逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

お国自慢と記憶の捏造で陥った「自家撞着」の蟻地獄

2016年02月07日 | 社会
東京五輪の2年前、国鉄(現JR)東京駅近くの路上風景。植え込みも路上もごみだらけ=東京都中央区京橋1丁目で1962年5月27日、池田信さん撮影

『お国自慢と記憶の捏造』メディア時評 =文筆家・立教大特任教授、平川克美

他人の欠点はよく見えるが自分の欠点は目に入らない。それが集団的な排外的思想や尊大な自国礼賛に結びつけば、厄介なナショナリズムへと発展する。
1980年代後半のバブル期、パリやニューヨークの高級品店で、爆買いする日本人の姿は、珍しくはなかった。
私自身、空港で手に持てないほどの高級品を買いあさる一団を目撃して、その旺盛なエネルギーとマナーの悪さに驚愕した。中国人の爆買いを揶揄し誹謗するものは、それが少し前の自分たちの姿だったことを忘れている。
最近の日本人は道徳意識が希薄になり、犯罪も増加の一途をたどっているという慨嘆も、データを調べてみれば、捏造された記憶であることがすぐに分かる。
安倍晋三首相は、「日本を取り戻す」をスローガンに掲げているが、どの時代のどんな日本を取り戻したいのかは判然としない。
彼は、著書「美しい国へ」で、日本人のモラルの低下を問題視しているが、具体的な根拠はあいまいだ。文部科学省も、道徳教育を推進するプロジェクトを進めており、総じて日本の「良き伝統」への回帰を目指しているように見える。

1月25日の毎日新聞夕刊は、「特集ワイド」で、この「良き伝統」なるものの正体を暴く試みであった。
専門家の調査や、データを積み重ねて、「良き伝統」が実は比較的新しいものであることを立証している。選択的夫婦別姓制度の是非をめぐる問題では、反対派は「同姓が日本の伝統」だと主張するが、同姓は明治中期以降の新しい制度であり、明治中期までは別姓が基本だった。
日本の駅では当たり前の「整列乗車」が生まれたのも、戦後になってからだと、「営団地下鉄五十年史」は伝えている。
モラルの低下に関しても、人口10万人当たりの殺人事件の発生件数が戦前・戦中の1・25〜4・14に対して2014年のそれは0・83であり、治安が悪化しているという思い込みを否定している。
時代が感情に流されるときこそ、こういう冷静で、実証的な記事が必要だ。
司馬遼太郎は、著書(「『昭和』という国家」NHKブックス)の中でこんなことを言っている。「愛国心はナショナリズムとも違います。ナショナリズムはお国自慢であり、村自慢であり、家自慢であり、親戚自慢であり、自分自慢です。これは、人間の感情としてはあまり上等な感情ではありません」。自分を客観的に見ることができて、ひとも国も大人になるのである。(東京本社発行紙面を基に論評)
2016年2月6日(土)毎日新聞

『関西(大阪本社)版と大きく違っていた関東(東京本社)版の毎日新聞(2016年1月25日夕刊)の中身』

同じ日付で西日本に配られている毎日新聞大阪本社版の特集ワイドは、『良き伝統なるものの正体を暴いた』東京本社版とは中身が全く違っていた。(大阪など関西の読者は蚊帳の外で、素晴らしい特集ワイドの記事を一切読めなかった)
いま『永続敗戦論』で売出し中の新進気鋭の若手憲法学者白井聡(京都精華大学人文学部専任講師)の『今、平和を語る』では『憲法より米国重んじる政権』、『若者犠牲にする「国防軍許すな』になっている。
『永続敗戦論』で白井聡は結論として、マルクスの『歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として』を引用して、『日本は、敗北に終わった筈のあの戦争を戦い直すだろう』との、目もくらむような恐ろしすぎる予言を行っている。
(ただし、白井聡は『日本は戦争を戦い直すだろう』としながら、日本の右翼には再び対米戦争を起こすだけの『度胸がない』事実も同時に指摘している)
今のような安倍晋三等の極右国粋主義者たちが、いくら叩かれても懲りることなく繰り返す『日本は悪くなかった』とのお馬鹿なネットウヨ路線ですが、火に油を注ぐ愚か過ぎる挑発行為であり今後『悪い日本』とのジャパン・バッシングが強まることはあっても弱まることは無い。
今のように敗戦した日本の恥辱を『日本は悪くなかった』として『戦勝国として振舞う日本』に確実に変換する為には、白井聡が指摘するように、論理上は連合国ともう一度戦争をして勝つか、勝てないまでも五分五分の引き分けに持ち込む以外に方法が無いのである。
何とも恐ろしい話ですが『戦争』とは選挙とかスポーツと同じで(単純明快で、常に、)『勝ったものが正しい』との余りにもプリミティブ(原始的)な『大原則』で出来上がっている。(これらの敗者が自分の正しさを証明する方法はシンプルにもう一度勝者と戦って勝つ以外に方法がない)
『日本は戦争を再び戦う』という余りにも不吉すぎる白井 聡の大予言の意味ですが、ヘーゲルの、『偉大な出来事は二度繰り返されることによってはじめて、その意味が理解される』の言葉で説明している。

