【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

ゴミは醜い

2007-05-03 05:26:00 | 反面教師クン
ゴミをまとめて捨てに行く回数を減らそうとして、ゴミ箱がぱんぱんになるまでほおっておく姿勢って。。

そのパンパンになっている間は、「あーゴミ箱山みたいに盛り上がってるなー」と、イヤでも目に入るわけで、それはほぼ「不快」に等しいものだ。

不快であっても、面倒くさいからゴミを出さない。
「面倒くさい」が不快」に勝つ状況って最低に近いと思うんだけど。。

こまめに取り替える、とか、そういうことの習慣づけってなんでできないんだろ。

テレビに登場する「ゴミ屋敷」の主人公も最初はそうなんだろうな。ゴミがたまりすぎると「不快」という感情が麻痺してくるという。。

それは「感性」への影響ということだろう。ゴミをためておく類のヒトたちって「感性」は気にするようなタイプが多いと思うんだけど。。 「不快」にあえて鈍感になっておく、というのは自分の「感性のままに生きる」という生き方には反しないのかよ。ものすごく矛盾してるよな。

「感性のままに生きる」というのは怠惰に生きるための言い訳にすぎないような気がしてきたな。

そういうヒトは「面倒くさいからゴミ出したくない」「ゴミがたまっているのは不快だ」というふたつの感情がぶつかりあったときに高い確率で「面倒くさい」が勝つんだろう。
そして、もうホントヤバい、となったときに初めてゴミを出すという行動に出る。でもそのときに勝つ感情ってのは「不快」じゃないよね。不快を通り越したなんらかの「警戒信号」のようなものだよね。そういう制御が発動されないと「面倒くさい」という感情は居座ったままなんだよ。