その昔『テキーラ・サンライズ』や『燃え尽きるまで』なんかのメル・ギブソンに恋していたことがあった。オーストラリア版加山雄三という感じの陽性の笑顔の中に、知性と幼児性が共存してるようで・・・。そんなあっけらかんとし感じの彼が監督を手がけると、これでもかこれでもか、と執拗なリアリストぶりの作品になり、その真意を汲み取りきれない。正直言って好きなタイプの映画ではないはずなのだが、重いのにひきつけられて観てしまっては後味のざらつき感をもてあます。
『パッション』、もそうだったけれど、今度の『アポカリプト』にいたっては、うわー、勘弁、という場面も本当に多かった。あれは人間の真実であり、一つの側面であるから、それを徹底して描くことは今回大変意義があったのだが、マヤ文明に惹きつけられていて、それで観ようと思った方は、これを描くために、わざわざマヤが舞台である必要はないのではないかと複雑な思いになるのではないか。
しかし、深いものはあった。いやというほど、人間としての殺戮の繰り返しや、過去生では他人事ではなく当事者であったこともあるのだということや、現在だって、すべての人間のしていること、想念の生み出すことに、つながっているのだという責任というか、それらすべてふくめて全部自分だということを突きつけられ、本当に償っていかなくてはならないからいまこの時代に生まれているのだと感じた。あの映画を観て、考えられない行為のシーンに、あれは私だ、私のかつての姿だ、いまの世界の一端だ、そう肝に銘じて己のあり方を正すことは、今度太陽が暗くなる前に必要なことなのではないだろうか。
巷はアリガトウが根付いてきてよいことだが、ゴメンナサイを踏まえたアリガトウ
にならなければ自己満足になってしまうのだ、メル・ギブソンの連作は、みんな、私たちに自分の『ゴメンナサイ』を気づかせるためにあんなに執拗に、制作費を投じてがんばっているんだろうかと思ったりした。
帰りに、フェアトレードの店で見つけた携帯用の箸を家族分買った。とりあえずはそんなことでもせずにおれないのだった。そんなことしかできないジレンマを感じながら。
『パッション』、もそうだったけれど、今度の『アポカリプト』にいたっては、うわー、勘弁、という場面も本当に多かった。あれは人間の真実であり、一つの側面であるから、それを徹底して描くことは今回大変意義があったのだが、マヤ文明に惹きつけられていて、それで観ようと思った方は、これを描くために、わざわざマヤが舞台である必要はないのではないかと複雑な思いになるのではないか。
しかし、深いものはあった。いやというほど、人間としての殺戮の繰り返しや、過去生では他人事ではなく当事者であったこともあるのだということや、現在だって、すべての人間のしていること、想念の生み出すことに、つながっているのだという責任というか、それらすべてふくめて全部自分だということを突きつけられ、本当に償っていかなくてはならないからいまこの時代に生まれているのだと感じた。あの映画を観て、考えられない行為のシーンに、あれは私だ、私のかつての姿だ、いまの世界の一端だ、そう肝に銘じて己のあり方を正すことは、今度太陽が暗くなる前に必要なことなのではないだろうか。
巷はアリガトウが根付いてきてよいことだが、ゴメンナサイを踏まえたアリガトウ
にならなければ自己満足になってしまうのだ、メル・ギブソンの連作は、みんな、私たちに自分の『ゴメンナサイ』を気づかせるためにあんなに執拗に、制作費を投じてがんばっているんだろうかと思ったりした。
帰りに、フェアトレードの店で見つけた携帯用の箸を家族分買った。とりあえずはそんなことでもせずにおれないのだった。そんなことしかできないジレンマを感じながら。
補足ですが、あれが私たちであるというのは、マヤでなくても、戦国でも、エジプトでも、中国でも、ずっとやったりやられたり、庶民の間でも、搾取したり裏切ったり裏切られたり。。要は人間としてのあらゆる面を駆使しながら進化ということに加担してきたのだろう、いや、進化したとはいえるのかもわかりませんがねー。うう。。後味わるい思いをさせてしまったかしらーーーーー。
やっぱり・・・?!でした。見た事のない世界を見せてくれているのですが、あまりに見たことない世界のような気がして入り込めない・・・。
頭の片隅に「私はどの人だろうか・・?」(笑)があって、あれこれ「ビビッ」とくるのはどれかな~と思っていました。
うすぼんやり・・と「私は踊り子だったかな?」とか、「あの鬼軍曹のような酷い奴ではナイゾ」としきりに自分に言い聞かせていました(笑)
謎めいた「マヤ文明」をちょっとでも舞台にしたことで、あそこまで別世界を作り上げた気がするのですが、日本でも戦国時代はああだったのだろうな~と思いました。
それにしても、「メル・ギブソン!しつこいな~!まだ続くのぉ~」と感じるシーンは多かったですね~。
あれをリアルというのですかね?違う気がして・・・。
趣味わるーい・・かも?
それにしても、かなり酷いシーンでもしっかりスクリーンを観れていた私の「心臓」もなかなかのものでした・・。
あいや、『アポカリプト』ご覧くださるとか・・・
私の主観的ひとりよがりな感想にそんな風におっしゃっていただけるのはブログ冥利に尽きる光栄なのですが、かなり、吐き気に襲われるようなシーンがございます・・念のため。どうぞくれぐれもご無理をなさいませんよう!!
お箸、我が家も携帯し忘れたり、まだまだです。
前作「パッション」観ました。でも、今回の映画はまだ行っていません。
宣伝のまがまがしい?おどろおどろしい?のに気圧されて・・というのもありますが、彼の作る映画のメッセージが私にはわかりにくい・・・というのもあったのかもしれません。
「今回の映画は難しそう・・」と。
でも、今回の記事を読んで「行ってみよう・・」と思い直しました。
私は・・果たして・・「我がことのように・・」と引き受けられるだろうか・・。
「マイ箸」は持ち歩いていても、まだ周囲の目がちょっと気になり、使う場所と状況を考慮している「小心者」です・・・。