運命と出会う瞬間

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不覚のヘルペス

2011年11月17日 01時26分42秒 | Weblog
どんなことがあっても寝込まずにきたし
どんなことがあっても、強いネーと言われるくらい
へこみきらずにここまでこれたと思う。

けれど
不覚にも
このところ、力が入らないのだ。
なんというのかなあ
深ーい、自分でも気づかないところの元気が蝕まれている感じがする。
めずらしくヘルペスなんてものになり
相当ストレスがありますねと言われて
お日さまさえ出ていれば
空さえ綺麗なら幸せという
天然ストレスレスと自他共に思っていたのであらためてびっくりした。


そういえば二週間前の11月3日、
その昔、ああでもないこうでもないと企画段階から
裏方で相談しあっていた当時を懐かしみながら
数年ぶりに、いまやシリーズとなっている或るイベントに行ってきた。
大丈夫。
もう傷も癒えて、おおらかに応援できるしって。
けれどまさかの、のっけから
なんにも知らないお気の毒な最新のお相手母子に
バッチリ出くわしてしまうなんて思わなかったから。
そして、その男の子が、
この間まで、二人で、泣いたり笑ったりしながら、
一生懸命育てて来た子の昔の面影や雰囲気に
息を呑むほど似ていて
万感が甦り、せつなくなった。
新しいお相手なので
彼の子というわけではないのはわかったけれど
母子の面影が、かつての人と、その子の小さいときと似ていて
それが、かえって、自分の存在がその狭間の架け橋になっただけ
子育てのあいだの仮の乳母だったようなショックだった。

ただでさえ活躍するためには
家族が足かせに思える人だから
いまさら、わざわざ、途中からの難しい子育てなんて
責任を負えるとは思わないけれど
いま、じわじわと
ああ、またかあ、もうかあ。
あっぱれだなあと

そういう思いがひたひたと
なんだろう、世の中にはそれで通る人もいるんだっていう感じ。
繰り返されていく途中の繋ぎのお役
その歯車のひとつになっただけにしては長い年月と
ひきかえにしたものは大きかったなあと。

実はどんなひどいことをしても
仕事で成果を上げて
仕事で実績を示してみせればチャラだという
実益主義の考え方に
そして、実際にそういうことで動いていくこの日本の今の社会で

「成果も出さないで」、と言われて逆に開き直られたくなくて、
屈したくなくて
いきなり何もかもなくなった状態から
これまでいっしょうけんめい、泣かずに、止まらずにやってきて
やっと成果がどんどん出てきた今と
先日見た光景が重なって
どっと、気力が抜けたのかもしれない。

当時、こんな卑怯なやり方、絶対認めてはいけない、訴えなさいと
法律の関係者たちからは異口同音に言われても
結局そうせずに、
人生をやりなおしたかった本人でなく
ゆずるように、ゼロからやりなおしをしたのは私のほうだったのは
裁くのは人ではなくて天だと思う、日本人としてのDNAと
「どんなことも話せば分る」と言い
声を荒げたり手を上げたりすることのなかった
弁護士だった亡き祖父のDNAと
わかる人にはいつかきっとわかってもらえるんだから堪えなさい、という
母の言葉。
それに、前途のある若者のためからも。


そのことに後悔はないし
逆の立場にならなくてよかったとは心から思っている、
もし、私が逆だったら、いつか
自分が一途な相手にどう対したか
どんなふうに誠意に返したかを気づいたとき
悔悟でいたたまれなくなるだろうと思うから。
だから、気づかずに、しあわせにしていてくれていいと願う。

それなのに、なぜか
いままで、そう思ってやってきたような
すべて必然とか、無駄はないとかいうような
ポジティブに意味づけをしての歩みが
あの、イベントの日から止まっているのは
そうすることよりも
今回はちゃんと自分の愚かぶりをしっかり認識すること。
せっかく見えていても見ないようにして、
いいようにとってはお人よしをしてしまう自分の癖の結果に
少々つらい作業でも期間でも
こういうふうに徹底的に向き合うことも必要だからかもしれない。
学びはいかさなくては。






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