『だます政府(大本営発表)と、すすんで騙される国民の不思議な共同作業』

ドイツ人は第一次世界大戦と第二次世界大戦と、短期間に二回も連続して敗戦して初めて『敗戦』の本当の意味を理解した。(ドイツも敗戦1回目時点では、今の日本と同じで敗戦レジームの脱却を目指してナチズムに突っ走って大失敗している)
確かに白井聡の言うとおりで、今の日本が敗戦の事実を認めるには、それ以外の方法が無いであろう。
日本人は一回だけなので『敗戦』の持つ、とんでもなく恐ろしい意味を未だに理解出来ないので安倍首相は『戦後レジームからの脱却』と口走る。
靖国神社公式参拝は、日本が戦後レジームを否定する(サンフランシスコ講和条約の大前提となる東京裁判の否定)との明確な意思表示であったと解釈できる。
ただし、嘘つきの詐欺師の言葉だから嘘だとは断定出来ないし、阿呆の言葉だから間違ているとも判断するべきでないように、実は理路整然とした白井聡の素晴らし論理展開にも重大な落とし穴が存在していた。(カシコの高度な論理がアホに理解出来ないように、実は白井聡のような理詰めの知識人には安倍晋三のような頭が空っぽで目が節穴のネットウヨの馬鹿馬鹿しい考えが分からない)
白井聡は日本の国粋主義者(安倍晋三やネットウヨ)が欧米社会のネオナチと同じように『日本が正しかった』と言っていると思っているが、実は日本国の場合には一字違いで大違い。『日本は悪くない』なのである。

『一字違いで大違い?!?』

何と、驚くことに日本の右翼ですが『日本が正しかった』とは一回も言っていなかった。(ネトウヨが言っていたのは微妙に違う『日本は悪くない』である)
論理としては『正しかった』と『悪くない』は意味するものがまったく同じなので、カシコの白井聡はうっかりと微妙すぎる違いを見落としていたのである。(日本の腰抜け右翼はアメリカが心底怖いので『日本が正しかった』とは決して言わない)
いくら救いがたいアホでも『正しい日本』が『正義のアメリカ』と正面からバッティングする怖ろしい事実を安倍晋三はアホなりに知っていた。(能力が低すぎて理論では理解できないが、その分動物的な直感で察知したのだろう)
白井聡の『永続敗戦レジーム』ですが、『真剣なものなど何一つない。彼らが唯一真剣に取り組んでいたのは、国民を騙すことだった』そして最大の不幸は『国民もまた、進んで誤魔化しを続けて来た』と指摘する。
悪意の加害者と善意の被害者が存在するのではなくて、特殊なムラ社会である日本の不幸は加害者と被害者とが仲良く『共同作業』としての『誤魔化し』が出来上がっているので根が深い。その共同作業としての『だまし』の延長が福島第一原発事故であることは余りにも明らかな事実である。

『毎日新聞2016年1月25日 東京夕刊』(資料) 

『それホンモノ? 「良き伝統」の正体』

日本人は「伝統」という言葉にヨワいらしい。例えば選択的夫婦別姓制度の是非を巡る議論。安倍晋三首相ら反対派は「同姓が日本の伝統だ」と主張し、いくら専門家が「同姓は明治中期以降の新しい制度」と指摘しても聞く耳を持たない。このように最近は、新しく、ウソに近い「伝統」がやたらと強調されている気がするのだが……。【吉井理記】

