http://blog.goo.ne.jp/strikegold/e/7806ac872e3a1006b5ac712577466231
http://blog.goo.ne.jp/strikegold/e/d7d34aa68de143cf7ec4010ef82691ce
http://blog.goo.ne.jp/strikegold/e/765ad65bf69c66c2a59e381119875b78
(何かを「わかろうとしているヒト」には参考になる話だと思う ふつうのヒトにはツッコミどころ満載じゃない? ま、別にいいけど)
オイラの場合、厄年を過ぎたあたりで人生2ndステージに上ったっていう自覚が出てきた。
なぜそう感じるのか、というと。
ひとつ例を引いて話をすると。
ゼニ(銭)のハナシね。
まず、ゼニってのは大事だよね。
大銭(札)も小銭もね。
でもそんなことはだいぶムカシからわかっていたことで。
わかっていたからといって大事にしていたかどうかは別だが。。
なんとなくここ数年わかってきた(つかんだ)のは、その、ゼニを大事にする「理由」のほうなんだよね。
そんなのあたりめーだろカネ持ちになりたいからだろ? キレイゴトいうんじゃねえよ、なんて意見もあろうが。。
そういう考えでいるうちは。。(ちっちっ)
カネ持ちになりたいからだろ? と言い出すのは1.5ndぐらいの話。最初は、凡人はキレイゴトいうんですよ。人生カネじゃない、とかね。そこにとどまっているうちはもう論外なわけで。
カネ持ちになりたいにきまってんだろ! と対外的に叫べるようになるだけで、けっこう進歩なんだけどね。
で、その次のステージはね、「下心をなくす」ということなんだ。
いや、もっと正確にいうとね、「下心をなくすようにしようと思い、そうなるべく実践する」のが2ndステージね。
だってさ、カネに対する下心なんて、オイラたち凡人はなくすことなんかできっこないんだから。
なくすことができないとわかっていても、やるんだよ。2ndステージでは。
さて、ヒトはなぜゼニを大事にしなければならないのか? と。
それは、もちろん、カネ持ちになって豊かな生活をするため、とか、ありきたりのことはいえるんだが。
つまりは、その「理由」すらも意識上から消し去る、ってことだ。それが「下心をなくす」ということ。
たとえば、赤ちゃんの笑顔をみるとどんなイソガシいときだって和むでしょ。こっちも笑顔になるでしょ。
それは本能的に共鳴してるからだよ。
赤ちゃんの笑顔をみるとこっちも笑顔になるのに、理由なんてあるか?
ゼニを大事にするのも、それと同じぐらい本能的な行為に落としこんでゆくんだ。
いや、できっこないんだよ。それはわかってるんだけど、それを目指すってこと。「できないとわかっていてそれを目指す」のが大事なんだ。(これが第一のポイント)
「できないとわかっていてそれを目指す」ことがムダではなく尊いことなのだとわかる、というのも2ndステージなのかもね。
ゼニをね、「ただただ、大事にする」んだよ。小銭も大銭も分け隔てなく、ね。
つまりね、カンタンにいえば、物体としてのコイン、札を大事にするってことだよ。物理的にね。
札束はね、折れ目が入っていたら直し、シワはのばして、丁重に家(長財布ね)に保管してあげる。
コインもそう。コインも、いつもポッケ(空気が通らない)に突っ込んどくんじゃなくて小銭入れに保管してあげる。小銭入れをポッケにいれっぱでは意味がない。
でもそのへんのノウハウは意味がない。とにかく、大事にしてあげるということだ。
そしてゼニには、感謝の言葉をかける。別に声に出さなくともいいけどね。
これを読んで。。「そんなんしてゼニがたまれば苦労しねえよ」と思ったヒト! あるいは「カネがたまるんだったらやってもいいけど。。」と思ったヒト!
ちっちっ、まったくわかってない。
ゼニを大事にしてあげればゼニがたまるっていうんだったら、あるいはその可能性がちょっとでも上がるっていうんだったら、やってもいいけど。
と考えるのは、至極まっとうなんだよ。間違ってない。
そして実際、やればいいのだ。ゼニを大事にして悪いことなんてまったくないんだから。
でもだんだんとね、その目的というか「下心」はどうでもいいや、と思うようになってほしいわけ。
どうでもいいや、と思うようになり、しばらくしたら、ドーンとおっきな仕事がくるかもよ。でも、こないかもしれないよ。
きてもこなくても、どうでもいいのよ。だってその頃はカネ持ちになるのが目的じゃなくなってんだから。
ふさわしい言葉はね、「愛でる」なんだよね。
路傍の植物を愛でるようにゼニを愛でる。
たとえばベランダで野菜を育てる、とかいうのであれば、水やりをしてても「下心」があるでしょ。おいしく実がなってほしい、とかさ。
観葉植物を育てるのも下心がある。(知ってた?)だってさ、「オレに癒しを与えてくれよ」と思ってるわけでしょ?
