『有り得ないNHKの便乗商法の不思議』
民放とは大違いでNHKは独自の方針として、マジックインキやサインペン、ウオークマンとかチキンラーメンなどの普通の誰でもが一般に使う言葉(今では固有名詞ではなく普通名詞化している)を、特定の企業の商品名であるとして絶対に放送では使わせない。(特定のコマーシャルになるので禁止)
テトラポットなど、それ以外には表現が無理な言葉でも『企業の商品名である』として『波除ブロック』としている位に徹底しているNHKなのです。
山口百恵の大ヒットした流行歌の中にあった『真っ赤なポルシェ』の歌詞の表現さえ『特定企業の商品名だから絶対に駄目だ』と禁止する、秦の始皇帝の焚書に近い徹底振りで関係者に恐れられていた。
ところが何とそのNHKが、今回『もしドラ』のアニメ化というベストセラーの便乗商法(特定商品の広告)を行ったから驚きである。
遣り方が、今までのNHKの真逆だから驚きであり不思議すぎるのです。
同じ便乗商法の事実でも民間放送なら当然で、何百万部も売れた原作本のアニメが大当たりすれば関連商品が売れ、その影響が波及して原作本やDVDも売れる相乗効果が付く。
普通の無関係なドラマ撮影でも、さり気無く自動車など『商品』を宣伝してスポンサー料を稼ぐのが民放なのです。
民放なら当然の便乗商法を、今までのNHKは原則として絶対に行わなかった。
『もしドラ』だけが異質なのです。
当初NHKは総合放送で20~40代の大人を対象に2011年3月から夜11時台を予定していたが、実際の放送はEテレ(教育放送)の毎週土曜日の6時台の子供向けに変えられる。
出来上がった実物を見てNHK幹部たちは最初の計画だった『大人向け』を諦めて、急遽『子供向け』に方針を大転換したらしい。
大人でも極一部の管理職対象の経営学を子供向けに放送したのでは、まかり間違ってもヒットする筈が無い。必ず失敗する。
アニメですが、あれはヒットした有名なアニメ『タッチ』の出来の悪いパクリですよ。
ドラッカーの経営学なんか、一つも『もしドラ』ではドラマの筋書きに役に立っていない。
無理やりのコジツケであり、青春ドラマとして見ても出来が悪い駄作。
この原因はアニメ化よりも、そもそも原作の『もしドラ』の記述内容に問題が有り、当然の成り行きで仕方が無い。
『今までの慣例を完全無視!』失敗覚悟のNHKの玉砕戦法
それにしても不思議で、意味が判らない。
韓流ドラマは現地で既にヒットしていて、それなりに高い評判になっていた。NHKによる放映は買ってくるだけで良く、まったく手間がかからず安上がり。
リスクが小さく、当たれば大儲けなので経営学的に正しい。
ところが『もしドラ』の場合は、この韓流ドラマの正反対である。
半年もかけて大金を使って独自に製作したが駄作中の駄作で、放送局(NHK)としては経営学的に大失敗の見本であることは、放送前にすでにNHK幹部達は判っていた。
しかも、その元ネタが『経営学』のドラッカーなのですからブラックユーモアである。
悪過ぎる冗談であり、NHKとしては恥ずかしい限り。
これはもう『大笑い』するしかない。
『もしドラ』はノーベル経済学賞を受賞した経済学者達がヘッジファンドで大失敗して破産した同類項の笑い話であり、折角の名声を汚すお粗末過ぎる成り行きである。
『アニメ化による相乗効果』などの便乗商法は、そもそも『成功の確率が高い』なら、利にさとい民間放送が見逃さず必ず行う。
今回、その民間放送は誰も手を出していない。
最初から、儲からない(ヒットしない)と判断したのでしょう。
『もしドラ』をアニメ化したのがNHKだから意味が根本的に違ってくる。
ドラッカーですが、別に今の全ての聖域なき規制緩和、悪魔の碾き臼新自由主義やTPP締結を宣伝している訳ではない。(彼の生きていた時代が大きく違っている)
