逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

「鶴の一声」巨人造反劇と爆発映像の報道自粛

2011年11月21日 | スポーツ・文化

『球団は誰のもの』

コーチ人事などをめぐって内部対立が表面化した巨人は18日、渡辺恒雄球団会長85歳を批判した清武英利球団代表兼ゼネラルマネジャー(GM)61歳を電撃解任した。
桃井球団社長は、解任理由として5項目を列挙。この中で清武氏が11日の会見以後に、事態収束の条件として自ら辞任するのと引き換えに、『渡辺主筆の球団会長からの辞任』を要求していたことも新たに暴露した。
猫に鈴をつける危険な、この渡辺会長の辞任を要求した『刺し違え人事案』が決定的なとどめになり、通常の解任なら行われる引継ぎも許さず即刻清武氏に対して常識外れな『出入り差し止め』処分が発表された。
清武英利GMが渡辺恒雄読売主筆・球団会長の『鶴の一声』を内部告発・批判した前代未聞の造反劇は、1週間後に読売本社側の清武球団GMの懲罰的な解任との一方的な球団側の敗北(本社の勝利)の結末で決着するのだろうか。
それとも今後、ファンやマスコミを巻き込んだ解雇無効の裁判闘争などの泥仕合の第二幕が始まるのだろうか。
批判された渡辺恒雄球団会長は当初、清武GMの解任など報復人事を否定していたのですが、渡辺反論に対する清武GMの再反論に態度を豹変させプロ野球の最大の祭典である日本シリーズの真っ最中の一番盛り上がっている時期に、試合に水を差す恥ずかしいゴシップでスポーツ欄を賑わしている。
清武英利GMは、読売新聞社会部の記者出身で、中部本社社会部長・東京本社運動部長を歴任したが、親会社である読売新聞では『栄光の巨人』のフロント入りは栄転ではなくて、単なる子会社への出向(左遷)扱いであったらしい。巨人入りは片道切符で二度と本社で日の目は見れない。
そもそも読売本社では政治部こそが主力であり、普通の新聞なら主力である筈の社会部は外様でサブ扱いに甘んじている。清武GMはこれまでに数々のフラストレーションに曝されていたが今回の野球を知らないオーナーの強引な介入には、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまったのだろう。
清武氏は、『わたしは間違ったことをしていないし、後悔も反省もない。今日の処置は不当だと思っている。上司や権力者が誤った時、きちんとものを言うのが取締役の役目』。
『(シリーズ中の解任発表は)慌てる話ではないので、疑問に思う』と報道陣に語る。

『清武英利GM 球団代表の記者会見要旨』2011.11.11

一昨日(11月9日)読売主筆渡邉恒雄から、『巨人軍の一軍ヘッドコーチは江川卓とし、岡崎郁ヘッドコーチは降格させる。江川との交渉も始めている』と言われました。
桃井社長や原監督と協議、ヘッドコーチは岡崎と決定し10月20日に渡邉会長に報告し了承も得ている。
しかし渡邉氏は11月4日夜、『俺は何にも報告聞いていない。俺に報告なしに、勝手にコーチの人事をいじくるというのは、そんなことありうるのかね。俺は知らん。責任持たんよ。』と記者団に発言。
私と桃井の報告し、自分が了承したことを全く忘れているなら渡邉氏は任に堪えない。(ボケている?)
忘れていないなら、渡邉氏は自分も報告を受けて了承し内定し契約書締結にも着手した人事を、オーナー兼代表取締役社長を飛び越えて、鶴の一声で覆したことになる。
巨人軍は子会社といえど独立会社。
渡邊氏が酔ったうえで『俺に報告なしに、勝手にコーチの人事をいじくっている』と事実に反する発言を記者団にすることは経営者として許されない。
読売巨人軍にも内部統制と健全な企業体質(コンプライアンス)が要求され破るのが、渡邉氏のような最高権力者であっては断じてならない。
大王製紙やオリンパスのように、企業の権力者が会社の内部統制やコンプライアンスを破る『不当な鶴の一声』で愛する巨人軍を、プロ野球を私物化するような行為を許せない。

