逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

マリーシアを理解出来ない人々

2010年02月23日 | スポーツ・文化
『茶髪禁止令』

日本水泳連盟は20日、都内で開いた理事会で、「茶髪、ピアス、華美なネイルは禁止」などとする競泳日本代表選手の行動規範を、飛び込み、水球、シンクロナイズド・スイミング、オープンウオーターの各代表選手に対しても適用することを決めた。4月から順守を求める。同連盟の泉正文専務理事は「競泳選手のために行動規範をまとめたが、同じ日本代表ならすべて適用しようという意見でまとまった」と説明した。
朝日新聞2010年2月21日

『丸刈りは美しい』らしい。

そのうちには冗談抜きで、日本を代表してオリンピックに参加する日本選手たちには男女ともに丸刈りを強制してもらう話に成りかねない。
今を先立つ10年前に早々と何とも時代錯誤のいかがわしい『品格騒動』(イジメ)を引き起こし、日本のスポーツ界として初めて選手(千葉すず)にスポーツ裁判所に提訴された日本水泳連盟が、今回は朝青龍や国母選手の品格騒動に便乗して『極めつけ』をやってくれたようです。

『国母選手と日本スキー連盟』

『行儀が悪い』を理由に国母選手の大会出場を阻もうとするなど『千葉すずの悲劇』の時と同じ前近代的な精神主義と権威主義を、日本のスポーツ界は何時まで続ける心算なのだろうか。
10年前のシドニーオリンピックで日本の女子自由形第一人者である千葉すず選手のマスコミでの発言が気に入らなかった日本水連は代表選考会で選考基準をクリアして優勝したにもかかわらず日本代表に選ばなかった事件を思い出される不愉快な事件です。
それぞれの選手の言動を批判することは一向に構わない。
大いに批判はやるべきですが、しかし言動(品格や行儀作法)を理由にして競技に参加させないなどは、競技団体としての存在理由そのものを問われている。
競技団体とは、選手が試合で実力を発揮できるようにサポートすることが本来の役目ですよ。
ところが一番成績の良い朝青龍や千葉すずでは試合に出ることを競技団体が阻止したのです。
今回も日本スキー連盟が国母選手の品格を理由に試合出場を妨害し、強制帰国(本国召還)させ様としていたのです。
こんな選手の試合参加を阻む競技団体は、そもそもの存在理由が有りません。
日本のためにも個々の選手の為にも即刻解散して組織に巣くう頑迷固陋なアナクロリズムの長老たちを追放して根本から改革するべきです。

『美や品格は個人の主観(内心)』

『美しい』とか『品格がある』とかには科学的な客観的基準が有るわけではなく主観の問題なので、自民党の安倍晋三首相の『美しい国』が(客観的で有るはずの)政治的スローガンであるよりも宗教的な意味合いがあり、何とも奇怪で胡散臭い。
我々一般市民にとっては意味不明、理解不能なのですが、今回の国母選手の『見苦しい』(美しくない)『品格』といくらかは関連してくる。
あの格好は『プロ』のスノボ選手の国母和宏にとっては『服装の乱れ』どころか『正装』らしいのですよ。
個人によって美とか品格の基準が違い、他人と同じ格好をするほうがスノーボーダーにとっては『恥ずかしい行為である』に変化する。
これは東京オリンピックの時、他国の選手団に比べて最大人数の日本選手団がほかの国が誰も真似できない一糸乱れぬ分列行進をして(おまけに)しかもファシスト党のムッソリーニそっくりの片手を高々と挙げる敬礼(挨拶)をして外国人たちの顰蹙をかったことがあるが、あれと全く同じで基準となる『美』や『品格』(内心)が根本的に違う。
同じ完璧な分列行進を美しいと見るか恐ろしい(醜い)と見るかは、見られる側の問題以前に、『見る側の主観』(内心)の問題なのです。
外国人でなくとも、同じ日本人でも高校野球の甲子園の開会式の入場行進を、『美しい』と思う人が沢山いる。
ところが私のように正反対に神宮外苑の学徒動員の映像を思い出して不愉快で『見苦しい』と思う人もいる。
基準が其々違うから『個性』であり、『違うから悪い』にはならず、『違うことは良いこと』であり『存在理由が有る』とも考えられる。
イヤホーンで音楽を聴きながら演技するのが当たり前のスノーボードの世界で、しかも団体競技なら集団との調和は大事かもしれませんが個人競技の世界大会で勝つため秘訣は『誰にもない、その人独自の個性』や『創意工夫』であり、周りと違う『独創性』ですが、全日本スキー連盟(SAJ)や日本オリンピック委員会(JOC)は大相撲と同じ伝統芸能の様式美を追及する心算の様です。
個人の主観に過ぎない『品格』とか『美意識』とかが『普遍的な価値観』で有るとでも勘違いしているのでしょうか。

