【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

「全人的存在」の(私が考える)例

2012-02-24 09:49:00 | IT・ICT業界

こんにちは!


 


カーネギーの名著「人を動かす」の中のたとえ話に、私が考える「全人的存在」のイメージにぴったり合致する実在の人物がいました。


このたとえ話を僕なりに咀嚼してご紹介します。


とある人(お客さん)が百貨店で背広を買いましたが染料が落ち、ワイシャツに色が移ってしまうのでその服をもって百貨店に話し合いにいきました。



1.買った時の店員1


に事情を説明しようとしたが、店員1のコメントは「これまで自分は何百何千と同じ服を売ったが、苦情にみえたのはあなたが初めてです。」と話をさえぎられる。


⇒「ウソじゃねえの?」と


2.仲裁に入った店員2


は、店員1をかばいつつ「このての服はみな、はじめのうち色が落ちるし、この値段だったらこれぐらいの品質ではないでしょうか?」とやんわりと


⇒「安物買いしたクセに文句言うな」



客もさすがにブチ切れそうに。ここで「支配人」登場。



3.支配人の振る舞い


(1)とりあえずひととおり、怒っている客の話をさえぎらずに聞く。


(2)支配人が客の盾となり、店員1、2と議論。お客様のいうことに間違いはないので、今後のこの品の販売を中止するように指示。


(3)客に向かい、商品の質および店員の非礼について侘び、「どうなさいますか?(返品しますか?)」と。



 このコミュニケーションの中でお客さんは落ち着きを取り戻し、話し合いの結果一旦持ち帰り、1週間様子見することになりました。1週間のうちにまた不具合が起こったら、お客さんのお気に召す品のどれでも交換してよい、という条件。


結局、不具合は発生せず、そのお客さんは引き続きその百貨店の常連であり続けました。


カーネギーは、ここで書いた1.2.の店員について「こういう店員は一生店員のままで終る」と、辛辣です。また、この支配人が支配人となったのは必然である、と。こういう判断と振る舞いができる人間が店員のままでいることはありえず、同様に1.2.のような人間が支配人になることもあり得ない。


 


かつて「技術者」あるいは「理系」と大きくくくられていた人たちも、3.の「支配人スキル」を身につけなければいけない時代になってきたのでは? というのが僕が年末からずーっと書いていることです。


 


「一生技術者のままで終る」という生き方が美徳である、という考え方があります。それは、いつの時代も一面では正しい。


でも、かつては、「一生技術者のままで終る」というのは1.あるいは2.のレベルでよい、ということでしたが、今の時代は、一生技術者であるために3.の支配人スキルが必要なのです。


1.2.のままでは、うまく立ち回れば仕事にあぶれないかもしれないですが、仕事の内容としては「技術者」ではなく、技術者の下請けの「作業者」になってきます。それでもよいのだ、と納得されているのであればそれでもよいですが。。


「技術者」と「作業者」はまったく違うのです。


 


実は、そんなに難しい話ではなくて、まずは人の話をちゃんと聞けること。


と、このたとえ話は教えてくれています。


そこが、入り口です。そして、本当に人の話をちゃんと聞けるようになれば実はそこがゴールなのかもしれないです。


それが、非常に難しい。でも、前回も書きましたが、「人の話をちゃんと聞く」というのはスキルでもなんでもありません。


誰でもできるはずです。でも、なぜか「エンジニア」や「理系」と呼ばれる人たちには、とても難しい「スキル」であるらしい。


 


相手の話が終わらないうちから遮って反論するなど、論外ですよね。


 


今回も読んでいただき、ありがとうございました。




ゼネラリストではない

2012-02-17 10:32:00 | IT・ICT業界

こんにちは!!


前回以下のように書いたのですが。。



僕は以前から、これからはゼネラリストの時代なのかもな、と思っていたのですがどうも言葉に違和感があったのです。なぜなら、この国では「ゼネラリスト」という言葉の意味合いがとてもネガティブだから。


「なんでもそれなりにこなす(でも、ただの器用貧乏)」みたいな。


これからは「ゼネラリスト」ではない。「全人的存在」という言葉が、ぴったりきたのです。



「全人的存在」という定義においては、何かひとつ抜きん出たものはゼッタイ必要です。


という意味でゼネラリストとは違うような気がしてきました。


それは必ずしも「スキル」である必要はない。


たとえば僕は「継続の権化」ですが、続けなければいけないことは誰もみていなくとも続ける。時間を守る。(あいつは時間は守る人間だ、という評価を得る)という点では、僕は僕が属する集団ではトップクラスであるという自負があります。


