僕はヒマ人が好き(3)
僕は結構、人との約束とか、お誘いいただいた会とか、そういうのをスケジュールの最優先に持ってこようとします(他の予定が入ってこようとしてもブロックする)が、僕みたいな人間のほうが最近珍しいらしい、と。
約束よりも仕事最優先がふつう。いや、それもすごくわかるんですけど。。
僕の中では、人との約束も包括的には「仕事」に含まれるんですけどね。
「飲み会に皆勤」ではほとんど宴会部長ですが、「出席」と表明した会に皆勤って、当たり前なのかと思ったら違うんですね。
出席と表明した会であってもたまに「トラブル対応で。。」とかなんとかで、何回かに一度は欠席したり、すごく遅れたりするのが、ふつうらしいです。
つまり、「出席」と表明した会に皆勤していると「ヒマ」だと思われるようなのです。あいつ仕事してんのか?と。
たまに「トラブル対応で。。」とかいって欠席したりしたほうが「ああ、あいつもいろいろタイヘンなんだな」と評価UP。なんだかオカシな話ですよね。
居酒屋を予約するとキャンセルがきかないことが多いので、当日ドタキャンすると幹事さんにお金を払わなければならないことが多いです。その金額(飲み食いしていないにも関わらず、仕事で出席できなかったのにも関わらず、自動的に「上納」しなければならないお金)がそのままその組織への貢献度なのですよね。(このあたりのニュアンスは、わからなければ読み飛ばしていただいてかまいません)
それと、必ず遅刻する方、いますよねー 特に管理職の方。自分が「しんがり」で登場しないと許せないタイプ。会に間に合うよう時間調整するのではなく、会の開催時間になってやっと席を立つ、みたいな。
どうして、そういう人はそうなってしまったのでしょうね。そういう人は、自分の上職が主催の飲み会には必ず時間どおりに行くんですよね。
と、いいますか、そういうこの業界の風潮にはもう、半分嫌気がさしているというか(気を悪くしたらゴメンなさい)諦めてるのです。ヒマなヤツと思われるのであればまあそれでもよいでしょう。僕は一種の「リトマス試験紙」のような存在ですので、僕の行動に対して「あいつヒマそう」と考える人はちょっと。。
人と人とのつながり、約束ってのは、ないがしろにしないほうがいいと思います。僕はそういうふうに育てられたというのもあるのですが、21世紀はますます人のつながりって大事になるかもって思うのです。
人の行動は見られている、というのは知っていますか? と言いたいのです。僕は人の行動を、ものすごくよく観察しています。特に、「この人はどれぐらい誠実か?」という尺度で。
会合っていうのは人間観察のいい機会で。。「こいつ結構、仕切りうまいな」とか「けっこう気配りできるんだ」とか「こいつホント、人の話きかねーなー」とか、そういう人間像が、浮き彫りになってきます。そして、こういう場での評価がかなり、次の仕事に影響を及ぼします。(ホントです)
「こいつ、飲みにはほとんど遅れてくるな」とか「あいつ、だいたいいないな(出席表明してるのに」という潜在的な評価っていうのは、実はすでに致命的かもしれないのです。
もし、最近仕事がうまくまわってないなあ、と感じたら、ここ最近、他人にそういう(「誠実ではないかも?」という)評価をされるようなことをしていなかったか? 振り返ってみる必要がある。
僕がこうありたいと願うヒマ人というのは、定義は時間を「捻出」できる人ということです。
「忙しい現代人」(を装ってるだけかもしれませんが!)がヒマ人を差別wするのは、「世の中から必要とされていない人たち」というレッテルを貼りたがってるだけでして。。
でも、世の中から必要とされていて、ふつーに仕事もして、でもその仕事を効率化したりしてヒマな時間を捻出できている人、すなわち、「人生を謳歌できている人」はたくさんいます。
会社では管理職で家庭もあって家族サービスもして、みたいな。。このような「四面楚歌」と呼んでもいいぐらいな状況で、それぞれをそつなくこなしつつ、なおヒマを捻出できる、というのが、21世紀の妙齢サラリーマン(「アラフォー」といいたくない)でもっともクールなスタイルなのではないかと、頑なに信じています。