『主観、客観の意味するものは』

主観については、『何が美しいか。?』『何が品格となるか。?』などはそれぞれの個人個人や、個人の集合体としての集団により異なっており、個人の主観(内心)にすぎない。
美しさや品格に夫々違いが有り、その『違い』を尊重することが民主主義の基本で、今回の国母騒動や朝青龍騒動のような多数決原理だけなら民主主義ではなく全体主義(ファシズム)になる。
何故なら個人の『内心』とは聖域であり、『何人たりとも犯されない権利が有る』とするのが民主主義の根幹である基本的人権の根本的な考え方です。
客観については、
我々一般の市民でも、政治や軍事、経済などでは自分(個人)が如何思うか(内心)など、観念的な問題はどれ程の意味もない。
この場合には、『事実は如何であるか』等の唯物的な問題だけが問題となる。
軍事では田母神のように(自分は)『如何解釈できるか』は何の意味も無いのですが、可哀想に彼には主観と客観の区別がついていないのです。
『軍事』では正しい現状認識が全てに優先されるのです。
正しい現実認識が出来なければ命が無くなるという意味では登山なんかもこれに当てはまる。
自分(あるいは他の誰か)が何を思うかではなく、『現実の事実は如何なっているのか』だけが意味がある問題も世の中には多くある。
政治、経済、軍事、外交、科学などはこれに当てはなるでしょう。
軍事や経済など政治問題では科学的事実から離れた内心の自由はそもそも存在しない。

『マリーシア』

旧軍の話ですが、彼等は悪いことでも戦闘(戦争)に利用できそうなことは何でも奨励していたのです。
勝負の結果(勝ち)だけに関心があり、それ以外(品格?)なんかは何の価値観も見いだしていなかった。
例えば軍隊内の泥棒は見つからなければ良い事として奨励されていて、厳しく罰せられたのは被害者の方だったのです。
しかし、周りの他の兵士から盗めばその結果がどうなるかが判っているので私の父は盗まなかった(自分の主義が邪魔して盗めなかった)。結果、毎度毎度凄まじい凄惨な制裁が行われることになる。
スポーツ用語のマリーシアとは、
元々はポルトガル語で『ずる賢さ』を表す単語で、主にサッカー界で使われるが意味するところは、『審判にバレない反則は反則とは呼ばない。それは高等技術と呼ぶ。』で、ネガティブな意味で使われることは少なく、一流選手の証が『如何にマリーシアを行えるか』なのですが、
今の日本のサッカーが日韓共催のワールドカップ以外には一勝も出来ない原因も多分マリーシアを行う技量がないからでしょう。
そして旧軍はマリーシアのオンパレードだったのです。
勝つためには何でも有りで許されるが、其の反対に正直に規則を守って負ければ厳しい制裁がまっている。
マリーシアの意味の『反則ぎりぎり』どころか、『反則そのもの』までも奨励していたのです。
軍隊内での銃剣術の稽古では敗者には理由のいかんを問わず苛酷な制裁が課せられる。
旧軍のこの体質を知り抜いていた私の父親は『はじめ』の号令がかかる前に攻撃して油断している(規則を守っている)相手に連戦連勝する。
何しろ亀田の弟ばりに銃剣術の規則にない投げ技や足技や拳闘など反則なら『何でも有り』。これを叱るどころか上官は『敢闘精神が有る』として褒め称えていた。
日本のやった戦争は日清戦争でも日露戦争でも対中戦争でも対米戦争でも全てが(マリーシア的な)宣戦布告前の奇襲攻撃で始まっています。

