」をその特徴にみる解説は多い。下足番の家族の健康まで気を遣っていたとか、街角のごみ箱の中の様子で人々の暮らし向きを察していたといった細やかな心遣いを示すエピソードもないではないが、ここから言えるのはミクロなレベルでの論理思考が得意というか、きわめて分析的な思考の持ち主だったということだろう。秀才系エリートにありがちである、というのは後知恵だが、こういうタイプの人が、まずは陸軍の中で頭角を現し、陸軍大将まで上り詰めた不思議は一考に値する。如才なき立ち回りゆえに失点が少なく、減点法に強いということだろうか。上昇志向の多い陸軍にあって功績や勲功にあせって自滅する輩が多い中、そこそこ高値安定株みたいな存在だったのではないかと思う。

 ただ、こういうタイプの人は、清濁併せのみながら未開の大局を切り開けるタイプではない。参謀にはなれても大将にはやはりなってはいけないのじゃないかとは思う。猪瀬直樹による東条の描写は、すべての意思決定の根拠を、何かの1システムとして依拠することに見出している。

 “彼は自分が頂点にいるとは思わない。天皇がいた。彼はその忠実な臣下であった。彼は軍人としてのファンクション(職分)のなかで生きてきた。理念や思想があれば彼に制度の壁を破ることを期待するのは可能だが、それは望むべくもなかった。”

 ”つまり東条は、明治憲法を条文通りに答えたに過ぎない。戦争ということをバラバラにして、ここまでは外交、ここからは統帥、これは文官、あれは軍部の責任といったことを事実について説明したまでだ。これでは戦争は、最高の「政治」ではなく、官吏の「事務」となる。"

 ここで連想するのが、ナチスドイツにおいて、ホロコーストの進行計画をつくって随所に指示たアドルフ・アイヒマンである。
 アイヒマンのこの所業は最終的に数百万人のユダヤ人の強制収容所への移送につながるわけだが、彼自身の意思決定の動機については官僚機構の制度と指示系統に沿っただけのつもりであったという、その平凡さについて注目が集まった。ハンナ・アーレントはこれを「陳腐な悪」と表現した。

 どうも東条英機も同じようなメンタリティがあったのではないかという気がする。東条英機もアイヒマンもこの大意思決定を「政治ではなく、官吏の『事務』」としかとらえられなかった。うそぶいているのでもなく、悪びれているのでもなく、心底そう思っていた節がある。

 僕が思うに、本書が示すこととして、「データより空気」なメンタリティがもつリスクを自覚することも大事だが、「政治ではなく「事務」にしてしまうこと」の恐ろしさも同じくらい重要なのではないか。
 そしてここが肝心なのだが、東条英機という人物を、まるで特異点のように扱って、例外的極悪人として評価して片付けてしまうのは簡単だが、こういう物事を「事務」化するメンタリティは、アーレントの指摘のように、多くの人間が「陳腐」に持つ類のものである。だって決まりなんだもの、そうしろと言われたんだもの、という他責を理由にたいして罪の意識もなくやってしまうことは我々の日常生活にだってたくさんあるだろう。法律上は問題ない、として社会的通念から逸脱した行為を働き、いつのまにかそれがエキセントリック化して大問題化する企業の例は枚挙にいとまがない。
 東条英機の教訓は、制度も慣例も無視して暴走したから恐ろしいのではなく、徹頭徹尾、制度や慣例に沿って意思決定したからの恐ろしさなのである。で、制度や慣例に従うのは、官僚機構の普遍的な行動原理である。


 そこで②.そもそも政治は「観念」である。本書ではこう書かれる。

 ”〝事実”を畏怖することと正反対の立場が、政治である。政治は目的(観念)をかかえている。目的のために、〝事実”が従属させられる。画布の中心に描かれた人物の背景に、果物や花瓶があるように配列されてしまうのである。”

 一見錯覚しやすいが、政治はけっして事実ベースではない、ということだ。2021年に東京オリンピックをやるというのも、GoToキャンペーンは意味がある、というのも、事実をもとに積み上げた意思決定ではもはやない。観念が先だ。我々はけっこうぎりぎりまで2020年に東京オリンピックを開催しようとした日本政府の見解をよく覚えている。そして中止になったとたんに緊急事態宣言が出た。緊急事態宣言を出すにはオリンピックの延期が必要だったんだろうというのがよくわかるし、そのときより感染者が増えている現在に緊急事態宣言が再度出るどころかGoToキャンペーンが始まり、そしてワクチンの目途もないのに2021年には東京オリンピックをやるつもりでいる。
 これらの意思決定の根拠は主観でしかない。感染者数の推移ともワクチン開発のスケジュールともかみ合っていない。参考にはしているのだろうが、根拠にはなっていない。

 コロナはあまりに象徴的だが、多かれ少なかれ政治はすべてそういうところがあるだろう。
 これは事実をもとにつみあげながら意思決定していっては間に合わないということもあるし、陳腐な解答しか出せず、ブレイクスルーもイノベーションも果たせなそうとも思う。顧客のニーズをつかまえる企業経営の世界でもビジョナリーとか仮説思考とか言われて久しい。GAFAなんか観念だらけである。

 政治や経営判断ではけっこうな割合で観念が先行するものなのである。その観念を実現化するのは、無茶ぶりを粛々と実行する「官僚機構の「事務」」である。
 したがって、我々はリーダーを選ぶとき、それは公職の議員だけでなく、組織の管理職やクラスの委員長でもなんでもそうだが、「この人の観念は大丈夫か」ということをしかと見極めなければならない。くれぐれも無害だからとか減点法的な採点で「事務屋」をリーダーにするととんでもないことになるのだ。

 


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ある奴隷少女に起こった出来事

2020年07月24日 | ノンフィクション

ある奴隷少女に起こった出来事

ハリエット・アン・ジェイコブズ 訳:堀越ゆき
新潮文庫

 

 単行本が出版されたときにけっこうセンセーショナルだった記憶があるのだが、そのときはスルーしてしまった。
 今頃読んで不明を恥じているわけである。

 ずっとフィクション小説だと思われていたのに130年後に実は実話だったことが判明した、というあまり聞いたことのない経緯をたどった作品である。しかし、これは「フィクション」だと思って読むのと、「ノンフィクション」だと思って読むのでは、まったく読中も読後もその感じは大きく異なるだろう。つまり黒人奴隷をえがいた小説として有名な「アンクル・トムの小屋」の感触よりも、北朝鮮の抑圧生活から壮絶な脱北をつづったパク・ヨンミの自伝「生きるための選択」や、文化大革命を潜り抜けたユン・チアンの「ワイルドスワン」を味わったような感じに近い。

 我々はフィクションを読むときはやはりフィクションという前提が頭のどこかにあって鑑賞をしている。フィクションだからといって軽くみているわけではなく、登場人物の感情移入や、情景描写への没入や、物語展開への感銘というのは、脳みそのどこかにある「フィクションを感受する野」が反応しているように思う。そして多いに感動したり、いてもたってもいられない焦燥を感じたり、落涙したりする。
 だけど、「フィクションを感受する野」が読後に与えるのは、なんといっても解放感だ。たとえ、それがバッドエンドでダークな物語だとしても、それがフィクションであれば、我々が住む現実の世界とは切り離された出来事として、我々の日常の安寧を再確認する解放感がある。
 また、日常がつらければ、フィクションの世界に身を投じる解放感へとつながる。

