運命と出会う瞬間

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偶然ランキング

2012年10月19日 02時11分09秒 | Weblog
偶然が、もはやあたりまえになってしまっているこの頃
ふと思い出した人がやってきたり、電話をかけてくるなどというくらいは
もう毎日、日に何度ものことだから

ホノルルのお手洗いで、隣で顔を洗っている人が振り向いたら友人だっとしても
北海道の初めての町で九州の友人とバッタリ会っても
昼間、ふと思い出した大学時代の友人が駅のコンコースで歩いてきても
東京駅の新幹線の切符売り場で隣をみたら仙台の友人だったとしても
買いに行く時間がないなあと思っているものを
やってきた人がこれあげるとお土産に下さっても
あらあー、とは言うけれど
特に不思議とは感じなくて、あら、まただわーと喜んでいるだけ。

そのくらい、偶然はめずらしくなくなり、地球は狭くなり、
時間も空間も自由に加速して交差している。

それでもいまだに
「あれだけは越えられない」というとっておきの偶然があって
思い出すたびに
人生って絶対誰かが操っている??と戦慄してしまう。


『あなたが選ぶのだったら応援するよ!』
十年前に、新しい家庭を持つとき、
目に見えている大変さなどを案じて最初は反対していた友人たち。
その声に感謝はしながらも
「だいじょうぶ。私たちはきっと特別、
いままでで初めて本当に安心できるって言ってくれている、
信じあい、愛し合っていて
社会のためになりたいって、共通の目的も持っている二人だから
二度め同士の学びをを生かして今度は二人とも大丈夫。
私たちは魂の家族だって言ってくれている」と
そう言って振り切って飛び込んだ私の思いの強さに
そして、同じようにそう言って私の母をも説得した彼の姿に
最後は「そんなに好きなら」って誰もが祝福してくれた。。。けれど、

ただ一人、最後まで猛反対し
「これからあなたと会うと、彼にも会ったり感じたりすることになるから
悪いけれど、あなたとも距離を置く」と
なんと、中学時代からの親友からはそう宣言して、本当にパッタリ連絡が途絶えた。
いくらなんでもそこまで??と彼はいったい、どんなに、だというの?と。
でも、ああは言っても最後は応援してくれると信じて
「心配してもらったけれど、だいじょうぶ、私たちは
子どもとも仲良く三人、本当に幸せにやっているよ」
「先日は旅行に行ってきましたよ」
など、年賀状を送ろうが、報告のメールをしようが、いっさい返事もなく
ああ、私は本当に絶交されてしまったんだ
でも、そんなことってあるかしらと、幸せを祈るのが友達なんでは?
なんてさびしく思いながら、いつしかその親友とはそのままになってしまった。


結局は数年後、信じてもやっぱり翻ってしまった現実があり
それでも、一回は、なかったこととして受け止めて
彼も毎日のように
「ごめんね、ごめんね、ひどいことをしたね」と言い、
涙を浮かべたり、やさしく、伊勢神宮をはじめ、
いろんな提案をして喜ばせてくれたり、
猛省してくれたけれど
やがて再び潜伏していた大きなウソがあふれて諍いになり
その勢いのまま、無茶な離婚を求めてこられたときには
私は返事を延ばしたままで
どんなに裏切ろうとひどかろうと見ない気づかないで慈母観音であること
そうでないならば、あることないこと理由にしてても
切り捨てようとされてしまうのだという状況
でも、では、それができたらできたで、大小のウソが
繰り返されてしまうだけという
苦しみを伴う選択であることを感じ
数ヶ月悩んだのち それでも
クリスマスが近い頃
おとうさん、私たちはだいじな家族、
この大事な時期を、家族は一緒に越えていかなくちゃ
お互いにゆるしたり、一生かけて学んだりしていくのだから
今すぐ結論出さずに、時間をかけてゆっくり考えましょうよ、と
思いきって、愛を送りながら提案をして

ああ、あの提案について、彼はなんと返事をしてくるのだとう
想いは通じてくれるだろうか、と考えながら
井の頭線の中で、ふと、何かヒントのメッセージはないかと
車内吊とかの文字を求めて顔をあげると・・・

車内を見るより先に
私の前に立っている人が読んでいた本のタイトルが目に飛び込んだ。
黒い太字でクッキリと。

『こりゃ だめだ!』
!!!!!???えーーー!

そ、そんな、これが、ヒント?
こんなへんなタイトルの本なんて知らない、見たことない、いったい・・・と
よく見ると、それはいかりや長介の本。
呆然としている私を、本の持ち主が見ているのを感じて
失礼しました、と我に返り、下を向いても
その人はわざわざ、私の前に顔をさげて来るし、困った。。。
と、マスクをしたその女性が、
自分のマスクの上から顔を指差して見せて、私に何か目で言っている、
なんとーー、まさかーーー
大きなマスクの下には
7年間絶交されたままの、あの親友の顔が、あった。

彼女も私も気づくことなく
そのときの家も近くないのに
あのタイミングで、
同じ電車の同じ車両の同じ席の前にひとりはすわりひとりは立っていた。。なんて。
この確率はいまだに越えられない。
「うそ!私はいま、かくかくしかじかで、ときおり、あなたにこんな状況をもし
 知らせることができたとしても ザマーミロって思うかしらって思ってたの」
と言ったら
彼女は笑いながら
『ザマーミロ』と言いながらも、いまの名刺を私に渡して次の駅で降りていった。

いかりや長介ことチョーさんのご託宣は
結果として、その直後サントリーホールに
女性と二人連れで来ていた彼と、私たちの共通の友人たちが鉢合わせて
仕事の編プロの人と行っただけだよ、何がわるいんだと言ったのを忘れて
目撃した人たちの
「悪いことはできないものねー」の言葉に
「みんな、僕は障害のある方をお連れしただけなのに、何を勘違いしているんだ」と。
・・・編プロにつとめながら、偉い方なのね、腕とかではないのね障害って、、、
「・・・な、内臓だよ」
・・・さすがチョーさんだった。
見事に当たって、クリスマスに贈った提案は空振りにおわった。

『まさか、こーんな汚れた池に本気で飛び込んで、もぐっちゃうんじゃなうわよね?』って
見ていると、本当に飛び込んじゃうんだもんね』
そ、そんな、比喩って。。。どうして言ってくれなかったの?
『言ったでしょー、さんざん、聴く気がなかっただけよー。
それでもって、「あー、苦しかったって、ぷはー」ってようやく顔を出して来たのかと思ったら
「でも、もう一度潜ればまだ、何かあるかもしれない」って言って
また、潜って行きそうになるところ、相変わらずっていうか、全然変わっていないね』

後日詳細を聞いて、温かい視線で呆れながら言う彼女。
まるで映画、いえ、それ以上かのような出来すぎタイミングのの再会だった。
以来、何かと助けてくれている。。友とは本当にありがたい、宝物だ。

いまだに、これを越える偶然はまだないかもしれない。

人生って不思議なドラマです。

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