逆説の日本史を書いた井沢元彦さんが、今度は逆説の世界史を書いてくれるという。
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西洋美術史を学ぶ私にとってはとても有難い本である。
歴史の専門家は、常にどこかの時代を絞り込んで、その時代の専門家になってしまう。
だから、その部分については詳しいが、他の時代との比較や関連についての記述がされない。
と井沢さんが言う。だから、自分が書くと言っている。
有難いなあと思う。
今回の本は、シリーズの第1巻ということで、エジプトと中国について書いてある。
私は西洋美術史を学んでいるので、中国についてはどうでも良いつもりでいたが、
この本を読んでみて、中国も勉強してみたくなった。
儒教、朱子学はすばらしいものと思い込んでいたが、素晴らしいには違いないが、それを貫くとどういう結果が生じるかについて書いてある。
ちょっと驚いたのは、親孝行の教えであり、それを最高の美徳と見る価値観は、意外なことがあることである。
あるとき、弟子が孟子に尋ねた。「先生、親が犯罪を犯した場合は、どうすれば良いでしょうか」と。孟子は答えた。「親を連れて逃げなさい」と。
ええーーと思う。公よりも孝を大切にする思想ではそうなる。
世の中の法律より、親孝行を重視するのだから、結論はそうなるらしい。
本当に、孟子はそう答えたのだろうか?
その考え方に基づいた儒教が重視されている国がどのようになったのかは、興味がある。
以前、何かの本で(これも井沢さんの本だったかどうか)、始皇帝は儒学者を大量に殺したと聞いた。
そのときの理由は、永遠の命が得られる薬があると儒学者が言い、それを探させたが、見つからなかったので、儒学者に責任を取らせたというものであったが、そのために、その後始皇帝は中国では悪人として扱われた。しかし、後に始皇帝の評価が変わったりしているらしい。
とにかく、国を治める覇者が、儒教をどのように扱うかで、そのように評価が変わるという話である。
このようなテーマは、普通の世界史では出てこないのだろう。俯瞰して見渡さないと比べられない内容である。
この話は、江戸幕府が朱子学を重んじたということにも関わってくる。
ただ、日本の場合は、日本流に変えて使ったとある。それは、江戸時代の初期に、明が都合よく滅んだので、どのように変えて使っても文句を言われずに済んだという背景があるらしい。
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西洋美術史を学ぶ私にとってはとても有難い本である。
歴史の専門家は、常にどこかの時代を絞り込んで、その時代の専門家になってしまう。
だから、その部分については詳しいが、他の時代との比較や関連についての記述がされない。
と井沢さんが言う。だから、自分が書くと言っている。
有難いなあと思う。
今回の本は、シリーズの第1巻ということで、エジプトと中国について書いてある。
私は西洋美術史を学んでいるので、中国についてはどうでも良いつもりでいたが、
この本を読んでみて、中国も勉強してみたくなった。
儒教、朱子学はすばらしいものと思い込んでいたが、素晴らしいには違いないが、それを貫くとどういう結果が生じるかについて書いてある。
ちょっと驚いたのは、親孝行の教えであり、それを最高の美徳と見る価値観は、意外なことがあることである。
あるとき、弟子が孟子に尋ねた。「先生、親が犯罪を犯した場合は、どうすれば良いでしょうか」と。孟子は答えた。「親を連れて逃げなさい」と。
ええーーと思う。公よりも孝を大切にする思想ではそうなる。
世の中の法律より、親孝行を重視するのだから、結論はそうなるらしい。
本当に、孟子はそう答えたのだろうか?
その考え方に基づいた儒教が重視されている国がどのようになったのかは、興味がある。
以前、何かの本で(これも井沢さんの本だったかどうか)、始皇帝は儒学者を大量に殺したと聞いた。
そのときの理由は、永遠の命が得られる薬があると儒学者が言い、それを探させたが、見つからなかったので、儒学者に責任を取らせたというものであったが、そのために、その後始皇帝は中国では悪人として扱われた。しかし、後に始皇帝の評価が変わったりしているらしい。
とにかく、国を治める覇者が、儒教をどのように扱うかで、そのように評価が変わるという話である。
このようなテーマは、普通の世界史では出てこないのだろう。俯瞰して見渡さないと比べられない内容である。
この話は、江戸幕府が朱子学を重んじたということにも関わってくる。
ただ、日本の場合は、日本流に変えて使ったとある。それは、江戸時代の初期に、明が都合よく滅んだので、どのように変えて使っても文句を言われずに済んだという背景があるらしい。
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