 しかし、ノンフィクションとなるとそうはいかない。ここに出てくる人物はかつて実際に存在したのだ。奴隷を天井から吊るして文字通り鞭をうって虐待した奴隷所有者も、ひたすら主人の子供を孕まされた奴隷少女も、7人産んだ子供を全員ばらばらに奴隷商品として売られていった奴隷の母も実在したのである。これらは100年以上前のことだとしても、実際にこの痛みと悲しみを味わった人が本当にたくさんいたのだと思うと、たとえ主人公リンダーーすなわち作者のジェイコブズが苦難の末に最終的には自由になったとしても、解放感とは程遠く、非常に深刻な読後感がのしかかってくる。昨今のアメリカの黒人差別に関する暴動の報道をみていると、今につづく歴史なのだと思わざるを得ない。

 
 なお、巻末に収録されている訳者堀越ゆき氏の「あとがき」がこれまた力作である。プロの翻訳家ではなく、外資系コンサルタントに勤める会社員とのことだが、よくある「あとがき」の域を完全に超えている。その後に控える「解説」の佐藤優の文章がかすんでしまうくらいである。
 彼女はたまたま新幹線車中で原書をKindleで読み、その翻訳をかって出たという。つまり、日本においては彼女がこの作品を発見したといってよい。このあたりは、フランクル「夜と霧」の原著をドイツで発見して翻訳を持ち込んだ臨床心理学者の霜山徳爾を連想する。
 堀越氏の着眼点はまことにうなづくものばかりだ。同時代に出版された文学「ジェーン・エア」「若草物語」「小公女」といった、いずれも当時の身分社会や女性史を背景にした「フィクション」が、「そうであってほしいと思う世界観を持つ作者の分身の主人公が、その世界観が成就することになるフィクションの中で戦う創作」であるのに対し、この「ある奴隷少女に起こった出来事」は「こうであってほしいと思う世界観をもつ本人が、その世界観を徹底的に拒む現実の中で戦う実話」と位置付けた。つまり「ジェーン・エア」を読み、「ある奴隷少女に起こった出来事」の両方を読むことで、我々はこの時代の理想と現実、裏と表、その間での戦いを知るのである。
 この本はどのように読み取ってもよいと、訳者堀越氏は注意深く述べているが、しかし一方でこの「ある奴隷少女に起こった出来事」をあたかも「負の世界遺産」として未来永劫読み継がれることを啓発しようという強い意志も感じ取られる。ノンフィクションとして再発見されるまでの経緯、他の文学との相対的なポジション、この作品の社会への受容の変遷、さらにはジェイコブズたちのその後の命運なども補完し、作品の絶対的価値を浮かび上がらせており、外資系コンサルタントがもつ職能センスが光っているなと感じた次第である。こんな風に冷静に作品の価値を批評できるようになれればいいなとも思う。


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人間をお休みしてヤギになってみた結果

2020年03月01日 | ノンフィクション

人間をお休みしてヤギになってみた結果

トーマス・トウェイツ 訳:村井理子
新潮社

 コロナにかからないように大変で疲れるというより、コロナに狂騒する人間社会に疲れるのである。

 企業が時差通勤や自宅勤務を奨励すること事態は決して悪いことだと思わないけれど、当事者の話を聴くとなかなか厄介らしい。業務効率が悪くて面倒ということではなく、管理的なものが面倒なのだそうだ。これまでの就業規則や勤務記録ルールとの整合性をあわせるためにもっともらしい解釈法を出したり、労組と協議をしたりと、いくつもハードルがあるのだそうである。で、結局は通常の就業規則にあるところの有休や病欠、あるいは立ち寄りや直帰のルールを外挿的に使おうとするらしい。緊急事態だし前例のない事態なんだから、これまでの規則やフォーマットに無理にあわせようとしなくてもいいように思うのだけれど、給与の計算根拠とか労働基準法との兼ね合いとかいろいろあるのだそうだ。

 こういう規則を「ホワイトリスト」というらしい。対語は「ブラックリスト」である。日本は条文にせよ規則にせよ「何をして良いか」というのを決める。したがって、そこに当てはまらないものはすべて規則外なのである。つまり違反である。たとえば就業時間は「9時から18時までで間に1時間の休憩をとる」というのが規則として定められるとすると、8時にやってきて17時に還るのは就業違反になる。9時にやってきて1時間の休憩をとらずに17時に帰っても就業違反になる。

 これに対して「ブラックリスト」は「してはならないこと」を定める。たとえば「1日に8時間以下の勤務はしてはならない」とする。であれば、あとは何時から何時に就業しようと自由である。
 ホワイトリスト方式は、変革時や非常時に弱い、とは先ごろに読んだ「アフターデジタル」でも指摘されていた。

 そこに追い打ちをかけたのが小中学校の休校要請だ。要請だから拘束力はないというのは方便で、社会的抑制力はかなり強い。これは「学校に行ってはならない」つまりブラックリスト式の言い方で、「家にいないといけない」とは言ってない分まだマシだが、今度は学校を終了にするにあたっての様々な約束事がホワイトリスト式にわんさかあるため、学校側は年間の指導要綱分のプリントを用意したり、期末試験と通知表の辻褄をあわせたりしなければならなくなった。子ども達は山登りか海外旅行かというような荷物を持たされて下校しなけれぼならなくなった。学童における保育員の資格もホワイトリストだらけだし、学童施設の運営規約もホワイトリストだらけであり、急速に人員を受け入れる環境ができあがるわけがない。

 

 というわけで、人間であることに疲れてくるわけである。

 なんか癒される本でも読もうかなあと思う。こういう人様のありようにつかれたときは理系の本がよい。さすがにウィルスや細菌の話はごめんしたいが、人智を超えたところの話がよい。動物の話なんかもよい。

 と思って積ん読リストを眺めてたらありました。「人間をやめてヤギになってみた結果」。どんぴしゃりである。著者はトーマス・トウェイツ。この人はかつて「ゼロからトースターをつくった人」である。トースターの次はヤギかよ。

 表紙の写真をみると四足歩行の器具みたいなのとをつけてヤギの群れと戯れている。つまり、文化人類学的にヤギの生態の中にまざりこんで生活してみるというものなのかな、と思ったらさにあらず。これはアートなのである。
 この人がなぜ人間をやめてヤギになってみようと思ったのかは本書にゆずるとして、ヤギになってみようとする本気度が凄いのだ。四つ足歩行の器具づくりも、いくつも試作品にトライし、人体とヤギの体の根本的な違いに絶望的な壁が立ちはだかったりする。また、そのヤギのしくみをしるために業者にお願いしてヤギの体の解体にまで立ち会う。
 骨格だけでなく、内臓や脳までせまろうとする。その極め付けはヤギの胃袋を模した装置を外部にとりつけるところだろう。つまり著者は本当に牧草をはむだけで生きていこうとするのだ(人間の胃は牧草を消化して栄養分を吸収できないので、牧草だけで生きるには外部的な処理がいる)。

一方で脳の領域に関しては、人間とヤギがこの世界や人生(ヤギ生?)をどう認識しているかの最大の違いは時間軸を感じるところにあるのではないかなどと哲学的な命題に苦闘する。

  とにかくヤギに迫ること本気なのである。酔狂もここまで徹底すれば怪異である。

 つまり「ヤギとはなにか」を定義しているのである。で、その定義の中に人間である著者は無理やり入りこもうとしているのだ。のほほんと四つん這いになってヤギの群れに入っていりゃいいんじゃないの、などと思っていたら、これはアートを通り越した神に挑戦する実験なのであった。

 考えてみれば「ヤギとはなにか」というのはホワイトリストである。四つ足である。ツメが割れている。毛でおおわれている。毛は白い。両目の間が離れていて視野角度が広い。牧草から栄養を摂取する。群れで生活する。群れにはルールがある。これらの条件から外れるとそれはもうヤギではない。したがって著者トーマスくんは、脳も内蔵も骨も、もともと持っている人間のそれから無理やりヤギの定義にあてはめていこうと悪戦苦闘するのである。