でも、こんなのスキルでもなんでもないのです。


別に、えらばれた人間でなくともできること。心がけ次第で誰でもできること。勉強しなくとも、試験をパスしなくともできること。


のはずですが、周りをみるとなかなかできていないようです。また、世代は関係ないようですね。


ゼッタイ遅刻しないから、会議に遅れないから、だから何? っていう意見も、あるでしょう。エンジニアは結果を残してなんぼだろ、と。


僕も、一方ではそう思います。でも、僕は僕なりに、結果を残すための最短距離であるに違いないと確信して、時間を頑なに守ったり、「継続の権化を継続」したりしています。そういうのが、ビジネスにおける関係性のベースとなってゆきます。


こういう小さなことを継続するというのは、実はけっこう難易度高いんだなっていうのは(この業界では)、最近やっと自分の自信になってきたところです。。


 


抜きん出るといっても、別に日本一になる必要はないのです。自分が属する集団で抜きん出れば、それでよいのです。その集団で重宝されれば。


重宝される、といえば「抜きん出た幹事業務」(笑)とか。。「幹事はあいつ」と任されるようになればしめたものですね! 幹事スキルはサラリーマンにとってホント重要です。そしていろんな方面に応用がききます。


 


ところで、


とある集団で、とある分野で抜きん出ている人は、そういう自覚があるのであればひとつの「責任」として、同じようにそれぞれの集団でトップクラスの「井の中の蛙さん」たちが集まるもうひとつの上のレベルの集まりに積極的に参加し、切磋琢磨するべきです。


なぜならば、そこで揉まれて、その結果を自分の属する集団にフィードバックする貢献が必要なのです。(それは、ある種の義務です)


いろんな分野で抜きん出ている人がいれば、それぞれがいろんな交流会の結果を自分が属する集団に持ち帰ってきて、結果その集団の品質が飛躍的に向上してゆくことになります。


 


選ばれた人たちが集まってより高いレベルで切磋琢磨する、というのは、日本のビジネス・シーンが世界に伍していくために絶対必要なのだと思うのですが、そういう場って案外少ないような。。。(僕が知らないだけかも)


卓越した幹事業務を行える人があつまる異業種交流会なんてあるのでしょうか(笑)。


 


今回も読んでいただきありがとうございました。




結局凡人は時代には抗えないのです(ポジティブに)

2012-02-03 09:46:00 | IT・ICT業界

こんにちは!


結局時代をつくるのは一握りの(極端な)努力家です。僕らはそれについてゆくしかないのですがそれは「時代に流される」のとは違う。違うのは間違いないのですがそのあたりをまだ明確に説明できないような気がしますので、話を先に進めます。


前回書いた「身体性」の話で、身体性を突き詰めてゆくのがアスリートであり、「頭でっかち」を突き詰めてゆくのが先生や学者であると仮定するならば、その両極端は時代とともに流されない領域なのでしょう。でも僕らは両極端にふれることはもうできないわけで。


エンジニアリングは黎明期においてはほぼ「頭でっかち」の側にいればよかったのかもしれませんが今は違う、と。今はそういう時代ではないということで。


でも、すべてがそうというわけではなくてたとえば大手Sierの「なんとか基礎研究所」みたいな。そういうところでセンタンを研究している人たちは、企業に属してはいますがもう学者さんと同じですよね。


今の時代のエンジニアが、そういう「センタン」の研究に憧れるのは、わかります。それは、理系の性みたいなもので。。


でも、その憧れる理由はもしかして「ラクだから」(煩わしい人間関係から離れて研究に没頭することが)あるいは「ラクそうにみえるから」ではないですか? と。


そうじゃなくて、そういうとこには選ばれた本当の精鋭だけが入ってほしいし、キビしい環境で日本の未来を技術力でもってデザインしてほしいと思うわけです。


精鋭が揃っていれば僕らは、サッカーや野球の日本代表やオリンピック選手を応援するがごとく、そういう日本のセンタンで働いている人たちを応援したいと思う。


逆にいえば、精鋭じゃなければ応援できない。僕らは日本代表のアスリートがヘタくそ(俺でもできるんじゃ? と思わせるようなほど)だったら応援する気にはならないのです。