『読売のドン「ナベツネ」と原発推進の闇』

被爆国日本の原発推進は読売新聞社の社主正力松太郎(1885~1969年)が主導して薦められた。
正力がCIAのエージェントであり暗号名は『ポダム』と呼ばれていた事実は、毎日新聞なども報道している日本の裏の歴史的事実である。
アメリカという虎の威を借る狐の読売新聞社は、バックの絶大な影響力で朝日新聞など他の競合各社を押しのけて新聞業界一位の地位を獲得するが、テレビ放送では何と公共放送であるNHKを差し置いて読売系列の日本テレビが放送免許第一号を得ていて、このことから正力は今でもテレビ放送の父と呼ばれている。
読売の正力松太郎はもう一方では原子力発電の父とも呼ばれる存在で、現在の未曾有の国難の生みの親(A級戦犯)でもある。
CIAの機密にからむ昭和裏面史の読売の悪しきDNAは正力からナベツネに途切れることなくマスコミのドンの血脈に流れていることは3・11の福島第一原発事故の未曾有の放射能漏洩の大惨事でも遺憾なく発揮される。
原発が暴走した時には誰にも止めれない未熟な技術体系であることが証明されている今でも、読売新聞社としての原発推進の報道姿勢には、いささかの迷いもなく未だに原発安全神話を世間に向かって振り撒いているのです。
ドン渡辺恒雄85歳は、これまでも『たかが選手』とか監督の首の挿げ替えが『読売本社の決める人事異動』などのプロ野球ファンの感情を踏みつける傲慢不遜な態度を貫いていた。
極め付けは福島第一原発の爆発での高濃度の放射能雲(プルーム)が東日本を覆っていて、さらに東京では東電の計画停電の大騒ぎの真っ最中。その福島の原発事故も東日本大震災も『何も無なかった。』『我関せず』として、3月時点で例年通り通常の期日でのセリーグ強行開催を主張したことだろう。
「東京ドームは停電しない!」読売新聞渡辺恒雄
2011年03月27日 (スポーツ・文化)
読売新聞や渡邉恒雄は、『神のお告げ』に従い我が子イサクを殺そうとした旧約聖書のアブラハムのように、『原発安全神話』の為の生贄として、プロ野球選手や観客を情け容赦なく犠牲にする心算だったのだろうか。

『TV局の放送自粛で被災民が情報難民化』

福島第一の原発事故を中継するべき報道カメラなど周辺の機材は3・11大震災で壊滅していて、唯一原発から17キロ地点に設置されていた地元福島中央テレビ(FCT)のカメラが作動していた。
このテレビカメラが3月12日の福島第一原発1号基の水素爆発を捉えることに成功し全国放送を行った。
半年後の現在、この時の検証番組を地元福島中央テレビが放送しているのですが、何とも首を傾げる不思議すぎるビデオ映像の内容なのです。
テレビ局は災害時に活躍する報道機関のはずが、何故か肝心の地元テレビ局のFCTは自ら『報道自粛』を行っていた事実を明らかにする。
3月当時の現地福島県では大震災と原発事故のダブルパンチで通信網や交通網が寸断していて、唯一の情報源がテレビやラジオなどの公共放送だった。
ところが、地元テレビ局が報道を自粛した為に被災民が情報難民化して仕舞い、多くに住民が徒に放射能汚染の高い地域に取り残されたり、逆に汚染度の高い方向に避難して被曝しているのです。
自らの使命を忘れ果てたFCT(福島中央テレビ)の報道自粛の罪は重い。
この放送自粛の方針は今でも健在で、ドイツTV局ZDFが制作し8月に放送された『福島原発事故その後』(日本語字幕)のYoutube映像は即座に福島中央テレビの著作権侵害の申し立てを受けて削除されている。

