運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

透明人間

2012年10月27日 12時58分09秒 | Weblog
サーッ、シュルシュルシュル・・・・

絶対寝坊のゆるされない
朝一番の新幹線のことを思うと
緊張してか 寝付かれず
なんだか浅い眠りのまま、明け方を感じながら
ああ、もうすぐ目覚ましが鳴る頃だわと覚悟していたら

なじみのある音が聴こえて
あら?と思っていると
やはり、シュルシュルに続いて
イントロが始まり、
たまたま入れてあった舞いの練習曲の『ここから』が流れ出した。
エ・・・・??どうして?
誰も触れてもいないのに?
いっぺんに目が覚めてしまった。
まさか、遠方にいらしている、先生に何事かがあったわけでは。。。
などと胸に様々な思いが去来したけれど
とにかく、おかげで寝過ごさずに余裕を持って起きることができた
もちろん、遠方からの何かの知らせ・でも全くなかった。
なので、何かの偶然で、スイッチが入ってしまったのだろうと思って
そのまま忘れてしまっていた

そして、
先日、4日間連続の皇居の勤労ご奉仕を希望して
皇居での集合に遅れてはならじーと
またまた緊張してまどろみを繰り返した初日

おそらくまだ暗い5時ほんの少し前
サーっという気配にドキッとして、
まさか??と思うと
またもやそのままシュルシュルルル・・とCDが回り始めて
今度は友人のシタールの演奏のイントロが始まった。。
い、いったい??なぜー??
このラジカセにはタイマー機能なんかついていないはずと
表も裏も上も下も左右も全部みたけれど
確かにそんなものはないし、
第一、あったとしても、誰もセットなんてしていない

狐につままれたような気持で
でも、これまたおかげでしゃっきり目が覚めて
初めての桔梗門にもちゃんと余裕でたどり着けた。
で、翌日も。。。
もうあたりまえのようにシタールの曲がかかりだしたので
ゆっくり原因を調べている暇はないけど
きっと何か知らないところで勝手にまちがえて
アラームがセットされてしまってるんだわと
起してくれてありがとう、ラッキー!とご奉仕を無事終えた。

けれど
先日気がついた。
あれから気にとめていなかったけれど
(そういうところが鈍い私)
そういえば、あれっきり、いつのまにか
何もしていないけれど朝のシュルシュルは鳴っていない。
ご奉仕の最終日は軽々と起きれて、CDのことも忘れていた
わああああ、それってどういうこなんでしょう。。

つまり、あのときは
独り暮らしの私が大事な日に
なんだか、また二度寝してしまいそうにあぶなっかしかったら
目に見えない誰かが、CDのスイッチを入れてくれたということ・・・ですか?

思わず、部屋中を見回してみる。
枕元の、大好きなライムグリーンのポトスさんたち、
赤い服のわらびーちゃんの人形
大切な掛け軸や大好きな天使の絵
豚さんの貯金箱
・・・・あ、あなたたち、のどなたかですか?
それとも???

誰かがいつも見ていてくれる
そっと、助けてくれている
なんだか、涙が出てしまう。
ありがとう、お部屋さん、誰かさん

光が木立の中を降りて
白い煙のようになって笹の林にたゆたっていた
あのとききよめさせていただいた
赤坂御用邸のお庭では
ちょうど秋の園遊会が行われて
両陛下が、慈しみにあふれたお姿で
みなさんにお言葉をかけられている

ありがたいなあって、
素晴らしかった4日間を思い出している。。。

ゴーイング・マイ・ホーム

2012年10月25日 00時42分36秒 | Weblog
いわゆるテレビドラマを観なくなってから久しい。
テレビをそもそもつけないからなんだけれど

ところが
実家に帰ると、あたりまえのようにそのテレビが陣取っていて
否応なしに耳につくコマーシャルや笑い声
暗い事件のニュースの声に、いつもちょっと閉口してしまう

