すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

シベリア抑留と戦争の記録と記憶に向き合う8月

2019年08月16日 | 日々思うこと

台風10号の影響で南寄りの風が吹き続け、朝方6時過ぎからほんの少し雨が降り気温27度の久しぶりの涼しさです。午後からはまた30度を超す暑さと強風の中、4日ぶりの外出ですが忘れ物をして家に戻ったりと思考力低下です。

写真は1級河川姫川の増水で、水色の橋桁の県道姫川橋から日本海へ流れる濁流を左岸堤防から撮りました。

終戦から74年、昭和から平成、令和と時代が移り、戦後生まれの日本の総人口の83%で戦争を知る世代が減っている中で、戦禍の記録や記憶を受け継ぎ、どう伝えていけばよいのかと考える8月です。昭和20年8月終戦当時、私は満1歳で父親が中国に出征していたことや、電気化学青海工場内に捕虜が収容されていたこともあり、家族らがよく話していたことが幼少のかすかな記憶です。

昨夜のTBS「NEWS23」、綾瀬はるかさんによる6日に続く2回目の特別企画『トーキョーダモイ~シベリア抑留者たちの記憶』を視聴です。 1945年8月15日、戦争が終わったはずの中国大陸では北から攻め込んできたソ連兵に、およそ60万人もの日本人が「トーキョーダモイ(東京に帰る)」と騙され連行され、新たな“地獄”が始まりました。向かった先は極寒の地シベリア、冬には氷点下40度にもなる中で、強制収容所に入れられ森林伐採などの重労働を強いられ、60万人の抑留者のうち1割にあたる6万人もの人たちが寒さや飢えで死んでいったことを取り上げていました。

シベリア抑留といえば、糸魚川市出身の村山常雄先生(享年88)で、70才を過ぎてからパソコンに向き合い、抑留死亡者の名簿に取り組んだ偉業を思い出します。そして村山先生のこの名簿で、私の叔父(亡き父の弟)の消息も分かりました。そんなことで5年前のブログから記録することの意義をかみ締める8月です。2014年5月13日付け 村山常雄さんの訃報とシベリア抑留者名簿と・・・ 7月7日付け “巨木の人”、村山常雄さんを偲ぶ・・・ 

毎日新聞2016年5月8日でも掲載でした。https://mainichi.jp/articles/20160508/ddm/010/040/048000c