僕は結構、人との約束とか、お誘いいただいた会とか、そういうのをスケジュールの最優先に持ってこようとします(他の予定が入ってこようとしてもブロックする)が、僕みたいな人間のほうが最近珍しいらしい、と。
約束よりも仕事最優先がふつう。いや、それもすごくわかるんですけど。。
僕の中では、人との約束も包括的には「仕事」に含まれるんですけどね。
「飲み会に皆勤」ではほとんど宴会部長ですが、「出席」と表明した会に皆勤って、当たり前なのかと思ったら違うんですね。
出席と表明した会であってもたまに「トラブル対応で。。」とかなんとかで、何回かに一度は欠席したり、すごく遅れたりするのが、ふつうらしいです。
つまり、「出席」と表明した会に皆勤していると「ヒマ」だと思われるようなのです。あいつ仕事してんのか?と。
たまに「トラブル対応で。。」とかいって欠席したりしたほうが「ああ、あいつもいろいろタイヘンなんだな」と評価UP。なんだかオカシな話ですよね。
居酒屋を予約するとキャンセルがきかないことが多いので、当日ドタキャンすると幹事さんにお金を払わなければならないことが多いです。その金額(飲み食いしていないにも関わらず、仕事で出席できなかったのにも関わらず、自動的に「上納」しなければならないお金)がそのままその組織への貢献度なのですよね。(このあたりのニュアンスは、わからなければ読み飛ばしていただいてかまいません)
それと、必ず遅刻する方、いますよねー 特に管理職の方。自分が「しんがり」で登場しないと許せないタイプ。会に間に合うよう時間調整するのではなく、会の開催時間になってやっと席を立つ、みたいな。
どうして、そういう人はそうなってしまったのでしょうね。そういう人は、自分の上職が主催の飲み会には必ず時間どおりに行くんですよね。
と、いいますか、そういうこの業界の風潮にはもう、半分嫌気がさしているというか(気を悪くしたらゴメンなさい)諦めてるのです。ヒマなヤツと思われるのであればまあそれでもよいでしょう。僕は一種の「リトマス試験紙」のような存在ですので、僕の行動に対して「あいつヒマそう」と考える人はちょっと。。
人と人とのつながり、約束ってのは、ないがしろにしないほうがいいと思います。僕はそういうふうに育てられたというのもあるのですが、21世紀はますます人のつながりって大事になるかもって思うのです。
人の行動は見られている、というのは知っていますか? と言いたいのです。僕は人の行動を、ものすごくよく観察しています。特に、「この人はどれぐらい誠実か?」という尺度で。
会合っていうのは人間観察のいい機会で。。「こいつ結構、仕切りうまいな」とか「けっこう気配りできるんだ」とか「こいつホント、人の話きかねーなー」とか、そういう人間像が、浮き彫りになってきます。そして、こういう場での評価がかなり、次の仕事に影響を及ぼします。(ホントです)
「こいつ、飲みにはほとんど遅れてくるな」とか「あいつ、だいたいいないな(出席表明してるのに」という潜在的な評価っていうのは、実はすでに致命的かもしれないのです。
もし、最近仕事がうまくまわってないなあ、と感じたら、ここ最近、他人にそういう(「誠実ではないかも?」という)評価をされるようなことをしていなかったか? 振り返ってみる必要がある。
僕がこうありたいと願うヒマ人というのは、定義は時間を「捻出」できる人ということです。
「忙しい現代人」(を装ってるだけかもしれませんが!)がヒマ人を差別wするのは、「世の中から必要とされていない人たち」というレッテルを貼りたがってるだけでして。。
でも、世の中から必要とされていて、ふつーに仕事もして、でもその仕事を効率化したりしてヒマな時間を捻出できている人、すなわち、「人生を謳歌できている人」はたくさんいます。
会社では管理職で家庭もあって家族サービスもして、みたいな。。このような「四面楚歌」と呼んでもいいぐらいな状況で、それぞれをそつなくこなしつつ、なおヒマを捻出できる、というのが、21世紀の妙齢サラリーマン(「アラフォー」といいたくない)でもっともクールなスタイルなのではないかと、頑なに信じています。