しかし根本となる発想自体は、ブードゥー教経済学の『レーガノミクス』お馬鹿極まるノーベル経済学賞受賞者ミルトン・フリードマンとか、今アメリカから日本が締結を迫られているTPPと『同じ』なのですよ。
ドラッカーもフリードマンも、ついでの野田首相や外務省も同じですが、無制限の規制緩和(自由化)の極一部の魅力部分だけは理解出来ても、本当の『恐ろしさ』を全く知らない。
しかもリーマンショック以来、新自由主義の『自由化』『規制緩和』なるものが、今までのポジティブなイメージの言葉から、正反対のネガティブな価値観を持つ言葉にコペルニクス的に大転換してしまった。資本主義の根本も疑われだした。
NHKとしては何としても、それもう一度元の位置に、ドラッカーの力を使って180度引っくり返したかったのではないでしょうか。
経営学的に成功の可能性が高いから行ったのではなくて、その逆に政治的な目的で、誰が見ても成功率の低いアニメ化に踏み切ったのです。
時系列的に考察すれば、NHKによる『もしドラ』のアニメ化は、時期的に見て一番ぴったり一致するのは今大問題に成っている日本のTPP参加問題である。
両者に何らかの関連性があると考える方が判り易いし、色々な不思議な出来事の辻褄も合う。
今の日本が20年間も苦しむ悪質なデフレ経済ですが、1929年の大恐慌以来西側世界では今の日本とよく似た悪質なデフレが蔓延して、その解決法として各国がブロック経済での囲い込みを行い益々状況は悪化して仕舞い、最後は史上最大の第二次世界大戦に突入する。
第二次世界大戦の原因と看做されているブロック経済の正反対が、今日本中の人々を巻き込んで鋭く賛否が対立する大問題の、全ての規制を撤廃するTPPであるとする説を、外務省など賛成派が唱えているのです。
『ドラッカーの全体主義批判の胡散臭さ』
そもそも経営学は完全に独立した学問分野ではなくて基礎として社会科学の経済学や会計学がしっかりしていないと話にならない。
『経営学』とは親亀の経済学、小亀の会計学の上に乗っている孫亀状態で、親亀がこけると上に乗っている小亀孫亀がみなこける。
ドラッカー経営学の乗っている親亀である資本主義は、今や無制限の規制緩和の新自由主義の害毒で瀕死の状態なのです。
ピーター・ドラッカー(1909年~2005年)は、オーストリア・ウィーン生まれのユダ人で現代経営学(マネジメント)の開祖ともいわれる、アメリカの経営学の生みの親。
おりしも時代は第二次世界大戦前夜である。
ドラッカーが直接ヒットラーなどナチスに対する取材を通して『全体主義』に警鐘を鳴らし、経済的自由を最大限の価値観とする『経済人の終わり』を発表したとされている。
『全体主義』の危険性をいち早く予言した世紀の賢人ドラッカーですが、余りに馬鹿馬鹿しい誤解ですよ。
絶対に不可能な『独ソ不可侵条約』を完璧に予想したとして、天までドラッカーを持ち上げているのですが、これは軍事戦略的には、当然過ぎる予想の範囲であり何の不思議も無い。
ドイツの長年の宿敵陸軍大国フランスに侵攻して軍事占領を計画していた時期に、不利な東西二面作戦で挟撃される危険を避ける目的で背後の強敵ソ連と一時的に休戦して、自分の安全を確保するのは誰でもが考えますよ。
ドラッカーの予想は余りにも当然の話であり、予想しなかった方がお馬鹿なだけなのです。
1939年8月23日にドイツがソ連と不可侵条約を結ぶ。
予想していなかった日独伊防共協定等の三国同盟を結ぶ日本は、『欧州天地は複雑怪奇である』として平沼内閣が総辞職する。
ところがこの同盟は一時的な見せ掛けに過ぎない。
1940年5月10日 - 6月4日に英仏軍をダンケルクに追い詰めドイツ軍勝利、辛うじて英仏連合軍は35万人の脱出作戦に成功する。
フランスが降服して全面占領状態が安定しドイツが欧州大陸全体を支配したら当然の結果として1941年6月22日からソ連に侵攻する。