 


で、あれ? 結局何が書きたかったのか。。


僕らは応援する側でもいいんじゃないのですか、と。そして、応援する側にいるからといって、怠惰であってはいけないのではなかろうか、と。応援する側が怠惰だと、応援する相手がヘンな方向に進んだときにチェック機能がはたらかないのです。


僕ら凡人が、いろいろな点で「底上げ」されないと、センタンにいる、僕らが応援する相手(スポーツでもITでもなんでも、世界を相手に闘ってくれる人たち)の品質も上がっていかないに違いない、と最近とみに考えます。


 


読んでいただきありがとうございました。




キーワードは「身体性」

2012-01-27 10:00:00 | IT・ICT業界

こんにちは!


いきなり本題から入りますが(ずっと同じ流れできていますので)、エンジニアにも「身体性」が要求されてきているのだと思います。


エンジニアはどうしても頭でっかちになりがちであり、昔はそれでよかったのですがそうもいかなくなってきました。


でも、ということは「頭はOK」ということです。もっと自信もっていいと思うのです。最初から有利に立っていると考えれば。これから身体性を意識していけばよいだけの話です。


私たちは、ロジカルシンキングはかなりしっかりしてるので、ここに身体性を獲得すればカンペキになります(笑)


 


で、「身体性」について具体的には。。ですが


以前エンジニアライフのほうにも投稿したのですが、我々は仕事でもPCに向かい、プライベートでもPC等の「画面」(テレビやスマホ、ゲームも含め)に向かい続ける習性があるので、一旦意識して離れましょう、と。


極端な話、「ディスプレイに向かう以外の仕事はおおよそ身体性を有している」といってもよいでしょう。


 


まず、声を出すこと。メールよりも会話すること。「ディスカッション」なんてカタクルシいことはいいませんので日常で、周りの人と会話すること。電話もよし。


次に、歩くこと。歩いて相手のところに直接行く。あるいは、休憩のとき喫煙所に行くのではなく、歩く。


それと、個人的にかなり重要だと思っているのは、「書く」ことですね。メールを打つではなく。なるべくメモをとるようにしています。(書きまくっていると会議のとき眠くならない、というのもあり)


結局のところ。。


いわゆる「シャチョーさん」のふるまい(自分は机から一歩も動かず呼びつけるとか、お膳立てされたことしかやらないとか)を、シャチョーさんでないうちからやってませんか、と。そういうことですね。


 


 


身体性という意味でもひとつ、お薦めなのは料理です!奥さんや子供と料理をする。これは、小さなプロジェクトです。


並行していろいろなタスクが走りますから、プロジェクトマネージメントが重要になってきます(笑)。「これを食べさせます」というプレゼン、費用見積もり、具材の調達、etc。。


子供を適材適所にアサインし、飽きないように手伝いをさせる。今後につながるためのOJT。


 


僕もかつてそうだったのですが、食べ歩きに走る人が多くて。確かにおいしいものを食べ歩くというのは悪いことではないし甘美な悦楽があるかもしれないけれど、出されたものを食べてあーだこーだ言うだけの「批評家」になってしまうので。


サラリーマンはそういう人多いです。


でも、自分で料理もしつつ、食べ歩きをするのはよいと思います。


 


 


若い頃から、「自分はスキルが圧倒的にない」というコンプレックスを抱えながらもこのシステム・エンジニアリングという世界にしがみつき、あえて身体性を重視して仕事してきたことが最近、報われてきたかなという気がしています。(ついに)


昔は、自分が「身体性を重視してきた」ことすらわかっておらず、このスキル重視の世界で葛藤を続けてきました。自分の足跡を言語化できるようになってきたのはつい最近のことです。


 


葛藤は深ければ深いほど、後になって役に立つものだなあ、と、しみじみ実感しています。


 


読んでいただきありがとうございました。



コンプレックスを抱えながらこのエンジニアという世界であえて身体性を重視して

仕事してきたことが最近、報われてきたかなという気がしています。


(2012/01/21 8:47), Kumaki@StrikeGold wrote:
> 身体性を職場で発揮するとしたらやっぱディスカッションなんだよなあ。
>
> 延々結論のでない会議は非難されるけど、確かにダメなんだろうけど、それとは別枠でブレストの時間も必要なのかなって。ストレス解消の意味も ある。
>
> あーー、現代社会ではそれが「飲み会」なのか。。でもあれってグチばっかなんだよな
>

