運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

ないものねだり

2011年11月10日 11時28分43秒 | Weblog
気がつけば
自分の感じ方や見え方を
もてあましてきたものだから
わたしにとっては
感性というものは
私の生を、生き辛く、苦しくしているものだと感じてきたから

だから
大人になって
茨木のりこの
「自分の感性ぐらい」という詩にであったとき不思議だった

どうして、感性なんて、ないほうがずっと楽なものを
わざわざ、磨いたりほしがったりする人がいるんだろうって。

何かを感じたり、こだわったりするより
平凡に、穏やかに、よけいなことは見ずに感じずに
自分の感じ方や考えなんて何にも持たずにいたいのに、って
日々をただありがたい、ありがたい、だけで生きていけたらどんなに幸せだろう
なぜそうできないんだろうつて、
いつも自問自答の繰り返してきていたから。

なので、それはまるで、
あまりにも直毛で、
金太郎のようなおかっぱか、お下げしかできないこの髪からしたら
羨ましくてならない
素敵な、ふんわりウェーブのヘアの人が
お金をかけてまで
それをストレートパーマにする気持ちが分らないのと同じように不思議なことだった。

人は、ないものねだりをしてしまう。

自分は自分。
そうひらきなおれて、毎日が少しばかり楽になれて
それに、いつのまにか
毎日をありがたい、ありがたいと生きられるようになって
それでも、私はまだ、ときおり夢見てしまう。


人口が、百人もいないような島に生まれて
二軒隣かなんかに生まれた
親同士が遠い親戚だったりするような幼馴染と
時が来て自然に結婚して
毎日、二人で綺麗な朝陽をみて
魚を採ったり、草を編んだりして
子供が生まれて、孫が生まれても
変わらない島の日々を仲良く重ねて
静かに年老いていけたらどんなに素敵だろうって・・・

ザッブーン、なんて、波の音まで聴こえるような
毎日、毎日、おんなじ日々の平和な暮らし。
違うのは空の色と雲の形と四季の草花だけ。
そんな夢を、ときおり見てしまう。
おそらく、それは、叶うことがないから
多分、一番遠いところにある世界だから、
だから夢見てしまうのだろうと思いながら。
そういう「人生」じゃなくて、「イルカ生」もいいなあ。。。




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