河合隼雄氏が倒れられた。まだ意識が戻らないという。
かつて、高校時代にユングの自伝を読んで、無意識の世界に惹かれ、NHKの大学講座『無意識の構造』という番組を毎回待ち望んで必死に見た。その時の講師が当時京都大学の助教授だった河合隼雄氏だった。目からウロコのわかりやすい講義に感嘆し、複雑なことを簡単に話することができる人こそほんとに頭がいいのだと知った。なんだかはんなりとした京訛りの、冴えない狛犬みたいな顔のこういう人が(失礼 )と、驚きながら、以来、勝手に師と仰ぎ、ずっとマークして、みるみるご活躍、注目されて雲の上の人になっていくのをみていた。
それが、二十年近くたって、或るドキュメンタリー映画の監督のところで仕事をしているとき、その監督と河合氏が魂で通じ合う友として想いをともにされていることを知った。何もそんなことはめざしていなかったときに、また河合さんが近くなったと勝手にオドロキ喜んだ。人生は不思議である。電話をとりつがせていただいたこともあったが磊落で、ふだんのまんまで、素敵だった。
やがて、京都の西川千麗さんの『明恵上人とアッシジのフランチェスコ』という踊りの会ではじめて直接お目にかかりお話することがゆるされた。
私は、色も褪せ、ところどころめくれ上がった20年前のNHKの講座のテキストを手にして立っていた。そのテキストにサインを頂戴できたならと、お見せしたときの『ウワーッ!!なつかしなー!』との京訛りのお声が今も耳に甦る。
現在、まだ78歳。90過ぎても、好々爺として、茶目っ気のある、しかし最高級の知性の長老として活躍し続けられる方のはずである。まだまだこの国に、私たちに先達として必要な方だ。今回、倒れられることでおとりになった思いがけない休暇で、文化庁の忙しさではゆっくりみていられなかった大好きな夢の世界を遊びまわられているに違いない。
楽しいお土産話をもって、またこの表層界にもどってきていただきたい。
・・お待ちしています。
かつて、高校時代にユングの自伝を読んで、無意識の世界に惹かれ、NHKの大学講座『無意識の構造』という番組を毎回待ち望んで必死に見た。その時の講師が当時京都大学の助教授だった河合隼雄氏だった。目からウロコのわかりやすい講義に感嘆し、複雑なことを簡単に話することができる人こそほんとに頭がいいのだと知った。なんだかはんなりとした京訛りの、冴えない狛犬みたいな顔のこういう人が(失礼 )と、驚きながら、以来、勝手に師と仰ぎ、ずっとマークして、みるみるご活躍、注目されて雲の上の人になっていくのをみていた。
それが、二十年近くたって、或るドキュメンタリー映画の監督のところで仕事をしているとき、その監督と河合氏が魂で通じ合う友として想いをともにされていることを知った。何もそんなことはめざしていなかったときに、また河合さんが近くなったと勝手にオドロキ喜んだ。人生は不思議である。電話をとりつがせていただいたこともあったが磊落で、ふだんのまんまで、素敵だった。
やがて、京都の西川千麗さんの『明恵上人とアッシジのフランチェスコ』という踊りの会ではじめて直接お目にかかりお話することがゆるされた。
私は、色も褪せ、ところどころめくれ上がった20年前のNHKの講座のテキストを手にして立っていた。そのテキストにサインを頂戴できたならと、お見せしたときの『ウワーッ!!なつかしなー!』との京訛りのお声が今も耳に甦る。
現在、まだ78歳。90過ぎても、好々爺として、茶目っ気のある、しかし最高級の知性の長老として活躍し続けられる方のはずである。まだまだこの国に、私たちに先達として必要な方だ。今回、倒れられることでおとりになった思いがけない休暇で、文化庁の忙しさではゆっくりみていられなかった大好きな夢の世界を遊びまわられているに違いない。
楽しいお土産話をもって、またこの表層界にもどってきていただきたい。
・・お待ちしています。