『勝敗を争う競技(スポーツ)の価値観は「強さ」以外にはない』

大相撲の横綱の品格など、元々横綱には品格が有るのではなく(強い横綱に対して)周りがみんなして『横綱の品格を認める』から『品格有る横綱』が生まれる。
JOCや日本水泳連盟や日本スキー連盟や日本相撲協会などの考えている『品格』と『強さ』の関係は完璧に間違っているのです。
物ごとの順番が逆なのです。
スノボに限らずオリンピックのような世界大会で優勝する為には『品格が有る』は邪魔にこそなれ、何の役にも立たないのは勝敗を争うスポーツの世界の常識なのです。
『品格が有る』の正反対の『マリーシアを行える者』が勝つ。
ですからJOCや日本スキー連盟は『勝つな』と言っているに等しい事になります。
そして勝者には『品格』(正義?)も同時に付いて来る構造になっている。
全ての競技スポーツの世界では『横綱の品格』とまったく同じで、JOCの考えとは逆に、勝った者(メダリスト)に(周りが認めるので)品格が生まれてくるのです。

『相手の嫌がることを積極的にするのが勝負師』

一般社会の品格(礼儀)とは異なり、『得意技を出させず』相手の弱点を攻めるのが勝負の世界の『品格』で、相手に合わせて『得意技を出させる様に協力する』のはスポーツとは言い難いプロレスなど見世物の世界である。
勝負の世界では、余程の実力差があり絶対に勝てる相手なら相手のやりたいようにやらせるが、普通は『相手の良さをいかに殺すか』に全力を尽くして努力するのです。
だから自分が勝てる。
昔まわしを取れば横綱大関といえども吊り出しで勝てる明武谷という角界一の長身力士がいたのですが、対戦相手は明武谷がまわしを取れば滅法強いことを良く知っているので突っ張りが得意でない力士までが明武谷相手の時は突っ張って離れて相撲を取る。
両まわしを明武谷にがっちり取られて勝てる力士はそれほどいなかったのです。
だから対戦力士は必ず突っ張ったし横綱や大関でもやっぱり突っ張っていたが、相撲が面白かった時代の力士たちは今の朝青龍のように勝負に拘っていたのですよ。
だから相撲はスポーツであったのでしょう。
対戦相手の弱点を攻めずに、相手選手が庇う様では最早スポーツではなくなっている。
網膜剥離でスポーツ生命に危険があるのでライセンスを取り消されていた元チャンピオン辰吉丈一郎の顔面を狙って殴るのが本当の勝負師といえるでしょう。

『実力の世界ではマリーシアが勝敗を分ける』

勝敗を争うスポーツでは如何に規則違反で失格にならない程度の悪事を働くことが出来るかで勝ち負けや一流と二流が決まるのです。
対戦相手に下剤入りオレンジを贈るなどは判らなければ大成功。体格のない10000メートルの松野明美がマラソンに転向したかった理由は体格の良い外国人選手の走行妨害のマリーシアを嫌っての事で、わざと体をぶつけるなどはトラックレースではある意味当たり前の常識ごと。
スキーのノルデック競技で一位になるような選手はマーリーシアでも一流で、わざとストックで他の選手を妨害したりスキー板を踏む反則になる一歩手前の汚い事が出来る選手だけが一流といわれている。
意識的に汚い事(マリーシア)が出来ない選手は二流でコンスタントには勝てない。
将棋の世界で数々の記録を打ち立てた大山康晴は、もちろん実力でも他の追従を許さない抜きん出た超実力者だったが、対戦相手が煙草嫌いならわざと煙を顔に吹きかけたり寒がっていたら立ち上がって窓を開けるなど勝つためには小さな汚い事も怠らなかったが、まさに勝負師の鏡ですね。
スポーツ(競技)では負けたものには意味が無く、勝つことだけに意味がある。勝つものが正義なのです。
そして旧日本軍は誰よりも其の事実を良く知っていたが、敗戦から65年が平和に戦争無く経過して何時の間にか『勝てば官軍、負ければ賊軍』の厳しい掟、かっての日本人全員が知っていた『知識』(常識)は完全に失われてしまったのだろうか。?
本来は勝敗を争うスポーツの世界で、日本だけは正反対の『勝敗よりも品格重視』の世の中になっている様だが、何故このように日本人は『極端』から『極端』に走って仕舞うのだろうか。?
旧軍の常識は間違いで、たしかに短期戦では戦場の勝敗が絶対的な価値観だが、何年にもわたる長期の全面戦争では『戦争の大儀』(戦を行うための正義のスローガン)こそが勝敗を決定するの最大の要素であった。
ところが旧日本軍の徹底した『目の前の勝敗重視』の正反対の、現在の日本のスポーツ界の勝負事における『実力よりも品格重視』は競技(スポーツ)の根本原理(価値観)を無視した『スポーツの自己否定』に過ぎない愚行に他ならない。