『銀座はゴミの山だった』
中国の旧正月・春節(今年は2月8日)が近い。流行語にもなった中国人観光客の「爆買い」だが、彼らのマナーはどうだろう。
「(ホテルで)酔って従業員に絡む人も」「寝間着にスリッパでロビーをウロウロする人は少なくなったが、じゅうたんにツバを吐いたりたばこを捨てて焦がしたり」「ひどいのはロビーのイスで足を開いて高イビキ」……
中国人は、礼儀正しさを伝統とする日本人とは違うなあ……と、あえてそう思い込んでしまう書き方をしたが、実は全て日本人がやらかしたこと。
東京五輪の年、1964年3月19日付毎日新聞の東京都内版が報じた日本人のマナーの悪さを嘆くホテル側の声の一部である。
前年7月1日付では「汚れ放題東京の顔 銀座の歩道はゴミの山」との見出しで、通行人のごみのポイ捨てや住民が路上にぶちまけた「台所の残り物」が散乱する様子を伝えている。
そして今、日本のマナーに反する中国人観光客はいる。
列に並ばなかったり、ごみを捨てたりする人を記者も見たことがある。だが−−。
「そこは『お互い様』です。最近まで私たちもそうでした。僕は70年代に米国留学したのですが、向こうで何に驚いたかというと、『割り込み』せず、みんなが列を作ること。当時の日本と大違いでした」と振り返るのは、社会心理学者で一橋大特任教授の山岸俊男さんだ。

鉄道利用者のマナーの悪さを報じた1951年2月の「サン写真新聞」(60年廃刊)に掲載された「割り込み乗車」の写真。「乗るときは一番後ろにいて、電車が来ると横に回り、ねじるように押し入る」らしい

日本の駅で当たり前になっている「整列乗車」が生まれたのも戦後である。
東京では47年ごろ、営団地下鉄(現東京メトロ)渋谷駅が最初らしい。駅長や駅員が整列乗車を訴えるプラカードを首から下げ、並び方を指導したのが始まりだ。これが後年、国鉄(現JR)などに広がった。整列乗車の成り立ちは「営団地下鉄五十年史」(91年)などが伝えている。
銀行やスーパー、コンビニなどでも客に並んでもらうためにロープを張る、床にテープで線を引く、といった工夫をしてきた。街も、東京など各自治体が罰金・罰則を設けたり、「美化デー」を設けて清掃活動に力を入れたりしたことで清潔になっていった。
つまり、戦後のさまざまな取り組みによって今のマナーの良さがある、ということ。これ自体は素晴らしいのだが、なぜか山岸さんは顔を曇らせる。
「怖いのは、そうした過去を忘れ、今あるものを『これが日本の伝統だ』『昔からそうだった』、そして『だから日本人は昔から優れていた』と思い込むこと。これは非合理的な思考だし、他国を見下す思想につながる。近ごろはそんな風潮が広がっているようで心配です……」

ごみが散乱する約60年前の旧国鉄の列車内。日本人は昔から礼儀正しかった……とは必ずしも言えないようだ=1953年11月、旧国鉄の尾久駅で (当時は食べた後の駅弁などの空ごみは座席の下に突っ込んで下車するのが普通だった)

『現状否定のため過去を美化』
では、冒頭の選択的夫婦別姓はどうなのか。戸籍が作られた奈良時代から明治中期までは別姓が基本だったし、初めて同姓を強制したのは1898年の明治憲法下の旧民法で、当時は同姓が基本だった欧米に倣ったのだ。
「でも、現在では同姓を強制している国は極めて例外的。なぜ日本はこれほど不自由なのでしょうか」と首をひねるのは武蔵大の千田有紀教授(現代社会論)である。
欧米でも近年は別姓も選べるようになっているし、逆に別姓が基本だった中国では同姓も選べる。
「明治以降の夫婦同姓が家族本来のかたち、という考え自体が『日本の伝統』と呼べるのかは疑問だし、『別姓を認めると家族の一体感が損なわれる』という反対論も根拠があるのでしょうか」
確かに別姓で家族の絆や一体感が崩壊した、あるいは別姓夫婦の子供の「個」の形成に問題が生じた、という国は聞いたことがない。離婚や再婚、事実婚や一人親が珍しくない今、親の姓が同一ではないことを問題にするのは意味があることなのだろうか。
中央大の山田昌弘教授(家族社会学)も苦笑いする。「『多数派がやっていること』を伝統と言い換え、少数派を従わせようとしているだけです。自分と異なる考えを認めない。それを正当化するために『家族が崩壊する』と言い出す。そもそも結婚には昔、通い婚などがあったし、家族の形も各地で本家や分家、隠居制のあり方などに違いがあってさまざまでした。それが日本の伝統なんですが……」