>> エンジニアはあたまでっかちになりがち
>> ということは「頭はOK」ということ もっと自信もとう!
>> 身体性を意識していけば。
>> 具体的には。。別にジョギングでもいい。散歩でもいい。
>> 個人的にお薦めなのは料理です。奥さんや子供と料理をする。
>> これは、プロジェクトです。身体性もある。
>> 僕もかつてそうでしたが、食べ歩きに走る人が多くて。
>> 確かにおいしいものを食べ歩くというのは悪いことではないし
>> 甘美な悦楽があるかもしれないけど、「批評家」になってしまうの で。
>> サラリーマンはそういう人多い。



ツール依存

2012-01-20 10:00:00 | IT・ICT業界

こんにちは!


12/23の投稿で、以下のようなことを書きました。



我々は産業構造の変化により、21世紀に入り、「全人的存在」であることを求められるようになってきたのです。


カンタンにいってしまえば、エンジニアに求められるレベルがとてつもなく上がってきたということです。求められる「レベルが上がった」とは求められ る「スキルレベルが上がった」わけではありません。我々はますます「全人的存在」たりうることを求められるようになった、ということです。


このパラダイム・シフトに気付かないと、21世紀も10年すぎたのにまだ(小手先だけの)スキルの向上を求めているようでは、取り残されてしまいま す。いや、取り残されるならばまだよいのです。業界から排斥されてしまうかもしれません。あるいは逆に、取り残された人間だけが残ったこの業界が、沈没を 余儀無くされるかもしれない。



特にサラリーマンは働き方を抜本的に変えていかなければ生き延びられない、といわれています。そしてそれを仕掛けたのがいわゆる「IT」なわけでして。。ということは、この激動の時代の「うねり」をつくってきたのはまさに我々?(「我々」とはいわゆる「IT業界」に携わる人たちという意味です)などと「カンチガイの夢」を見させてくれたりします。

どんな小さい会社でも、どんな安い案件でも、とある会社や団体にとあるシステムを納品して、それが運用されているのであれば、そして、開発・構築・運用に携わったのであれば、それは「世の中を変えた」ということです。別に世の中を変えたのはゲイツやジョブズや孫さん等のビッグネームだけではありません。

我々はもっと誇ってよいのではないかと思いますけども。

 
さて、
以前書きましたとおり、「IT」によりホワイトカラーの労働環境は激変しましたが、果たして生産性が上がったのか? という点について皆が疑問に感じています。



ま、上がってないんでしょうね、はっきりいって。皆が疑問に感じているということは。ネット上の誘惑も多いですし。。


 


いわゆる「リテラシー」の格差がはっきりしてきて、生産性が異常に上がった人と取り残された人とが混在し、全体としては下がり気味、といったところでしょうか。


環境が激変したことには違いありません。一部のビジネスマンはこの激変を敏感に感じとり、ついていこうとヒッシです。

ですが、ビジネスマンの大部分はヒッシじゃない。「激変」に対して「ゆるやかに変わっていけばいいや」ぐらいに、思っています。こういう人たちが全体の生産性を下げているのかもしれない。




重要なのは、この激変し続ける世の中で「ITで生産性をあげよう」とかいってる人たちは最初っからツールに頼る気満々で、自分自身が変わる気がないのです。(たぶん)

そして、自分の生産性が上がらないのをツールのせいにする(気満々)。あるいは、枝葉末節であるツール操作ばかり習熟して、「こんなに上手になったのになんで生産性があがんないんだよ!」と八つ当たりする。


変わらなければならないという切迫感はけっこう大事ですが、行動に直結しない堂々巡りはいけません。そして、変わらなければ!と資格取得に走ったりツール操作にかまけてしまったりといった行動は、その次につながるならばOKですがそこで完結してしまってはなりません。私どものようなICT業界に携わる人たちの中にこういう人がけっこう多いので、もったいないと思います。


逆に、「徹底的に留まる」はこれはこれで、潔い。もし生き延びていればどこかで脚光を浴びるときがくるでしょう。ですが、残念ながらそれでは都市で生き抜くことはできません。


じゃどうしたらいいのか! と。その謎をとくカギになるのがこの「全人的存在」というキーワードだと、新年早々考えております。


ひとつ参考になるのは、「ホンモノはどれだけの値段がついても、いつの時代も必ず売れる」といういつの時代も普遍的な事実。ありていにいえば「ホンモノになりましょうよ」ということです。


 


読んでいただきありがとうございました。




仕事っていうのは結局コネ

2012-01-05 10:14:00 | IT・ICT業界

こんにちは!