ドラッカーがこの当然の結末である独ソ戦を予想したのであれば、素晴らしい判断力であると私も賞賛しますが、彼には独ソの史上最大の戦争を、全く予想できなかったのですよ。
彼は、ナチスドイツのファシズムの本質を理解できず、表面的に『全体主義である』としか理解出来ない。
それで、ドラッカーにはソ連も全体主義で『同じである』としか理解出来ない。
『同じ』としか理解出来ないなら、その当然の結果として『独ソ同盟』が出てくるのは、あまりにも当然であろう。
企業家個人の裁量権の自由程度の極狭い範囲での『自由』を最大限の価値観とする、お粗末な経済学の知識しかないな右翼的なドラッカーには、それ以外の答えが出る方が可笑しいのですよ。
一見社会主義的な装いのヒットラーの空疎なスローガンなど表面だけを見て、究極の資本主義としてのファシズムの何たるかを、ドラッカーは理解が出来ない。
『究極の資本主義としてのファシズム』
究極の、極限状態の国家資本主義であるナチスドイツの主敵は、その当然の結果として、あくまで社会主義体制のソ連であるとの経済学の根本原理が見えていない。
ですから第二次世界大戦が終結するとすぐさま連合国が分裂し、早速米英は『終わらない公共事業』としての冷戦を第二次世界大戦の同盟国であるソ連相手に始めている。
東西冷戦ですが、『何の為に行ったのか』が、実は判っているようで全く意味が不明であるのですよ。
世界中の金の8割を握るアメリカは旧敵国の日独伊には惜しみなく金や技術の援助を行い復興を助けるが、対照的にナチスドイツと共に戦った『同盟国』(連合国)だった筈のソ連に対しては正反対に経済封鎖を行い復興を妨害していた。
アメリカは今でも政権転覆目的でキューバに対しては経済封鎖(冷戦)を行い大損害を与えている。
アメリカの行った冷戦ですが、今の日本が旧植民地北朝鮮に経済封鎖を行う一方でベトナムなど旧准敵国に対しては資本や技術をつぎ込むのに似ているが、日本国だけは冷戦構造の残滓が無くならない。未だに残っているのは不思議である。
永久に終わらない戦争だった『東西冷戦』は、一方が負担に耐え切れずゲームオーバーで突然、ソ連が崩壊して唐突に終わってしまう。
この東西冷戦の思想的な背景を提供していたのが誰あろう、このピーター・ドラッカーの経済学を無視する『全体主義』の間違った発想であるのです。
1941年の独ソ戦の開戦直後にナチス副総統ルドルフ・へスがイギリスに飛び、英独の講和交渉を始めているのですが、これはドイツ敗戦後にはヘスが勝手に単独で行ったピエロであるとされ歴史の闇に消されている。
しかしですね。独ソ戦を開戦するなら矢張り、当然東西二面作戦を避ける目的で(一時的だった独ソ不可侵条約締結と同じ発想で)背後のイギリスとは講和したいと願うのはナチスドイツでなくても、誰であれ当然な話なのです。
ドイツのヒットラーですが、開戦すればソ連はすぐさま崩壊するとの『偽情報』を根拠にドイツ第三帝国滅亡の大戦争を始めているのですが、イギリスやアメリカに暗号エニグマを解明されていたドイツが罠の偽情報を掴まされて嵌められた可能性も十分に考えられるのです。
ソ連軍以外では、ナチスドイツの史上最強の2000万人にも上る鉄の軍団を抑えることが出来るものは、当時世界中で何処にも無かったのですね。
第二次世界大戦の結果、欧州全域は焼け野原、特にヨーロッパロシアの全域を占領されたソ連は他国とは桁違いの2000万人もの最大の損害を出し国力を消耗して大きく立ち遅れる。
アメリカの絶対的な覇権が確立するのは、アメリカを除く全ての先進国(英仏独伊ソ日)が破壊された第二次世界大戦のお蔭なのです。
特に最大の戦争だった独ソ戦が起きなければ今の超大国アメリカは、そもそも存在しない。
また、認知症の患者に効くドリルがあると紹介する番組が過去にありましたが、これまた某フランチャイズ学習塾の宣伝に利用されたという批判がでました。(ドリルの表紙に社名とロゴが)
