魂の友・・ソウルメイト・・いまではよく使われるようになってめずらしくはないが、たぶん最初にこの言葉をポピュラーにしたのは、かつて私のボスだった(いえ、今も心のボスですが)とある映画監督がサインに必ずそうしたためていたこともあると思う。
サインには必ず、そう書かれることはいまでは有名だが、当初は、特別に自分だけがそういわれたと思い、「魂の友」と言っていただけた者です、と感激しておっしゃる方も多かった。
たとえ、自分にだけでないとしても、言われたらやっぱり私も嬉しい。
そういえば、かつて、私も別の或る人から、魂のつながりだとか、あなたには僕がかけのぼっていくのをずっと見守っていてほしいな、なんて言われてときめいたっけ。
もう、男はこりごり、今後は独りを楽しみます、と言っていた頃だ。
この言葉にかぎらず、耳障りのよい言葉というのは解釈次第でどうとでもなるから、どんな人が言っているかをよく見極めないといけない。
「黙って生き様で示します」。。なんてわざわざ言うせりふもあるが、それって、すでに言っている以外のなにものでもないし、その言葉を繰り返し使い続けているだけということもある。
言葉は難しい。
ただ、最近ちょっと思っている。
自分を自分の魂の友、と思えたとき、どの人もまた魂の友だって。
これは、確実でぶれないように思う。
サインには必ず、そう書かれることはいまでは有名だが、当初は、特別に自分だけがそういわれたと思い、「魂の友」と言っていただけた者です、と感激しておっしゃる方も多かった。
たとえ、自分にだけでないとしても、言われたらやっぱり私も嬉しい。
そういえば、かつて、私も別の或る人から、魂のつながりだとか、あなたには僕がかけのぼっていくのをずっと見守っていてほしいな、なんて言われてときめいたっけ。
もう、男はこりごり、今後は独りを楽しみます、と言っていた頃だ。
この言葉にかぎらず、耳障りのよい言葉というのは解釈次第でどうとでもなるから、どんな人が言っているかをよく見極めないといけない。
「黙って生き様で示します」。。なんてわざわざ言うせりふもあるが、それって、すでに言っている以外のなにものでもないし、その言葉を繰り返し使い続けているだけということもある。
言葉は難しい。
ただ、最近ちょっと思っている。
自分を自分の魂の友、と思えたとき、どの人もまた魂の友だって。
これは、確実でぶれないように思う。