『では、なぜ新しいものを「伝統」と考えたがるのか? 』
「根底にあるのは『伝統の捏造』と同じ考え」と分析するのは著書「江戸しぐさの正体」で知られる作家で歴史研究家の原田実さん。
現在の道徳や公民の教科書が取り入れている「江戸の商人・町人の心得・風習である江戸しぐさ」なるものが、実は1980年代に創作されたことを2014年に著書で指摘し、今もなお教育界に波紋を広げている。
原田さんによると、「江戸しぐさ」を創作したのは高校教員や雑誌編集長を務めたとされる芝三光(しばみつあきら)さん(99年死去)。彼は日本人や社会のモラル低下を嘆いていた。
現状を否定し「昔は良かった」とばかり「ユートピア」を過去に求めた結果、道徳が優れている「想像上の江戸時代の人々の風習=江戸しぐさ」を生んだ。
「『昔は良かった』という考えがクセもの。
この考えに従うと『今ある良いものは昔からあったはずだし、昔はさらに良かったはずだ』との考えに陥りやすい。だから『日本人の道徳・マナーは昔から優れていた』と考えてしまう。『戦後日本から道徳やモラル、公の心が失われた』と言う人は戦前を評価する傾向にあるが、これも同じ。本当にそう言えるのでしょうか」
試しに統計を見れば、戦前・戦中(1926〜45年)の殺人事件の人口10万人当たりの発生件数は1・25〜4・14件で、2014年の0・83件より高い。「現状否定のために過去を美化しても、史料に裏切られるのがオチ」と原田さん。

『「理想の人間づくり」行く末は 』
「昔は良かった」と考える人が強調するその道徳教育、安倍政権は18年度以降に小中学校の「特別教科」とすることを決めた。
著書「新しい国へ」で盛んに「問題はモラル低下だ」と指摘していた安倍首相らしい。山岸さんは「20世紀で、最も道徳教育に力を入れたのは旧ソ連や中国など社会主義国家でした。自分より公を大切にせよ、と。でも結果はご存じの通り。歴史上、どんな国・社会も道徳教育で『理想の人間づくり』に成功した事例はありません。これこそ『伝統』なんですが」。
年始から夏の参院選について「憲法改正を訴えていく」と力を込める安倍首相。自民党の憲法改正草案の前文には「良き伝統を……末永く子孫に継承する」とある。その「伝統」の正体を注視したい。

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みんなもやってる (桁 喜世二)
2016-02-08 13:59:22
「何でだよ!アイツ等だって同じことやってんじゃん!何で俺ばっかり言われなきゃなんないんだよ!!」・・・どれだけ高尚な言葉を費やしたとしても結局はコドモの屁理屈以上の物ではないと思います、これが本当のコドモであれば「話をすり替えて誤魔化すな!」と一喝する処ですが・・・・
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「創られた伝統」を引き合いに (海坊主)
2016-02-08 23:31:22
だして書こうと思いましたが止めました。記事にも取り上げられていましたが、今の日本の映し鏡と思しき70年代の豊かなアメリカ。つまり文明の歩みの問題であって、50-60年代の日本と今の中国の姿が重なって見えるのは、運良く日本が数十年早く先進国入りしたから、と思ったりします。日本の公害問題は昭和40年代に大きな社会問題となりましたが、中国のそれは現在進行形です。もう少し経てば中国も先進国づらするようになります。今の日本がそうであるように。

先に文明化した国々は人権・自然環境への取り組みをアピールし、その先進性を声高に主張するものです。英国はフランスなどよりも先に奴隷貿易禁止を宣言しましたが、その甘い蜜を誰よりも享受したのは他ならぬ英国でした。フランスは自由・平等・博愛の精神のもとフランス革命を成し遂げましたが、そのフランス領だったハイチの独立には最後まで抵抗し、独立国となったハイチはフランスに多額の賠償金を課せられ、最貧国の一つに追いやられました。米国は植民当初の困難期に友好的に接してくれた先住民族を絶滅せしめ、それを明白な天命と嘯きました。やはり、先進国の方が野蛮ではないかと思わざるを得ません。