何度もいうけどそれはいいんだよ。でもね、路傍の雑草を愛でるヒトは、(たぶん)そこに下心はないよねえ。
そんな感じでね。ゼニの愛で方も、最初は前者でいいんだけど徐々に後者にね。
こういうのをバカにするヤツはいつまでも今のまんま。
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(何かを「わかろうとしているヒト」には参考になる話だと思う ふつうのヒトにはツッコミどころ満載じゃない? ま、別にいいけど)
オイラの場合、厄年を過ぎたあたりで人生2ndステージに上ったっていう自覚が出てきた。
なぜそう感じるのか、というと。
ひとつ例を引いて話をすると。
ゼニ(銭)のハナシね。
まず、ゼニってのは大事だよね。
大銭(札)も小銭もね。
でもそんなことはだいぶムカシからわかっていたことで。
わかっていたからといって大事にしていたかどうかは別だが。。
なんとなくここ数年わかってきた(つかんだ)のは、その、ゼニを大事にする「理由」のほうなんだよね。
そんなのあたりめーだろカネ持ちになりたいからだろ? キレイゴトいうんじゃねえよ、なんて意見もあろうが。。
そういう考えでいるうちは。。(ちっちっ)
カネ持ちになりたいからだろ? と言い出すのは1.5ndぐらいの話。最初は、凡人はキレイゴトいうんですよ。人生カネじゃない、とかね。そこにとどまっているうちはもう論外なわけで。
カネ持ちになりたいにきまってんだろ! と対外的に叫べるようになるだけで、けっこう進歩なんだけどね。
で、その次のステージはね、「下心をなくす」ということなんだ。
いや、もっと正確にいうとね、「下心をなくすようにしようと思い、そうなるべく実践する」のが2ndステージね。
だってさ、カネに対する下心なんて、オイラたち凡人はなくすことなんかできっこないんだから。
なくすことができないとわかっていても、やるんだよ。2ndステージでは。
さて、ヒトはなぜゼニを大事にしなければならないのか? と。
それは、もちろん、カネ持ちになって豊かな生活をするため、とか、ありきたりのことはいえるんだが。
つまりは、その「理由」すらも意識上から消し去る、ってことだ。それが「下心をなくす」ということ。
たとえば、赤ちゃんの笑顔をみるとどんなイソガシいときだって和むでしょ。こっちも笑顔になるでしょ。
それは本能的に共鳴してるからだよ。
赤ちゃんの笑顔をみるとこっちも笑顔になるのに、理由なんてあるか?
ゼニを大事にするのも、それと同じぐらい本能的な行為に落としこんでゆくんだ。
いや、できっこないんだよ。それはわかってるんだけど、それを目指すってこと。「できないとわかっていてそれを目指す」のが大事なんだ。(これが第一のポイント)
「できないとわかっていてそれを目指す」ことがムダではなく尊いことなのだとわかる、というのも2ndステージなのかもね。
ゼニをね、「ただただ、大事にする」んだよ。小銭も大銭も分け隔てなく、ね。
つまりね、カンタンにいえば、物体としてのコイン、札を大事にするってことだよ。物理的にね。
札束はね、折れ目が入っていたら直し、シワはのばして、丁重に家(長財布ね)に保管してあげる。
コインもそう。コインも、いつもポッケ(空気が通らない)に突っ込んどくんじゃなくて小銭入れに保管してあげる。小銭入れをポッケにいれっぱでは意味がない。
でもそのへんのノウハウは意味がない。とにかく、大事にしてあげるということだ。
そしてゼニには、感謝の言葉をかける。別に声に出さなくともいいけどね。
これを読んで。。「そんなんしてゼニがたまれば苦労しねえよ」と思ったヒト! あるいは「カネがたまるんだったらやってもいいけど。。」と思ったヒト!
ちっちっ、まったくわかってない。
ゼニを大事にしてあげればゼニがたまるっていうんだったら、あるいはその可能性がちょっとでも上がるっていうんだったら、やってもいいけど。
と考えるのは、至極まっとうなんだよ。間違ってない。
そして実際、やればいいのだ。ゼニを大事にして悪いことなんてまったくないんだから。
でもだんだんとね、その目的というか「下心」はどうでもいいや、と思うようになってほしいわけ。
どうでもいいや、と思うようになり、しばらくしたら、ドーンとおっきな仕事がくるかもよ。でも、こないかもしれないよ。
きてもこなくても、どうでもいいのよ。だってその頃はカネ持ちになるのが目的じゃなくなってんだから。
ふさわしい言葉はね、「愛でる」なんだよね。
路傍の植物を愛でるようにゼニを愛でる。
たとえばベランダで野菜を育てる、とかいうのであれば、水やりをしてても「下心」があるでしょ。おいしく実がなってほしい、とかさ。
観葉植物を育てるのも下心がある。(知ってた?)だってさ、「オレに癒しを与えてくれよ」と思ってるわけでしょ?
何度もいうけどそれはいいんだよ。でもね、路傍の雑草を愛でるヒトは、(たぶん)そこに下心はないよねえ。
そんな感じでね。ゼニの愛で方も、最初は前者でいいんだけど徐々に後者にね。
こういうのをバカにするヤツはいつまでも今のまんま。