運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

「あわのうた」のこと その1

2012年12月12日 11時25分07秒 | Weblog
 もう、何年前のことになるのだろう。
たぶん、15年はたっている。

チバラギと呼んでいた北総のニュータウンで
仕事と家事と両方で明け暮れていた。

銀行での待ち時間に手にした雑誌(文芸春秋だったかなあ?)の
グラビアがパラリとめくれて
モノクロで両ページいっぱいに旧そうな神社の全景が現れた
「こんなところがあるのねー、なんだかすごい」
と、目を凝らすと
「熊野本宮大社」と書かれていた。
熊野・・・どこだっけ、それは。
確か、那智の滝とかがあるところで
以前、大阪の祖母が、『あんなとこまではよういかんわ、遠い遠い山の奥やで、
京都や奈良とはわけがちがうわ』、と言っていたっけ。
そんなことを思いながら、遠い世界を垣間見た、と思った。

それから幾日もしないうちに
書店で、立ち読みをしていたら
背中合わせで読んでいた人が立ち去ったと同時に
バサッと後ろの棚から本が落ちる音がした。
振り向いたら、このあいだ、銀行で見たばかりのあの神社の写真と同じような
カラーの、神社の写真のぺージが開かれた状態で本が落ちていた。
拾い上げながら、文字を読むと、
また熊野本宮大社社殿、と書かれていた。
私にははじめての遠い地の神社の写真を二回も見るなんて
いまここが何か行事でもしていて注目されているのかな。。くらいに
そのときもそんなに気にはとめなかった。

けれど、それだけでは終わらなかった。
旧街道沿いに、一軒だけある古本屋でも
「見て!!」といわんばかりに背表紙が飛び出ていた本を
何だろう?と取り出したら「熊野本宮大社なんとか年記」とかだったり
毎月送られるDMが「春の紀伊半島」なんて特集で
またもや、あの写真が載っていたり
いまでこそ、こんな話をすると
「呼ばれたのねー」なんて、みなさんおっしゃるけれど
当時は、そういう世界とは縁のないところにいたし
そんな発想を私もしてはいなかったが
あんまり続くので
なんだか行って見たい気にもなるたびに祖母の言葉を思い出し
そんな地の果てみたいなとこ
休みもないのに行けっこないわ
と打ち消した。

(伊勢だの出雲だの岩木山神社だの。。とあたりまえのように巡っている最近のことを思うと、信じられないような当時だ。書いていてこの十数年の変化にあらためてビックリしてしまう。)

とうとう、すっかり春めいたある日
新橋に出かけた折に
めったに都内まで出ることはないので
みどりの窓口の前を通りがかったときふと
『行けるわけではないけれど
どうやったら行くのか調べるだけでも調べておこう』と
(当時はインターネットなんて使っていなかったのです。)
中に入り、いくつもある時刻表と用紙が置かれた台のひとつの前に行ったら
目の前の時刻表がすでに開かれて置かれていて
ページの見出しは和歌山・熊野、となっていて
分厚いそれは、名古屋からの近鉄ワイドビュー特急の時刻割りだったのを見て
観念して、
「行こう!!」と決めた。

いまの私のフットワークの軽さからしたら
あたりまえの強行軍だけれど
あのときは一大事。
ほんとうに、用意周到、覚悟も総動員して、ガイドブックを買い
自分でなんてやったことのない、旅の計画を練った。

なにが私を突き動かしていたのだろうかわからない。
一泊でどうやって帰ってくるか。
夜、東京からどこかまで辿りついておいて
翌朝、本宮まででかけなおさないとならない。
そして、女一人で一泊での宿をとるのがまた大変だった。
「女性のかたおひとりでは何かあっても困るのでお断りしています」
と何軒にも言われ、
とうとう、お仕事ですか?とか聞かれ、
「そうなんです」と答えてしまい、どぎまぎした。
毎朝、おかみさんがおまんじゅうを焼くという、川沿いの旅館で
ようやく予約ができた。

予定どおり名古屋からワイドビューで新宮に出て
最終バスでその旅館の前まで行き着けた。
ホッと安心して、翌朝の本宮行きのバスの時刻とバス停を確かめて
布団に入り、ガイドブックを復習して眠った。