日本はどうか、というと米国ともう一度雌雄を決する勇気もなく、行き場のない情念が過去を美化する行為に至ったように見受けられます。「ALWAYS三丁目の夕日」は人気を博しましたが、ユートピアとしてそれを夢想しているようにしか思えません。現在の日本(米国の植民地)を否定したい心情がユートピアを想起せしめ、その延長線上に事実・真実とは異なる甘美な過去(こうであっただろう過去)を見つめている、というのが現在の病的な世相なのでは、と私は思いました。これも一つのカタルシス、でしょうか?
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日本を極限まで劣化させた映像メディア(テレビ)の罪 (宗純)
2016-02-10 15:08:23
桁 喜世二さん、海坊主さん、コメント有難うございます。

東京ではカラスが増えすぎて色々な問題を起こしていることが話題になって久しいが、
石原慎太郎知事がゴミ減量を目的として今までの色つきのゴミ袋に変えて透明の袋でしかゴミを収集しなくなったことが最大原因なのです。
カラスですが、視覚に優れた動物で、透明化でおいしい餌が取り放題になったのでカラスが大増殖したが、東京都の大失敗に懲りることなく大阪市でも透明化すると、やっぱり今ではカラスが街中にあふれている。
大都市のカラスの異常繁殖ですが、これはお馬鹿な右翼国粋主義者の石原慎太郎の責任が大きい。
そしてカラス以上に視覚に頼っているのが我々人類なのです。
信用力では活字の新聞が上だが、世論への影響力では映像メディアのテレビ以上の存在が無い。ところがそのテレビが挙国一致で意識的な誤報で世論を間違った方向に誘導する。
光氏母子殺害事件でテレビは少年犯罪の狂暴化とか治安の悪化を大宣伝して死刑死刑の大合唱を行っている。

今の日本国の病的な右傾化の遠因として考えられるのが18年目の1998年の北朝鮮のテポドン騒動。
北朝鮮は地球自転を利用して東向きに打ち上げたことを日本政府が利用して『ミサイルを三陸沖に打ち込んだ』と大騒ぎする。
この18年前に北朝鮮が人工衛星打ち上げに失敗したと米国やロシア中国韓国など周辺の関係するすべての国が認めていたのを、日本だけが『テポドンミサイルの実験だ』と主張して、強引に言い分を通してしまう。
これは久々の華々しい日本外交の大勝利なのですが、その後小泉の電撃訪朝と、それに続くマスコミ総がかりの北朝鮮バッシング結果、わが日本国は今のように極限まで右傾化する。
失敗は成功のもととの格言があるが、
わが日本国の外交では『成功』こそ、とんでもない大失敗の原因だった。
新聞協会にも記者クラブにも加盟していない赤旗ですが、北朝鮮の人工衛星打ち上げに対しては残念ながら大手メディアと同じ内容で、少しも違いが無い。
北の人工衛星に対してはBBCだけではなくて肝心の韓国メディアも冷静そのもの。
政権与党に近い朝鮮日報ですが、
「東倉里から南790キロ地点の約380キロ上空で衛星保護カバー(フェアリング)が分離された後、レーダーから消えた。』
と客観的に報道する。アメリカのNCCニュースなども冷静で、異様な興奮状態なのは日本だけ。
日本のマスコミですが、大気圏脱出後に放出する人口衛星の保護カバーである『フェアリング』を、ミサイル保護カバーだと報道していたが無茶苦茶。
少しの常識があれば弾道ミサイルが着弾する前に、その保護カバーが途中で脱落すれば完全な失敗です。
日本国の場合、誤報というよりも、これでは危険極まる戦争プロパガンダですよ。
韓国の報道ではフェアリングは正しく衛星のカバーだとなっていた。
今回の市長選に限らず京都の選挙はすべて、共産党vs「共産党以外の全部」で戦わられるのが常で、
共産党と「共産党以外の全部」は小選挙区制の参議院選挙に限らず、参議院選挙でも同じだった。
参議院地方区の京都府は定数が二議席だが、「共産党以外の全部」が候補を定数いっぱいの2名に限定して共産党を封じ込めていたが、
ところが3年前の参議院選挙では橋下徹の維新の会と渡辺喜美のみんなの党が候補を立てたので当選できただけ。
京都府では3位だが、京都市内では共産党の支持が多くて、共産党vs「共産党以外の全部」で戦わられる市長選は常に接戦であり、
『現職の門川25万、共産党12万 大敗』で間違いではない。
京都市長選ですが2月7日であり、この日の朝には北朝鮮が人工衛星を打ち上げたが、日本中のマスコミは共産党機関紙の赤旗を含めて弾道のミサイル発射だと大騒ぎする。
過去の例では、ソ連戦闘機によるサハリン沖の大韓航空機撃墜事件で共産党は総選挙で大敗しているし。同じく中国の天安門事件で参議院で共産党が大敗している。
今回も全く同じ事件が起きているのです。
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ロケットをミサイルと強弁するNHK (海坊主)
2016-02-13 10:50:20
国内向けのメディアはNHKを筆頭に北朝鮮からの打ち上げ物体を「事実上のミサイル」と称していましたが、国外向けには「ロケット」と正しく発信しているそうですね。国際的な話題が国内問題へとすり替わっている一例です。
誤解を恐れずに言えば、国外の出来事は国内政治の道具としても再利用されるということです。つまり「そこに外患がありますよ、私達の生活が脅かされてしまいますよ」というメッセージを国内向けに発しているのです。一年前に話題となった後藤、湯川両氏のIS人質殺害事件。これも国内問題ですよね。両氏が国内政治の道具として切り捨てられたのは国民が知っているはず、なのだが。

