昭和26年。2回目の転居。あいまいな記憶だが、住所は愛知県東春日井郡守山町瓢箪山。「ひょうたんやま」という名鉄瀬戸線の駅がある。数年前、おじの葬儀の時に五十数年ぶりにその駅に降り立った。もう少し東へ行ったところに尾張旭市がある。自家用車の件で何度かその町へ行ったときにはただ通過したことはある。駅舎もすっかり変わり、町並みも面影はまるでない。ただ、駅から南へ向かう細い道は当時のままだ。
ひょうたん山というのは形が瓢箪に似ているからだろうが、実際は古墳だ。前方後円墳だ。4年生か5年生の時、夏休みの課題でこの地区の古墳を調べたことがあった。
新しい家の大家さんは今吉さん。すぐ前の家は相馬さん。相馬さんは私に鉱石の見本が沢山入った標本のようなものをくれた。どこかにしまってあると思う。大家さんの南の庭先には芋の苗床があった。長方形で、高さは数十センチくらいで藁でかこってあるかんじだ。大家さんの思い出は他にもあるが・・・。
昭和27年。小学校へ入学。一年生の担任の先生は近藤信子先生。隣の席の女の子は黒岩のりこさん。一番前の席だった。初めて写真屋さんで撮った写真。ハンカチを胸にとめていた。
通知表。旧漢字「國民の祝日」が懐かしいが、示偏の「祝う」がワープロで見つからない。
10円玉が出たのが昭和26年。ギザ10だ。
歌:ミネソタの卵売り、アルプスの牧場、僕は特急の機関士で、
上海がえりのリル(船を見つめていーたー、浜のキャバレーにいーたー・・・・)
雪山賛歌、高原の駅よさようなら、テネシーワルツ、憧れの郵便馬車
食べ物:キャラメルがでた。うまかった。
良く覚えておられますね。小学校の先生ですか。1年生の先生はトクチ先生と言ったかな、字は思い出せません。女の先生でした。
って書いてある気がするのですが。。。笑
そのとおりです。消極的なのです。
途中はいいのだが、最後にがくんと下がる・・・という成績。この性格は未だに続いています。なんでも中途半端。通知表は全部あります。まあ、いろいろデジタル化をしてみようと・・・・
今のお写真と幼少の頃を見比べて、他人の私がなぜか「ほのぼの」してしまいました。