ゆるやかに続いているシリーズです。前回は「エンジニアも(ですら)スキル以上に運を求められるようになってきている」といったようなことを書きました。


このシリーズをもって私めの「年頭のご挨拶」ということでご了承いただければと存じます。


 


今回は「コネ」(人的コネクション)について書きます。


前に書いたかもしれませんが、「仕事って結局コネだよね。。」という諦観を、だいぶ以前から持っています。


案件を受注するのも誰かのコネ、大きなプロジェクトに引き抜かれるのもコネ。カネのいい仕事にありつくにもコネ。メンバーや環境に恵まれるのもコネ。


仏教関係の方やちょっとかじった人たちは「ご縁」といいますね。でも「ご縁」では言葉が優しすぎます。ビジネスにおいては「コネ」です。


自分の仕事はコネじゃない! 自分で切り開いてきたんだ! と、思われる方がいるかもしれませんが、そういう方は、自分がどれほど無数の「コネ」によって仕事をさせてもらっているか、ということを知らないのかもしれない。


けど、「自分で切り開いてきた」と考えるのは大事です。それは「運」を切り開いてきたということです。運を切り開くことによってコネがついてきたわけですね。


 


そう、ここから(たぶん)本題ですが、コネというのはすべて運です。人と人とが引き合わされる。あるいは引き合うというのはすべて運です。


たとえば自分から、「あなたの弟子にしてください」と押しかけたのだとしたら(この業界でそういうシチュエーションはありえないかもしれませんが。。)、本人は「自分が切り開いた」と思うのかもしれませんが、師匠がそれを受け入れてくれたのであればそれもすべて運ですね。押しかけた日が前日だったら師匠は機嫌が悪くて弟子にしてくれなかったかもしれない。


 


前回書いたとおり、「採用担当というのは運を持っているかどうかをみている」という話を先輩から聞いて「ハァ?」と昔の僕が感じたのと同様に、「仕事というのは結局コネ」という結論に対して腹落ちするまでには僕なりにかなりの葛藤がありました。


「SE脳」では、自分がスキルを磨いていれば自然と良い仕事にありつけるのがあたりまえ、つまり「相手がアタマを下げてくる」と考えます。コネがある(あるいは積極的につくろうとする)人間が、地道にスキルを磨いている人間より優遇されるのは許せない、という思いがありました。


「結局そこかよ~」みたいな。


なんかたまに飲み屋でいるんですけど!「オレがちょっと声かければ100人集まる」とか鼻息荒いヒトが、ね。



♯物理的に「集まる」っていうのはブログにペタするとか、自分のウオールに「いいね!」してくれるのとは違うので



でも。。ポイントはそこなんですよね。大きな仕事をやりたいのであればいかに優秀な人材を集められるか。すなわち強力なコネ。(イコール、運)



♯烏合の衆をただ集めればよいということではありません



とある優秀な人材が欲しいと思ったときに、そのヒトの決まっていたスケジュールをねじ曲げてまで自分のところにもってくるぐらいの強力なコネ。


「磁場」とでもいうのでしょうかね。。自分を中心に磁場をつくり、ヒトを集めるためには自分が「全人的存在」である必要があります。運を持っている必要があります。運を持つ人間のもとにヒトは集まってきます。


そしてお金です。お金というのは、運にくっついてるコバンザメみたいなものですから、強力なコネのためにお金というのは重要な要素です。(お金については今回は詳述しませんが。。)


なぜ運を持つ人間のもとにヒトは集まるのか? それは、(皆言わないかもしれませんが)その運にあやかりたいからでしょう。運そのもの、そしてその運にくっついてくるカネの匂い、そして「コネ」それらすべてにあやかりたるために、ヒトはまるで砂糖にむらがるアリのように、集まってきます。


 読んでいただきありがとうございました。




運を持つ人間が求められるというアタリマエの事実

2011-12-29 10:24:00 | IT・ICT業界

こんにちは!