あと、企業の研究所に所属している人が画面に出る場合、肩書きがきちんと表示されますが。
『もしドラ』の方に戻りますが、あれは関連番組や豪華ゲストが出るエンディングトークで大人の視聴者をひきつけようとおまけ商法に走ってました。マンガやドラマで「ナントカ学」を扱うとヘンになると判っての事だと思います。
NHKの絶対に商品名などのコマーシャルを行わないとの方針ですが、これは歌謡曲の歌手相手では厳格を極めていて、今でもこの方針は健在らしいですよ。
ところが同じNHKでも野球放送では日本ハムだのヤクルトだのオリックスだの楽天だのダイエーと、昔から平気で企業のコマーシャルを行っていたのですから、目に余るダブルスタンダードで呆れたものです。
プロ野球のスポンサー企業ですが、球団経営では毎年毎年必ず何億円もの大赤字なのですが、実はスポーツニュース枠で自分の宣伝を自動的にしてくれる。
球団の大赤字ですが、親企業の広告宣伝費であると看做していて、ソロバンは合っているのですよ。
それで、一時赤旗が、『企業宣伝は良くない』との理由で、阪神はタイガース、日本ハムはファイターズと企業名ではなくてニックネームの方で報道していた。
ただ赤旗一ヶ所だけで他は全て、矢張り今までどうりの日本ハムなど企業名だったのです。
言葉というのは、正しい正しくないとは別であり、その他の大勢が全員使ってるものでないと通用しないのですね。
企業名抜きの方針は、いつとは無しにこの本来なら正しいやり方は取りやめになる。
しかし、宣伝広告は悪いとの原則が正しいならNHKこそが、他は違っても自分だけは企業名抜きの方針貫徹で、プロ野球報道ではニックネームだけにして報道するべきなのです。
しかし、そんなことはしないのですよ。
何ともはやの話で、NHKは、歌手個人など弱者に対してはめっぽう強いが大企業など強者には昔から弱いのですね。
腹が立つ。
大企業のコマーシャルを紙面に載せない赤旗の言い分(理由)ですが、
大企業の広告宣伝費に依存すれば報道姿勢が歪められるから、として原則的にコマーシャルは載せない。
紙面にあるのは個人企業などの広告が極少数の例外的な少なさ。
赤旗と同じで、コマーシャルで報道機関としての公平性が失われるとの発想で、NHKも広告を行わない。
ところがですが、コマーシャルのある民間放送と、コマーシャルの無いNHKと、
全く同じ内容のニュースを流しているのを皆さん、全員が見聞しているのですよ。
特に3・11以後に『全く同じ間違い』を犯しているのを見ているのです。
内容が『正しい』なら、例え『同じ』であったとしても、特に問題ではないが、
間違い部分が『同じ』である事は深刻で、この事実は大問題ですよ。
テストなら間違いなくカンニングなどの何らかの不正を働いているのですね。
報道各社は記者クラブでのメモ合わせなどの違法行為の悪質なカンニングを行っているのですよ。
赤旗やNHKの『広告が悪と』の言い分ですが、これは基本的に間違いであるか誤解ですね。広告が悪ではなくて、広告主の圧力の迎合する態度が悪なのです。
広告宣伝の有る無しと、その報道機関としての公平性の間の相関関係は、実は直結することはなくて、NHKを見れば良くわかるように極薄いのですよ。
広告が無くても、悪いものは悪く少しも良くならないのです。
テレビコマーシャルですが、番組の内容よりも余程出来の良いのが目立ちますね。私はテレビではコマーシャルを一番楽しみに見ていますよ。
へえぇ、宗純さんは観たんですね、アニメの『もしドラ』。本の方で『もしドラ』を読んだ人間のどのくらいがあのアニメをみたのだろう? ちなみに私は観てません。観る必要を感じないから。
NHKが『もしドラ』を放映した理由。単に萌えたかっただけと私は推測しますね(笑)。NHKの番組を観ていないので、当てずっぽうですけどね。でも、子ども向けの時間枠になったということは、それを裏付けているんじゃないですか?
