橘玲
SNSなどで広がる炎上騒ぎの問題は、罪の重さが恣意的に決められていることです。当然のことながら法治国家では、罪を判定し刑を科すことができるのは司法だけです。もしその行為が違法でないのなら、どれほど不愉快であっても、表現・思想信条の自由として許容するのがリベラリズムでしょう。
ところがネット上の「道徳警察」は、自分たちで罪を認定し、本人が謝罪してもなお「謝り方が気に入らない」として番組からの降板を求める署名を集めています。これは「私刑(リンチ)」であり「公開羞恥刑」以外のなにものでもありません。
かつては多くの国に、公の場で恥をかかせる羞恥刑がありました。18世紀のアメリカでは不倫をした妻と間男は2人とも公開のむち打ち柱で打たれることになっていましたが、その後、「公衆の面前で屈辱を与える刑罰は死刑よりも残酷である」との批判が高まり、19世紀半ばまでにほぼ廃止されます。ところがその羞恥刑が、21世紀になって「私刑」として復活したのです。
道徳バッシングがなぜこれほどまでひとを夢中にさせるかというと、それがきわめて強い「快感」をもたらすからです。脳科学は、不道徳な行為を罰すると脳の快感回路が刺激されて神経伝達物質のドーパミンが分泌されることを明らかにしました。
SNSなどで広がる炎上騒ぎの問題は、罪の重さが恣意的に決められていることです。当然のことながら法治国家では、罪を判定し刑を科すことができるのは司法だけです。もしその行為が違法でないのなら、どれほど不愉快であっても、表現・思想信条の自由として許容するのがリベラリズムでしょう。
ところがネット上の「道徳警察」は、自分たちで罪を認定し、本人が謝罪してもなお「謝り方が気に入らない」として番組からの降板を求める署名を集めています。これは「私刑(リンチ)」であり「公開羞恥刑」以外のなにものでもありません。
かつては多くの国に、公の場で恥をかかせる羞恥刑がありました。18世紀のアメリカでは不倫をした妻と間男は2人とも公開のむち打ち柱で打たれることになっていましたが、その後、「公衆の面前で屈辱を与える刑罰は死刑よりも残酷である」との批判が高まり、19世紀半ばまでにほぼ廃止されます。ところがその羞恥刑が、21世紀になって「私刑」として復活したのです。
道徳バッシングがなぜこれほどまでひとを夢中にさせるかというと、それがきわめて強い「快感」をもたらすからです。脳科学は、不道徳な行為を罰すると脳の快感回路が刺激されて神経伝達物質のドーパミンが分泌されることを明らかにしました。