運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

宙の約束5周年と明治神宮

2012年12月26日 23時40分58秒 | Weblog
山本加津子さんこと
かっこちゃんを知り、
彼女の言葉と写真の個展で
実物と出会い
・・・あれから、みんなにいろんなことがあった
「宙の約束」という般若心経の、彼女なりの新訳に感動して
そのパタパタミニ本をどれだけのひとたちに差し上げただろう
最近、五周年のイベントがあった。
私は会場には行けなかったけれど
当時の手作りの写真集などを見ながら感慨深かった。
時は不思議だ。。。すべては、やはり大きなところで決まり
その本当のからくりは
わたしたちには、いつかのいい日まで、知らされることないのだなと。
懐かしい、3,4年前にミクシイに書いた日記を紐解いてみた。
かっこちゃんの言葉と、明治神宮の楠のことを書いたもの。
昨日も、神宮の空はいちだんと澄んで高く美しかったのでした。
***************************

明治神宮が好き。

鳥居の前に立つだけで、東京にあってくれることを感謝してしまう。
右側にある杜のカフェも好き。
ゆったりした音楽を聞きながら、鳥居の周りの光をみながらお茶をいただく。。

そして、正拝殿の前にある大きな夫婦楠。

夫と二人感動しながら頭を垂れ、深呼吸しながら、手をつないだ。

一生、僕がまもってあげるよ。。なんて滅多に言わないことまで言ってくれたりして、お互いに感謝し合った。
そして、絵馬には三人の息子たちの幸せを願って書いてつるした。

さあ、そして明治神宮の、パワースポット。
東京の真名井とも呼ばれる清正の井・・丸い小さな湧水の井戸は、次々と小さな星が生まれ出てくる宇宙のような不思議さ。
よくみれば、それはひとつひとつが小さな小さな渦。

星のはじまりは渦なのかもしれない・・・。

そこにも二人でたって、小さく祈って、渦を呼んだ。
またずっと手をつないで歩いて帰った。
至福のときだった。

あの時、原宿の街路樹を見下ろして楽しい語らいをした、あのクエストの上の落ち着いた和食のお店は、いま、夏の緑を映している。

それでも、明治神宮は好き。
それでも、あの杜の木々は変わることはない。
それでも、人の言葉と真をまだ信じていたい。

それでも ちゃんと真面目に生きていれば、明るいほう、よきほうへ
     きっとすすんでいけると思っている。
すべてのことは、いつもいつも、いつかの、いい日のためにある。

大好きな、かっこちゃんの『宇宙の約束』

怖がらなくてもいいんだよ。
悲しまなくてもいいんだよ。
だってすべてがだいじょうぶ。
すべてがみんなだいじょうぶ。

鳥が飛ぶように 風が吹くように
海が歌うように あなたといたい

星があるように 山があるように
空があるように あなたといたい。

あわのうたのこと 

2012年12月17日 14時17分46秒 | Weblog
こんなペースで
「あわのうた」との出会いを全部書いていてはとってもまにあわない。

なにしろ、
この2012年の冬至には
567(みろく)の世のために
世界に残る古い部族と
あちらがわとこちらがわで
この、48音で構成されているあわのうたの音あわせをしなければならないのだから。

宇宙も、光も、私たちも
同じ原子たちから生まれている。
苦手だった、原子周期律表にあったように
水素からはじまりヘリウムまで
原子核のまわりを電子がまわるのがひとつの単位だとして
それが生命の成り立ちの秘密でもあり
エネルギーでもあることを
気が遠くなるほと昔から
私たちの祖先は知っていたこと
ようやく、子孫のわたしたちも
違うアプローチからそのことに辿りつきだしたいま