それが。。。久し振りに帰った昨日、偶然ついていたドラマらしい画面
あんまりきれいな緑と光の捉え方なので
「あら、めずらしい。。」
と見入っていると、なかなかニクイカメラワークが
ずっと展開している
「へえええ」とさらに観ていると
随所が月並みじゃなくてきめ細かく考えられている。
小学校の昼休み。
人気料理研究家の母の作ってくれたお弁当箱を開けながら
三年生くらいの女の子が
『いらっしゃい』とぺこり。
?『いただきます』じゃなくて??って思っていると
前に同級生が二人立って
 『私、伊達巻』
 『50円です』
と、自分のお弁当のおかずを売って小銭を受け取っているシーン。

場の繋ぎ方だって細やかに工夫。
たとえば 妻とそのアシスタントの会話
  『根拠のないものって好きじゃないのよね』
  『カミサマとか・・?』
  『そう。』
  『天使とか・・・?』
  『そう。』
サッと、夫と娘が行っている長野の田舎駅前の町並みにシーンが変わる。
そこには、さりげなく、ダサいブルーの看板『エンジェル』という看板のスナックが映っている。
・・・という具合に。

こんなドラマがあったのねーとビックリして
いったい、誰が脚本かしらーと
エンドロールを待ちかねて見たら
あらま、
監督・脚本とも
是枝裕和。。。さもありなん。。。でした。

存在するかどうかわからない
野山の小人クーナさがしを盛り込み
素敵に不思議にほんのりと進行していきそう。
ひさびさに堪能できるドラマが。。
『ゴーイング・マイ・ホーム』


偶然ランキング

2012年10月19日 02時11分09秒 | Weblog
偶然が、もはやあたりまえになってしまっているこの頃
ふと思い出した人がやってきたり、電話をかけてくるなどというくらいは
もう毎日、日に何度ものことだから

ホノルルのお手洗いで、隣で顔を洗っている人が振り向いたら友人だっとしても
北海道の初めての町で九州の友人とバッタリ会っても
昼間、ふと思い出した大学時代の友人が駅のコンコースで歩いてきても
東京駅の新幹線の切符売り場で隣をみたら仙台の友人だったとしても
買いに行く時間がないなあと思っているものを
やってきた人がこれあげるとお土産に下さっても
あらあー、とは言うけれど
特に不思議とは感じなくて、あら、まただわーと喜んでいるだけ。

そのくらい、偶然はめずらしくなくなり、地球は狭くなり、
時間も空間も自由に加速して交差している。

それでもいまだに
「あれだけは越えられない」というとっておきの偶然があって
思い出すたびに
人生って絶対誰かが操っている??と戦慄してしまう。


『あなたが選ぶのだったら応援するよ!』
十年前に、新しい家庭を持つとき、
目に見えている大変さなどを案じて最初は反対していた友人たち。
その声に感謝はしながらも
「だいじょうぶ。私たちはきっと特別、
いままでで初めて本当に安心できるって言ってくれている、
信じあい、愛し合っていて
社会のためになりたいって、共通の目的も持っている二人だから
二度め同士の学びをを生かして今度は二人とも大丈夫。
私たちは魂の家族だって言ってくれている」と
そう言って振り切って飛び込んだ私の思いの強さに
そして、同じようにそう言って私の母をも説得した彼の姿に
最後は「そんなに好きなら」って誰もが祝福してくれた。。。けれど、

ただ一人、最後まで猛反対し
「これからあなたと会うと、彼にも会ったり感じたりすることになるから
悪いけれど、あなたとも距離を置く」と
なんと、中学時代からの親友からはそう宣言して、本当にパッタリ連絡が途絶えた。
いくらなんでもそこまで??と彼はいったい、どんなに、だというの?と。
でも、ああは言っても最後は応援してくれると信じて
「心配してもらったけれど、だいじょうぶ、私たちは
子どもとも仲良く三人、本当に幸せにやっているよ」
「先日は旅行に行ってきましたよ」
など、年賀状を送ろうが、報告のメールをしようが、いっさい返事もなく
ああ、私は本当に絶交されてしまったんだ
でも、そんなことってあるかしらと、幸せを祈るのが友達なんでは?
なんてさびしく思いながら、いつしかその親友とはそのままになってしまった。


