運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

天使名のこと

2012年08月26日 16時40分37秒 | Weblog
 もうずーっと、すみこ、つまり SUMIKO の最初の三文字
 SUM をサムと読んで
 スナオなサム(sunaonasum)をアドレスに使ってきていたが
 そこからさらに文字って、
 サムエル sumuel って、
 ガブリエルやミカエルみたいにエルをつけて
 天氏名もどきにしてミクシーネームにしたり
 自己紹介に使っている

 先日
 カンクンからユカタン半島、メキシコと
 念願の、マヤを巡ったあと
 ロスアンジェルスからアメリカに入り
 サンフランシスコでも一泊した。

 もう、都市には興味はないし
 アメリカも好きじゃないし
 講演会さえなければ寄りたくないと思っていた

 けれど
 サンフランシスコの旧いホテルで
 昔はシティ・センターだったという建物の
 メモリアルホールに飾られた数々の写真を見て
 忘れていたことがたくさん甦ってきた。

 あ!!ここは、母の生まれた町だった。
 
 そう、祖父が満鉄に移る前にいた銀行
 サンフランシスコ支店
 そこに、母の兄である長男を連れて氷川丸で渡米してきた祖母
 サンフランシスコ大学で学長をした後
 上院議員になって逝った祖父の甥のイチエイさん、ことS.Iハヤカワ。。。

 なんだ、ここは、私のルーツにかかわる街だったんだ。

 祖父母の姓をこのたび継いだり
 せっせと山梨のお墓の掃除にいったりしていて
 ご先祖さまたちが招いてくれたのかなと感慨に浸り
 
 せっかくだから、サンフランシスコ大学に寄ってみようかと思ったら
 いくつも大学が分かれていて、どこに行きたいのかと聞かれたので
 S.I.HAYAKAWA をちゃんと話すために調べたら

 ・・・・あら。。。びっくり
 S・IのSは、サミュエル、sumuelだった。。。。

 知らないで、使っていたとはいえ
 なんだか、きゅうに、この人が身近になった。
 しかも、言語学。。。
 私が、ホツマツタエというものと出会って
 ヲシテなどという神代文字や
 五七五の大切さをいま復活させたいと取り組んでいることは
 無関係ではないというか
 そういうことが好きな性質の家系だったのかもしれないと
 もろもろナットクしたのでした。

 ありがとう おじいちゃん、
 秋のすずやかな日みたいな
 気持のいい風がいつも吹いていて、
 いい街だねって
 そう、サンフランシスコの空に向かって言ってみた。

 Try to remember・・・・
 

ニーチェの自由

2012年08月26日 15時50分08秒 | Weblog
アストラッド・ジルベルトのボサノバ
シンガーズアンリミッテドのアカペラ

・・・高校時代に部屋でいつもかけていた音楽を聴いていると
いつも、とても落ち着く・・・
そういう自分を逃避なのかな、なんて少し後ろめたく思いながら
ひたすら、いまはそこに浸りたい気分。


思い返すと
あの頃の私はとても満足していて
自分をちゃんと好きだったって気がついた。

手の届かない宇宙の謎や真理へのもどかしい思い
天才ピアニストだった親友のような表現手段をもたないのに
美しいものだけは苦しいほど胸に迫って
もてあましていた逡巡はあったけれど
たぶん、私の胸の裡は平和だったと思う。

決して恵まれた家庭環境ではなかったのだけれど
ぐれるとか、には、興味もなく
読みたい本ばかりで忙しかったし
男子とつきあうとかに興味もなく、
ユングだの、宇宙だの、遺跡だの、そんなことばかりに関心があって、
素敵だなと思う男性がいても,
それはあくまで憧れの存在で、
ジェームズ・テーラーやピーター・フォンダに似た上級生だったりして、
言葉すら交わしたこともなく、遠くからその存在を眺めていただけだった。

あれからずいぶんと時が経って
絶対一生結婚しないといわれていたのに
友人の誰よりも早く
はじめてちゃんと付き合った男性と結婚をして
オトコノコ二人も生み育てあげて
ようやくこれから自分の人生。。。と思ったところで
またオトコノコを抱えた男性とサイコンして
活発に動き回る幼児を追いかけながら
三度目の子育てをして6年
今度こそ一生を共に過ごすつもりで共に築いたものも
みんななくなって
どんでん返しでまた独りになった。

たくさんの体験や想いや
たぶん人より遅れて人間のいろんな面を学んで
途中、あんまりにもつらい思いもあったので
心が死んじゃったのかなあと心配になるくらいに
いまでは、自分のことではもう、
泣くことも驚くこともなくなって強くなったなあって感心する。

いまでは
無条件に涙が出るのは
きれいな、空や景色や
神様みたいな何かに出会ったり、感じたりしたとき・・・
あとは、誰かのつらい話や
やっとご飯を食べれるようになった子供たちの写真をみたときとか
誰かのがんばっている姿や痛みや、
やさしさあふれる話なんかには
もう、瞬間的に簡単に涙が出てきてしまうのに

