【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

どれが常識だ?

2011-08-02 05:09:51 | 「社会人として!」といったようなコト
常識だろ? を押し付けるヤツがいたんだよ、過去に。複数人。


つまり。。たとえば転職してきてさ、前の会社の因習をいつまでもいつまでも引きずってるヤツね。
前の会社のほうが大手で、ベンチャーに転職したきた場合とかが顕著なんだけど。。
「前の会社はこうしていた(常識だろ?) それにくらべてここは。。」ってね。

でもね、それすらもその前の会社だけのローカルルールであって世間的な常識じゃねえんだよ!

サラリーマンってのはいかにビジネスにおいて一般的な常識がないか、っていうのが垣間見られる。

他人へのインパクト

2011-07-17 05:05:05 | 「社会人として!」といったようなコト
(自問自答)ビジネスにおいて、会う人会う人に常に強烈なインパクトを与えているか?

少なくとも、瞬殺で忘れ去られないぐらいに。

「いい歳して茶髪」みたいなだっせーインパクトの与え方じゃなくて、ね。。もっと良いインパクトね。

「不潔」とかはサイテーかもな。。


とにかくビジネスでは忘れ去られてしまったらおしまいじゃないだろうか。

皇室が日本を変える(だろう。。)

2011-04-17 05:30:50 | 「社会人として!」といったようなコト
(以下、震災前になぐり書きしたテキストをここに記す)
皇太子殿下は、好きだなあ。こないだ誕生日会見をみてあらためて思ったけれども。

なぜ好きかというと、クソ真面目だからだよ。オイラもクソ真面目だから。。

いろいろな問題へのとり組みも、悪くいえばクソ真面目にしか取り組めない。でもそれは、いつも正攻法ということだ。

オイラはそういうヒトがすごく好きだ。

「真面目にしか生きられない」という超・不器用な人間が実は世の中にはたくさんいる。そういう人間が世の中を変えてくれることを切に願う。
オイラもそれなりに頑張っているけどね。

将来的に皇太子殿下のヒト柄で、世の中が少しずつ(さらに)変わってゆくような気がする。
真面目な皇太子殿下独りではなく、秋篠宮殿下という存在、このタッグが、非常に面白い。
タッグで何かしらやってくれそうな予感がする。

三日坊主はやらないよりわるいっしょ

2011-03-28 06:11:07 | 「社会人として!」といったようなコト
やらなきゃいけないのはわかってるんだけど、なかなか。。(一歩が踏み出せない)とかいってるうちは何も変われない。変わる資格もない。
一歩すら踏み出せないんだから。

特にオイラと同世代(「アラフォー」)で、一歩すら踏み出せないヤツってもう終いじゃないかと思う。まァ踏み出せないまま年寄りになってくれても、オイラはぜんぜん構わないんだけど。。
もう、人生時間がないんだぜ?? あんた。

なのだが。。
三日坊主は、やってないのと同じ。と考えると。。「一歩」を踏み出してもダメダメじゃないのか、とも思うし。。
でも「一歩」は大事だし。。

書いててわからなくなってきた。
前にどっかに書いたんだけどさ、三日坊主って、「オレって結局できない」っていう刷り込みを自分にしちゃうから、それだったらいっそのことやらないほうがマシ、とか思ってたんだよね。

じゃあ、やらないで貝のように閉じこもってたほうがよいのだろうか? 一歩踏み出しては失敗し、また一歩踏み出しては失敗し、とやってる人間は、浮かばれないのだろうか?
いや、そんなことは、ないだろうよ。。

わかった! 何回失敗しても、「オレって結局ダメなヤツ」とか、やったってムダとか、そういうネガティブイメージを持たなきゃいいんだ!

。。って書いたはいいけど、それってもっと難しいじゃん!!
そんな打たれ強いヤツなんているか?