(タイトルは違いますが)先週の続きです。


前回、2冊の本を平行して読んでいたらばーっとひらめいたことがあった、ということ、そして以下のように書きました。



エンジニアに求められるレベルがとてつもなく上がってきたということです。求められる「レベルが上がった」とは求められる「スキルレベルが上がった」わけではありません。


たとえば、システムエンジニアが、エンジニア的スキルにプラスしてコミュニケーションスキルが求められるようになってきた、といったような足し算の理屈ではないのです。



じゃあ我々は何を求められるようになってきたか? というとそれはタイトルに書いたとおり「運を持っているかどうか」なのです。


前回のキーワード「全人的存在」というのは「運を持っている存在」と言い換えてもよいです。(100%イコールではありませんが)


 


2冊の本を読んでばーっとひらめいたと書きましたが、同時に、すごい昔に年輩の方と飲んたときの光景を思い出しました。その方は確かにそうおっしゃっていたのです。「就職とか転職のとき、採用担当は何みてるか知ってるか?」「そいつが運をもってるかどうか見てんだよ」と。


まだ小僧だった僕にとっては、そのお話は「ハァ?」という感じでしたね。なぜなら、当時の僕は完全に「SE脳」でしたので。。(「運じゃないだろ、スキルだろ?」ぐらいな感じで)


でも今になれば、わかる。僕が採用担当だったら、会社に運をもたらす人材が欲しいと強く思うだろうし。


 


会社の採用のマニュアルに「運を持っている人間を採用せよ」と書いてあるわけではないのでしょう。採用担当者も、直感で感じるのです。面接している相手が「運」を持っているかどうかを。


職務経歴書は、重要な判断要素となります。具体的にいえば、大きなプロジェクトを成功に導いた、と書いてあれば、(それが真実であれば)それなりに運を持っていると判断してよいでしょう。


はっきりいいますが難しいプロジェクトというのは「運」がないと成功しませんし運がほぼすべてといってよいでしょう。プロジェクトに優秀な人材が集まるのも運です。


なので、職務経歴書というのは自分がどんなにスキルを持っているか、ではなくどんだけ「運」を持っているかをにおわせるように書いたほうがよいです。



♯そういえば、この話の前提条件として「運」というのは人生で総量が決まっているわけではなく、使えば使うほど減ってゆく性質のものではないです


♯運はお金と一緒で持っている人間に集まってゆくものです



 


それともうひとつは、「自信」ですよね。自信をもっているように周りからみえるということは、ほぼイコールで「運をもっている」ということです。


面接のときにぼそぼそと背中を丸めて相手の目をみずにしゃべる人をみて「運をもっている」とは思わないでしょう。


エンジニアがコミュニケーションスキルを求められるようになってきた、というのはこの「自信」に関係します。自信のオーラを発している人は基本的にコミュニケーションには問題ないはずなのです。


なので、まずはとっかかりとして「自信のオーラを発している人」になってみましょう、ということです。最初は「ふり」「芝居」でよいのです。それでコミュニケーションは後からついてきます。


 


データベースだ、Webだ、NWだ、プロマネだ、コンサルだ、といったわかりやすいキーワードでカテゴライズされる時代のほうがエンジニアはまだ楽でした。実はエンジニアは「運」を求められている。。しかも補足的要素でなく最重要必須項目で、となると、今がどんだけキビしい時代であるか、我々は身震いするぐらい切実に感じなければならないと思います。


 


 まぁウラを返せば大変に面白い時代でもあります。この時代を楽しめるかどうか。。


読んでいただきありがとうございました。




「全人的存在」(まだメモレベル)

2011-12-23 09:26:00 | IT・ICT業界

こんにちは!


先日二冊の本を並行して読んでいたところ突然アタマに電撃的にひらめいたことがあり。。それを、ばーーっとテキストにメモしました。


まだ、まったく文章を練っていないのですが、早め早めで書きだしてゆきたいと思っています。


二冊の本というのは、これです



なんだか、僕のアタマの中で取っ散らかっていた疑問たちが、ひとつに「つながった」ような気がしたのです。


その疑問というのはたとえば、以前書いたのですが(「IT系の求人が「上から」な件」)なぜ我々SEの求人に「コミュニケーションスキルがあること!」と書かれることが多くなったのだろう? とか。


あるいはなぜ、ITで業務が効率化され生産性が上がったはずなのに仕事はどんどん難しくなり、サラリーマンの残業が増えているのだろう、とか。


なぜトップダウンでなくフラットな組織が求められるのだろう、(フラットな組織のほうが問題が多いのにも関わらず!)とか。


そういう疑問が、一気に氷解しました!


