運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

アカシャと猫

2010年07月29日 11時37分52秒 | Weblog
『アカシックレコードおよびアカシャにはその人のアクション、つまり行動だけが記録されますが、その人がなぜそういう行動をしたかという、その人にとって正当化された部分は記録されないのです。単に行動だけです。』
・・・大好きで尊敬している大野百合子さんの訳したゲリーの名著が文庫本になっていたので読んでいる。

今日は久しぶりの雨で、木々も動物も、みんなほっと涼しさに人心地ついているようだ。

『人間だけが、自分が本当に感じていることを、隠すことが可能です。実際私たちは、ほかの動物のふりをすることもできます。けれど、動物達が人間のふりをするのを見たことはありません。
あるいは、動物が相手にいい印象を与えるために、本心を隠したり、時には格好よく見せようと努力をしているということはありません。』

・・ふむふむ本当だ、面白いな。

でも、そう思いながら思い出した。
かつて飼っていたパートナーの猫は、とても人間ぽくて、何かを倒してしまって大きな音にみんなが注目すると、一瞬姿を隠しておいてから、まるで「僕じゃありません」って、顔をしてわざと堂々とゆっくり歩いていて、おかしくて笑えたっけ。

野生の動物と、ペットになって人間化してきた動物では違うかもしれない。
飼い主の性癖にも似るという。

ペットは人間と動物のあいだの生き物なんじゃないかって、しみじみ思うこの頃。
もう少し読み進んでいくとそのあたりの謎も解けるかもしれない。

またまた「恵みのとき」 の時

2010年07月18日 22時58分05秒 | Weblog
大好きなコクーンの10周年コンサートがあった。
上映会後に駆けつけたら、ちょうど、「チャンス」の直前だった。

この曲の歌詞の二番は、奇しくも、またもや、あの「恵みのとき」の元である、神父さんの「病気になったら」という同じ詩・・・。

またまた『恵みのとき』が目の前に現れた。

恵みのときにいるんだよ、感謝していればいいんだよ、神様ったら、まだアピールしてくださっている

のですね。アリガトウ

ゲストの岡部明美さんは、奇しくももう15年以上前に千葉の市民会館で、友人に紹介されて、まだ出

たばかりだった「もどっておいで私の元気」の講演会をされていて、聴きにいった懐かしい方。

あの頃、私も主婦バンドなんてすこしやっていたけれど、コクーンのような、こんな凄いオリジナル曲

なんてとても生み出せなかった。


ゆりちゃんさんの「ちいちゃん」を唄うときの「おかあさん」って声は、いつ聴いても万涙・・・・。


「わたしは両方やったから幸せだよね」・・ここで、泣かずにいることは不可能だ。


ああ、これも、恵みのとき と通じている境地だね。ちいちゃん、尊敬します。

きょう、参加者の中からの特別プレゼント、偶然、あなたのお母さんに当たるようにしたの、ちいちゃん、本当はあ

なたでしょ?。やるね!


恵みの時

2010年07月17日 09時42分59秒 | Weblog
青森で、何も基準無く割り振られた部屋で同室になった方が、私も、挿絵家探しや詩のページ割りなど関わらせていただいた大切な本「恵みのとき」を愛読してくださり、しかも、我が家のマザーテレサの額を書いてくださった方とも知り合いだった。

その数週間前にも、四谷に行く用事があり、吸い寄せられるように女子パウロ会に入ったら、まっすぐ歩いたつきあたりに、思いがけず、「恵みの時」が積まれていて、たとえようもない懐かしさと、このようなものが形になったのだから無駄ではなかったとおもい、ありがたさに涙が出てきた。

なぜいま、こんなに「恵みのとき」なのだろうか。


いまこそが「恵みのとき」、いつも喜んでいなさいと、ありがたく受け止めていよう!


ようやく

2010年07月17日 09時20分25秒 | Weblog
やっと、メキシコ湾の原油の流出が止まった・・・なんと時間のかかったことだろう。
ごめんね、地球さん、鳥さん、魚さん、藻さんも、イルカさんも、鯨さんも・・・だいじょうぶ?生きている?

奇しくも、今日から「地球交響曲第七番」のロードショー公開が始まる。
ガイアの声が聴こえますか?
この映画がそう呼びかけ始めてくれてからの歳月を思う。
ずっと聴こえていてくれる人たちはどのくらいいるだろうか。

華やかな音、すぐに手が届きそうな音、その時もてはやされる音、アップテンポの音、祭囃子、
いろんな音があれからも、どんどん増してきて、わたしたちを囲む。

されど、音の無い音で、耳で聴くのではない、もっと奥深くの身体の芯に、いつも
聴こえている音を見失わないで、いや聴き失わないでいるには、或るつよさ、ぶれない何かが要るのではないかと思う。

そして、きっとそれは、その音をかつて聴いていた記憶みたいなものなのではないかと思う。
すべての人のDNAに、その音の記憶が蘇る日を待って、この映画も続いてきているのかもしれない。

長い道の上で

2010年07月13日 23時10分39秒 | Weblog
 
ひとつひとつの出来事に
深い思いがかくされてる
振り返りつつも目をそらすのは
涙が溢れて困るから

日常の中の幸せに 
まさるものなどないことは
知っているけど顔を見て
”ありがとう”だなんて言えなかった

長い長い道の上で
足をとめて 食いいるように
みつめるあなたの瞳の中に
私も映っていますように

感じてますか
このやわらかな
気配がせまっていることを
感じてますか
広がっていく
いのちの輪の中にいることを

長い長い道の上で
拾い忘れた自分の気持ち
もいちど戻って両手ですくい
抱き寄せすべてを光にかえて

春の草を夏の陽射しを
秋の夕日をみつめるときに
あなたと共に同じ景色に
あなたと共に同じ景色に


By YOSHIE ・・・chan

ありがとう。
あなたの詩に あなたの声に あなたの唄に…。
素敵な葉書もありがとう。
あの日の川の水の音が
さらさらと まだ私の中で鳴っています。
あの日の輪と、さらなる輪
共に力を差し出しあうめぐりあわせをこよなく感謝しています。