 ぼくは「人間でない」ものが読みたい、といういわばブラックリスト的解放感を求めてこの本を手にしたのだが、その実態は「ホワイトリスト」の限界に挑むノンフィクションだったのだ。開放感なんてものは本書にはない。むしろ修験道に近い。何事も徹底するというのは神々しいものだなあと敬意を評するばかりである。


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ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

2019年11月25日 | ノンフィクション
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
 
ブレイディみかこ
新潮社
 
 文庫本化されたら読もうと思っていたら「本屋大賞」(ノンフィクション部門)までとってしまったので、敬意を表して単行本を買ってみた。
 
 人種差別・性差別・階級差別・宗教差別・少数派差別・・・ 人間というのは油断すると差別に走ってしまうものらしい。差別行為は自分自身が「安全」であるという気分を自己確認できる行為でもあるからだ。したがって自分に対しての不安が高じれば高じるほど差別も激しくなる。トランプ大統領を生んだ背景も、ブレクジットの背景も。そして日本のさまざまな社会現象も、これと無縁ではないように思う。
 いろんな人がいる社会という話になると「多様性」という言葉が出てくる。「多様性」というキーワードが人口に膾炙するようになって久しいが、「多様性」だけで満足してほっておくといずれ差別や排他や蔑視が生まれる。大事なのは「多様性を健全なまま維持するマネジメント」なのである。どうして「多様性」はなかなか難しい。むしろ人間の本能としては回避したくなるものなのではないかと思う。日本人は特にそうなのかなと僕は思っていたのだが、本書を読んで日本に限らないことを知った。
 だいたい多様性に揉まれているという点でいえば、イギリスは日本よりはるかにそうだろう。日本人妻とアイルランド人夫のあいだに生まれた一人っ子の息子君が通う公立中学校は、圧倒的に白人が多いがアジア系もアフリカ系もいる(この息子君は見た目は「イエロー」らしい)。生粋のイギリス生まれもいるけれど、移民の出が圧倒的に多い。東欧からの移民もいれば中東や中米からの移民もいる。経済的にはミドルクラスもいれば学校の制服の修繕はおろか食費にも欠く貧困層もいる。保護者のありようにいたっては父と母の両方がいるのもいれば、シングルもあり、里親の家庭もある。そして親にも子にもLGBTQがある(最後にQというのがつくものは本書で初めて知った)。
 とうぜん、いがみ合いがある。そのいがみ合いは「差別感情」となって顕れる。
 
 しかし。本書を読んで僕は目ウロコ、というか感動してしまう。
 本書で描かれているのは「努力して多様性を克服しようという意志の姿」なのである。
 
 「イエローでホワイトで、ちょっとブルーな」息子君も、著者である九州生まれ育ちの“母ちゃん”も、公立中学校の若き校長も、バイタリティ溢れる母ちゃんの友人たちも、ティーン真っ盛りの息子の友人たちも。いろいろ紆余曲折や悩みや迷いや衝突はあるけれど、努力して多様性のある社会をつくろうとするのだ。それは「克服」なのだった。気を許したり、感情に流されたり、安きについたりすると多様性はすぐに弊害となり、差別と排他と蔑視になる。そのほうが楽なのである。しかしそれではいけない、と彼らは努力するのだ。多様性はそのままでは厄介で面倒なものなのである。多様性を多様性のままにするにはあえて自分の感情や相手のためらいや周囲の軋轢を「克服」しなければならないのだ。
 
 ではなぜ。感情に逆らってまで多様性を克服していかなければならないのか。
 それは、この世の中はこれから先ますます多様性を増してくるからだ。ここで多様性を克服しなければ、未来はもっと分断と対立になる。つまり、もっと差別と排他と蔑視がうずまく世界になってしまう。人種も性も階級も宗教もそのほか様々な属性も。すべてが異質ながら等価で屹立した均衡された社会にしていかなければ、もう人間の世の中は平和裏に維持できないのである。自分とは違う人間がやってきたからといって排除したり矯正したりできないのである。(著者である「母ちゃん」は“多様性はないほうが楽だが、楽ばっかりしていると無知になる”と息子君に諭している。また諸悪は「無知」の成すものだとも言っている。なるほどなあ。)
 だから「克服」に挑む姿はむしろ苦しげだ。葛藤も多い。息子君はアイデンティティ熱(知恵熱)まで出す。
 
 で、本書で感心してしまうのは(もしかしたら本書の主題といってもいいのかもしれないが)、息子君をはじめとするティーンの子どもたちは、そういった多様性が起こす確執の勃発を、肌感覚と試行錯誤でいつのまにやらなんとはなしにしっくりやっつけてしまうことである。子どもの柔軟性といってしまうと陳腐だけれど、やはりオトナにはマネできない気がする。
 したがって「克服」にもっとも手を焼くのは、多様性にさらされたことのないオトナたちである。息子君の友人で、どうしても差別感覚が抜けないポーランド移民の男子が出てくるのだが、この友人の口から発せられるヘイトから察するに、彼の父親が差別観の持ち主なのである。これはこの父親がそういう気分にさせるような、そういう境遇を生きてきたような人生であったことも察せられる。また、本書で登場する、とある九州の日本人中年男性が酔っぱらって見せたあまりにもステレオタイプなガイジン蔑視は、同じ日本人として哀しくなるばかりだ。(「Youは何しに日本へ?」も差別的といえば言い過ぎだけど、日本人特有の精神構造に基づいた番組企画ではあることに本書で気づいた)
 
 日本はどうだろうか。
 日本は、移民に関してはほぼ門戸を閉ざしているし、結婚の多様性もLGBTの市民権も、かつてに比べてはだいぶ認められる気運になってはきているものの、民法や条例の世界ではまだまだ昔の規範で条文化されたままのところが多い。日本の場合は、本書のイギリスのようにのど元に突き付けられたような多様性待ったなしのところがまだまだ少ないのかもしれない(そもそもイギリスの場合、イングリッシュかブリティッシュかヨーロピアンかというアイデンティティの階層がいま衝突しているそうだ。言われるまで気が付かなかったなあ)。
 とは言うものの。日本もこの多様性の克服は必ずや必要になってくるはずである。移民については最後の試練になるんではないかと個人的には思うが、一億総中流と言われた戦後昭和に生まれた様々な概念ー人生すごろくゲーム、標準世帯、新卒一括採用、終身雇用、同調圧力ーなどの日本社会の一律化のエンジンとなっていたものがどんどん解体してきているのは周知のとおりだ。
 これすなわち。自分と共通の糸口の見つからない、自分とは全然違う世界の人間とこれから社会を一緒にやっていかなければならないのである。学校でも職場でもご近所でもだ。気を抜くとすぐに差別と排他と蔑視に堕してしまうことを肝に銘じて「克服」していかなければならない。楽ばかりしていると無知になるのである。
 

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140字の戦争 SNSが戦場を変えた

2019年07月27日 | ノンフィクション

140字の戦争 SNSが戦場を変えた

 

デイヴィッド・パトリカラコス 訳:江口泰子

早川書房

 

 

トランプ大統領がCNNをあげつらって「フェイクニュースだ」とこき下ろすのをみたとき、何を幼稚な難癖と思ったものだった。一国の、しかもアメリカの大統領たるものがあんな子どものやけっぱちみたいな言い分で通用するんかいなと思った人は多いはずである。

本書は、フェイクニュースというのは決してそんな夕刊紙の三面記事のようなものではなく、もっとずっと狡猾かつ真剣であり、壮大で根深いということを示している。社会そのものの在り方が変わってきているのだといってもよい。