『もしドラ』なら、NHKでも萌えられるんです。主役は女子高生。しかしテーマはマネジメント。NHKにうってつけじゃないですか。
世の中「萌え」ブームだということはNHKのニュースでもよく取り上げられます。でも、いくらなんでもNHKがおバカな萌え番組を作って報道するわけにはいかないでしょう。いえ、私はしてくれてもいいと思ってますが、「各方面」が許さないでしょう。苦情電話が鳴り響く。
でも、『もしドラ』なら、できる。
案外、その程度のレベルの低い理由だったと思いますがね。
ストーリー方面については、原作を読んだ時にも思ったのですが、主人公達の高校サイドでの話を重点に置いているため、敵高校サイドの話がおざなりになってしまっているのが難点だと思いました。
そういう意味では、6シーズンかけて放映されたMAJORシリーズの方が出来が良かったと感じます。
萌えと言えば、やはり東京都の秋葉原のメイド喫茶での『ご主人さま』が特筆するべきでしょう。
その昔に、大阪でノーパン喫茶なるものが流行り、これはもう絶対に自分の目で確認しておかずばなるまいと考えている内に何時の間にかブームは過ぎ去り、一回も見ずに終わって仕舞ったのです。実に惜しいことをした。
今後『惜しいことをした』と後悔しないように、この今大流行りのメイド喫茶には早目にいくべきなのでしょうか。
メイド喫茶に行かなくとも、本物のメイドを雇える階層なら、何時も何時も『ご主人様』と言って貰えるのです。
我々のような貧乏人が金持ちの真似事をするところに意味があるのでしょうか。
考え出すと面白いですね。
本物のメイドですが、これは世界の例外で、現在の日本国ではとんでもなく少数の絶滅危惧種なのですよ。
ところが昔は日本でもメイド(女中)は普通の存在だったし、世界では今でも普通の存在なのですよ。
階級制度が残っていた明治大正期には女性の職業は、ほぼ女工と女中しか世の中には無かったのですね。
私の母親も東京で女中奉公で大店に住み込んでいたときに関東大震災に遭遇して恐ろしい目にあったそうですが、ある程度の金持ちなら必ず何人もの奉公人を抱えていた。
ところが今の日本では女中(メイド)などの家内労働者が粗いなくなって仕舞ったのですか、アメリカなど他の先進国では金持ちがメイドを雇うのは当然なのです。
欧米先進国と我が日本国ですが、価値観や制度がや矢張り根本的に違っているのですが、ハロウインのようにアメリカで流行れば自動的に日本でも流行るものもある。
アメリカで大流行しても、とうとう日本では流行らなかったものが、フロイトやユングの精神分析とドラッカーの経営学なのですよ。何れも日本国では科学ではなくて偽科学に近い胡散臭い代物であると看做されていた。
特にドラッカーの経営学の流行る素地が、そもそも日本国には全く無いのです。
ところが米国ではMBA(経営学修士)の資格は司法試験に合格した弁護士資格以上の価値があるんですね。
ですから『もしドラ』が日本国で売れた理由は、多分『萌え』以外の要素は少なかった。
湧泉堂さんの 2009.07.21
米国カリフォルニア大学バークレー校に留学MBA(経営学修士)を取得したという会社社長とお話
★日本人は、電気、機械、自動車などの輸出産業のおかげで食っていられる。
金を稼いでいるのは輸出産業であって、農林水産業も、国内向け小売業、飲食業、サービス業もみんな、輸出産業が食わせてやってるんだ。
★非正規雇用、派遣社員は、能力が無くて努力もしてこなかったんだから、政府や企業を批判する資格なんて無い。
失業も、リストラも、賃下げも、今の境遇は全部自己責任だ。
企業は、今まで賃金を払ってやってたんだから、企業に感謝こそすれ批判するなんて、恩をアダで返すようなもんだ。
★大企業を優遇して、金持ちをさらに金持ちにすることで、日本は豊かになる。
大企業や金持ちを批判するのは、怠け者の僻(ひが)みだ。
★労働者の賃金はどんどん下げて、株主配当を増やすべきだ。
なぜなら、経済のために貢献しているのは、いくらでも取替えがきく労働者ではなく、経済を主導する株主だから。
★お金持ちや大企業は、お金を増やすのが上手いのだから、お金は大企業とお金持ちに持たせるのが良いのだ。
貧乏人がお金を持っても、ロクなことに使わない。
自由主義社会なんだから、カネや豊かな生活を望むなら、貧乏人はもっと努力をしろ。