『福島中央テレビが報道自粛の検証番組』

3月の原発事故当時に、不思議なことに福島県の多くの避難者の方々は一応に『テレビを点けても、原発が爆発した映像は一切流されていなかったので、なにごともないと思って避難しなかった』と、証言しているのです。
3月の時点で福島で、何が起きていたのであろうか。
この被災民の『証言』内容の真偽の事実確認ですが、実は地元の福島中央テレビが意識的に『報道を自粛していた』驚きの事実が、当のFCTの半年後の検証番組で明らかにされる。
被災住民の証言は『正しい事実』だったのですから驚きだ。
3月12日3時40分の1号機水素爆発では、福島中央テレビのライブカメラが捕らえた驚愕すべき映像を放映した。
爆発映像と共に女性アナウンサーは、『さきほど1分前、福島第一原発1号機から大きな煙が出ました。大きな煙が出まして、そのまま、えー、その煙が北へ向かって流れているのが分るでしょうか。』
と放射性物質の雲が飯館村方面へ流れている恐ろしい事実を、言い方は稚拙であるが正確に伝えていた。
ところが、この後がいけない。
半年後の検証番組で福島中央テレビの小林典子報道部長は、
『世界を駆け巡ることになった、この映像は、福島の人々の、それまであった平穏な暮らしを一瞬にして変えてしまった瞬間の映像ともなりました。』
『それだけに私たちは、被災した人たちの気持ちを考えて、この映像の使用を必要最小限にしようと決めました。』
とテレビ画面で、前代未聞の驚きの真実の告白(言い訳?)を行っているのですから呆れ果てる。
これは駄目だ。
地方の一ローカル局に過ぎない福島中央テレビが、世界中の注目を浴びる100年に一度あるか無いかの一大ニュースのネタを掴んだのですよ。
痩せても枯れてもジャーナリストの端くれなら一つの例外もなく報道の自粛(報道管制)に走るなど決して無い。
卑しくもマスコミ人なら、普通はその逆である。
政府の機密文章を掴んだ毎日新聞の西山太吉記者が、編集部が握りつぶした特ダネ記事の文章を持ち出して世間に公表して逮捕されたり、矢張り同じ様にチャウシェスク政権の崩壊近しの情報を掴んだ赤旗のルーマニア特派員が、折角の特ダネ記事を編集部に握りつぶされても別の報道機関にばらして報復で党を除名されたように、記者として一生に一度の大ニュースは自分の職を賭しても明らかにしたい。
それがジャーナリストの習性であり記者魂なのです。
報道人として歴史の生々しい断片を直に目撃して、何もしないなど絶対にありえない話である
ところが福島第一事故では肝心の地元テレビ局が報道機関として、報道自粛という考えられない行動に走っている。
この異常事態の原因ですが、福島中央テレビが日本テレビ系列で親会社が読売新聞である事実以外に、考えられない。
FCTが一番大事な時期に報道報道機関としての使命を自ら放棄した椿事中の椿事の原因は、ナベツネの『鶴の一声』だったのだろう。
ジャーナリストとは言え悲しいかな就職超氷河期の今、月給取りの身としては本社の指示に逆らった巨人の清武英利GMのように首になりたくない。
FCTとしては、どれ程理不尽な事柄であれ、マスコミ界のドン渡辺恒雄(ナベツネ)の逆鱗に触れることが余程怖かったのでしょう。


