※「ブロガーズ・ネットワーク翼」閉鎖に伴い移行した文章
時流に乗った、のだろうか? (2) 乗って「はばたく」。
さて、田舎に帰省した際に年老いた父親と酒を酌み交わしたときの話の続きですが、そもそもこの「翼」に書こうと思いましたのは、話がいわゆる「ICT」(または「IT」)の方向に向かったからなのでした。
父親は私のやっている仕事をよく知りません。それは私の責任なのですが(笑)、ずっと「コンピュータ関係の仕事してる」以上の説明を、してきませんでした。理由はただ面倒くさかったからです。私のワークスタイルが基本、スーツにネクタイで、自宅で仕事するのでなく「出勤」するかたちなので、父親は私をサラリーマンだと思っているのかもしれません。
ちなみに父親はずっと営業畑の人間でして。。とてもわかりやすい。年老いてから何度もリピートして聞かされているかつての仕事の自慢話も、非常にわかりやすい(笑)です。いかに自分が東京に出張して大手からでっかい案件をとってきたか、どんだけ「クラブ」(語尾が上がらないほう)で超大手企業の管理職たちを接待してきたか、等々。そして、かつて高度成長期時代に仕事上で付き合いのあった人たちが結果的にどこまで上り詰めたか。上場企業の社長だったり取締役だったり、あるいは政治家だったり、といったあたりが、年老いてからの自分の「持ちネタ」といいますか、自身のアイデンティティの拠り所なわけです。
私もある程度の歳になり、父親のやってきた仕事の偉大さをわかるようになってきました。(やっと!)やはり仕事というのは案件をとってこないことには始まらないわけですからね。
技術者はよく営業に文句をいいますが、自分のやりたい仕事をとってこい(そうすれば実力を発揮してやるよ)、と文句をいってるうちはたかが知れてます。やはり常に、仕事を指をくわえて待つのではなく、技術者であっても自分で動いていかなければ。。
仕事って結局は(良い意味でも悪い意味でも)コネです。
ちょっと脱線してしまいました。
父親はやはり「オマエは運がいい」と。。 彼は「コンピュータ業界」というものに揺るぎないイメージを持っていて、日本の新興の産業であると思っています。(それは、間違ってはいないのですが)
90年代に、自分がふらふらと彷徨っていた時期に「たまたま」ムーブメントが起こりつつあった「コンピュータ業界」にひろってもらって、「なんとなく」仕事を続けている、というふうに、出張以外で田舎から出たことがない父親には映っているらしく。
微妙に!反論したいところはありつつも、残念ながらほとんど間違っていないという(笑)
父親が私に忠告してくれたのは、とにかく業界には流行り廃りがあるので気をつけよ、ということでした。私もそれには同意します。
すごくわかりやすい言い方をすれば(父親の受け売りですが)就職の際の人気企業ランキングはどんどん移り変わってゆくものである、ということですね。
たとえば繊維業にしてもある種の「重厚長大」産業にしても、かつては花形だった時期があったそうです。これらの産業は絶対になくなることはないのでしょうがもはや花形の産業ではありません。これらの産業に日本の超・優秀な人材が集まっていった時期があったのです。
そして、まるで90年代前半の私のように、いわゆる高度成長の時代に、なんとなくふらふらとしている人間を労働力として吸い上げてゆく余力も、あったのでしょう。
いわゆるICTというものが廃れるとは思っていないのですが、(これからも無限に進歩しつづけると思いますし)問題とすべきはその業界で働く人間の質です。勃興期には一攫千金(古い?)を求めて優秀な人材が集まってくるが、すぐに停滞してきますし、私はすでに(人材的には)停滞期に入っているように思います。
どうも、いつまでたっても業界内の自助努力(あるいは「自浄」努力?)が足りないような気がします。この業界の方々のポテンシャルを否定してるわけではまったくなく、必要なのは質を低下させないための「メンテナンス」のフレームワークというか。。
自助努力は個々人にゆだねられるのですがいわゆる「研修制度」というのがダメダメなのですよね。最新技術にすりよってゆくのか、人間系コミュニケーションに色目をつかってゆくのか、スペシャリスト志向なのかゼネラリストなのか、時代時代でぜんぜんスタンスが違いますし、とにかく確固たる「幹」のようなものがない。
私もずーーっと、振り回され続けてきました。
結論としては。。
「この業界」にしがみつき続けるか、飛び出すか、という単純な二元論ではなくて、幸いにもこの業界に長い間棲息させていただいて「システムズ・エンジニアリング」という仕事にどっぷり携わってきたわけですから、それを武器に、自信をもってどんどん、好きな方向にはばたいてゆけばよいと思ったのです。
そう! ここで、「ブロガーズ・ネットワーク翼」の「翼」とつながるわけです。
「しがみつく」という言葉がよくないのですね。。この業界でスペシャリストとして羽ばたくもよし、他のまったく違う業種の情シス部門に潜り込むでもよし。もちろん、極端にいえばラーメン屋をやる、でもよいのです。
父親の場合は「営業力」でもって複数の業種を渡り歩きました。「営業力」とはけっきょくはコネなのですが。。コネを生み出すために絶対必要な「誠意」をとても大事にしていました。それが結局のところ営業の最終兵器なわけです。
我々も、スキルという「翼」を既に持っている(はず)のですから、それを武器にどこへでも羽ばたいてゆけます。
