読書の記録

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エンデュアランス号漂流記

2017年09月25日 | 旅行・紀行・探検

エンデュアランス号漂流記

著:アーネスト・シャクルトン 訳:木村義信
中央公論社

 

 南極探検におけるスコット隊の悲劇は有名だ。アムンゼンとの南極点一番乗り競争に負けただけでなく、帰り道で遭難し、南極点アタック隊はスコットをふくめ全滅した。

 あえて酷な言い方をしてしまうと、スコット隊は結果的に「失敗」したわけである。それも二重に失敗している。「南極点一番乗り」に失敗し、「生還」に失敗している。

 なぜ、スコットは失敗したのか、は「世界最悪の旅」を読むとなんとなくわかってくる。後知恵だが、スコットは、アムンゼンに先を越されたことがわかった瞬間に南極点到達をあきらめて戻ればよかったのではないか、という解釈も成り立つ。そもそも「科学的観測」と「南極点到達一番乗り」という「二重目的」をたててしまったことが失敗の元だとも言える。(スコット本人というより、プレッシャーを与えたイギリス王国に原因を求めるべきか)


 さて、シャクルトンである。彼も失敗している。シャクルトンは史上初の「南極大陸横断」をたくらんだ。しかし大陸に上陸する手前で船が流氷に取り囲まれて閉ざされてしまい、前進も後退もできなくなる。
 このときシャクルトンは「南極大陸横断」という最終目標を下ろし、「全員生還」という新たな目標を掲げる。

 このことがシャクルトンをしてヒーローと讃えられ、リーダーシップの鏡と今なお尊敬されることになる。


 シャクルトンの漂流記は超ド級の困難の連続である。全員が生還したのは驚異的で、もちろん運も味方している。
 しかし、シャクルトンのやってきたことを改めてみるとそこには学びが多い。

 よくよく読んでみると、彼はかなり慎重な選択を繰り返していることがわかる。とくに隊が別々に行動するときの目くばせ、どのグループにどの隊員をいれていくかの判断などはかなり巧みである。つまり、できるだけリスクが少なくなるようにしている。
 スコット隊は、南極点到達にあたり4人仕様で道具や食糧や装備を整えたのだが土壇場で情にまけて5人でスタートしている。こういうのも失敗の一因であろう。

 リスクを少なくしようとしているのが偉いというのではなく、「全員生還」を目標にするということは、リスクを下げなければならない、ということである。ここでなんとしてでも南極大陸横断を、という目標を維持していればリスクは覚悟となる。


 シャクルトンはどの時点で「南極大陸横断」をあきらめて「全員生還」に切り替えたのか。
 
 これがけっこう早いタイミングなのだ。エンデュアランス号が氷に挟まれ、船体が破壊されたとき、ではないのである。

 エンデュアランス号が氷に閉ざされてもはや先に進めなくなって南極大陸の上陸の目途が立たなくなり、船の上での越冬が避けられなくなったときに「南極大陸横断」を諦めている。興味深いことにシャクルトン隊は越冬するだけの装備や食料を用意していた。ただし、それは南極大陸の上で行う予定だった。船の上で越冬するということは、たとえそのあと氷が緩んで南極大陸に上陸できたとしても、その先の食糧などは目途が立たないことになる。
 つまり、船が南極大陸にたどり着けない=このまま船で冬を越すことになる=どう計算しても南極大陸は横断できない=無事に帰ることを考える、という算段である。
 残りの食糧や持ち前の装備、隊員の状況(まだまだみんな元気旺盛)をみてこの時点から、隊員全員の安全な大陸へとの到達に目的を切り替えた。
 やがて船体が氷によって破壊されると氷上をつたっての帰還へと試み、しばらくは氷上生活を続けていく。やがてこのまま氷にの漂流に身を任せると行先も食糧事情も先がどうなるかわからない(リスクがある)と判断したとき、あえて困難な、小舟で島をめがけて大洋に漕ぎ出す。
 さらに到着した島での生存持続可能性がおぼつかないことを知ると、救助船が通りかかるのを待つのではなく、一部のメンバーだけでさらに有人島へと助けを求めに改めて小舟で荒れる海へと乗り出す。
 ここには、このままここに留まることの潜在的リスク、顕在的クライシス。あえて困難に出ることのリスクやクライシスをしっかり見定めてカードを切っている姿がみえる。


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