本書であげられるのはイスラエルによるパレスチナのガザ地区空爆。ロシアとウクライナのクリミア半島併合。そしてイスラム国ことISである。21世紀における代表的な戦争や内戦において、敵も味方もSNSは大きな影響を発揮した。SNSとは情報戦であり、兵站と補給であり、諜報とかく乱なのであった。国家ファクターだけでなく、経済ファクター、市民ファクターも巻き込むのがSNSだ。ウクライナでは機能しない国家にかわって有志個人がSNSで資金を集め、軍事物資を調達する。ISがSNSで戦闘員を募集していたのは有名だが、それは20世紀の志願兵ポスターのようなものではなく、もっと念が入った「洗脳」に近いやり方だ。

そして、敵も味方も自分たちのほうが「正しい」という物語をつくる。これこそがナラティブだ。このナラティブは一方にとって事実であり、他方にとってフェイクとなる。

しかし、どっちが真実かというのは、もはやかなり”どうでもいい”のが現代社会である。SNSが開けてしまった最大のパンドラの箱はもしかしたらこれかもしれない。いや、本来この人間社会において「真実は何か」なんてのは幻想であったともいうべきか。僕は「真実は何か」よりも「真実はこれということにしておこうという合意」がこの世の中を動かしているということをずいぶん前から思っていたわけだけれども、SNSの台頭はそれをさらに加速してしまったと思う。というのは、SNS台頭より前の時代は、国家やマスコミといった情報を発信するパワーをもつ機関が「これを真実にしておこう」というネタをつくれば、それが「真実」だった。歴史の教科書の記述なんかは古今東西かかわらず為政者が「真実はこれにしておこう」という取捨選択の編集そのものである。いずれもそれが本当に真実なのかどうかを証明するのは不可能解である。原発が未来のエネルギーなのも、民主主義が最高の社会形成手段なのも、モテる男が最高なのも、それが本当に「真実」なのかは証明はできない。ただ「真実はこれにしておこう」と情報発信側がみなしているだけである。

しかしSNSの台頭は、情報発信の仕組みと情報拡散のありようを変えた。「真実」は情報発信者の数だけ増えるようになった。そうなってくると、どの「真実」がより「真実らしいか」という競争と淘汰が始まる。そして人がより「真実」っぽく思えるのは、客観的事実や数字ではなく、感情的・個人的な意見であり、左脳的な議論ロジックよりも、感情の起伏に訴えるものだ。ずいぶん前に福田和也が、人間は「真善美」では「美」で動くと喝破していたが、まさにその通りだと思う。これがナラティブ戦略をつくるのだ。どちらがよりぐっとくる信じたいストーリーをつくれるか。そして他方はこれをフェイクニュースと非難する。情報とはなにかという根源に立ち戻れば、どちらも事実であり、どちらもフェイクなのだ。

ガザ空爆では、イスラエルもパレスチナもSNSで世界に情報発信をした。クリミア半島ではウクライナもロシアも情報発信をする。そこにイギリスの青年が加勢する。ISの洗練されたSNS戦略に対し、アメリカもSNSで情報発信をする。これらのアカウントはひとつではない。第三者の顔つきをして、その実どちらかに組みした情報発信者たちがおのれの信じる「真実」を情報発信し、ナラティブをつくりあげるのである。「真実」っぽいナラティブとは客観的事実でも数字データでもない。感情を刺激する写真や物言いだ。

ことは「戦争」に限らないと思う。今の世の中はおおむねそんなナラティブの錯綜で動いている。トランプ大統領がことあるごとに敵陣をフェイクニュースと言ってこき下ろし、自身のTwitterを駆使するのは、現代社会の力学の象徴そのものなのだ。

 

 


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輸血医ドニの人体実験 科学革命期の研究競争とある殺人事件の謎 (さしつかえないネタバレ)

2019年06月09日 | ノンフィクション

輸血医ドニの人体実験 科学革命期の研究競争とある殺人事件の謎 (さしつかえないネタバレ)

ホリー・タッカー 訳:寺西のぶ子
河出書房新社


 サイエンスというよりはかぎりなくオカルトの世界だが、暗黒といわれる中世ヨーロッパの科学事情がよくわかる。

 輸血という医療行為は、近代医学のひとつの成果といえよう。輸血が実用化されたのは20世紀に入ってからだ。輸血が実用に至るには、ABOという血液型の発見とか、血液凝固を阻止して鮮度を保ったまま保存と輸送技術の発見とか、多数の問題をクリアしなければならなかった。

 とはいえ、人間には血というものが流れている。動物にも血というものが流れている。この血液というものが、なにかしら人間の生命に大きな影響を与えているに違いないという認識は、かなり古代からあったのではないかというのは想像に難くない。

 床屋のポールのデザインにみられる赤・青・白のストライプのポール。あれは血液と包帯の色を現しているなんて雑学本なんかでよく紹介されている。昔の床屋は医療行為を兼ねていて、というよりそっちのほうが本職だったんだろうと思うが、当時の医療行為とは「悪い血」を抜くことだった。体調が悪いと床屋にいってメスで脈を切っていくぶんかの血を抜いてもらった。三色ポールのデザインは当時の名残ということである。

 血を抜くとアタマがボーっとするからか、感覚が麻痺してきて、苦痛とか苦悩とかから一時的には離れられるっぽい。それゆえに、血を抜く行為=瀉血の効果効能はかなり信じられていたようである。もちろん近代医療ではきっぱり否定されている。

 しかし、民間療法の間ではまだ行われていて、なんと日本でもやっていたのにはびっくりした


 そういう大事な大事な血液だから、病気の人間に、健康な他の人間の血をいれたら病気が快復するんじゃないの? という発想に至るのはそんなに不思議なことではない気がする。

 「輸血の歴史」を調べると、記録に残っている限りでは、1818年にイギリスのジェームズ・ブランデルという人が初めて人から人への輸血を試みたとのことである。ただし、この患者は2日後に死亡した。血液型というものが発見されるよりも前のことである。

 それからさらに150年前の17世紀半ばごろにイギリスとフランスでは動物間(犬)での輸血実験が行われていた。これはまことに残酷な実験で、片方の犬の血液を他方の犬にうつす実験であったから、血を抜かれたほうの犬は死亡することを意味した。一方、新たな血液を入れられた犬のほうは元気なこともあったし、死亡することもあったとのことである。当時の宗教観や価値観では、犬をこのような検体に用いることに何のためらいもなかったようだ。野犬の被害や狂犬病なども現代よりずっと脅威であったのだろうとは想像する。


 しかし、ここに「動物の血を人間にいれてみたらどうなるか?」ということを考える人間が出てくる。それが本書の主人公ジャン=バティスト・デニである。

 現代から見れば、おぞましいオカルトにしか思えないが、当時はそれなりに説得力があったようだ。

 なにしろ当時は錬金術の世紀である。それに瀉血が効果があると思われた時代でもある。また、当時の薬物治療においては、たとえば「〇〇を煎じた汁に、××の肝臓と、△△の血をいれたもの」を飲ませる、なんて黒魔術的なことが本気で信じられていた。だから「効率の悪い経口補給よりは、ちょくせつ血管にいれてしまったほうが効果があるんじゃね?」と思うことはそう不自然ではなかったようである。

 むしろ、神より与えられし誉れ高き人体に、汚れた動物の血を入れるとは冒涜である、という宗教観のほうが抵抗としては大きかったようだ。

 そこでデニは考えた。「羊の血」ならばどうか? 羊はキリスト教の象徴のひとつだ。羊は神の子であるから、羊の血を人間にいれることに問題はあるまい。

 というわけで、1667年にフランスにおいて、ドニは羊の血を人間に輸血するという実験を3人の男性に行った。


 この狂気の実験は、驚くべきことに、最初の2人は生き延びたのである。現代医学の常識からはあり得ないことだがそう記録されている。(なぜ最初の2人が生き延びたのかは本書にも推察が載っているが、ここでは伏せておく)。