なんだか
自分のことが他人事になり
人のことが自分のことに入れ替わったみたいなヘンな感じだ

心を悩ますややこしいもろもろが
人生からなくなって
あの頃のものに回帰するようになったのかもしれない。
いまは、なんだか、また自由だ。

昨日たまたま開いた
ニーチェの言葉に
「自由、自由というが、本当の自由とは自分に恥じることが何も無いことだ」
っていうのがあって
そうか!やっぱり自由なんだね、これが!って嬉しくなった。
数えてみればきっと
現実では失ったものがたくさんあるのかもしれないし
お話巧みな人達に比べれば何かと生きベタ、アピールベタかもしれないけれど
やるだけやったもの
いつも本当にせいいっぱい想いも真も尽くしたもの

自由は
なにものにも代えがたい。






鳥の目

2012年08月16日 06時56分27秒 | Weblog
あるとき
気がついたら
ショッピングカートをひきながら
新宿の街を歩いている私を見ている私が、その上空にいた。
黒に小さな白の水玉のカートをひいている「その子」は
私なのだけれど、
少し上から見ている私も私だった。
そして、もし「その子」が今転んで足を怪我したりしたとしても
きっと、見ている私はなんとも無いこと
だけど、「その子」がうまく歩いていくことは
私にとっては、他人事ではないとても大事なことで
いつも見守っていること

その感覚をリアルに体験した驚き。
だって、それまでずーっと
魂って、身体の中にあって
その魂が洋服のように身体を着ているんだって思っていたから。
魂って、こんな、ほんのちょっと離れた身体の外にあるの???!!!って。
そうしたら
その距離はすーっと、
「その子」に近づいていくので
そして近づくと、すべての感情や状況がきゅうに
わーっと視野に入ってきて胸を占めだすので
なるほど、この中にいるとそれしか見えなくなるんだってわかった。

そして、ちょっと上に行ってみて
さらに上に行ってみて
見下ろすと
「その子」だけでなく
道行く「どの子」もが
実はちゃんと歩いて行けるんだって
本当はそう決まっているんだって
そのことが私にも誰にも大切なことなんだってことが
ひゅーっとわかった。

後にも先にも
あの、数分だけだった不思議な体験。

でも、あれ以来
自分の内側に入り過ぎているなって感じたときは
ふっと、
そうだそうだ、
ちょっと上からみたら
すべては何でもないこと、オッケーなんだと
思い出せるようになれたので

ギフトの数分だったのかなあと思っている。

麒麟の翼

2012年08月05日 22時22分22秒 | Weblog
機内での映画がいつからか
みんなでスクリーンを見上げるのではなく
一人ずつの席にモニターがついて選べるようになったものだから
目を開けていると
隣やら、斜めやら、前方やら、の人たちの見ている画面がどうしても目に入る。

なので、
血が出るものはいっさい見れなくて
刑事モノや、ホラー、病院モノはけっして選ばない私なのだが
いたるところにチラチラしている
阿部寛の姿に(デビューの時からなぜか好きなのだ)
いちいち気をとられてしまうのに観念して
私もついに『麒麟の翼』とやらにダイヤルを合わせた。

うーーーん、阿部ちゃんの姿は堪能したが
これまたその巧さが好きな中井貴一のせつな過ぎる真面目さの父親の最後に
血が見れないということもあるけれど
画面はほとんど指の隙間からしか見れなかった。。。

麒麟の翼などという夢のあるタイトルとはまったくかけ離れているストーリーだった。

子供達の未来のためによかれと思って
かばいだてしたことから
本当のことと向かい合うという線路からはずれさせてしまう大人の責任について。
人生の早い時期に
正直、という線路から外れてしまうと、そのまま戻り方を忘れてしまうということ。
自力で、良心の重たさに気づくときにモノを言うのは
結局、親がウソをつけない良心の持ち主である、そのDNAだ。
親がいわゆる良心の呵責を持ち合わせていない場合はかなり難しいのではないかと思う。
中国なんか、国民的に日本よりそのへんがゆるいから
ニセモノやウソはさして呵責なく、いや、堂々と、社会ごとまかり通っている。
そう思うと日本人ってのは、生き下手で不器用だ。

だけど、だんだん、日本の良心のDNAも薄まってきているかもしれないと感じるこの頃。

償わねばならないことを封印したままの相手まで
ただ、盲信してしまうのは、愛のようにみえても
自らと向かい合うチャンスを奪うことになり、
かえって相手の魂の成長の仇になってしまうこともあると。

本当の愛は相手の魂の成長を願うこと。。。むずかしい。

ただ、思ったのは
もしも、たとえば、グループで
子供達がつい勢いで、何か、してはならないことをしでかしてしまったとき
その中の誰か一人が
良心の呵責に耐えかねて、申し出たり謝罪したりしたならば
その子の親は、自らの子育てと、自分の生き方が
まちがっていなかったことをあらためて信じてもよくて
他の子とその親たちは
その一人の子に、一生の大事な道を迷わずに導いてもらえたことを
感謝すると同時に、自らの生き方と子育てのあり方を
振り返ってあらためる機会だということ。

大人の場合は
小さいうちに良心の種を植えられているか
DNAに良心がちゃんと残っているか、が
自分だけは信じてあげるとか、無条件に信じてしまえば
相手は裏切れないというやりかたが
かえって相手の仇になってしまわないよう
見極める基準なのだろう。


後味はやるせなく、すっきりしない作品だったけれど
阿部寛の黒のスーツ姿を観るだけでも価値はあった、、、と思おう。