読んでいただきありがとうございました。
時流に乗った、のだろうか? (2) 乗って「はばたく」。
さて、田舎に帰省した際に年老いた父親と酒を酌み交わしたときの話の続きですが、そもそもこの「翼」に書こうと思いましたのは、話がいわゆる「ICT」(または「IT」)の方向に向かったからなのでした。
父親は私のやっている仕事をよく知りません。それは私の責任なのですが(笑)、ずっと「コンピュータ関係の仕事してる」以上の説明を、してきませんでした。理由はただ面倒くさかったからです。私のワークスタイルが基本、スーツにネクタイで、自宅で仕事するのでなく「出勤」するかたちなので、父親は私をサラリーマンだと思っているのかもしれません。
ちなみに父親はずっと営業畑の人間でして。。とてもわかりやすい。年老いてから何度もリピートして聞かされているかつての仕事の自慢話も、非常にわかりやすい(笑)です。いかに自分が東京に出張して大手からでっかい案件をとってきたか、どんだけ「クラブ」(語尾が上がらないほう)で超大手企業の管理職たちを接待してきたか、等々。そして、かつて高度成長期時代に仕事上で付き合いのあった人たちが結果的にどこまで上り詰めたか。上場企業の社長だったり取締役だったり、あるいは政治家だったり、といったあたりが、年老いてからの自分の「持ちネタ」といいますか、自身のアイデンティティの拠り所なわけです。
私もある程度の歳になり、父親のやってきた仕事の偉大さをわかるようになってきました。(やっと!)やはり仕事というのは案件をとってこないことには始まらないわけですからね。
技術者はよく営業に文句をいいますが、自分のやりたい仕事をとってこい(そうすれば実力を発揮してやるよ)、と文句をいってるうちはたかが知れてます。やはり常に、仕事を指をくわえて待つのではなく、技術者であっても自分で動いていかなければ。。
仕事って結局は(良い意味でも悪い意味でも)コネです。
ちょっと脱線してしまいました。
父親はやはり「オマエは運がいい」と。。 彼は「コンピュータ業界」というものに揺るぎないイメージを持っていて、日本の新興の産業であると思っています。(それは、間違ってはいないのですが)
90年代に、自分がふらふらと彷徨っていた時期に「たまたま」ムーブメントが起こりつつあった「コンピュータ業界」にひろってもらって、「なんとなく」仕事を続けている、というふうに、出張以外で田舎から出たことがない父親には映っているらしく。
微妙に!反論したいところはありつつも、残念ながらほとんど間違っていないという(笑)
父親が私に忠告してくれたのは、とにかく業界には流行り廃りがあるので気をつけよ、ということでした。私もそれには同意します。
すごくわかりやすい言い方をすれば(父親の受け売りですが)就職の際の人気企業ランキングはどんどん移り変わってゆくものである、ということですね。
たとえば繊維業にしてもある種の「重厚長大」産業にしても、かつては花形だった時期があったそうです。これらの産業は絶対になくなることはないのでしょうがもはや花形の産業ではありません。これらの産業に日本の超・優秀な人材が集まっていった時期があったのです。
そして、まるで90年代前半の私のように、いわゆる高度成長の時代に、なんとなくふらふらとしている人間を労働力として吸い上げてゆく余力も、あったのでしょう。
いわゆるICTというものが廃れるとは思っていないのですが、(これからも無限に進歩しつづけると思いますし)問題とすべきはその業界で働く人間の質です。勃興期には一攫千金(古い?)を求めて優秀な人材が集まってくるが、すぐに停滞してきますし、私はすでに(人材的には)停滞期に入っているように思います。
どうも、いつまでたっても業界内の自助努力(あるいは「自浄」努力?)が足りないような気がします。この業界の方々のポテンシャルを否定してるわけではまったくなく、必要なのは質を低下させないための「メンテナンス」のフレームワークというか。。
自助努力は個々人にゆだねられるのですがいわゆる「研修制度」というのがダメダメなのですよね。最新技術にすりよってゆくのか、人間系コミュニケーションに色目をつかってゆくのか、スペシャリスト志向なのかゼネラリストなのか、時代時代でぜんぜんスタンスが違いますし、とにかく確固たる「幹」のようなものがない。
私もずーーっと、振り回され続けてきました。
結論としては。。
「この業界」にしがみつき続けるか、飛び出すか、という単純な二元論ではなくて、幸いにもこの業界に長い間棲息させていただいて「システムズ・エンジニアリング」という仕事にどっぷり携わってきたわけですから、それを武器に、自信をもってどんどん、好きな方向にはばたいてゆけばよいと思ったのです。
そう! ここで、「ブロガーズ・ネットワーク翼」の「翼」とつながるわけです。
「しがみつく」という言葉がよくないのですね。。この業界でスペシャリストとして羽ばたくもよし、他のまったく違う業種の情シス部門に潜り込むでもよし。もちろん、極端にいえばラーメン屋をやる、でもよいのです。
父親の場合は「営業力」でもって複数の業種を渡り歩きました。「営業力」とはけっきょくはコネなのですが。。コネを生み出すために絶対必要な「誠意」をとても大事にしていました。それが結局のところ営業の最終兵器なわけです。
我々も、スキルという「翼」を既に持っている(はず)のですから、それを武器にどこへでも羽ばたいてゆけます。
読んでいただきありがとうございました。