終わりますね。 . . . 本文を読む
昨日から「アポロ月着陸捏造を本当に実行するとしたら」という想定で、いろいろな可能性を見てきました。
まとめてみると、
1)実予算の99%を消費するサターンロケットは本当に打ち上げなければならない。⇒(理由)現地での50万人の見物人を納得させるため
2)1)を実行した以上は、アポロ宇宙船を実際に月まで往復させなければならない(しかも乗員を実際に搭乗させて)。⇒(理由)打ち上げた瞬間からライバルの . . . 本文を読む
(昨日の続き)
1969年11月19日、アポロ12号が2回目の月の嵐の大洋への着陸に成功しました。
着陸地点の近くには2年前の1967年に無人月面軟着陸を成功させていたアメリカの無人月着陸探査機サーベイヤー3号が存在していました。アポロ12号のミッションにはサーベイーヤー3号の部品を地球に持ち帰ることが含まれていました。2年間月面の環境に曝された機械部品にどのような変化が起こるかを調べるため . . . 本文を読む
私はアポロ11号が1969年7月にケープケネディ宇宙センターから打ち上げられる光景を一目見ようと集まった数十万人の見物人の大集団を写した絵葉書を持っていました。アポロ計画最後の17号打ち上げの時は50万人も集まったのだそうです。
全長110.6m、直径:10.1m、燃料を満載した重量2,941tのサターンⅤロケットの打ち上げは壮観でした。50万人もの人々が肉眼で見ている目の前でアポロは打ち上 . . . 本文を読む
(昨日の続き)
しかしそんなソ連にもアメリカよりも手強い敵がいました。イギリスのジョドレルバンク電波天文台です。ジョドレルバンク電波天文台は1957年、直径76mの電波望遠鏡を建設しアメリカとソ連の宇宙探査機の追跡を開始しました。その能力は恐ろしく高かったのです。当時のソ連は徹底した秘密主義で、宇宙探査機を打ち上げてもミッションが成功するまでははっきりした目的を公開しませんでした。ところがジョド . . . 本文を読む