さあ、融合。
地上に満ちるあわのうた
誰もが知って、もはや特別なものじゃなくなるように。

誰かが特別な時代から
みんながひとつの時代にようやく戻る。
競いあうなんてもう終わり。
調和と共存、が生命と宇宙の本当の法則。

春が来たら
雪解けがとめられないように
草木が芽を出し、鳥達が歌い始めるように
あちこちで うたいはじめている
「あわのうた」






「あわのうた」のこと その2

2012年12月17日 13時36分59秒 | Weblog

いまでこそ

わからないこと、調べたいことは
検索をかければ何かしら出てくる

でも
あの頃はグーグルなんて
きっとあったのかもしれないけれど
私のところまでは普及してはいなかった

とっさに、ガイドブックの隙間に書き込んだ文字を
何度も眺めてもなんじゃこりゃ?で
不思議ーな後味だけを噛み締めながらも
バスにまにあわなければならないので
身支度をして
バス停まで見送りまでしてくださった宿のかたたちにも
こういうものがこのへんにありますか?
と、書き取った文字を見せた。
ほつまつたえ?ほつまつたいぇ?
さあああ・・
何か、このあたりにある場所では?
いやあ、そんなんはねえ・・・

お礼を述べながらも
私は心の中で、
きっとこの土地に関係するから聞いたんだ
こんなふうに来たのだから
これから行く先で見つかるんじゃないかと思っていた。

バスは、川沿いの道に姿を現し
いよいよ熊野本宮大社に行く期待でいっぱいになりながら
律儀にまだバス停から手を振ってくださる皆さんに
お辞儀をしたり手を振ったりしている私を乗せて走り出した。

熊野本宮大社前で降り
鳥居の前に立って
一瞬ひるむくらいに続いている昇りの石段を見上げた途端
あれはなんだったのか
不覚にも、胸がいっぱいになって泣いている私がいた。

やめてよー、いくら思い切って一人旅で
知らないところに来たからって、
そんなことで泣いたりする?と思いながら
それで泣いているというよりは
どうしても、もっと違う感情
「ようやく帰ってきた」みたいな「念願を果たした」みたいな
来る途中のポスターに、オレンジとかの格好をした男性たちが写っていたけれど
・・・いったい、昔、私はそんな山伏かなんかで修行でもしていたというの?
確かに、あんまり、女らしいタイプではないけれど。。。

恥ずかしいので、すれ違う人に顔を見られないよう
石段を登ると、大げさにも
「人生蘇る熊野詣」と、大きな布に書かれて垂れ下がっていた。
そして、ここでも、涙。。。
まあ、確かに少々、いろんなことが
他の主婦よりはあったこれまで
つらかった日々がなかったわけじゃないし
こどもの病気やらなんやら越える中で
人生の道が大きく変わったりもあったことがきゅうに思い出されてきた。
今度は、そんな万感も加わって、
ああ、やっぱり、来て良かったと泣いたのだ。

で、ほつまとやらは
この中にそういう塚でもあるのだろうか。
期待に胸が膨れた。




「あわのうた」のこと その1

2012年12月12日 11時25分07秒 | Weblog
 もう、何年前のことになるのだろう。
たぶん、15年はたっている。

チバラギと呼んでいた北総のニュータウンで
仕事と家事と両方で明け暮れていた。

銀行での待ち時間に手にした雑誌(文芸春秋だったかなあ?)の
グラビアがパラリとめくれて
モノクロで両ページいっぱいに旧そうな神社の全景が現れた
「こんなところがあるのねー、なんだかすごい」
と、目を凝らすと
「熊野本宮大社」と書かれていた。
熊野・・・どこだっけ、それは。
確か、那智の滝とかがあるところで
以前、大阪の祖母が、『あんなとこまではよういかんわ、遠い遠い山の奥やで、
京都や奈良とはわけがちがうわ』、と言っていたっけ。
そんなことを思いながら、遠い世界を垣間見た、と思った。

それから幾日もしないうちに
書店で、立ち読みをしていたら
背中合わせで読んでいた人が立ち去ったと同時に
バサッと後ろの棚から本が落ちる音がした。
振り向いたら、このあいだ、銀行で見たばかりのあの神社の写真と同じような
カラーの、神社の写真のぺージが開かれた状態で本が落ちていた。
拾い上げながら、文字を読むと、
また熊野本宮大社社殿、と書かれていた。
私にははじめての遠い地の神社の写真を二回も見るなんて
いまここが何か行事でもしていて注目されているのかな。。くらいに
そのときもそんなに気にはとめなかった。

