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昭和20年 その1

2007年07月11日 | 自分史

昭和20年(1945年)4月25日(水)に生まれる。
岐阜県美濃市蕨生というところで生を受ける。
父の実家を疎開先にし、そこで生まれた。
父は名古屋の○○重工に勤めていたが、米軍の空襲が激しく、毎日、毎日、ともに働く友人が次々と爆撃に命を落としていく中、耐えられなくなり退社し疎開。生きながらえていれば会社の重役まで登りつめられるのかもしれないが命のほうが大切。
3月10日 東京大空襲

Tokyoukuuhu 私の本棚にある「東京大空襲」 早乙女勝元氏著 岩波書店

この本の書き出し・・・・

「勝元おきろ!」
父の声に私ははね起きた。とたんに、南の窓ガラスごしに、目もくらむばかりの光線がつきささる。そしてドカドカと地脈をゆするような不気味なひびきが、とどろきが。私はそのおどろきをまるで昨夜のことのようにおぼえている。子どもの日のショッキングな印象というものは、ときには網膜にやきつけられたように、いつまでも鮮烈に残ることがあるらしい。そのときの私は、枕元にあった救急袋と非常袋、防空頭巾、それに唯一の宝物ともいうべき古銭をいれた布袋をひとつかみにひっかかえて、「きたァッ、きたぞォ!」とさけびながら、転げるように階下へかけおりた。・・・・・・・・・略

3月10日はいわゆる「陸軍記念日」でこの日に東京に今までにない空襲があるという噂があり、現実となったのだ。
 そういえば3月10日は父の誕生日でもある。陸軍記念日なので、一週間ぐらいずれていても、その日を誕生日にする人が多かったらしい。今はなくなった叔父も3月10日生まれだ。
 この本には、B29が頭上をおおいつくし帝都(東京)が焼け野原となっていく様子が詳しい。母にもよく聞いた話だが(名古屋空襲、岐阜空襲)、夜空に浮かび上がるB29から、あられの様に焼夷弾が降るさまは聞いただけでも悲しい恐ろしい話だ。

親が、激しい空襲を逃れ、田舎へ疎開したために私が生まれた。悲しい辛い運命の数限りないいたずらが展開されたことであろう。われわれ庶民の記録はない。
 さて、4月25日生まれであるから、最後の戦中派ともいえる。岐阜空襲の時には美濃市の山の中から岐阜市を眺めると、空が真っ赤に燃えていたそうだ。

昭和20年の記録
歌 「りんごの歌」・・・・(口ずさむことが出来るが、この年にはやったのか!)
流行 もんぺ、国民服、GI、ピカドン、一億総懺悔
第一回宝くじ、バラック、復員、ヤミ市、進駐軍、パンパン、DDT
白米10キロ 10円、ビール2円。

こんな時代背景の中生を受けたわけだ。

4月1日 米軍が沖縄本島に上陸。
4月25日 私が生まれる。
6月23日 沖縄守備隊全滅。
8月6,9 広島、長崎原爆投下


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1 コメント

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多くのかたの命が失われました。 (kazuyoo60)
2007-07-11 18:55:23
多くのかたの命が失われました。
お父様の決断のおかげで、怖い目に合われなくて良かったですよ。それでも物の不自由な時代を多少は覚えておられるでしょう。
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