いよいよ!!
あの本宮へ行くんだわ!
目が覚めて、そう思いながら
ゆうべはよく気がつかなかった
この旅館の部屋の隅々までの心配りや
旧いけれどよく磨かれた障子の桟や床の間の花を
布団の中でうつぶせになったまま
頭をもたげて眺めて、部屋に入る気持のよい陽射しに
わくわくしていたら
館内放送なのか、部屋の上のほうで
なにやら聞こえている
聞き取れないので
「あら、朝食の始まりが遅れるとかだとバスの時間だいじょうぶかしら?」と
耳をそばだてても、まだ、何を言っているかわからない
と、突然、
(誓って私は部屋に独りでした)
やわらかな男性の声、(ジェットストリームの城さんを少し低くしたみたいな)が
右耳のところで響いた。
「ホツマツタエ・・」
え?
「ホツマツタエ」
な、なに、なんで??
なんて言ってるの?
気味がわるいとか、こわいとか思っている暇もなかった
そういう感覚はなく、妙に覚醒して
布団に置いてあったガイドブックに
はさまっていたボールペンでとっさに書き込んだ
「ほ、ほ?ほつまつ たえ??」
声はもうしなかった。
部屋は、明るく日が射し込んでいて静かだった。
不思議な夢は、これまでに何度か見たことはあったけれど
起きていて、こんな声をきいたのははじめてだった。

   あー、長い、、、つづく。









ダンスの終盤

2012年11月26日 00時20分29秒 | Weblog
ここ数年だんだん増えてきていたけれど
このところ、いたるところで、いろんな人に
ますますスピードアップして
心身や環境の変化や浄化が訪れている。

そして、その変化は、
形やみかけは様々でも
実は元に回帰していくプロセスで生じているみたいだ。
本来のその人の性質や出身や傾向に戻らされていっているというか。。。

この感じ
なんだろう
なにかだなあと思っていた最近
舞いの早朝稽古の途中で
あ!!って思い出した。
これだわ、この感じ。
様々な振りを重ねて
回りながら、進みながら
それぞれが舞いをしていても
曲の終わりが近づいたら
だんだんに
どの位置からであっても
何をしていても
とにかく、最初にいた自分の立ち位置に戻って終わる。

子どもの頃、学校で習ったフォークダンス
組み体操
行進の練習
そういえば、みーんなそうだった。
どこに散っていても
ピーって笛の合図で元いた位置に駆け戻ったっけ。

もしかしたら
この、次元の、いままでの世界のダンスの終わりも
そろそろ近づいているので
こんな現象が起きているのかもしれない。

・・・なんて思っていたら
昨日はロンドンから帰国中の親友のコンサートの開始直前に
グラグラっとホールが揺れて騒然となった。

2012年から2013年
次の曲に進めるのかどうか
ちゃんと真面目に踊ってきたか、精一杯力を出してきたか
日々手を抜かずに過ごしながらゆだねていようと思う。

ネアンデルタールとホモサピエンス

2012年11月10日 10時52分11秒 | Weblog
ヒストリーチャンネルがたまたまついていた。
36万年前からのヒトの祖先(といっている)からの変遷。

「ネアンデルタール人とわれわれホモサピエンスは
脳の大きさも身体も全く同じで
いま、街を彼らが歩いていたとしてもわからないだろう」、、そうなんだ。

ではなぜネアンでルタール人は途絶えて
ホモサピエンスが今日のように残って繁栄しているか
そのちがいは。。。。脳の裏側の骨のわずかなへこみがあるかないかだけ!なんだそうです。

そしてそのへこみがあると何が違うかというと
そのおかげで、発声がしやすい。
ネアンデルタール人も声を発してはいたはすだけれど
ホモサピエンスのほうがより多種の音を発音できたと。
ことに、ア、とかオ。とかの母音が、なんだそうです!
われわれホモサピエンスは
ネアンデルタールよりずっとしっかりと
つまり、言葉が発せられることによって
生き残り、進化してきた。

ああーーーすごい。
こんなシーンを偶然観るなんてねー。

日頃から思ってきた日本語の凄さ
母音が特徴の日本語。
母音が決め手、の特別な言葉。

咽の筋肉から上がってきた音を
その骨のへこみからできた空間に反響させて言葉が生まれる。

さあ、うたってみよう

アーカーハーナーマー
イーキーヒーにーミーウークー
フーヌームーエーケー :::::