 しかし、最後の1人が死亡したことから、この輸血行為は事件となる。本書ではこれをただの医療事故による死亡ではないとみる。本書は尋常ではない情報量の本だが、すべてはこの死亡事件に集約されていく。


 本書は中世暗黒ヨーロッパ時代の輸血をめぐる話だが、いっぽうで当時の英仏の政治事情、宗教事情、そして国家間競争事情をめぐる話でもある。現代においても医学や医療にはアカデミズムな派閥があるように、中世ヨーロッパ時代においても、イギリスとフランスの間で競争があったし、フランスの中にも保守と新進の対立があった。「輸血」というチャレンジングな行為はこれらを多いに刺激した。輸血医ドニのまわりは敵だらけであった。

 一方で、人権とか法とか命の価値とか、そういうものはまだまだ未発達であった。輸血を試みる医者やそのスポンサーとなる貴族たちのお互いを陥しいれる奸計のえげつなさもすさまじいが、なによりも悲惨なのは輸血の被験者たちだ。彼らはみな貧しく虐げられた階層の人々で、ただ利用されただけの存在だった。とくに、ドニの輸血実験での3人目の被験者となって死亡した男性の妻であるベリーヌはあまりにも悲劇的だ。本書の表現では「ベリーヌにとって人生は優しくはなく、近世の司法は彼女に手を差し伸べなかった」とある。

 本書は、ノンフィクションの範疇ではあるが推理小説の側面もあるので、詳らかなことはこれ以上書かないが、とにかく情報量が多く、また、当時の暗黒的な雰囲気を醸し出そうとしたためか、もってまわった表現も多い。そして登場人物がとても多い。これ誰だっけ? ということがしばしばあったのだが、実は巻末に登場人物一覧が載っているので(読後にその存在を知った!)、本書をお読みの際はこれの助けはぜひ借りたいところである。


 ところでこれ。サイエンスとオカルトが混ざったような題材といい、ゴシックホラー的な雰囲気といい、中世暗黒時代の資料がふんだんに使われていることといい、島田荘司の推理小説「御手洗潔」シリーズあたりでネタ本にしそうな内容だ。もしかしたらもう考えているのかもしれない。


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ゼロからトースターを作ってみた結果

2019年04月12日 | ノンフィクション

ゼロからトースターを作ってみた結果

トーマス・トウェイツ 村井理子訳
新潮社

 以前「カレーライスを1から作る」という本を紹介した。

 日本のとある美大のゼミで行われたプロジェクトで、カレーライスを、米も肉も野菜も香辛料もすべて飼育や栽培からスタートさせて1年近くかけてつくるというプロジェクトである。 

 一方こちらは「トースターをゼロからつくる」である。あちらがイチでこちらはゼロだから、さらに後ろからのスタートということになる。

 作者はロンドンの美大の学生である。美大というのはこんなことばかりやってるのか?

 

 「カレーライス」との違いは大きく2つあって、あちらが複数班にわかれた集団プロジェクトであったのに対し、こちらは仲間が手伝うことはあっても基本的には独りで行ったプロジェクトということだ。

 もうひとつの大きな違いは、あちらが野菜や肉や香辛料、つまり食糧生産が主眼であったのに対し、こちらは「トースター」。すなわち筐体や電気回線などの原料である鉄や銅やニッケルやプラスチックをつくりだすという点である。

 

 食糧生産も人類の歴史ではあるが、鉄や銅や石油(プラスチックの原料)の抽出こそは文明発達の歴史そのものであろう。鉄鉱石から鉄を精錬する技術は古代ヒッタイトにさかのぼるとされるが、銅はそれよりも古い。一方でニッケルはずっと近代の18世紀になって抽出できるようになったと言われているし、プラスチックは19世紀になって登場した。

 この銅→鉄→ニッケル→プラスチックという歴史の順番はそのまま生産の困難さの順番でもある。

 ネタバレしちゃうと、著者の「ゼロからつくる」は、この難易度の順番でだんだん怪しくなってズルっぽくなってくる。最後のプラスチックなんかは、いちおうそれらしき生産プロセスを試みてもみるがうまくいかず、禁断の手に出ている。「カレーライス」のほうにはズルがまったくなかったことからすると、ツッコミどころはあるだろう。

 

 とはいえ、本書の主眼、というかこのプロジェクトの真髄はそんなところにないのは百も承知である。
 このプロジェクトの構想にあたっての意義は、著者も若者らしいピュアな思想を掲げているが、一連のプロセスの記録と、果たしてできあがった「トースター」の写真および実際の作動をみれば、我が現代社会のいろいろな矛盾が見えてくる。ポップアップトースターは廉価なものなら日本円にして500円で買える。しかし著者が「ゼロからつくったトースター」にかかったコストは15万円である。

 しかも著者がいうように「見えないコスト」がたくさんある。それは精錬や抽出のために必要とする膨大なエネルギー資源だったり、原材料や加工品を長距離移動させる際のロスであったり、生産の過程で生じる環境汚染だったり、廃棄物や残留物の問題だったり、国境を越えた取引の問題だったり、産業構造と労働力の問題だったりする。どう考えても「500円」で済む話ではないのだ。

 なんとなく「カレーライスを1から作る」に似ているコンセプトのようでいて、「ゼロからトースターを作ってみた結果」から見えてくるのはむしろ「ブラッド・ダイヤモンド」とか「不都合な真実」に近いのではないかとさえ思えてくる。

 やはりゼロからつくろうとしたものが選りに選って「トースター」(それもポップアップ式の)というのが絶妙だ。多くの家庭にあるものでありながら、実は無くてもなんとでもなる。トーストが食べたければオーブンで焼いてもフライパンで焼いてもいい。しかしポップアップトースターという家電商品がある。しかも500円。それを世界中のヒトが使っている。

 トースターには現代社会のあらゆる矛盾がつまっているのだ。

 

 とはいうものの文章は軽快でユーモアにも欠かず、翻訳のうまさも手伝ってエンターテイメントのようにぐいぐい読んでいける。どちらかといえば「やってみた」のノリである。それでいて本書を最後まで読めば、廉価ショップや大手家電量販店で陳列しているポップでチープな家電を観る目が変わるだろう。SDGs学習の副読本としてもいいかもしれない。世の中の景色がちょっと変わることは間違いない。


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ココ・シャネルという生き方

2018年12月16日 | ノンフィクション

ココ・シャネルという生き方

山口路子
KADOKAWA

 ココ・シャネルは20世紀の近現代西洋史を語るにおいて欠かせない存在である。NHKスペシャルの「映像の世紀」では、シャネルが第一次世界大戦や第二次世界大戦の関わりの光と影についてもとりあげていて、ナチスドイツのスパイの愛人だったとか、英国チャーチルともつながっていた、とかいまだに議論になっている。

 そういった政治外交史にも登場するということはそれだけのVIPポジションに彼女がいたからなのだが、因果関係が逆転するが、シャネルが服飾文化史に果たした功績は、「皆殺しの天使」と形容されるほどに、過去の因習を葬り去るものであった。女性のライフスタイルを根底からひっくり返し、もっというならば女性の社会的ポジションというものを切り替えさせたと言える。近現代西洋史のなかでもなかんずく文化史思想史の上で一種の歴史的転換点でもいうべき作用を果たしたと言っても過言ではない。事実、女性用のスーツやショルダーバッグやリップスティックやパンタロンやイミテーションジュエリー等等はシャネルが発明したものであった。

 こういったアイテムの根底にある思想は、社会で闊達に活動する自立した女性というものであった。シャネル以前の女性観には、「社会で闊達に活動する自立した女性」というものはきちんとは存在しなかったとさえいえる。もちろんもやもやっとしたものはあったに違いないが、それを可視化させ、メッセージ化したところがシャネルの功績であった。
 
