【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

「身体感覚」の欠如について

2013-07-13 18:58:23 | 再録
「身体感覚」の欠如について
「身体が動かないなあ」と感じることがたまにあり、そのたびに自省し、自分を矯正している感じがします。

「身体が動かない」というのは、仕事上のハナシで。。

たとえば、3日後の打合せ用の資料をつくらなければならないのに、何かしらの言い訳をつけてギリギリまで行動を起こさない、とか。
「前の日徹夜でやればいいっしょ」というエクスキューズがあると、身体が動かない。
こういうときは、えてして資料の品質が悪くなり、自分の思いが打合せで参加者に伝わらない。そうすると、結果的に、その後の仕事の回りかたが悪くなる。

 
 
プロジェクトのボトルネックを解消するために、ステイクホルダに電話して調整をしなければならないのはわかっているのに、結局何日も電話をしない、とか。。
電話が面倒だからといって、いきなりぶしつけなメールを夜中に送ってしまい、ますます関係性が悪化したりして。。

いろいろなことを「面倒だなあ」と思っている状況では、いろいろと周囲に対して無礼なことをしてしまいやすい。

 
まずは、電話をかけてみる。あるいは、資料の1ページ目を書き始める。
それだけでいいのだ。でもそれが、できない。。
誰もがそういう体験をお持ちだと思います。

 
こういうときは、「なんでそもそもオレがやらにゃあかんの」という考え方になってくる。
自分のことを棚にあげて他人、周りを批判するモードになってゆく。「あいつがちゃんと動いてくれれば。。」「●●はいつも受け身の姿勢だから、結局オレが責任をとらなきゃならん、不公平だ!」とかね。

  
自身が精神的肉体的にノっているときは、すんなりできるんだ。だから、仕事がすんなりまわってゆく。

ノっていないと、調整とか面倒くさくなってきて、後回し後回しにするから、仕事が停滞してゆく。プロジェクトの雲行きが怪しくなってくる。
自分がボトルネックなのに、自分がそれに気付かない。いや、自分がボトルネックであるということをかたくなに認めようとしない自分がいる。

そういうときは、誰か(リーダでも部下でもいいんだけど)にぽんっと「やれよ。」といってくれるのを待ってる感じだよね。
誰かがやれといってくれれば「しょーがねーなあ」モードでアクションを起こせるのになあ、と。。

ただの甘ったれだよね。自分からアクションを起こせない状態というのは、けっこうヤバい。

   
なので理想をいえば、仕事のスイッチをオンにしたら、常に「ノってる」状態に自分をキープしておかなければならない。
これは相当ムズカしいのだけれど、そうしておくのが結局は自分の身を守ることになる。自分がノっていないがために自分がボトルネックになり、プロジェクトが停滞したりすると信頼を失うからね。。
信頼を失ったら、致命的だ。
 
逆にいえば、ノってないときは現場にいないほうがいいぐらいだ。周辺に悪影響を及ぼす(マイナス)ぐらいなら、現場にいない(ゼロ)のほうがいいということ。
  
 
さて、本題だけど。。
常に「ノってる」状態に自分をキープするのはムズカしいけど、逆にノらない状態に自分をおとしめることはカンタンだ。
ということは、ノらない自分が存在するということは、無意識のうちにノらない状態に自分をおいやっているということだ。

それはなぜか?
仕事をしたくないと思ってるからなんだよね。。

 
「ノらない状態に自分をおとしめる」方法とは、ヴァーチャルリアリティに沈溺することである。
ヴァーチャルに沈溺してゆくと、どんどんダウナーになってゆく。

  
たとえば僕らは、相当長い時間、仕事でディスプレイを見つめているわけだけど、プライベートまでもその延長で、ディスプレイの向こうのヴァーチャルリアリティに沈溺してしまうクセがついてしまうと。。
まずは物理的に身体を動かさなくなる。

それだけでなく、たとえば眼精疲労を起こしたり、ネットに沈溺してるせいで睡眠不足になって朝遅刻しがちになったりとか。。
つまり、不健康になる。いろんなことが面倒になって、外食がちになる、というのもそうだよね。

 
たとえば昼休みにね、飯食ったあとネットのニュースサイトをみていると、そのまま「ネットサーフィン」状態に突入してしまい。。
切り替えがうまくいかずに、午後の仕事がうまく立ち上がらないことが多い。

だから、僕のmyルールでは、昼休みにニュースサイトはみないことにしてるんだけどね。。

いつまでもいつまでも「ネットサーフィン」していたくなる。つまり、仕事から逃避したくなってしまう。 

 
「身体」を動かすクセをつけておかないと、仕事でもいざというときにアクションを起こせない。
身体感覚と仕事のアクションとはカンゼンに連動している。

 
自分でボールを拾いにいかない(いけない)。
いつまでも受け身のままになってしまう。仕事を、口を空けて待ってるだけ。
待ってるだけのクセに、口に入ってこないと「誰もオレに仕事をフらない!」と逆ギレする。

仕事の、「最初の一歩」を踏み出すのが1テンポも2テンポも遅れるから、やがて仕事も後手後手に回る。
そうすると、やる気もなくすわねえ。。

 
 
特にこのギョーカイが、ヒドいといわれる。
つまり、仕事とプライベートの境目がないヤツが多い、と。。(思われている)

だからこのギョーカイばかりが、「コミュニケーション!」(がとれないヤツらばっか)と揶揄される。
はっきりいって、そういう風評にはハラが立つ。コミュニケーションがとれない、受け身なヤツらはどのギョーカイにもたっくさんいるのにな。。

 
じゃあ読書もだめじゃん、という意見もあると思う。プライベートで身体を動かさないのがダメなら、本を読んでるのもダメでしょ、と。。

それも一理あるけど、本にはヴァーチャルの世界ほど麻薬性がないんだよね、残念ながら。。

このギョーカイのヒトたちは逆に、ネットに沈溺する時間があったら、本に沈溺して戻ってこれないぐらい本に熱中するのもいいと思うんだけど。。

 
 
ところで。。
口を空けて待ってるヤツに限って、飲み会では幹事の店の選択センスを責める。
飲み会のときの周りの人間の動きを観察してみると面白い。飲み会にくっついてきてるくせに、たけーだの幹事がなってねーだの店が悪いだの、文句ばっかりいってるヤツはふだんの仕事もデキないでしょ?
管理職も若手も関係ない。

取引先と飲むときとかさ、誰がキーマンなのか? を判断するのに人間観察は大事だよね。

いや、「誰がキーマンなのか?」っていうよりも、誰と深くつきあわないほうがいいか? をみきわめるためかな。