宇宙からいただいた私たちへのギフト
ことば、音霊
             
なかでも
天と地をつなぎ
心身調整のパワーをもつという48音

「アワのうたの魔法」講座
はじめます。
カードを使って
楽しみながら覚えながら

第一回は11月25日と11月30日
お問い合わせは
info@asuwaweb.com
までどうぞ。


透明人間

2012年10月27日 12時58分09秒 | Weblog
サーッ、シュルシュルシュル・・・・

絶対寝坊のゆるされない
朝一番の新幹線のことを思うと
緊張してか 寝付かれず
なんだか浅い眠りのまま、明け方を感じながら
ああ、もうすぐ目覚ましが鳴る頃だわと覚悟していたら

なじみのある音が聴こえて
あら?と思っていると
やはり、シュルシュルに続いて
イントロが始まり、
たまたま入れてあった舞いの練習曲の『ここから』が流れ出した。
エ・・・・??どうして?
誰も触れてもいないのに?
いっぺんに目が覚めてしまった。
まさか、遠方にいらしている、先生に何事かがあったわけでは。。。
などと胸に様々な思いが去来したけれど
とにかく、おかげで寝過ごさずに余裕を持って起きることができた
もちろん、遠方からの何かの知らせ・でも全くなかった。
なので、何かの偶然で、スイッチが入ってしまったのだろうと思って
そのまま忘れてしまっていた

そして、
先日、4日間連続の皇居の勤労ご奉仕を希望して
皇居での集合に遅れてはならじーと
またまた緊張してまどろみを繰り返した初日

おそらくまだ暗い5時ほんの少し前
サーっという気配にドキッとして、
まさか??と思うと
またもやそのままシュルシュルルル・・とCDが回り始めて
今度は友人のシタールの演奏のイントロが始まった。。
い、いったい??なぜー??
このラジカセにはタイマー機能なんかついていないはずと
表も裏も上も下も左右も全部みたけれど
確かにそんなものはないし、
第一、あったとしても、誰もセットなんてしていない

狐につままれたような気持で
でも、これまたおかげでしゃっきり目が覚めて
初めての桔梗門にもちゃんと余裕でたどり着けた。
で、翌日も。。。
もうあたりまえのようにシタールの曲がかかりだしたので
ゆっくり原因を調べている暇はないけど
きっと何か知らないところで勝手にまちがえて
アラームがセットされてしまってるんだわと
起してくれてありがとう、ラッキー!とご奉仕を無事終えた。

けれど
先日気がついた。
あれから気にとめていなかったけれど
(そういうところが鈍い私)
そういえば、あれっきり、いつのまにか
何もしていないけれど朝のシュルシュルは鳴っていない。
ご奉仕の最終日は軽々と起きれて、CDのことも忘れていた
わああああ、それってどういうこなんでしょう。。

つまり、あのときは
独り暮らしの私が大事な日に
なんだか、また二度寝してしまいそうにあぶなっかしかったら
目に見えない誰かが、CDのスイッチを入れてくれたということ・・・ですか?

思わず、部屋中を見回してみる。
枕元の、大好きなライムグリーンのポトスさんたち、
赤い服のわらびーちゃんの人形
大切な掛け軸や大好きな天使の絵
豚さんの貯金箱
・・・・あ、あなたたち、のどなたかですか?
それとも???

誰かがいつも見ていてくれる
そっと、助けてくれている
なんだか、涙が出てしまう。
ありがとう、お部屋さん、誰かさん

光が木立の中を降りて
白い煙のようになって笹の林にたゆたっていた
あのとききよめさせていただいた
赤坂御用邸のお庭では
ちょうど秋の園遊会が行われて
両陛下が、慈しみにあふれたお姿で
みなさんにお言葉をかけられている

ありがたいなあって、
素晴らしかった4日間を思い出している。。。

ゴーイング・マイ・ホーム

2012年10月25日 00時42分36秒 | Weblog
いわゆるテレビドラマを観なくなってから久しい。
テレビをそもそもつけないからなんだけれど

ところが
実家に帰ると、あたりまえのようにそのテレビが陣取っていて
否応なしに耳につくコマーシャルや笑い声
暗い事件のニュースの声に、いつもちょっと閉口してしまう

それが。。。久し振りに帰った昨日、偶然ついていたドラマらしい画面
あんまりきれいな緑と光の捉え方なので
「あら、めずらしい。。」
と見入っていると、なかなかニクイカメラワークが
ずっと展開している
「へえええ」とさらに観ていると
随所が月並みじゃなくてきめ細かく考えられている。
小学校の昼休み。
人気料理研究家の母の作ってくれたお弁当箱を開けながら
三年生くらいの女の子が
『いらっしゃい』とぺこり。
?『いただきます』じゃなくて??って思っていると
前に同級生が二人立って
 『私、伊達巻』
 『50円です』
と、自分のお弁当のおかずを売って小銭を受け取っているシーン。