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マリーシア? (おいちゃん)
2010-02-22 13:10:37
マレー半島での日本軍のお話かと思いました。
旧軍とお書きですから、お父様は帝国軍人だったのですね。
いつ頃のお話でしょうか?
で、徴兵されたのではなく兵学校に入学されたのでしょうか?

私の聞き及んで居ります戦前の軍隊では、軍隊内での「盗み」どころか占領地での「盗み」でさえも重罪だったと記憶しております。
なかにはブログ主さんの仰るお話も一部ではあったのかもしれませんが。
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余りに現実離れしていてコメントする気力を失わせる内容です (逝きし世の面影)
2010-02-22 16:30:42
おいちゃんさん、残念ながら事実と違いすぎて歴史修正主義とも呼べないお粗末さです。
もう少し事実に近いことをコメントに書いて下さい。
次回も現状の水準ではネット○○の意味不明の印象操作(妄言)として削除する以外に方法がないでしょう。
確かに民間人への無差別爆撃や広島長崎など連合国の悪事(戦争犯罪)はいくらでも有るが、現在の社会では悪い日本軍が負けて正しいアメリカ軍(連合国)が勝ったと、日本人のみんなが認めているから世の中が今のような平和に収まっているのです。
私も今の世界常識が全て正しいとの立場には立っていません。
日本にも十分に言い分は有ったのです。日本が勝っていれば今の歴史は全くの違うものになっていた。
「世界征服」は可能か? 悪の組織の「世界征服」に関する考察。
2009年01月05日 | 軍事、外交

此処に描かれている『日本軍』は負け戦の第二次世界大戦ではなく日本がその他の有志連合の列強諸国と一緒になってソ連に攻め込んでロシア東部のシベリアを占領していた対ソ干渉戦争を指しています。
対ソ干渉戦争(シベリア出兵)と有志連合
2008年03月11日 | 社会・歴史

この時日本軍は4個師団を4年間ソ連に派兵したが、何と当時の国家予算の3~4年分の巨額の戦費を浪費して国家財政を破綻させたが、これは現在のアメリカが10万人規模のイラク派兵で100兆円の巨費を浪費して国家財政を破綻させているのと良く似ている。
ところが15年間の対中戦争では最大100万人の日本兵を中国に送ったが、何か可笑しい(計算が合わない)と思いませんか。?
関東軍は中国で戦費を賄う為に麻薬栽培(麻薬の売買)と兵糧の現地調達(強盗とか山賊行為)していたのです。これが栄光の日本軍の正体です。
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Unknown (Ladybird)
2010-02-22 19:18:45
 日本水泳連盟ですか.まるで軍隊のような規律ですね.スポーツ観戦がいやになってしまいそうです.
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員数と要領 (ましま)
2010-02-23 13:17:27
軍隊内で結果的に泥棒が推奨されていたことは事実です。
服装、装備など官給品の管理は厳格でした。紛失は厳しく追及されます。
「おそれおおくも天皇陛下からご下賜いただいた○○の数が足りないとはなにごとだ」と徹底的に体罰を受けます。
盗まれたことは理由になりません。したがってなくなっているのを知ったらすぐ同僚のものを盗んで「員数」を合わせます。
それが「要領」とされていました。員数と要領、それは当時中学生だった我々でもよく知っている言葉で古参兵の常識でした。
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恐怖の椅子とりゲーム (逝きし世の面影)
2010-02-23 14:56:18
ましまさん、補足の説明を有難う御座います。