けれど、それだけでは終わらなかった。
旧街道沿いに、一軒だけある古本屋でも
「見て!!」といわんばかりに背表紙が飛び出ていた本を
何だろう?と取り出したら「熊野本宮大社なんとか年記」とかだったり
毎月送られるDMが「春の紀伊半島」なんて特集で
またもや、あの写真が載っていたり
いまでこそ、こんな話をすると
「呼ばれたのねー」なんて、みなさんおっしゃるけれど
当時は、そういう世界とは縁のないところにいたし
そんな発想を私もしてはいなかったが
あんまり続くので
なんだか行って見たい気にもなるたびに祖母の言葉を思い出し
そんな地の果てみたいなとこ
休みもないのに行けっこないわ
と打ち消した。

(伊勢だの出雲だの岩木山神社だの。。とあたりまえのように巡っている最近のことを思うと、信じられないような当時だ。書いていてこの十数年の変化にあらためてビックリしてしまう。)

とうとう、すっかり春めいたある日
新橋に出かけた折に
めったに都内まで出ることはないので
みどりの窓口の前を通りがかったときふと
『行けるわけではないけれど
どうやったら行くのか調べるだけでも調べておこう』と
(当時はインターネットなんて使っていなかったのです。)
中に入り、いくつもある時刻表と用紙が置かれた台のひとつの前に行ったら
目の前の時刻表がすでに開かれて置かれていて
ページの見出しは和歌山・熊野、となっていて
分厚いそれは、名古屋からの近鉄ワイドビュー特急の時刻割りだったのを見て
観念して、
「行こう!!」と決めた。

いまの私のフットワークの軽さからしたら
あたりまえの強行軍だけれど
あのときは一大事。
ほんとうに、用意周到、覚悟も総動員して、ガイドブックを買い
自分でなんてやったことのない、旅の計画を練った。

なにが私を突き動かしていたのだろうかわからない。
一泊でどうやって帰ってくるか。
夜、東京からどこかまで辿りついておいて
翌朝、本宮まででかけなおさないとならない。
そして、女一人で一泊での宿をとるのがまた大変だった。
「女性のかたおひとりでは何かあっても困るのでお断りしています」
と何軒にも言われ、
とうとう、お仕事ですか?とか聞かれ、
「そうなんです」と答えてしまい、どぎまぎした。
毎朝、おかみさんがおまんじゅうを焼くという、川沿いの旅館で
ようやく予約ができた。

予定どおり名古屋からワイドビューで新宮に出て
最終バスでその旅館の前まで行き着けた。
ホッと安心して、翌朝の本宮行きのバスの時刻とバス停を確かめて
布団に入り、ガイドブックを復習して眠った。

いよいよ!!
あの本宮へ行くんだわ!
目が覚めて、そう思いながら
ゆうべはよく気がつかなかった
この旅館の部屋の隅々までの心配りや
旧いけれどよく磨かれた障子の桟や床の間の花を
布団の中でうつぶせになったまま
頭をもたげて眺めて、部屋に入る気持のよい陽射しに
わくわくしていたら
館内放送なのか、部屋の上のほうで
なにやら聞こえている
聞き取れないので
「あら、朝食の始まりが遅れるとかだとバスの時間だいじょうぶかしら?」と
耳をそばだてても、まだ、何を言っているかわからない
と、突然、
(誓って私は部屋に独りでした)
やわらかな男性の声、(ジェットストリームの城さんを少し低くしたみたいな)が
右耳のところで響いた。
「ホツマツタエ・・」
え?
「ホツマツタエ」
な、なに、なんで??
なんて言ってるの?
気味がわるいとか、こわいとか思っている暇もなかった
そういう感覚はなく、妙に覚醒して
布団に置いてあったガイドブックに
はさまっていたボールペンでとっさに書き込んだ
「ほ、ほ?ほつまつ たえ??」
声はもうしなかった。
部屋は、明るく日が射し込んでいて静かだった。
不思議な夢は、これまでに何度か見たことはあったけれど
起きていて、こんな声をきいたのははじめてだった。

   あー、長い、、、つづく。