結局は数年後、信じてもやっぱり翻ってしまった現実があり
それでも、一回は、なかったこととして受け止めて
彼も毎日のように
「ごめんね、ごめんね、ひどいことをしたね」と言い、
涙を浮かべたり、やさしく、伊勢神宮をはじめ、
いろんな提案をして喜ばせてくれたり、
猛省してくれたけれど
やがて再び潜伏していた大きなウソがあふれて諍いになり
その勢いのまま、無茶な離婚を求めてこられたときには
私は返事を延ばしたままで
どんなに裏切ろうとひどかろうと見ない気づかないで慈母観音であること
そうでないならば、あることないこと理由にしてても
切り捨てようとされてしまうのだという状況
でも、では、それができたらできたで、大小のウソが
繰り返されてしまうだけという
苦しみを伴う選択であることを感じ
数ヶ月悩んだのち それでも
クリスマスが近い頃
おとうさん、私たちはだいじな家族、
この大事な時期を、家族は一緒に越えていかなくちゃ
お互いにゆるしたり、一生かけて学んだりしていくのだから
今すぐ結論出さずに、時間をかけてゆっくり考えましょうよ、と
思いきって、愛を送りながら提案をして

ああ、あの提案について、彼はなんと返事をしてくるのだとう
想いは通じてくれるだろうか、と考えながら
井の頭線の中で、ふと、何かヒントのメッセージはないかと
車内吊とかの文字を求めて顔をあげると・・・

車内を見るより先に
私の前に立っている人が読んでいた本のタイトルが目に飛び込んだ。
黒い太字でクッキリと。

『こりゃ だめだ!』
!!!!!???えーーー!

そ、そんな、これが、ヒント?
こんなへんなタイトルの本なんて知らない、見たことない、いったい・・・と
よく見ると、それはいかりや長介の本。
呆然としている私を、本の持ち主が見ているのを感じて
失礼しました、と我に返り、下を向いても
その人はわざわざ、私の前に顔をさげて来るし、困った。。。
と、マスクをしたその女性が、
自分のマスクの上から顔を指差して見せて、私に何か目で言っている、
なんとーー、まさかーーー
大きなマスクの下には
7年間絶交されたままの、あの親友の顔が、あった。

彼女も私も気づくことなく
そのときの家も近くないのに
あのタイミングで、
同じ電車の同じ車両の同じ席の前にひとりはすわりひとりは立っていた。。なんて。
この確率はいまだに越えられない。
「うそ!私はいま、かくかくしかじかで、ときおり、あなたにこんな状況をもし
 知らせることができたとしても ザマーミロって思うかしらって思ってたの」
と言ったら
彼女は笑いながら
『ザマーミロ』と言いながらも、いまの名刺を私に渡して次の駅で降りていった。

いかりや長介ことチョーさんのご託宣は
結果として、その直後サントリーホールに
女性と二人連れで来ていた彼と、私たちの共通の友人たちが鉢合わせて
仕事の編プロの人と行っただけだよ、何がわるいんだと言ったのを忘れて
目撃した人たちの
「悪いことはできないものねー」の言葉に
「みんな、僕は障害のある方をお連れしただけなのに、何を勘違いしているんだ」と。
・・・編プロにつとめながら、偉い方なのね、腕とかではないのね障害って、、、
「・・・な、内臓だよ」
・・・さすがチョーさんだった。
見事に当たって、クリスマスに贈った提案は空振りにおわった。

『まさか、こーんな汚れた池に本気で飛び込んで、もぐっちゃうんじゃなうわよね?』って
見ていると、本当に飛び込んじゃうんだもんね』
そ、そんな、比喩って。。。どうして言ってくれなかったの?
『言ったでしょー、さんざん、聴く気がなかっただけよー。
それでもって、「あー、苦しかったって、ぷはー」ってようやく顔を出して来たのかと思ったら
「でも、もう一度潜ればまだ、何かあるかもしれない」って言って
また、潜って行きそうになるところ、相変わらずっていうか、全然変わっていないね』

後日詳細を聞いて、温かい視線で呆れながら言う彼女。
まるで映画、いえ、それ以上かのような出来すぎタイミングのの再会だった。
以来、何かと助けてくれている。。友とは本当にありがたい、宝物だ。

いまだに、これを越える偶然はまだないかもしれない。

人生って不思議なドラマです。