軍隊とは自己完結型の組織で、頭のてっぺんから爪先まで全てが官給品で武器や軍装だけではなく靴下から何から全てを用意してくれるのですが、旧日本軍では『消耗する』ことを計算に入れていなかったようです。
結果的に員数が合わなくなるが、其れが軍隊としての日本軍は絶対に許されない『重大な悪事』とみなしていた。
其の結果が凄まじい体罰(リンチ)となるので、『紛失』の恐ろしさを知っている兵士達は仕方なく同僚の日本兵から盗むが、盗まれた兵士は次の兵士から盗む。
一度盗みが始まると誰かが死ぬほど体罰を受けるまで果てしなくこの恐怖の椅子とりゲームは続く訳です。
当時の日本軍の全ての兵士は、この『不幸の手紙』か『ババ抜き』のような愚かな実りない行為(永久運動)に全神経を傾けていたのですが、はたから見れば実に馬鹿馬鹿しい。
装備が消耗するのは当たり前で、兵士を厳しく罰すれば無くなる種類のものではない。
考えてみれば不思議な話です。
この原因の一つが日本軍が『軍隊と言う名前の官僚組織』であったためではないでしょうか。?
硬直した官僚組織では『形式』(前例)と『員数あわせ』は何ものにも勝る最大の価値感になる。
そして旧日本軍とはまさに究極の官僚組織であったのでしょう。
日本軍のこの不思議な悪弊『員数あわせの泥棒ごっこ』の事実は兵士でなくとも少し前なら有る程度年齢が上の世代では誰でも知っていた。
それにしても不思議ですね。
昔の戦争映画なら必ず描かれる兵士の有り触れた日常風景名なのですが、今の戦艦大和などでは描かれていなかったしアメリカ映画のイーストウッド監督の硫黄島でも描かれたいなかったので、あまり名誉な歴史ではないので戦争責任などと一緒に『無かったこと』にされているのでしょうか。
困ったことです。
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高校野球と同レベル (逝きし世の面影)
2010-02-23 15:33:34
Ladybirdさん、コメント有難う御座います。

大人の一流選手の競技を期待するから事実と違いすぎてがっかりするのですが、レベルを大幅に下げて高校生の野球と同じだと思えば腹も立たない。
日本選手団の橋本聖子団長45歳は国母選手について、
4年後のソチ五輪出場は、『五輪は競技力だけが求められているわけではない。それを理解してくれれば、次の舞台で自分らしさが出せると思う』
『五輪は教育の場。世界に注目される舞台で競技力に定まる人間力が身につく』
などなど、完全に高野連モードです。
何で日本のスポーツ界はこんな不思議なことになってしまったのでしょうか。?
一昔前の『一番を争わない小学校の運動会』状態ですよ。
こんなことだから一流のアスリートそして勝負に拘る朝青龍が嫌われるし、スポーツの何たるかを理解している外国に勝てない。これでは韓国に逆立ちしても勝てなくなる。
こんな不思議なことは日本だけですよ。
日本だけと言えば、あの不思議な『陰謀論たたき』と全く同じで、
あれは単に醜く厳しい現実の風にあたったことが無い世間知らずのお子チャマなのです。
何も知らない善良な子供が、大人の会話に割り込んでくるから『陰謀論は嫌いです』とか『スポーツは勝敗以前に品格が大事』なんて、お馬鹿な言葉が喋れるのです。
知恵の無い子供には『謀』は無いが、大人で何かの隠し事の無い者はないし政治の世界ではもっとそうです。役所の出す何とか白書だけが全てなら政治ブログは要らない。
日本一国だけが他と違うことを言っているのです。
何とも不思議だが、憲法9条のお蔭でに日本国としては65年間も戦争をせず一人も殺さず一人も殺されていない。
世界の例外ですね。しかしどんな良いことでも良くない反作用がある。
近頃日本だけで流行る『陰謀論叩き』とか『競技での勝敗に優先する品格論議』などとは平和な世の中だから生まれた、日本独自の、何とも恐ろしく不可解な大人の小児化病ですね。
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帰還しなかった日本兵 (逝きし世の面影)
2010-02-23 16:26:32
kaetzchenさん、コメント有難う御座います。

