にゃんこと黒ラブ

猫達と黒ラブラドール、チワックスとの生活、ラーメン探索、日常について語ります

機を見る力、座を見る力(続編)

2019-11-21 13:38:00 | 日常

 やっと秋らしくなった。朝の5時半はまだ暗い。なな散歩の途中にうっすら明るくなり出して夜が明ける。気のせいか、毎日早朝散歩をし始めて、午前中の仕事への集中力が増したような気がする。

「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」という内田樹が武道から学んだ教えを紹介した。

それは、「強く念じたことは実現する」とか、「自分の思いが実現できそうな環境や人間関係」の直感に導かれて自分から近づいていくとも言える。

前号の渡し舟の喩えを使うなら、その状況は「川を渡りたいと思っていたらちょうどそこに渡し舟が来た」とも言えるし、「渡し舟が来るところにぼんやり立っていたら、船頭に声をかけられ、『乗らんかね』と言われたので、『そういえば川を渡ってみたいような気もする』という順番で事が起きた可能性もある。

どんなとき、どんな場所でも、私たち一人ひとりには、自分のできること、自分にしかできないことがある。とりあえず、その場にいる他の誰もができないことが、自分にだけはできるということがある。

でもふつうはそれがなんだかはわからない。

修行を積むと、「今、ここでだと、私だけができること、他ならぬ私が最もそれに適した仕事がある」ということがわかるようになると内田は言う。そのときに、ふっとそれが「自分が前からずっとしたいと願っていたこと」のように思えてくる。

ここが機を見る力、座を見る力の勘所だと内田は説く。「自分が今特に無理せずにできること」が「自分がそれをすることを宿命づけられていたこと」だと思えたら、誰だって、当然のようにそれをしますよね。

そういうのは、外からは「呼びかけ」とそれへの「応答」のように見えるんだと思う。

「誰かこの仕事できる人いませんか?」という呼びかけがある。周りを見渡すと誰も手を挙げない。自分にその仕事ができるかどうかわからないけど、何となくやればできそうな気もする。

そこで、「あの〜、私でよければ‥‥」とそっと手を挙げてみる。私たちが天職やそう思えるような事柄に出会うときのきっかけって、だいたいそういう感じじゃないかと思う。

すべてご縁のものです。どれもあまり主体的ではない流れの中で、その後の人生を決定づけるような出来事が起きた。どれも「はい、やります」と言ったあとに、「そういえば、これがなんだか自分の天職であるような気がする」と思うようになった。

ですからその様子を外から見ると「強く念じたことが実現した」というふうにも見えるし、「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなしている」と見える。



















 ディズニーシー、今はなき首里城、鎌倉大仏。もう10年以上前の写真。もう行くことはないかも知れない。いや、鎌倉にはまだまだ行きたい神社仏閣が沢山ある。