場の繋ぎ方だって細やかに工夫。
たとえば 妻とそのアシスタントの会話
  『根拠のないものって好きじゃないのよね』
  『カミサマとか・・?』
  『そう。』
  『天使とか・・・?』
  『そう。』
サッと、夫と娘が行っている長野の田舎駅前の町並みにシーンが変わる。
そこには、さりげなく、ダサいブルーの看板『エンジェル』という看板のスナックが映っている。
・・・という具合に。

こんなドラマがあったのねーとビックリして
いったい、誰が脚本かしらーと
エンドロールを待ちかねて見たら
あらま、
監督・脚本とも
是枝裕和。。。さもありなん。。。でした。

存在するかどうかわからない
野山の小人クーナさがしを盛り込み
素敵に不思議にほんのりと進行していきそう。
ひさびさに堪能できるドラマが。。
『ゴーイング・マイ・ホーム』


偶然ランキング

2012年10月19日 02時11分09秒 | Weblog
偶然が、もはやあたりまえになってしまっているこの頃
ふと思い出した人がやってきたり、電話をかけてくるなどというくらいは
もう毎日、日に何度ものことだから

ホノルルのお手洗いで、隣で顔を洗っている人が振り向いたら友人だっとしても
北海道の初めての町で九州の友人とバッタリ会っても
昼間、ふと思い出した大学時代の友人が駅のコンコースで歩いてきても
東京駅の新幹線の切符売り場で隣をみたら仙台の友人だったとしても
買いに行く時間がないなあと思っているものを
やってきた人がこれあげるとお土産に下さっても
あらあー、とは言うけれど
特に不思議とは感じなくて、あら、まただわーと喜んでいるだけ。

そのくらい、偶然はめずらしくなくなり、地球は狭くなり、
時間も空間も自由に加速して交差している。

それでもいまだに
「あれだけは越えられない」というとっておきの偶然があって
思い出すたびに
人生って絶対誰かが操っている??と戦慄してしまう。


『あなたが選ぶのだったら応援するよ!』
十年前に、新しい家庭を持つとき、
目に見えている大変さなどを案じて最初は反対していた友人たち。
その声に感謝はしながらも
「だいじょうぶ。私たちはきっと特別、
いままでで初めて本当に安心できるって言ってくれている、
信じあい、愛し合っていて
社会のためになりたいって、共通の目的も持っている二人だから
二度め同士の学びをを生かして今度は二人とも大丈夫。
私たちは魂の家族だって言ってくれている」と
そう言って振り切って飛び込んだ私の思いの強さに
そして、同じようにそう言って私の母をも説得した彼の姿に
最後は「そんなに好きなら」って誰もが祝福してくれた。。。けれど、

ただ一人、最後まで猛反対し
「これからあなたと会うと、彼にも会ったり感じたりすることになるから
悪いけれど、あなたとも距離を置く」と
なんと、中学時代からの親友からはそう宣言して、本当にパッタリ連絡が途絶えた。
いくらなんでもそこまで??と彼はいったい、どんなに、だというの?と。
でも、ああは言っても最後は応援してくれると信じて
「心配してもらったけれど、だいじょうぶ、私たちは
子どもとも仲良く三人、本当に幸せにやっているよ」
「先日は旅行に行ってきましたよ」
など、年賀状を送ろうが、報告のメールをしようが、いっさい返事もなく
ああ、私は本当に絶交されてしまったんだ
でも、そんなことってあるかしらと、幸せを祈るのが友達なんでは?
なんてさびしく思いながら、いつしかその親友とはそのままになってしまった。


