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仙台堀川から(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
良くも悪くも、言葉は「とりかえしのつかない贈り物」です。
相手に届いてからは、記憶を消すもそのままにしておくも、全て相手次第だからです。
これだけなら「なんだ、ちょっと考えればわかる話じゃないか」と思いますよね。
でも、ちょっとした言葉にしろ、「とりかえしがつくかつかないか」というのは、
本当はすごく深い意味合いがあるのです。
子供の頃、両親から繰り返し言われたこと、誰しもいくつもあると思いますが、
言われたことの全部が全部、「言われてすぐに意味を理解した」というわけではないハズです。
たいていは痛い思いをしてから胸に染みてきたり、あるいは大人になってから痛感するというものもあるでしょう。
ここまで話をすれば、もうお分かりですね。
言葉には、「時期を経て、はじめて伝わること」というのがあるのです。
その場では耳に入らなくても、ふとした瞬間に耳を打つとか、後になって繰り返し思い出されてしまうとか、
つまり、言葉というのは「言ったその場で、しかも言葉の額面通り」に伝わるとは限らないのです。
さて、ここまで「とりかえしがつかない」とか「後悔先に立たず」というような話をしてきましたが、
これ、逆もまた同じなんですね。
つまり、「相手を立てたりよく言うことは、決して無駄にはならない」のです。
たしかに、その場では謙遜するなどして、言葉を受け取ってもらえないことはあるでしょう。
しかし人間、時に元気をなくすこともあれば、物事が噛み合わず、本来の力量が空回りしてしまうこともある。
たとえばそんな時に、「でもあの時、あの人にこう言われたから」ということで、はじめて受け取ってもらえたり、胸に響くこともあるでしょう。
反対に、人を過信させてしまうこともある。
でも、大袈裟に言えば、「誰かの一言」だけで、それが失意の底での心の支えになったり、生きる希望になるという場合があるのも、事実だったりするのです。
だからこそ。
褒め言葉もけなし言葉も、いつ炸裂するかは相手次第である以上、
気をつけて言う必要があるのです。
「褒めたほうがいい」というよりは、本人の自尊心を大切に、愛ある言葉を心掛けて言うことが、
相手にとって、最も栄養になるのです。
だから、毒舌な人やストイックさを全面に出す人は、人を遠ざけるのです。
あくまで「愛ある言葉」にこだわりましょう。