といえればカッコいいのですが、そんなはずはなく。。でもそういう類の疑問が、難攻不落の北極の氷ぐらいカチカチだったものが、「なんとなく溶けてきた」ような気がします。溶かすための方向性は見えた、といいますか。


 


。。ここまで書いて、我ながらだいぶハードルを上げてしまったような気もしますが、おそらく、多くの人は薄々気付いていることなんです。そして、私だけが気付いていなかったのかもしれない。


まぁそれでもよいです。気付くことが大事です。。気付いて、認識すること。


 


タイトルに書いた「全人的」というのは、簡単にいってしまえば「肉体的・精神的・社会的」ということです。でも、その3要素だけでは「全人的」のすべてを言い表せているわけではない。全人的とはとにかく「ホール(whole)」です。


というわけで、まず最初に結論を書きますが、我々は産業構造の変化により、21世紀に入り、「全人的存在」であることを求められるようになってきたのです。


「我々」というのはとりあえずは「システムエンジニア」という定義でかまいません。(わかりやすいので)ただし「ビジネスマンの中の」という接頭語はつきます。


カンタンにいってしまえば、エンジニアに求められるレベルがとてつもなく上がってきたということです。求められる「レベルが上がった」とは求められる「スキルレベルが上がった」わけではありません。我々はますます「全人的存在」たりうることを求められるようになった、ということです。


たとえば、システムエンジニアが、エンジニア的スキルにプラスしてコミュニケーションスキルが求められるようになってきた、といったような足し算の理屈ではないのです。


このパラダイム・シフトに気付かないと、21世紀も10年すぎたのにまだ(小手先だけの)スキルの向上を求めているようでは、取り残されてしまいます。いや、取り残されるならばまだよいのです。業界から排斥されてしまうかもしれません。あるいは逆に、取り残された人間だけが残ったこの業界が、沈没を余儀無くされるかもしれない。


言い方を変えると、「気付き」を得た人たちが業界を変えてゆき、それについてゆけない人たちが排斥されるか、「気付き」を得た人たちが業界を去ってゆき、それ以外の人たちが残って、そのままイノベーションを起こせず地盤沈下してゆくか、ということです。


 


まだ、書き出したいことの十分の一も書いていないので。。まだまだ続きます。読んでいただきありがとうございました。




僕はヒマ人が好き(2)

2011-12-09 10:37:00 | IT・ICT業界

こんにちは!


前々回の続きです。今回も「ヒマ人擁護論」を展開いたしたく。。


 


飲み会もそうなんですけど、打合せとかブレストとか、なんというか「優先度中~低」のタスクに対してここぞとばかりに「ごめん、顧客対応で」「ごめん、トラブルで」「ごめん、**で」と欠席する人がいるんですよ。(「体調不良で」のときもあるな)
 
その人のいうことを真に受けるのだとしたらなぜその人に、その時間だけ至急対応が集中するんでしょうねえ?(ヒニクでいってますが。。)
そういう人ってだいたい決まってるんですけども。
 
僕が叫びたい結論は、「そういう人は生産性が低いに違いない」なんですけどね。
それはもしかしたら暴論かもしれないので、その結論に至る前に、も少し分析したいと思っているのです。
 
アサインされている会議や、お誘いいただいた飲み会にほとんど皆勤で出ている僕は果たしてヒマ人なんでしょうかね?
 
僕は決して、そうは思わないけれど、世の中的にはそう思われているフシはありますよね。
だから、諦めています。というかほとんど開き直って、「ヒマ人で何が悪い!」「ヒマ人のほうが(現代では)カッコいいじゃないか!」と気炎を上げようとしています。



僕は、けっこう予定に対して「ふんばってる」自負があるんですよ。たとえばお誘いを受けた飲み会が予定されているのだとしたらその日は早く仕事が上がるようにスケジュールを考えるとか。プチトラブルが発生しても、なんとか、いつもの倍のパワーをかけて、「予定」のために、収束させたいと思う。


「予定」がモチベーションになるということです。でも、「予定」をブッチする人というのは予定に対するこだわりがうっすい。これは、間違いないでしょうね。なにか発生してしまったら人との約束であってもキャンセルしてOK、という整理が、その人のアタマの中でできてしまっています。


予定に対して「ふんばれない」というよりは「そもそもふんばる気がない」ということ。


つまり、僕とそういう人とでは、ものごとの優先順位のつける基準(ロジック)が根本から異なっているのです。


でもまあ、確かに、顧客からの突然の依頼だったりトラブル対応というのは、大事ではあるのですが。


 


続けます。読んでいただきありがとうございました。


 


予定されてんのに「ふんばれない」のには理由がありそう



コミュニケーション(基本)

2011-12-01 10:30:00 | IT・ICT業界

こんにちは!