★日本には資源が無く、人的資源、および労働力以外に国際競争力は無い。
なので、国際競争力を維持するためには、労働者の賃金を上げてはいけない。
賃金を上げると、国際競争力が無くなり、中国やインド、その他賃金の安い新興国に負けて、日本がダメになる。
★収入格差を是正するために、日本国民は、もっと株式投資をするべきだ。
★能力が無いから、非正規雇用になったり、低賃金の仕事にしか就けないんだ。
それがイヤなら、資格や能力を身につけたり、人一倍の努力をしろ。
★企業は法律に則って運営し、利益を出し、税金も払ってるのだ。
だから、内部留保を使って(派遣切りに会った)元従業員のためになんかビタ一文援助してやる必要など無い。
クビになった従業員は、一文無しだろうと、真冬に住むところが無くなろうと、即刻、社員寮から出て行くべきだ。
また、そんな境遇は自己責任だから、税金で救ってやる必要もまったく無い。
日本で経営学が流行らなくて大正解ですよ。
日本にメイドがいないのは、格差が少ない社会「だった」からでしょう。このままでいけば復活しますよ。
しかし、そうなると「メイド萌え」も自然消滅するでしょう。「萌え」は字面からもイメージできる通りセクシャルな要素が大きいのですが、つまりは非日常性なんですね。ヒトはのべつまくなしに発情する生き物ですが、それゆえにかえって、発情のための機会を作ろうとする。「萌え」はその類です。つまりです。メイド喫茶なるものは、風俗店なんです。風営法の対象外なんでしょうけどね。
風俗店...、行ってみたいですねぇ(笑)
ところで、私はあべのスキャンダルにいったことありますよ。高校生の頃。学校が近かったこともあって。大枚をはたいて。1000円? いや、2000円だったかな。でも、悲しいことに、「ノーパン」がどういいのか分らなかった。女性の胸部には「萌え」ましたが、下も着けていないということの「意味」がわからなかった。ま、女を知らなかったんですね。
それと、ドラッカーについて。
宗純さんはやはりドラッカーをご存じない。ドラッカーは企業経営者に対して、
「儲かったからといって、すぐに高級車に乗るようなことはやめろ。そういったことが微妙に企業の生産性を下げてゆく」
と言ったような人でした。宗純さんが想像しているような「経営学」とは正反対ですね。ドラッカーは経営学ではなく、むしろ「経営哲学」と呼ぶ方が相応しい。ただ、いつの世も「哲学」が正しく理解された試しはない。
「もしドラ国策番組説」をとる場合、やっぱり視聴率を気にしなくていいNHKが担当するのが自然なんでしょう。
どうせなら「顧客」が入場行進するシーンみたいのを増やしてほしかったですね。
『MEJOR』はまともな原作のある作品ですから出来が違って当然と思います。
やっぱり図書館で『経済人の終わり』を捜そうと思います。近所の書店で見つけましたが買う気は起きないので。
私自身混乱しているのですが、戦前の日本の右翼は「打倒資本家、打倒共産主義」をスローガンにしていましたよね。ヒットラーが街頭で演説したときも「ユダヤの資本家を倒せ」だったはずです。ゲルマン人の資本家がユダヤの資本家と同じ振る舞いをしたらナチスは許すのでしょうか。
「リバタリアンとコミュニタリアン」という分け方もあるようですが、世の中そんなに簡単に2つや4つに分けられるものでしょうか。まとまりが無くてすみません。
全く同感です。NHKとしては手抜きの大失敗作であり、誰でもが見終わってから『何の目的で作ったのか。??』と首を傾げる代物です。
作品の出来が悪すぎるのですよ。
これでは、『MAJOR』などのヒットした漫画作品をアニメ化した作品とは大きく違っていた。
そもそもの原作の『もしドラ』自体が、『何を目的にしていたのか』がさっぱり判らないのです。
ドラッカーの経営学を紹介したいなら日本の高校野球を例に出すのは最悪の選択であり、異種格闘技に近い違和感を感じるのです。
サクセスストーリーの青春ドラマとしての筋書きが整合性が無く、ドラッカーの経営学がまったくのコジツケなのですよ。
そもそも、この経営学が日本人には決し受け入れられない偽科学である事実は、明らかなのです。
欧米企業がありがたがるMBA(経営学修士)を欲しがる日本企業は、これでけグローバルスタンダード全盛でも、ゼロなのです。
日本の経営者たちの間では、だれも欧米のMBA(経営学修士)の資格を信じていない。