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6 コメント

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Unknown (さそり座)
2011-11-19 23:34:55
福島の怒りが読売を地獄に落とすでしょう。
阿修羅に引用させて頂きました。
返信する
報道しないのに報道機関? (宗純)
2011-11-21 11:42:10
さそり座さん、コメント有難う御座います。
当方の記事の引用はありがたい話なのですが、初稿のブログ記事には多くの誤字脱字や書き間違いが含まれており、出来れば数日後に阿修羅に投稿してもらった方が、完成度は上で、時間の経過と共に沢山の書き加えなどの修正を行っています。
一人で校正を行う場合にはある程度の時間が経過しないと、幾ら間違い部分を読んでもでも脳内で正しく修正してしまうので自分ではなかなか気が付かないのです。

枝野の『万が一、一~二回なら安全な日本の暫定基準値』と同じで、地元FCTが原発事故時の一番住民が情報を欲しがっていたいた時に、意識的に報道しなかった重大事実を、困ったことに既存の報道機関が絶対に報道しない。
報道するから報道機関と世間で呼ばれている訳で、
それなら日本のような報道しない報道機関は、『報道機関』と呼ぶのは間違いです。
これからは、報道自粛機関とか、報道統制機関と呼ぶべきですね。
枝野発言にも言えるのですが、報道機関が報道しないだけではなくて、他の政治ブログでも記事にするとことが極僅かである事実は、残念なことです。
これ等に共通する問題点ですが、何が一番政治的に重要であるかの価値観の判断に問題があるのでしょう。

清武英利GMですが、今回ドンの渡辺恒雄の無茶苦茶の原因を
①ボケて自分の数日前の言動を忘れていた。
②覚えていたが、突然考えを変えて『鶴の一言』を当然であるとして無理やり強引に押し付けた。
③酔っ払っていて、その場その場で適当に無責任に発言した。
の三つの可能性を指摘しています。
私の考えでは三つとも正しいでしょう。
ナベツネですがマダラボケ状態なのですよ。
これはネットウウヨなどと同じ原理で、自分に都合の良い部分だけは良く覚えているが、その逆に自分に都合の悪い部分は完璧に忘れているのですよ。単なる我侭な子供ですね。
返信する
当方も同じです。 (JUNSKY)
2011-11-22 11:16:18
>初稿のブログ記事には多くの誤字脱字や書き間違いが含まれており、出来れば数日後にしてもらった方が、完成度は上で、
>幾ら間違い部分を読んでもでも脳内で正しく修正してしまうので自分ではなかなか気が付かないのです。
*************
当方も、一度UP後、最低5回位は修正します。
写真入りの場合は、位置を入れ替えたりなども。
社内文章でも、自らは何度も確認したつもりが、営業の人から誤字・ミス変換の指摘を受けたりします。
自分で書いた文章のミスには気付かないが、他人が書いた同じような間違いはスグに解る。
だから、社用公的文章は複数の目でチェックが鉄則になっているのでしょう。

言われていることが良く分かります。

***********
ナベツネは、マダラボケと云うよりは、完全なボケ症状で、職務遂行は無理でしょう。
医学的に「ボケ」と診断されている人でも古い過去の記憶は健在だと言いますから、昔の記憶で物事を判断しているナベツネは、本当の病的ボケに違いありません。
引退して悠々自適の『富豪生活』を送って貰ったほうが余程世の中のためになるでしょう。

せっかく命懸けでネコに鈴を付けてくれたネズミが出てきたのに、この人(ネズミ)を生贄のヒツジにしてしまうなんて、読売・巨人は何を考えているんだか・・・
まぁ、クーデターをするのに一人で突撃してマスコミに公表したのでは、クーデターが成功するハズもありませんが・・・
清武GMのやり方も稚拙だったでしょう。