結局は数年後、信じてもやっぱり翻ってしまった現実があり
それでも、一回は、なかったこととして受け止めて
彼も毎日のように
「ごめんね、ごめんね、ひどいことをしたね」と言い、
涙を浮かべたり、やさしく、伊勢神宮をはじめ、
いろんな提案をして喜ばせてくれたり、
猛省してくれたけれど
やがて再び潜伏していた大きなウソがあふれて諍いになり
その勢いのまま、無茶な離婚を求めてこられたときには
私は返事を延ばしたままで
どんなに裏切ろうとひどかろうと見ない気づかないで慈母観音であること
そうでないならば、あることないこと理由にしてても
切り捨てようとされてしまうのだという状況
でも、では、それができたらできたで、大小のウソが
繰り返されてしまうだけという
苦しみを伴う選択であることを感じ
数ヶ月悩んだのち それでも
クリスマスが近い頃
おとうさん、私たちはだいじな家族、
この大事な時期を、家族は一緒に越えていかなくちゃ
お互いにゆるしたり、一生かけて学んだりしていくのだから
今すぐ結論出さずに、時間をかけてゆっくり考えましょうよ、と
思いきって、愛を送りながら提案をして

ああ、あの提案について、彼はなんと返事をしてくるのだとう
想いは通じてくれるだろうか、と考えながら
井の頭線の中で、ふと、何かヒントのメッセージはないかと
車内吊とかの文字を求めて顔をあげると・・・

車内を見るより先に
私の前に立っている人が読んでいた本のタイトルが目に飛び込んだ。
黒い太字でクッキリと。

『こりゃ だめだ!』
!!!!!???えーーー!

そ、そんな、これが、ヒント?
こんなへんなタイトルの本なんて知らない、見たことない、いったい・・・と
よく見ると、それはいかりや長介の本。
呆然としている私を、本の持ち主が見ているのを感じて
失礼しました、と我に返り、下を向いても
その人はわざわざ、私の前に顔をさげて来るし、困った。。。
と、マスクをしたその女性が、
自分のマスクの上から顔を指差して見せて、私に何か目で言っている、
なんとーー、まさかーーー
大きなマスクの下には
7年間絶交されたままの、あの親友の顔が、あった。

彼女も私も気づくことなく
そのときの家も近くないのに
あのタイミングで、
同じ電車の同じ車両の同じ席の前にひとりはすわりひとりは立っていた。。なんて。
この確率はいまだに越えられない。
「うそ!私はいま、かくかくしかじかで、ときおり、あなたにこんな状況をもし
 知らせることができたとしても ザマーミロって思うかしらって思ってたの」
と言ったら
彼女は笑いながら
『ザマーミロ』と言いながらも、いまの名刺を私に渡して次の駅で降りていった。

いかりや長介ことチョーさんのご託宣は
結果として、その直後サントリーホールに
女性と二人連れで来ていた彼と、私たちの共通の友人たちが鉢合わせて
仕事の編プロの人と行っただけだよ、何がわるいんだと言ったのを忘れて
目撃した人たちの
「悪いことはできないものねー」の言葉に
「みんな、僕は障害のある方をお連れしただけなのに、何を勘違いしているんだ」と。
・・・編プロにつとめながら、偉い方なのね、腕とかではないのね障害って、、、
「・・・な、内臓だよ」
・・・さすがチョーさんだった。
見事に当たって、クリスマスに贈った提案は空振りにおわった。

『まさか、こーんな汚れた池に本気で飛び込んで、もぐっちゃうんじゃなうわよね?』って
見ていると、本当に飛び込んじゃうんだもんね』
そ、そんな、比喩って。。。どうして言ってくれなかったの?
『言ったでしょー、さんざん、聴く気がなかっただけよー。
それでもって、「あー、苦しかったって、ぷはー」ってようやく顔を出して来たのかと思ったら
「でも、もう一度潜ればまだ、何かあるかもしれない」って言って
また、潜って行きそうになるところ、相変わらずっていうか、全然変わっていないね』

後日詳細を聞いて、温かい視線で呆れながら言う彼女。
まるで映画、いえ、それ以上かのような出来すぎタイミングのの再会だった。
以来、何かと助けてくれている。。友とは本当にありがたい、宝物だ。

いまだに、これを越える偶然はまだないかもしれない。

人生って不思議なドラマです。

明治神宮のこと

2012年09月27日 00時36分07秒 | Weblog
明治神宮が好きだ。

神宮の杜の上にひろがる空、
こんもりした樹木たちに
ゆっくり参拝したり散歩できるときも
鳥居の前であいさつしかできないときも
それだけでホッとして救われる

東京はここと皇居で護られている
いつもありがとうって、毎回想う。

明治天皇の御製と昭憲皇太后の御歌
毎月、その月の、一首ずつが示されるのを
いつも心待ちにしている

その空からの光りと気が続いているから
原宿から表参道に伸びる一本道も好き

ティーンエイジの頃からずーっと
人生にいろんなことがあっても
歩いてきたこの道、街が好きだ。

そして、いつものように
感謝の思いで深々と頭を下げて礼をして
鳥居をくぐった向こうの世界
たくさんの木々がいてくれる

誰も訪れることもなく
貸切のようだった
菖蒲園の先の「真名井」こと
清正の井は
いつのまにか行列ができるようになり
小さな渦がいくつも沸いてきて
星空のようだった頃とは水面も変わってしまっても、

