気ままな遍路人

人生いろいろ…徒然な日記

納車完了!

2008-02-13 21:18:15 | 日記

本日、やっと新しい車が我が家にやって来ました。


保険の切り替えやら、車のお払いなどで午後からは忙しかったです。一通り済ませて、嫁と一緒に自宅周辺を運転してみました。乗り心地は最高でエンジンの吹け具合も好調です。軽自動車ですが、DOHCエンジンのため心配していた加速も問題なく安心しました。

普通車ばかり乗り継いできたので、軽自動車には抵抗があったのですが、私が勝手に思っていたイメージと随分違い驚いています。

また、維持費の違いにも驚きました。今までは、車税が1台で36,800円でしたが、今回からは嫁の車(4,200円)と私の車(7,200円)を合わせても、3分の1にも満たない額なので家計に大きくプラスになります。

燃費もリッター23kmと良く、燃料代が高騰している現在は非常に助かります。

今度は出来るだけ長く乗れるように、大切に運転していこうと思います。


幽体離脱?

2008-02-12 22:38:19 | 不思議体験

昨日の朝方のことですが、私は夢の中?で自宅やら何やらそこら中を走り回っていました。今年は亡き父親の23回忌ということもあって、夢の中で父親と会話し、ついでに祖父と祖母とも色々とどういう形で回忌を向えるか相談していました。


祖父が父の回忌に合わせて、自分達(祖父・祖母)の位牌を父親の仏壇の傍らに奉ってほしいといいます。しかし、ここでいう祖父・祖母は、母方の親なのでむやみに分家である私の父親の仏壇に奉るというのは、基本的に難しいことなのです。


あくまでも夢の中の話ですが、私も試行錯誤して父親に「どうしたら良い?」と聞くと、「良いんじゃないか。ただし、仏壇の向って左側に祖父祖母の連名の位牌を一本作り、自分の先祖の位牌よりも小さく作るように。」と教えてくれました。

私はそれを聞いて、東へ西へと位牌を作るため奔走していました。

そこで、目が覚め起きてみると嫁が「今朝方、家の廊下をバタバタ走っている足音がしたけど、何してたの?」と言うのです。私は、「はぁ~。そんなことしてないけど・・・。」と言った瞬間、夢の事を思い出し、もしかして幽体離脱して走り回っていたのかもと思いました。

それから、嫁に夢の話を説明し、実家に行って母に事の成り行きを話したら、早速仏具店に行って位牌をつくることとなりました。


また、この日は父親の月命日(11日)でもあったのです。父親の命日に祖父祖母の連名の位牌を一本作ることとなり、祖父の祥月命日(2月22日)に間に合うとは、偶然とは思えません。不思議な事ってあるものですね。


役に立つということ。

2008-02-11 22:32:46 | 日記

「何か私に出来ることはないだろうか?」・「人のために何か役にたつ事がしたい。」などと言う人がいます。確かに聞こえは良いですが、あえて他人に聞こえるように言うのは、どうかと思います。

最初のお遍路で出会った人の中にも、「回りの人に何をしたら喜ばれるか。答えを出すために遍路に来た。」と言っていた人もいました。

でも、こう言うことを口に出して言う人って、その人の理想の形にこだわっている人に多いような気がします。

もし、私が「何かしてほしい事がない?」と言われたら、私に対して上から目線で言われているような気になります。本当に心から「何かをしてあげたい」と思うなら、静かにそばに寄り添って、ただ優しい表情で見守られたほうが心が安らぎます。

人はその優しさに感謝するのであって、何かをしてくれたから感謝をするのではないと思うのです。

人はその優しさに心を許し、何かを貴方に委ねるのです。

その時こそ、貴方が望む「何か」がわかるのだと思うのです。

その時こそ、「貴方も私も」幸せな気持ちになれるのだと思うのです。


遍路旅31

2008-02-10 21:57:26 | 遍路旅

お遍路をするとき色々と準備が必要ですがその中に、頭に被る”菅笠(すげがさ)”というものがあります。菅笠には、「迷故三界城(迷うが故に三界は城なり)」・「悟故十方空(悟る故に十方は空なり)」・「本来無東西(本来、東西は無く)」・「何処有南北(どこぞ、南北あらんや)」と書いてあります。

三界とは、「欲の世界」:あれが欲しい・これもしたい・贅沢な生活をしたいと欲の尽きない世界。「色の世界」:性別に関係なく、若いと思っていた自分が歳を重ねる度に変わっていく姿を見て、惜しいとか悲しいとか色んな気持ちになる世界。「無色界」:自分の損も考えず、人の幸せを心配し悲しんだり、同情したりする世界。で、人間はこの三つの世界を彷徨っています。

欲に溺れ、失う若さを惜しむくせに、時が過ぎるのも自分の損も忘れて、人の幸せを祈ってしまう。そんなことを人間は一生繰り返しています。

菅笠に書かれている意味を現代風に言うと、「迷っているからこそ、自分を含め自分の周りのことが見えず、自分自身で勝手に自分の前に壁を作ってしまう。でも、その状況を悟ってしまえば、どんな世界も全てが空なのだ。思えば、初めから東も西もないんだ。それなのにどうして、南や北に人間はこだわるのだろう。」となります。


この菅笠を被って遍路旅をすることは、毎日の自分を戒めてできるだけ”無”の境地で歩くことを実践する修行の一部であると私は考えます。過去3回の遍路旅で最初の時の菅笠は大切に自宅に持ち帰り、いつでもその言葉を見ることが出来るように、自室の壁に飾っています。