同様な事例を挙げればきりがないですが、オリンピックの開催地問題。安倍首相がフクシマ問題に対し「アンダーコントロール」と発言したのが功を奏し、東京を開催地に導きました。時の政府は放射性物質による国土汚染に不安を隠さない日本国民に悪質なメッセージを発したのです。「世界が認めたからフクシマは大した問題ではない、国民よ、安心して東京オリンピックを迎えるべし」と。想像するにこれには多額の金が動いたことでしょう。IOCの問題が米国主導のFIFA贈収賄疑惑によって隠されてしまった感があります。その一方で、新国立競技場建設に係るぐだぐだな現状は開催地返上運動とも読み取れます。おそらくこれにも多額の金が動いているのでしょうね。

さて、「ミサイル」発言と共に最近の報道で気になっているのが、バーニー・サンダース候補者をして「自称社会主義者」と称する奇妙さです。この「自称」にどのような意味が込められているのか、興味深々です。
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映像メディア(テレビ)による光市母子殺害事件での元少年に対する「死刑死刑」の大合 (宗純)
2016-02-18 11:30:48
海坊主さん、コメント有難うございます。

いまNHK報道の右傾化が言われているが、実はテレビの右傾化というか、摩訶不思議な均質化が始まったのは、ずいぶん昔からなのです。
昔は天皇一家の皇室報道は、テレビ番組としては日曜日に朝日テレビで『皇室アルバム』という1時間番組があったが、見たくない人はチャンネルを変えれば別の番組を見ることが出来た。
ところが地上波が地デジに変換されるとの報道があったあたりから様子がずいぶん違ってきた。
皇太子夫妻に女の子供がまれたことがきっかけで、連日普通のテレビニュースの枠で、幼児に最大限の敬語を使う気持ちの悪い番組が延々と続く。
不愉快なので違うニュース番組にチャンネルを変えても、そこでも同一の映像が流れていたのです。強制的に日本人の全員に見せていたのですから怖ろしい。
それまでは日本国では、そんなことは一度も無かったのです。
そもそも、生まれながらにして尊い人間がいるとしたら、自動的に生まれながらにして卑しい人間も存在することになる。
これは到底見過ごしには出来ないのです。本当に腹が立つ。
そして、ドラえもんと現実世界との区別も定かでない知恵おくれの18歳と1カ月の少年に対する死刑死刑の大合唱が始まった。あの橋下徹ですがマスコミの寵児になったのは間違いなくこの事件ですよ。
これは丸っきりのマスコミ総がかりの誤報だったことは、今回の毎日新聞の記事でも『統計を見れば、戦前・戦中(1926〜45年)の殺人事件の人口10万人当たりの発生件数は1・25〜4・14件で、2014年の0・83件より高い』と指摘している。
少年犯罪の凶悪化と治安の悪化が、これでもかこれでもかとテレビが繰り返していたが、すべてはデマだった。
誰かが間違うことは良くあることだが、全員が同じ間違いを犯すことはない。
これは間違いなくテレビなどマスコミによる悪質極まる政治的なプロパガンダなのです。
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