鳥居の横の杜のカフェに
冬が来て、春が来て、夏が来て、
ソフトクリームの種類がいくつもに増えていっても

この杜の木々は変わらない
大好きな大楠たちも変わらない

正拝殿の前では
いつも風がスーッと応えてくださる

大御心をいただき
楠たちにご挨拶をして

ああ、きょうもまた
ありがとうございましたと
鳥居に向かって頭を下げ
再び通りに向かうと

これもまた大好きな欅並木を見下ろせる好位置に
なんと、いつのまにか
落ち着いたマックカフェが。。。
いろんな思い出のある
QUESTの隣の隣に
窓辺に落ち着いたテーブル席で
たった100円のプレミアムコーヒーでも原稿を広げられる
ありがたく洒落たスペース
Mac嫌い返上で
様変わりの早いこの通り沿いで
どうか、長く続いてくれますようにと
願いながら
欅越しにこの街をしみじみと眺める

この美しい秋の空
この美しい世界をありがとう、とつぶやいてしまう。
サンキュー、GOD
雲達が展覧会のようにいろんな姿を見せる下で
みんなが幸せでありますように。






ブルー・ムーン

2012年09月02日 18時32分24秒 | Weblog
一ヶ月のあいだに
満月が二回あるとき
その二回目をブルー・ムーンと呼ぶのだそう。

一昨日の、その「ブルー・ムーン」は
見事な宇宙ショーのように
美しいピンクとブルーの
日輪ならぬ月輪に取り巻かれ
ただ、ただ、みとれ、ため息をついて
その美しすぎる姿の前に
願いだの祈りだのなんて
そんな些細なことはもう必要ないと感じさせてくれた。

やがて、月輪はほどけていって
渦のように、少しずつ、雲の中に紛れていき
現れなおした煌々たる月は
ブルーではなく、1000ワットの電球のような明るい
第二の太陽のようで

ああ、もう、陰も陽もなく一緒になるんだ
ひとつになる世界が近いんだと嬉しくなった。

そして、早朝
それほどの満月ショーの後なのに
信じられない激しい雨の音で目が覚めた
不思議な胸騒ぎ。。。
せめぎあいのような。。。
きっと、この雨で、エネルギーを今変えてくれているんだな、みたいな。

雨の上がったあとの
清清しい、明るい光りと澄んだ空気に

やっぱり、あの月の女神様が
世界を洗っていってくれたんだなって。。。

深い深い、愛情と恩寵が
降り注いでいるような素晴らしい九月がスタートした。


天使名のこと

2012年08月26日 16時40分37秒 | Weblog
 もうずーっと、すみこ、つまり SUMIKO の最初の三文字
 SUM をサムと読んで
 スナオなサム(sunaonasum)をアドレスに使ってきていたが
 そこからさらに文字って、
 サムエル sumuel って、
 ガブリエルやミカエルみたいにエルをつけて
 天氏名もどきにしてミクシーネームにしたり
 自己紹介に使っている

 先日
 カンクンからユカタン半島、メキシコと
 念願の、マヤを巡ったあと
 ロスアンジェルスからアメリカに入り
 サンフランシスコでも一泊した。

 もう、都市には興味はないし
 アメリカも好きじゃないし
 講演会さえなければ寄りたくないと思っていた

 けれど
 サンフランシスコの旧いホテルで
 昔はシティ・センターだったという建物の
 メモリアルホールに飾られた数々の写真を見て
 忘れていたことがたくさん甦ってきた。

 あ!!ここは、母の生まれた町だった。
 
 そう、祖父が満鉄に移る前にいた銀行
 サンフランシスコ支店
 そこに、母の兄である長男を連れて氷川丸で渡米してきた祖母
 サンフランシスコ大学で学長をした後
 上院議員になって逝った祖父の甥のイチエイさん、ことS.Iハヤカワ。。。

