連日遠慮なく気温は上がる。が珍しく
昨日は風があり、扇風機さえ不要だった
間もなく72回目の終戦記念日がやって来る。
実家の古いアルバムに
叔父達の出征時の記念写真や叔母たちの
女子挺身隊の写真、国防婦人会の
タスキを掛けた祖母、戦艦大和や武蔵の絵葉書が
貼ってあり、子どもの頃 時折見たものだった
復員したその叔父達が後に遊びに来ると
戦地での体験を話してくれるのだが
目が点になるような話、キャーと叫ぶ話など
それでいて来宅するとまた姉妹で叔父を
囲むのである。
叔父の一人は10年間消息不明。すでに
陰膳され、諦めムードの中での帰還に
〈幽霊叔父さん〉とよんだりもした。
勿論 その写真の人たちは既に亡く、
話をせがんだ我われもこの歳。
そろそろ戦争も「むかし話」に分類されるね。
昨日は風があり、扇風機さえ不要だった
間もなく72回目の終戦記念日がやって来る。
実家の古いアルバムに
叔父達の出征時の記念写真や叔母たちの
女子挺身隊の写真、国防婦人会の
タスキを掛けた祖母、戦艦大和や武蔵の絵葉書が
貼ってあり、子どもの頃 時折見たものだった
復員したその叔父達が後に遊びに来ると
戦地での体験を話してくれるのだが
目が点になるような話、キャーと叫ぶ話など
それでいて来宅するとまた姉妹で叔父を
囲むのである。
叔父の一人は10年間消息不明。すでに
陰膳され、諦めムードの中での帰還に
〈幽霊叔父さん〉とよんだりもした。
勿論 その写真の人たちは既に亡く、
話をせがんだ我われもこの歳。
そろそろ戦争も「むかし話」に分類されるね。
母の弟が戦死したそうですが、叔父の顔すらまったく記憶にありません。
呉市と岡山で大空襲に遭ったそうですが、おかげでみんな無事で、それぞれ寿命を全うしました。運が良かったのでしょう。ただ、疎開先の生活は覚えています。
貴重な資料の数々は後世に残すべきですね。
語り継がねば失われる残酷な歴史、悪も正義も真実を明らかにする道は一つ
今若い人たちが、高齢の当事者たちに代わって発信する姿が大きな希望を齎せてくれます。
孫たちに直接話せる経験は無いけれど、あの愚かな戦争への道のりを伝えるのはやはり吾々でしょう。
団塊の世代まで、あとは「物語り」としての大戦記になるでしょうね。
環状線の京橋駅前は小学生の頃でも爆弾跡が池の様になって水が溜まっていました。
環状線の森の宮(工兵廠)を通ると母はいつも「つわもの共が夢のあと」と呟いていました。