 もちろん価値観というのは相対的なものであって「そう思わない」という人がいてかまわないし、その価値観の受容はは時代とともに起伏がある。シャネルが屹立させた女性観に対し、当の女性からもそれを望まない声は常に一定層あった。それは現在でさえ、そうであろう。

 文化思想という点からシャネルを考えると、ファッションというものが思想を可視化し、人々の行動を切り替えさせる凄い力を持つことの歴史的証明だと思う。つまり、思想は可視化され、物体化されることで初めて広く受容されるということだ。コトバで息巻いているだけではダメなのである。
 また、思想なき物体も持続可能性がない。服飾に限らず、出来合いの精神を並べてそれっぽい演出をほどこすデザイン物が多いが、そこに同時代の矛盾や不合理、人々の鬱屈、それを解決させる希望をしっかりくみとったものでなければ、すぐに陳腐化し、消費されて終わる。

 消費され交代していく「モード」ではなく不滅普遍の「スタイル」を意識し、それをいかに可視化させるかを貫いていたシャネルであるが、この点でいうと、スティーブ・ジョブスは、シャネルだったんだなと思い至る。


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南極点征服

2018年11月07日 | ノンフィクション

南極点征服

ロアルド・アムンゼン 訳:谷口善也
中公文庫


 このブログでは、これまでスコット、シャクルトン、間接的にだがフランクリンを扱っている。みんなプロジェクトに失敗した人たちである(シャクルトンは「失敗からの生還」に価値があるのだが)。
 であるならば、成功者の代表、ノルウェーのアムンゼンを取り上げなくては片手落ちというものである。

 アムンゼンは、北極海の北西航路開拓と南極点初到達というふたつの偉業があるが、より人口に膾炙されているのは南極点のほうだろう。こちらは、南極点初到達というあまりにもわかりやすい記録に加え、それがイギリスのスコット隊との競争という形になったこと、対するスコットが一番乗りに負けたあげくに全員遭難死したということで、南極点到達史はたいへんよく語られるようになった。ちなみにアムンゼンは今でもイギリスでは不人気であるらしい。

 スコットはなぜ失敗したのか、ということの対比でアムンゼンはなぜ成功したのか。これはいろいろな研究や見解がある。直接的な原因としては犬ぞりを用いたこと、アザラシの毛皮でつくった耐寒性の高い衣類を着ていたことがよく指摘されている。これはスコット隊が馬や雪上車を中心とした隊であったこと、牛皮のコートであったこと、などときわめて対照的である。
 これをより掘り進めば、なぜアムンゼンは犬やアザラシの毛皮を採用できたのか、あるいはスコットはなぜ馬や雪上車や牛革コートがよいと思ったのか、という点にいきつく。アムンゼンは謙虚にエスキモーの生活様式を研究して探検に取り入れたことに対し(アムンゼン自身が北欧ノルウェー人であり、北の生活というものの厳しさをよく知っていた)、スコットは天下の大英帝国の人物であり、わからないことなどなにもない、という不遜なところがあったのではないかと言われている。これは北極で遭難したフランクリンにもあてはまる話である。

 また、アムンゼンは根っからの探検家だったのに対し、スコットの本質は軍人だった、という指摘もある。つまり、自発的な冒険スピリッツを抱いて南極点を目指すアムンゼンと、軍人として国から命令され、国の威信を担ったスコットの違いである。とくにスコットは失敗の予感があっても引き返すことができない「空気」というものがあったとも言われている。

 また、イギリス人、つまりスコットに同情的な立場の人がよく言うこととして、スコットは科学研究を行いながらの南極点行きであり、アムンゼンはただひたすら極点を目指すだけだったからアムンゼンのほうが速かったのだ、科学的成果はスコットのほうが大きい、というのがある。負け惜しみとしか思えないが、わりとこれは支持された見解である。

 スコット隊は予想外の暴風雪に巻き込まれたのに対し、アムンゼンは天気がよかった、つまり運がよかったのだという話もある。スコット隊が悪天候に見舞われたのは事実だが、アムンゼンのほうも決して好天続きだったわけではない。また、スコットになくてアムンゼンに見舞われたものもある。それは連続するクレバス地帯を通過するという極めて危険性の高いエリアに足を踏み込んでしまったことことでアムンゼンはここで相当に難儀した(犬ぞりだったからよかったが、馬や雪上車だったら奈落の底だったろう)。

 実際にアムンゼンの手記「南極点征服」を読むといろいろなことがわかる。
 まず、ほとんど「スコット」のことについて触れていない。内心はわからないがてんで相手にしていない風がある。これはスコット隊の生存者ダガードの「史上最悪の旅」でアムンゼンのことを恨み節でつらつら書いているのと極めて対照的である。
 また、アムンゼンの手記からは、決してアムンゼンが科学研究を捨てた極点一番乗り狙いだけではなかったこともわかる。ここで重要なのは、アムンゼンは科学観測隊は別動隊として用意し、最初からわけて活動していた、という事実である。両方をいっぺんに兼ねようとしたスコット隊のほうが誤謬ということになる。いわゆる「目的の二重性」というやつだ。
 そして、アムンゼンの手記からよくわかることは、慎重に慎重を重ねていたということだ。猪突猛進な冒険野郎では決していない。むしろ精神力でなんとかしようという向こう見ずなところはスコット隊のほうに見受けられる。
 アムンゼンの慎重さがわかるエピソードはあくつもある。ひとつは念入りな道具の検討だ。厳しい風雪環境の中でも数えやすいように食糧はすべて同一の重さで切り分けられてパーツ化されていたり、犬ぞりの紐のはり方から食糧の調合まで、ちょっとした改良を幾つも重ねていたり、テントの大きさ、寝袋の材質などを徹底的に考えている。
 もうひとつは偵察隊を先に出して、完全に見通しをたててから本隊を出すプロセスだ。当たり前とも言えるが、スコット隊はこれをやっていない。また一番乗りをするのならばこれは本来ならば時間を食うプロセスである。しかし、アムンゼンは慎重で、もっと進めそうな日でも慎重を要して止まったりする。
 そして一定の距離ごとに律儀に雪塚をつくっていった。帰りはその雪塚をたどりながら帰ればよい。これも時間より安全性を優先させた行為である

 アムンゼンの南極点到達記はあまりにも周到で慎重だから、かえってドラマ性は弱い。「史上最悪の旅」のほうが圧倒的にドラマチックである。しかし、物事を着実に成功させるというのはそういうことなのである。それの見本みたいな話である。

 そんなアムンゼンだが、実は上陸してから南極点までのコースは実は人類未踏のコースであった。ここだけが大博打である。対するスコットのコースは全行程の8割はシャクルトンがたどったものなのだ。実はスコット隊最大の失敗はこれにある。シャクルトンのコースと報告を研究し、改善案をプランニングして実行にうつしたものがスコット隊だったのだ。
しかしシャクルトンのコースはそもそも間違いで、このコースは無理ゲーだったのである。
 アムンゼンは様々な文献を読み漁り、もちろんシャクルトンの報告も目を通し、海上からも観測し、その上で新コースを採択した。このコースは極めて合理的で、その後長い間南極点までの正式なコースとして採用された。
 つまり、スコットは帰納式、アムンゼンは演繹式にコースを決定したといえる。どちらが良い悪いは時と場合によると思うが、帰納式は小リスクは避けられるが大リスクがあるとされている(いわゆる「想定外」というやつ)。

 


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アグルーカの行方  129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極