ところでハナシちょっと違うけど。。
「はじめのいーっぽ」が、自分で一歩を踏み出すのはいいんだけど、なんつーか、「手取り足取り」で第一歩を踏み出してみるヤツっているよね。
自分じゃなくて教えてもらわないとできない、みたいな。。(特に女子で多いような気も)

そういうヤツのほうが三日坊主多くね? って一瞬思ったけど。



紙との闘い

2011-03-01 05:54:04 | 「社会人として!」といったようなコト
事務処理っていうのは「紙」との闘いなんだよ。

と書いて、わかってくれるヒトは多いと思う。
いかにして、効率的に、すばやく「紙」を処理してゆくか。

ハンコをおして申請をまわすのもそうだし、打合せごとにやまのように配られる資料をいかに「処理」するか。


ビジネスにおいて、カネ勘定が絡むときは未だに「紙」だよね。契約書やらなんやら。。
オイラにとっては、そういう類の「紙」はとても「重い」ものだ。物理的な重さとは、反比例するぐらいに。
重いし、「強大」なものだ。実際問題、くしゃくしゃっと丸めてゴミ箱に捨ててもよい、はずのものなのに、ゼッタイにそういうことができない。強い。

という意味での「闘い」。
なんだろ、「権力との闘い」に通ずるような、ね。。

一を聞いて十を知り

2010-09-08 06:04:44 | 「社会人として!」といったようなコト
ムカシ学生の頃のハナシだけど、バイト先の社員さんが、褒め上手でねえ。。
けっこう年上だったな。

このヒトの影響を受けた、というのも少しあるけど、それよりも、このヒトの褒め上手のおかげで、自分のことが客観的にわかった、というか。

よく居酒屋で褒められたのはね、オマエは、「一を聞いて十を知り、二十やる」と。

その頃オイラは、ヒトのハナシを、にこやかに相槌を打ちながら聞く、というオトナなことはできなかったけど、確かにその頃から、「このヒトはホントは何を言いたいのだろう? 何を求めているのだろう?」と、常に考えていたようには思う。常にコトバのウラを探ろうという姿勢。それが「一を聞いて十を知る」につながっている。

他人から発せられるコトバは、伝えたい意味の総体のうちの氷山の一角でしかないのだ。


そして、確かそのヒトは、一を聞いて十知ったら、「百やる」べし、といっていた。
それを実現できてはいないのだが。。(そして、そのヒト本人もできていたとは言いがたいのだが)

つまり、オイラなりに解釈すれば「百やる」力量というのはね、いかに他人と連携できるか、ということなんだよね。

個々の能力には限界があるから、いかに頑張ったところで十を知って二十やるのが精一杯。超人じゃないかぎり、ね。


でもさ、もしオイラがそのヒトの褒め言葉どおり、一を聞いて十を知り、「二十」実行していたのだとすれば、はるかムカシからオイラは「言われたことだけをやる」という受け身な人間ではなかったということになる。大学時代からね。

その、褒め上手の社員さんの同僚のヒトからは、「オマエは、(就職が)どこいっても大丈夫だよ」と言われていた。
たぶんそのヒトも、オイラの「十を知って二十やる」という姿勢に共感してくれていたのだと思う。受け身的ではないから、就職してもこいつは大丈夫だろう、と。。

確かに、一般論としてはそうなのだが。。
結局オイラは、サラリーマンとして就職することもなく今に至ってしまった。(その前にまず、4年で卒業できなかった、というのもあるけど。。)
いや、数カ月サラリーマンをやったことがあるんだけど、イヤだからやめちゃった。仕事に対して受け身的でなくとも、そういう人間なのである。


結局オイラは今でも、「フリーター」と紙一重のフリーである。
とどこの組織に入ってもおそらくオイラはダメ人間だが、相変わらずオイラは「どこいっても大丈夫」という自信はある。

矛盾しているようで矛盾していない。「個」として組織内で動くことが許されるのであれば、オイラはうまくふるまえる自信があるのだ。
そうなるよう努力してきた、しね。

とある組織が、属する個々人の「個」をつぶしにかかるような職場であれば、オイラは反抗するだろうし、そういうところで立ち振る舞うことができないのだ。。
それは別に自慢してるわけでも卑下してるわけでも、ない。そういう人間なのだということ。

喫煙者とか酒飲みとか

2010-08-30 06:16:02 | 「社会人として!」といったようなコト
なぜ喫煙者は、ルーティンで、同じタバコを、1時間に1本吸い続けることができるのか?
なぜ同じタバコで飽きないのか?