ワルキューレ作戦も失敗したんですから。(↓)
http://junsky07.blog89.fc2.com/blog-entry-868.html


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風向き (農婦)
2011-11-22 12:39:09
福島原発事故の情報は、3月20日過ぎて、雨に気をつけるよう、避難所で注意があった程度でした。これほど恐ろしい状況であったという事実は、宮城県西北部の、鳴子温泉の宿泊施設へ避難した5月初めに知りました。鳴子の今年の米は放射能汚染がありました。F CTのアナウンサーがどれほどの危機意識があったか解りませんが、犯罪ですよね。もんじゅの事もあまり報道されてませんね。原子力発電の安全神話が、一日も早く、ひっくり返る事を祈ります。私たちの住む近くにも、女川原発があります。プルトニュームの再利用施設までつくり、騒ぎだてる人もいないありさまです。
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凄まじい日本のエスタブリッシュメントの腐敗堕落 (宗純)
2011-11-22 17:03:45
JUNSKYさん、コメント有難うございます。

昨日のナベツネの映像が久々にテレビニュースになっていたのですが、マスコミに提出した文章による談話とは大違いで、彼の生の口から出る言葉は品性の欠片も無い浅ましい姿は、目を背けたくなるくらいに醜いですね。
それにしても、石原慎太郎にも共通する話ですが我が日本国のエスタブリッシュメントの出来が酷すぎていて、世界基準と違いすぎる。
エスタブリッシュメント【establishment】とは社会的な権威を持っている政治的な上流階層の意味なのですが、彼等は自分が特権を持っているとの意識だけはある。
ところが特権階級には、ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)高貴なものの義務が強制的に付随するとの発想が無い。
日本では庶民階層には恥じの文化があるので、礼儀を重んじるが上に行くほど恥知らずになる世界基準の正反対ですね。
一般国民の道徳は大震災時に世界が賞賛したように世界一のレベルなのですが、国民と水準とかけ離れた最低レベルなのが、日本国のエスタブリッシュメント。
フランス語嫌いの石原慎太郎にフランス語起源のノブレス・オブリージュを期待する方が間違っているのかも知れないが、この連中は見ている此方側が恥ずかしくなるほどの酷い有様です。
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原発村のペンタゴンの悪事 (宗純)
2011-11-22 17:36:34
農婦さん、コメント有難うございます。

福島第一原発の爆発での放射能雲(プルーム)が東北地方を襲ったのは13~15日が一番酷かったと判ってきたのですが、
政府の意識的なサボタージュは正に犯罪であり、
『直ぐに影響はありません』の枝野の8ヵ月後の衆議院予算委員会での大臣答弁『万が一、1~2回程度なら健康に影響が無い』『1年間なら危ない暫定規制値』との驚愕の答弁もマスコミは絶対に報道しない。
そして一番大事な事故当時の地元テレビ局のサボタージュの検証番組の内容が生々しくもあり腹立たしくもあり、何とも不思議な成り行きです。
地元の福島中央テレビが意識的に『報道を自粛していた』驚きの事実が、当のFCTの半年後の検証番組で明らかにされる。
犯罪者が、物好きに自分から秘密を暴露することは普通は無い。
まあ、『良心に耐えかねて』との理由では無いらしいのですよ。
福島中央テレビの小林典子報道部長は、爆破映像がとんでもない大きな意味があるとの認識がある。
ところが、白々しくも『被災した人たちの気持ちを考えて』自粛したと抜けぬけと言い繕う厚かましさ。
普通なら、こんな映像は誰も流さないほどの酷い内容で、見た人は誰でもが激怒する。
だから首を傾げているのです。
『被災した人たちの気持ちを考えて』ですが、誰が考えても、これは言い訳になっていないのですよ。
今回の福島中央テレビの検証番組ですが、巨人の清武英利球団代表兼ゼネラルマネジャーのナベツネの鶴の一声の告発と同じで、密かな告発であると解釈するほうが辻褄が合うのです。
清武英利GMの対渡辺恒雄読売のような正面切っての告発は怖くて出来なかったのでしょう。
FCTの放送を福島県民が見て、当時を思い出して、
番組の中では渡辺恒雄の名前も読売の名前も出て来ませんが知識が有る人は読売本社からの鶴の一声で屈服した悲しい悲しい物語を推察してくれることを期待しての放送でしょう。
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