この業界でちょっと「わかりはじめた」といいますか、Nextステップにのぼっていこうという方々は必ず、コミュニケーションに苦労することになります。それは必ず経なければならない通過儀礼です。


ありていにいえばたとえばプロジェクトリーダになって、メンバーがいうことを聞かないとか、外注下請けの類がこちらの要件や仕様を理解せずバグ出しまくりとか。。


おおよそ、苦労する(ぶちキレる)ポイントは以下の3つ



  • 自分はなんにも悪くないのに、他人の凡ミスためにお客さんに謝らなければならない

  • 外注の茶髪のすぐサボる若手に『仕事とはなにか』を一から説明しなければならない

  • 自分より能力が劣る人間に仕事を任せなければならない


若いヤツらはなんで受け身で仕事するんだ!と(自分も若いのに)憤慨して飲み屋でくだを巻くようになります。


結果としてこの業界がイヤに なって脱出した人も多々いらっしゃいます。コミュニケーションに苦労した結果をしてコミュニケーションスキルを教える会社を興したりとか。


それはそれで、その判断は尊重されなければならないと思います。「Nextステップ」を別な業界に求めるかこの業界に求めるかの違いだけです。


コミュニケーションの問題に対して解決方法があるわけではないのです。ただただ、「そういう経験は、しなければならない」と。現状から上を目指そうとする方は、避けてはとおれません。


 


ただ。。考えなければいけないのは、苦労をする(苦労をさせられる)ということは、若い自分に誰かに苦労をかけたことはなかったか? ということ。それは、思い出さなければなりません。(ある種の「礼儀」として)今苦労しているのは当然の報いなのかもしれないのです。


自分が相手に何をしたか? そしてホントウはどうすべきだったか? を分析することで、現状の突破口がひらけることがあります。


 


「コミュニケーション」に関してはふたつほどじっくり書きたいことがあって。。


まずひとつは、(この業界の方々があまり好きじゃなさそうな)「思いやり」周辺のことです。(もうひとつについては後日書こうと思います)


極論すれば指示待ち人間「しかいない」現場において自分もどっぷり「待ち」モードに入っていませんか? と。報告せよと一文をメールで済ませて(楽をして)「なんで報告にこねえんだよ!」と一人憤慨するのは、不毛そのものです。


指示待ち人間に対しては指示をしてあげればよいのです。それが、「コミュニケーション」そのもの。


誰もがボールをひろおうとしない現場において、ちょっとした「思いやり」が、空気を「雪解け」にもっていってしまうことがあるのです。「思いやり」とはただ思うのではなく「声かけ」というかたちで実践されなければなりません。「どうしたの? 何か問題でも?」と聞いてあげると、何かしらのレスポンスが返ってきます。(ただし、そのレスポンスは自分にとっては不快なことがほとんどです 「●●のせいで」「世の中が悪い」「オマエが悪い」等のオン・パレード)


それに対して「指示」をしてあげればいい。あれやれ、これやれ口調ではなく「それならこうすればいいんじゃないか というかこうしてくれるとボクは助かるんだけどな!」とか。


 


それと、ほめるのも「思いやり」の一環ですし、それそのものもコミュニケーションなわけです。


「ほめる」という言葉が悪いのかもしれないですね。まるでオトナが子どもに上からなでなでしてあげてるみたいで。。もっとオトナっぽくいえば「正当に評価してあげる」ということです。Facebookよろしく、こまめに「いいね!」「いいね!」を連発してあげることができれば、少なくともコミュニケーションがないとはいえないのではないでしょうかね、その現場は。


 


強引にまとめれば、「Nextステップにのぼっていこうという方々」というのは、コミュニケーションでもなんでも、自分からブレイクスルーをつくりだしていかなければならないということです。


そして、「ああ、仕事っていうのは待つだけじゃなくて自分から行かなきゃダメなんだな」と気付くこと。


気付いたもん勝ちです。


 


読んでいただきありがとうございました。