ですから、ゼロにどんな数字をかけ様とも答えはやっぱりゼロにしかならないとの数式どうりですね。
メイド(女中)の日本国からの消滅ですが、格差問題の可能性も有りますが、社会制度や階級制度の方が関係しているのではないでしょうか。
今の現代作家の小説世界で設定に、メイドが出てくれば途端に嘘くさくなるか何かのパロディなどのお笑いになる。
ところがこれが、明治大正時代が舞台なら中産階級以上なら必ず婆や子守や女中などメイド(家庭内労働者)が登場する。
登場させないと逆に現実感が無くなるのですね。『我輩は猫である』には書生なる、今の世界では到底理解出来ない不思議な若い男の寄宿者まで存在していたのです。
明治ですが、この時代は色々な風俗面で江戸時代からの繋がりが強いのですよ。書生制度も女中もこの流れでしょう。
昔は今よりも貧乏だったが、少し余裕のある豊かな人は必要の有る無しに係わらず、沢山の人員を養っていたのですよ。
精神的には今よりもずっと豊かだった可能性があるのですね。
ところが日本中が焼け野原で全員がとんでもなく貧しくなり余分な人員を養う余裕が無くなり女中が自動消滅するのです。
今の日本人は敗戦以前よりも豊かになったが、もう他人を養うとの発想が無くなっていたので女中が復活しないのでしょう。
大金持ちでも日本では家庭内労働者を雇わないのですよ。
金持ちは無駄遣いしないので、これでは欧米のトリクルダウンなど起きる訳も無いので、余計に新自由主義の弊害が大きいのです。
愚樵さんは、やはり根本的にドラッカーを誤解しています。
>『ドラッカーは企業経営者に対して、「儲かったからといって、すぐに高級車に乗るようなことはやめろ。そういったことが微妙に企業の生産性を下げてゆく」と言った』
との話を、善意に善意に解釈しているのですよ。
真実がまったく見えていない。
前の記事にも書いたが、『それは当然だ』と何故気が付かないのでしょう。
しかし、これは軍国主義の精神的主柱で日本を破滅に導いた忌まわしい教育勅語の中の記述にも、誰しもが納得出来る沢山の項目があるのと同じ意味である。
『有って当然』。何も『良い部分』が無いほうが余程『有り得ない』のです。
ドラッカーですが、
彼の言葉ですが、実はあれは当たり前ですがアメリカの経営学者のドラッカーがアメリカの経営者たちに向かって語った言葉であるのですよ。
決して日本人の経営者が対象ではないのです。
そしてドラッカーですが大の日本びいきであり、彼の主張する理想の経営者とは、バブル前の昔の日本の理想の経営者像とぴったりと一致するのですよ。
ですから日本人である愚樵さんが聞いても何ら違和感を感じずすんなり受け入れられるし、逆にアメリカ人経営者からは今までに聞いたことが無い目新しい斬新な発想にも思えるとのドラッカーの名言集が出来上がる仕組みです。
経営学のドラッカーが偉いと思うのは、松下幸之助の無税国家が素晴らしいと思うのと同じで、単なる勘違いですね。
本には二種あり、読んで内容が理解出来るものと、
その逆に最初読んで一部は何となく判るが理解出来ない。仕方なく繰り返し読んでみると段々と深みにはまり、ますます判らなくなる種類の二つがある。ドラッカーですが後者ですね。
もしも興味があれば是非とも読んで欲しいのは、片山 杜秀の『近代日本の右翼思想』です。多分りくにすさんが今まで感じていたであろう『日本の右翼』に対する謎が全て解消するでしょう。
『近代日本の右翼思想』 つまづきの石としての天皇
2008年04月14日 | 政治・外交と天皇制
題名は難しいが内容は実に判りやすくて、間違いなく読んで楽しい本で、日本では右翼を理解する上で天皇制を抜きにしては誰であれ無理なのです。
同じことがヒットラーなど欧州のファシズムに言えて一神教の持つ不思議な発想を無視にしては中身を理解することは矢張り無理なのですね。
これはドラッカーにも言えて、キリスト教的な価値観を理解できないと矢張り理解することは無理でしょう。
欧米であれ程は流行ったドラッカーの経営学が日本で流行るどころか、まったく無視されて偽科学扱いである事実は、このことが原因しています。
宗教感の違いなのです。
今回何となくドラッカーを理解しているらしい愚樵さんですが、元か現役かは良くわかりませんがクリスチャン(隠れキリシタン)なのですね。だからこの問題では無神論の私とは話がなかなか合わないのです。