2018年10月28日 | ノンフィクション

アグルーカの行方  129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極

角幡唯介
集英社文庫


 極地の探検物は面白い。
 古典的名作としてはA・ダガードの「世界最悪の旅」がある。これは南極点初到達競争にやぶれ、極点からの帰路に全員遭難死したスコット隊の記録である。著者であるダガードはスコット隊に所属していたものの、途中で引き返す部隊のほうに属していたために極点へは赴かず、そのために無事生還できた。
 それからA・シャクルトンの手記「エンデュアランス号漂流」も有名だ。こちらも南極海域で遭難したものの、不屈の精神で部隊全員が奇蹟の生還を果たした。
 このほか、北極探検で九死に一生を得て帰還したナンセンの「極北」、南極点初到達、北極北西航路初横断などの記録をもつR・アムンゼンの「南極点」や「ユア号航海記」などが有名である。

 いずれにしても本人ないし関係者が生還しているからこそ冒険記が書けているわけである。


 ところが「全員遭難死」となるとこれはもう真実は闇の中となる。

 その最大規模の遭難といわれるのががイギリスはフランクリン隊の北極行きだ。フランクリン隊は北西航路を見つけ出すために129人の隊員をひきつれ、2隻の船で北極海にむかったものの一人として帰ってこなかった。


 このフランクリン隊の遠征は、その後に何度も捜査隊が組まれ、現場に散在する遺留品や当時のイヌイットの証言が集められ、部分的な状況証拠を積み重ねることで全体として何があったのかほぼ解明している。航海の途中で船は2隻とも氷に押しつぶされて沈没していること、隊長であるフランクリンも途中で亡くなっていること、残された隊員はその後も探検あるいは彷徨を続け、船の沈没地点からかなり先のほうにまで遺骨やキャンプの跡があること。その地点がわりと散在していることから、隊が散り散りになったことが推定されるということ。そして遺骨の状態や遺留品の状況から、隊員は深刻な飢餓状態に陥り、先に死んだ隊員の肉体を食す、つまりカニバリズムがはびこっていたことなど。

 そんなフランクリン隊の行程を追体験しようとしたのが本書である。日本人でこんなことをやっている人がいるんだなあ。フランクリン隊とほぼ同じ気候条件の中、北極海のある島から出発し、ソリを引きずりながら広大な北極海の氷上を歩くところからこの冒険は始まる。もちろんフランクリンの時代とはちがって装備は現代技術を駆使したものばかりだが、90日間にわたって徒歩で1600キロの道のりをたどっていくさまは驚嘆を通り越して狂気的とさえ言える。

 探検記として面白いのは、本人の北極紀行と、フランクリン隊の記録や研究史が同時並行で書かれていることで、これによって読み手は著者の探検記とフランクリンの遭難記をオーバーラップして味わえることだ。
 とくにフランクリンが死亡し、船が沈没したとされる地点から先の展開はミステリー要素も加わって面白い。生存者が点々とさまよったとされるエリアや、生存隊のほとんどがそこで亡くなったとされる「餓死の入江」の光景。フランクリン隊の探索記録やイヌイットたちの証言をはさみながら、この地獄のような地を歩く様は単なる探検記を超えて推理小説のようだ。
 そしてさらなる伝説の生き残り「アグルーカ」と呼ばれる人物とその仲間が、その後北米大陸に上陸し、カナダ北部の内陸にむかって姿を消したという。その伝承をもとに、著者もカナダ北部の「不毛地帯」と呼ばれる湿地帯をゆく。この季節での不毛地帯の探検は他に類がないそうでそういう意味でも貴重な記録だ。また「アグルーカ」とは何者なのかという考察も面白い。

 それにしても胸にせまるのは、著者の一行も空腹にさいなまされ、肉欲しさに麝香牛を一頭仕留めるエピソードだ。この麝香牛は母親で、傍らには生まれて間もない子牛がいた。このあたりの描写は体験した者にしかわからない凄みがある。


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チェ・ゲバラ伝

2018年10月05日 | ノンフィクション
チェ・ゲバラ伝
 
三好徹
文芸春秋
 
 
 ずいぶん前に、新聞記事で何かの国際会合のあとの首脳たちの記念写真をみた。日本国の代表は森喜朗だった。
 森喜朗の横に立っていたのはフィデル・カストロだった。
 
 森喜朗の体躯はデカいほうだと思うが、カストロはそれよりもずっと大きい。
 それだけでなく、政治家であるならば、横にあのカストロが立っているというだけで相当なインパクトがあったのではないかと思う。実際、あの厚顔無恥な印象のある森喜朗が、カストロの横で若干上半身を引き離し気味に写っていたのを覚えている。このころのカストロはまだ存命どころか引退もしておらず、例のカーキ色の軍服で森喜朗の横に立っていた。
 
 アメリカでは暴虐の独裁者と宣伝されたフィデル・カストロであるが、一方で人類史上まれにみる善たる独裁者だったという評もある。これはつまり、独裁者というのは本質として「悪」になるということだ。南米ではカリスマ的な人気をほこったカストロであるが、自らを偶像視することは固く禁じ、プロマイド写真もつくらせず、銅像も禁止し、根拠なき世襲も許さなかった。北朝鮮とは正反対である。よっぽどの自制心がなければならない。
 
 
 カストロの片腕としてキューバ革命を成し遂げたチェ・ゲバラは、その分「顔」役として表舞台に出されたとも言える。革命戦闘中、海外の記者をキャンプまで導いてインタビューをさせた。取材に応じたのはゲバラだが、そもそも記者を招いたのはカストロである。戦略的観点として海外の記者を招き、情報発信させたのだ。しかし、カストロ自身はインタビューに答えず、写真にうつったのはゲバラであった。
 キューバ革命後、新生キューバの使節団は世界各国を訪問し、要人と会ったが、この使節団団長もゲバラだった。カストロは内政に専念した。
 
 だからといって、ゲバラが張り子の虎だったと言いたいわけではない。語り継がれる彼の魅力ーーピュアな精神、すべてを投げ打つバイタリティ、論理的かつ詩的な頭脳を持っていたことは多くの人が証言している。
 しかし、あの男女を魅了する「あまりにも絵になるビジュアル」は。やはりカストロをして、これは使える、と思ったのではないか、というのは僕の勝手な想像である。カストロは自分の写真や似顔絵がキューバ国内に広まるのは禁止したが、その分、ゲバラのプロマイドが出回ることには黙認した。むしろこっそり奨励していたのかもしれない。ゲバラに人気が集まることで自らの地位が危うくなる心配は一切なかった。それくらいの計算はするだろう。ゲバラがキューバを去った後も亡くなった後も、カストロはゲバラを称え続けた。
 
 アメリカも、カストロのネガティブなイメージを世界に植え付けることはある程度成功したが、ゲバラのイメージを貶めることはできなかった。CIAはいろいろな風評操作を弄したようだが、ボリビアで戦死したゲバラが残した日記が奇跡的にカストロの手元に届けられたとき、カストロはこの日記を世界に出版し、キューバを去った後のゲバラの一生を知らしめた。
 
 そう考えると、今なお世界で英雄視されるゲバラだが、そのブランドをつくったカストロの見識というのも実はかなり大きかったのではないかと思う。
 ゲバラは、コンゴとボリビアでは思うような成果を果たせなかった。人々がゲバラの熱意についてこなかったのである。
 キューバ革命の奇蹟は、ラテンアメリカという、本来的には怠惰で享楽的な人々の気質にあって極めて稀有な例外的だったカストロとゲバラという2人が邂逅できた奇蹟だからこそのものだとも思う。
 
  要するに、ぼくはゲバラも好きだが、カストロも好きなのである。
 

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戦争と広告

2018年08月22日 | ノンフィクション

戦争と広告

馬場マコト
潮出版社

 

 広告は時代をうつす鏡だと言われる。では、その時代が戦争だったら。

 この物語は、太平洋戦争時に、日本国内の戦意高揚のために様々な広告をつくりあげてきた集団「報道技術研究会(略称は報研)」についてのものである。当時のあらゆる産業が戦争に加担したように、広告業界は広告でもって戦争に加担した。