グァム島の横井正一さんや中野学校出身のルパング島の小野田少尉は有名ですが、マスコミに報道されず記録されていない大勢の帰還しなかった日本兵は大変な数にのぼります。
映画ビルマの竪琴に描かれていた様な兵士は今でも現地でひっそりと暮らしているが、集団で部隊として現地軍の訓練やあるいは戦闘員として戦った軍人たちも中国やインドシナ、インドネシアなど大勢いたのですが、日本政府は遺骨収集と同じで元日本軍兵士も帰還には余り熱心ではない。残念なことですね。
これには元日本兵側にも理由があり、初期には原隊を離れた為に『逃亡兵』とみなされることを恐れて名乗り出なかったようです。
旧日本軍は東条英機の作った戦陣訓に縛られて如何なる理由であれ投降も原隊を離れることも許されていなかったのです。
逃亡兵は見つかれば必ず死刑で、殺されることが判っていたので、
一人ぼっちのグアム島の横井さんは、敵軍であるアメリカ軍から逃げ回っていただけではなく味方である日本軍からも殺されると思って何十年も逃げ回っていたのです。
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中学生らしさ (こしぬけ)
2010-02-23 17:32:09
今でも中学生らしいからと丸刈りを強要してる中学はありますよ
でも亀田のお兄ちゃんやK-1のヨアキム・ハンセンみて「おお中学生らしいな美しいな」と思う奴はいないでしょ

ただし水泳は特にウエアで差がでる競技なので…
男女とも全裸で陰毛も剃らせるべきだと思いますね
返信する
実際に水泳部では (kaetzchen)
2010-02-23 17:45:14
毛が多いとタイムに差が出るとか言って,丸刈りどころかスキンヘッドに,身体中の毛を剃ってた奴がいました.女子部はあいにくつきあいがなかったので,どうだか知りません(笑)

わが剣道部の陰湿ないじめにも,陰毛剃りなんてのがありましたね.ろくでもねー「伝統」だなと今でも思ってたりします.出産前に妊産婦の陰毛を剃るのは女性の看護師と決まっているのは分かる気がします.
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二人そろってオヤジの下ネタ二連発 (逝きし世の面影)
2010-02-24 11:57:43
こしぬけさん、kaetzchenさん、今回のコメントの出来はエロの水準も低く、何時もは優れているはずの批判精神も希薄で残念ながら『不出来なコメント』ですね。

水と選手との抵抗は大きくタイムに影響するので、競泳用パンツ一枚で泳いでいた昔は足の毛など体毛を剃る選手はいたのですが、現在は体を全てウエアで完全に覆っているので体毛は余り意味を持たなくなった。
剃っても意味がありません。
競泳選手ですが欧米の一流選手は日本人などは到底適わないほど手足が大きい。
水泳で足ひれをつければ素足より大きくスピードが出る。
水をかく手のひらや足の裏の大きさは競技に影響するが、同じ身長でも日本人より欧米人のほうが足が大きいのですよ。
日本では27・5センチが最大の市販の靴のサイズですが、欧米では普通に28センチ以上の大きい靴が売っているのです。
日本人では絶対に有りませんが、170センチ程度の身長でも白人では28センチの大足が存在するのですが、これはミレニアムの2000年の大晦日に起こった世田谷区で起こった連続殺人事件、一家4人皆殺し犯と同じ特徴です。
因みにこの凶悪犯は韓国と三浦半島とネバダ州のモハーベ砂漠を近い時期に訪れていて、香水を常用し、脱いだ自分服はきっちりと畳む習慣が有る。
数々の遺留品から特殊な殺しの専門家であることが判るが、軍が使っている特殊な洗剤を使っているので偶々特殊部隊の隊員が一般家庭に入り込んで凶行に及んだ1978年の角川映画『野性の証明』などと同じ大量連続殺人事件でしょう。

競泳選手がどんなに努力しても自分の手のひらや足の裏を大きくするのは不可能ですが、爪を伸ばせば同じ効果が期待できそうですが、今回の日本水連の決定はこの考え方とは正反対ですね。
手足の爪は短いより長い方が少しでも多くの水をかけるので間違いなく成績に影響するはずです。
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