読書の記録

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時砂の王 (ネタバレなし)

2017年04月13日 | SF小説

時砂の王(ネタバレなし)

小川一水
早川書房


 卑弥呼がからむSFである。ネタバレは避けるので、単に卑弥呼という存在について思うことを書く。

 ぼくは、邪馬台国の所在地は九州説で馴染んできた人で、いまでも邪馬台国は九州という位置感覚で脳がセットアップされている。なので、この小説のようになんの説明もなく畿内説を前提でお話をつくられてしまうと一瞬頭の切り替えに時間がかかる。もう条件反射的に邪馬台国=九州で身に沁みついてしまっているのである。(鯨統一郎の「邪馬台国=岩手県説」は面白いとおもったが)

 また、僕は卑弥呼という存在を必ずしも神格視していなかったりする。確かに卑弥呼は日本史の中で最初に登場する固有名詞をもった人物ということで、わが日本ではスーパーヒロイン級の存在だが、僕の最初の卑弥呼像はなにしろ小学生の時に読んだ手塚治虫の火の鳥「黎明編」だったのだ。ここに出てくる卑弥呼は、とんでもなく傲慢で残忍な悪女なのである。だから僕にとって卑弥呼というのは暴君ネロみたいなイメージができあがってしまっている。ついでに加えると「黎明編」では、実際に政治を行ったとされる卑弥呼の「弟」なる人物が賢者として描かれている。一方でこちらの小説では「弟」にあたる男はそうとうゲス野郎として登場するので、ここでもアタマの切り替えが必要だ。ちなみに火の鳥「黎明編」の邪馬台国は九州説をとっている。


 要はこういうことだ。たまたま魏志の中に固有名詞の名前付で登場した人物、しかも女性ということで、日本最初の女王としてまつられているものの、僕的には単にローカルな首長でしかなかったのではないかと邪推しているのである。「卑弥呼」という名前も、そもそも魏志倭人伝に出てくる敵国の王の名前のほうは卑弥弓呼(ヒミヒコ)と記されていて、つまりは卑弥呼=女性の王、卑弥弓呼=男性の王、という便宜上の記号でしかなさそうだななどという気がする。せいぜい役職名といったところではないか。
 
 卑弥呼および邪馬台国については百人が百人の意見を持っている様相だ。それこそが邪馬台国が擁するロマンそのものであろう。そんなわけで卑弥呼という人物像、および邪馬台国に、ぼくのようにある種の固定観念ができている人は、いったん更地にしてからこの小説にあたるべし。
 こちらの卑弥呼は、健気で殊勝で頭脳明晰、しかもなにやらいじらしいキャラである。「火の鳥黎明編」の悪女ぶりはどこにも見られない。そんな彼女が、未来からやってきた屈強な男(?)と共闘し、人類存亡をかけた戦いをする。まるで戦闘美少女ものSFのようだが、時間遡行ものとしてタイムパラドックスも駆使した面白いプロットでストーリーは進行する。はじめて読む邪馬台国ものがこれだったら、僕の先入観もまったく変わっていただろう。

 まあ、卑弥呼がどんな人物だったのかはさておき、彼女のDNAが現代日本人の誰かにちゃんと残っているのかもしれないと思うと、それはそれでなんとも夢ふくらむ話だ。現代日本人の血脈とつながっているのか、歴史のどこかで途絶えてしまった種族なのかももはやわからないが、日本人のルーツをDNA解析すると3種類に帰結するという話をきいたことがあるし、卑弥呼のDNAを継ぐ人物が今もそのあたりを歩いているとすれば、やはり日本の歴史に登場する最初の人物名として、言わばアウストラロピテクスの「ルーシー」のように、リスペクトの目を持たないといかんななどとこの小説を読んで思ったのだった。


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