 

 報研の中心人物は戦前は資生堂で広告をつくっていた山名文夫、森永製菓で広告をつくっていた新井静一郎ほかであった。当時は電通などの広告代理店はまだ広告原稿を制作する機能がなく、広告の制作はそれぞれの企業で内製されていた。資生堂も森永製菓も、戦前においてその広告のクオリティは極めて高い水準だった。

 すなわち、優れた広告表現の作り手の集合体だったからこそ、「報道技術研究会」のつくるプロパガンダは、あまたの粗製乱造された戦意高揚の宣伝物の中で抜きんでて質がよかった。「質がよかった」というのは人々の気持ちを駆り立てたということである。戦意高揚として。

 それは、なぜ日本が戦争をしなければならないかを説くものだったり、英米を鬼畜と思わせるものだったり、銃後のみんなも贅沢は敵だと思わせるものだったり、少年たちを飛行士に憧れさせたりするものだった。

 「報研」に仕事を発注するのは政府すなわち大日本帝国である。内閣情報局や翼賛会といったところが報研に仕事を発注した。報研の人たちも、決していやいやながら仕事にとりくんでいたわけでも、仕事のためとわりきっていたためでもなく、つくるならば一級のものをつくりたいという素朴な情熱の中でコピーを考え、構図を思案し、レタリングに凝った。いい仕事をするから、次々と仕事がきた。

 「報研」は終戦と同時に解散した。メンバーは古巣に戻ったり新たな仕事に就いたりした。

 

 そういう物語だが、非常に虚無感というか重層的というか、いろいろ考えさせられる読後感であった。広告業界は広告技術でもって戦争に加担した。業界の数だけ似たような話があったということだろう。本書でも絵画界や文学界での類似の動きに触れている。なまじ腕がよかっただけに、国民を鼓舞する力も大きかった。

 それぞれの業界関係者が、無心におのれがもつ追及心の中でこうやっていつのまにか本人の意識以上に戦争に加担していったのだろう。やりきれない気がする。

 

 そういう読み応えを感じただけに本書の「あとがき」は蛇足な気がした。著者は広告のクリエーターが本職とのことなので、報研のメンバーには同情的であり、彼らの広告づくりの熱意に共感している。このあたり、ゼロ戦開発に熱意を注いだ堀越二郎を題材に映画「風立ちぬ」をつくった宮崎駿を彷彿させる。報研をかばいたい著者の気持ちはわからなくもないが、「あとがき」にて、悪いのは彼らに仕事を発注した情報局や翼賛会の担当者であり、広告屋は受けた仕事はぬかりなく全力でやることを喜びとする人種なのだ、という言い方をしてしまったのは勇み足だろう。それをいうなら情報局や翼賛会の担当者も官僚機構の上位下達のシステムで目の前の仕事をやったに過ぎないという言い方だってできるし、このように罪の意識なく結果的に悪に加担するという人間の所業についてはハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」をはじめ、もっと高次元かつ内省的に考えようとした人が戦後たくさんいたことを忘れてはいけない。「あとがき」にて誰が悪くて誰が悪くないかという話をしてしまうことで、全体の品位をさげてしまったうらみがある。この物語は本編で立派に完結している。

 

 冷戦中、世界の人間が死滅してもなお余りあるだけの核弾頭が開発し続けられた。最終処分の方法が決まらないのに原発は世界のあちこちで造り続けられ、運転され続けられている(放射性廃棄物には10000年以上の監視が必要とのこと。知っててやってるのならば狂っているとしかいいようがない)。AIがどんどん進化して人間の手に負えなくなると言われていても人間はAIの開発を止めない。破滅の予感があっても人は「止まらない」。

 この物語は「止まらない」という人間の原罪を描いている。



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もの食う人びと

2018年03月07日 | ノンフィクション

もの食う人びと

 

辺見庸

角川書店

 

辺見庸の「もの食う人びと」が世に登場したのはいまから四半世紀も前だ。当時ものすごい本が出たとたいそう話題になり、そのころ大学生だった僕も共同通信社の単行本を買って読んだ。圧倒された。

 

あれから時代は変わった。国際情勢もいろいろあった。中国はGDP世界第2位へと成長した。IT革命があり、リーマンショックがあった。9.11があり、3.11があった。しかし、あらためて読み返してみて、ことの本質はなんにも変わってないんじゃないかと思った。

 

くらくらするくらいに打ちのめされたルポのひとつにチェルノブイリ訪問がある。著者はかの地に訪れ、かの地に住み続ける人々と接し、そこで食される食べ物を口にする。読んでいて滅入ってくる村の光景の描写も、そこに住む人々のよせるやるせない思いと、そこにいくばくかの偽善の気持ちを隠そうともしない。その容赦なさが福島の今に重なる。このチェルノブイリの描写ー役人は大丈夫大丈夫と言い、住民の怒りと諦めがやり場もなくうずめき、そこの食べものを疑いながらも信じて食し、免罪符のような風説を信じる村の人々の姿を著者は哀れむが、これはいま現在でも福島にて継続されていることだ。チェルノブイリにある止まったままの観覧車の写真に胸をうつが、福島の避難地域のいまをうつす写真も、同じような止まってしまったままのコンビニや鉄道のものがあり、そのメッセージ力はまったく同じである。福島産の農産物がフェアで並ぶのをみると、僕は応援の気持ち、恐れる気持ち、偽善の気持ち、後ろめたい気持ちなどが整理できずにうずまいてしまうことを告白する。

 

ユーゴスラビア紛争におけるベオグラードやザグレブの荒廃した光景とそれでもそこに住む人々。僕は去年ザグレブを訪問していて平和な街そのものだった。きれいな路面電車が走り、ショーウィンドーは磨かれ、アイスクリームをなめながら人々は道を歩いていた。ここで描かれたザグレブの町はそういう意味では過去だ。しかし、そこから決して遠くはないシリアの街では、周知のとおり滅茶苦茶なことになっている。ソマリアの街モガディシオのルポも、米軍やUNが撤退してしまったいまどうなっているかはわからないが、南スーダンで同じようなことになっている。

 

従軍慰安婦を尋ねる項では、むしろ本書が刊行されたころのほうが、日本では着目している人が少なかったと思う。

児童労働も女性差別も異民族の排他も貧困と病も現代技術科学からの隔離も禁漁もここでは出てくる。

 

 

さいきん「SDGs」が注目されている。サステナブル・ディペロップメント・ゴールズ。日本語では「持続可能な開発目標」。17のゴール目標が掲げられている。目標1は貧困をなくそう。目標2は飢餓をゼロに。目標3はすべての人に健康と福祉を。目標4は質の高い教育をみんなに。目標5はジェンダー平等の実現。目標6は安全な水とトイレ。目標7はエネルギーをみんなに、クリーンに。目標8は働きがいと経済成長。目標9は産業と技術革新。目標10は人や国の不平等の是正。目標11は住み続けられるまちづくり。目標12はつくる責任つかう責任。目標13は気候変動対策。目標14は海の豊かさを守る。目標15は陸の豊かさを守る。目標16は平和と公正。目標17はパートナーシップで目標を達成する。

 

なんと四半世紀前の「もの食う人びと」はSDGsの17の目標につながる現状のほぼすべてを描いたのである。ここにないのは目標13の気候変動くらいか。地球温暖化が取りざたされるようになったのは21世紀になってからだ。

そして目標17のパートナーシップで目標を達成する。「もの食う人びと」に出てくる人々ー弱い立場の人々は、国や組織の上の部分最適なふるまいの犠牲になった者たちだ。利己のぶつかり合いがどれだけ弱い人々を傷つけ、破壊するか。非パートナーシップこそが諸悪であり、これほど罪なことはないとさえ思えてくる。

 

 


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