なぜ、酒飲みは毎日毎日ルーティンで、同じ酒を晩酌するのか?
なぜ同じ酒を毎日飲んで飽きないのか?

なぜ最近(の我々)は、同じメニューの昼食、夕食を毎日続けることができないのだろうか?
なぜ、食事は、同じメニューだと飽きるのだろうか? なぜ食事は飽きるのに、酒やタバコは同じ銘柄で飽きもせず毎日毎日続けられるのだろう?


いや、酒やタバコが、中毒性のある嗜好品だから、という回答は、わかってる。わかりきっている。

食事の一部にも、中毒性のあるものがある。そのうちの多くは自然の食品ではない。(スナックなど)そしてそのうちの100%は、身体によくない。

コメは、毎日毎日続けられる。コメは、中毒性があるのだろうか? なんか違うような気がする。。


食事も、オイラは、平日はまったく同じ献立でもいいなあ、と最近思う。

オトナはね

2010-06-21 05:41:14 | 「社会人として!」といったようなコト
オトナってのはさ、やることやった人間だけが、アソべるもんだよ。そうあるべきだ。
やることもやらん人間のアソびはハンパだ。つまり「アソび」じゃない。


コドモは、遊ぶのが仕事だ。コドモにとっては実は「勉強」は、仕事ではないのかもしれないよね。


ウチの家内は。。『協力』という名(美名)のもとにやるべき家事もやらず(オイラにおしつけて)趣味に没頭する。それが自分の「権利」だと思っている。
まさに、ハンパなアソびしかできない典型。。結局、自分の仕事でもアソびでも満足できずに、常に不満足感に苛まれて生きてゆかなければならない、カナしい人種。。
そしてオイラはそのはけ口にならなければならない、さらにカナしい人種なのだろうか。。(いや、違う。といっておこう)


やることもやらんでアソんでるから、コドモに、「宿題してからアソびなさい!」といったところでまったく説得力がない。
コドモは、わかってる。コドモは、コワいよね。。

企業とは

2010-04-06 06:07:53 | 「社会人として!」といったようなコト
たとえば、食料品とかのラベルに表示されているカロリー表示とか。。

あんなの、シロートがわかるわけない。ちょっと水増ししたり逆に減らしたりされても、わかるわきゃない。

でもオイラたちはアレを、盲目的に信用してしまう。

信用するほうが悪い。あんなのはゼッタイに信用してはいけない。


なぜなら。。

昨今、あとでバレたらけっこうおおごとになるから、ああいう表示をあからさまにウソつくのは、さすがに少なくなってきたようである。

かといってホントのこと書くと売れなくなるかもしれない。
ものすごい高カロリーの商品を売りたいのに、数値をごまかすことができない。


さて、企業はどうするか?
正解は?

それは、「団体」に対して、カロリー表示をしなくともいいよう働きかける(恫喝する)というのが正解。

詳しくは書かないけど、何がいいたいかというと企業っていうのはゼッタイに 「正攻法」ではこないということ。正々堂々とはしていない。ゼッタイに。

ウソをつかないように、企業イメージを傷つかないように、狡猾に物事を進めてゆく。
すべては、大衆を騙し通すために。大衆を騙し通すのが企業だ。

それに早く気付けよ、って、思うんだけど。

朝まで飲んだ、から何

2010-02-03 05:49:43 | 「社会人として!」といったようなコト
朝まで飲んだからって何を威張ることがあるの。

昨日の飲みでの誰かの醜態、誰かがカラオケで歌った曲、その他ウワサについて翌日まで盛り上がり。。

ホント、いつまで学生のノリでいるんだろう。。


それで、仕事の生産性が下がらないんだったら何も文句はいわないよ。
でも、朝まで飲んで眠いってのは単に言い訳したいだけでしょ。
「今日は俺は仕事できないから!」って、朝からバリアをはっときたいだけでしょ。

前にどこかに書いたけど、ああ、やっぱサラリーマンってのは「プロフェッショナル」じゃないんだな、と思う瞬間。

プロでもアマでもないグレーゾーンがサラリーマン。
時代はそういう人材を求めてないんだけどな。