 なんだ、ここは、私のルーツにかかわる街だったんだ。

 祖父母の姓をこのたび継いだり
 せっせと山梨のお墓の掃除にいったりしていて
 ご先祖さまたちが招いてくれたのかなと感慨に浸り
 
 せっかくだから、サンフランシスコ大学に寄ってみようかと思ったら
 いくつも大学が分かれていて、どこに行きたいのかと聞かれたので
 S.I.HAYAKAWA をちゃんと話すために調べたら

 ・・・・あら。。。びっくり
 S・IのSは、サミュエル、sumuelだった。。。。

 知らないで、使っていたとはいえ
 なんだか、きゅうに、この人が身近になった。
 しかも、言語学。。。
 私が、ホツマツタエというものと出会って
 ヲシテなどという神代文字や
 五七五の大切さをいま復活させたいと取り組んでいることは
 無関係ではないというか
 そういうことが好きな性質の家系だったのかもしれないと
 もろもろナットクしたのでした。

 ありがとう おじいちゃん、
 秋のすずやかな日みたいな
 気持のいい風がいつも吹いていて、
 いい街だねって
 そう、サンフランシスコの空に向かって言ってみた。

 Try to remember・・・・
 

ニーチェの自由

2012年08月26日 15時50分08秒 | Weblog
アストラッド・ジルベルトのボサノバ
シンガーズアンリミッテドのアカペラ

・・・高校時代に部屋でいつもかけていた音楽を聴いていると
いつも、とても落ち着く・・・
そういう自分を逃避なのかな、なんて少し後ろめたく思いながら
ひたすら、いまはそこに浸りたい気分。


思い返すと
あの頃の私はとても満足していて
自分をちゃんと好きだったって気がついた。

手の届かない宇宙の謎や真理へのもどかしい思い
天才ピアニストだった親友のような表現手段をもたないのに
美しいものだけは苦しいほど胸に迫って
もてあましていた逡巡はあったけれど
たぶん、私の胸の裡は平和だったと思う。

決して恵まれた家庭環境ではなかったのだけれど
ぐれるとか、には、興味もなく
読みたい本ばかりで忙しかったし
男子とつきあうとかに興味もなく、
ユングだの、宇宙だの、遺跡だの、そんなことばかりに関心があって、
素敵だなと思う男性がいても,
それはあくまで憧れの存在で、
ジェームズ・テーラーやピーター・フォンダに似た上級生だったりして、
言葉すら交わしたこともなく、遠くからその存在を眺めていただけだった。

あれからずいぶんと時が経って
絶対一生結婚しないといわれていたのに
友人の誰よりも早く
はじめてちゃんと付き合った男性と結婚をして
オトコノコ二人も生み育てあげて
ようやくこれから自分の人生。。。と思ったところで
またオトコノコを抱えた男性とサイコンして
活発に動き回る幼児を追いかけながら
三度目の子育てをして6年
今度こそ一生を共に過ごすつもりで共に築いたものも
みんななくなって
どんでん返しでまた独りになった。

たくさんの体験や想いや
たぶん人より遅れて人間のいろんな面を学んで
途中、あんまりにもつらい思いもあったので
心が死んじゃったのかなあと心配になるくらいに
いまでは、自分のことではもう、
泣くことも驚くこともなくなって強くなったなあって感心する。

いまでは
無条件に涙が出るのは
きれいな、空や景色や
神様みたいな何かに出会ったり、感じたりしたとき・・・
あとは、誰かのつらい話や
やっとご飯を食べれるようになった子供たちの写真をみたときとか
誰かのがんばっている姿や痛みや、
やさしさあふれる話なんかには
もう、瞬間的に簡単に涙が出てきてしまうのに

なんだか
自分のことが他人事になり
人のことが自分のことに入れ替わったみたいなヘンな感じだ

心を悩ますややこしいもろもろが
人生からなくなって
あの頃のものに回帰するようになったのかもしれない。
いまは、なんだか、また自由だ。

昨日たまたま開いた
ニーチェの言葉に
「自由、自由というが、本当の自由とは自分に恥じることが何も無いことだ」
っていうのがあって
そうか!やっぱり自由なんだね、これが!って嬉しくなった。
数えてみればきっと
現実では失ったものがたくさんあるのかもしれないし
お話巧みな人達に比べれば何かと生きベタ、アピールベタかもしれないけれど
やるだけやったもの
いつも本当にせいいっぱい想いも真も尽くしたもの

自由は
なにものにも代えがたい。