【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

仕事依存人間

2009-01-17 07:20:22 | サラリーマン愛憎
だいぶ以前に「定性的大キライ」みたいなネタを別ブログに投稿したんだけれども。。

「忙しい」の尺度がそのまま時間の尺、つまり、「どれだけ残業したか」で一律に定量化されてしまうってのは、ホントに、やめるべきだと思う。

そういう尺度は世の中から根絶されるべきだと思う。

残業するヤツはイコール仕事がデキねーヤツである、というレッテルを貼られてしまうような世の中に、なりそうでならない。


遅くまで残っているという印象、それが現場への貢献度のひとつの重要な尺度として評価される。

だからサービス残業やだらだら残業という歪んだ状態が発生する。

定性的に「印象を良くするため」に残業しとこうか、みたいなさ。


定時ですぱっと切り上げるのがなぜドライといわれてしまうのか。なぜ「貢献していない」なのか。なぜ評価されないのか。。

エンジニアだけでなく、従業員全員が超過時間の自動従量課金になればなあ。。
残業は、残業代をもらえるどころか、働いた分給料から引かれる!

そもそも、仕事人間はヒトとしての器の大きさ、「厚み」「深さ」のようなものがないと思わない?
というのはもう自明だろ?

いや、「仕事人間」は語弊があるなあ。
生産性をアゲアゲで仕事して、すぱっとオフに切り替えられる人間こそが「仕事人間」なのだ。
そして、オフ(休息)はすべては仕事のためにある。次の仕事のために、全力で休む。リフレッシュする。

じゃなくって、自身の時間をすべて会社なり仕事なりだらだら残業に提供してしまうヒトたちは、なんだろか。「仕事依存人間」とでも定義しておこうか。


なぜヒトは(特に、このギョーカイのヒトたちは)すすんで仕事依存人間になろうとするのかなあ。

今、書いていて気付いたけども、「やらされてる感」をもって仕事している人間ほど、「仕事人間」でなく「仕事依存人間」だね。


そんな心意気で長時間仕事してたらますます人間としての深みなんてなくなっちゃうからさ。。

やっぱ、使いふるされたコトバだけど「メリハリ」なのかねえ。。