我的網球日記

昨日の自分を越え、身近な幸せに感謝するための自叙伝!

タイと風俗 続き

2011-06-21 | 日常思う事 (我的看法)
タイに旅行に行く時、戒めの意味を込めて下記文章を読んでいる。
友人が書いたもので、非常に熱い心と女性ならではの視点があって良いです。こういう存在が身近にいることにただただ感謝。長文ですが、どうぞ大事に読んで下さい!

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 彼は女を買った。詳しいことはわからない。人に優しい、動作も喋り方ものんびりした人で、純粋で素直で嘘のつけない人だった。彼の友人たちも大体がそんな感じで、今どきめずらしく「愛が全てだ」なんて照れくさい言葉を真剣に、でも微笑みながらよく一緒に語っていた。みんなタイが好きだった。のんびりとした雰囲気と人々の笑顔が大好きなのだと、タイへしょっちゅう遊びに行っていた。彼のタイでの買春行為が私にばれたのは、彼の友人が自分の彼女に問い詰められ白状したからだ。友人の彼女はすぐさま私に電話で知らせてき、私は彼に電話した。「あなたの友人はタイで女を買ったんだって。あなたも買ったの?」彼はあっさり白状した。
 インターネットで少し検索すると、タイでの買春情報は簡単に調べられた。相場は大体1000バーツ(約3000円)から2000バーツ(約6000円)らしい。カンボジアはさらに安い。十五歳くらいの少女もときにはいるという。タイ東北部の貧しい家庭は、娘がバンコクで稼ぐしかない。私はせめて彼の買春相手が、二十歳以上であったことを願った。
 私はタイ人の、あの健康的な小麦色の肌が彼にからみつくのを想像し、夜明けまで寝返りをうつ毎日を過した。彼は私とのセックスに満足していなかったのだろうか。飽きたのかもしれない。彼はどんな女を買ったのだろうか。きっと私より若くて可愛い娘。その娘とどんなセックスをしたのだろう。私にするのと同じように優しくキスをしたかしら。私は名前も知らないタイの女性に嫉妬し、彼の裏切りを悲しんだ。だが、私の友人はこう慰めてくれた。「それは浮気じゃないでしょう」
 しかし、それは私をもっと深く傷付けた。普通の浮気だったなら、もっと単純だったろうに。私は相手の女性に嫉妬し、自分に何が足りないのかを考え彼と話し合い、別れるにしろ続けるにしろ結論を出せたはずだ。私はたった3年程度の付き合いで、彼のことを全て知ったつもりでいた。世界中の悲惨なニュースを観ては、怒ったり悲しんだりしていた彼を、何よりも愛を大切にする人だと尊敬し、愛してきた。しかし今は、自分は彼の何を愛してきたのか、これから何を愛せばいいのか、わからなくなってしまっている。買春。それも彼のいう愛なのだろうか。
 私は1ヶ月後の休暇に予定していたモンゴルへの旅を、急遽タイ・カンボジア行きへと変更した。本当の彼を知りたい。

 汗を誘う生暖かい風にのって、タイ独特の香辛料の匂いが街中を漂う。思わず顔をしかめてしまう程の匂いだが、2日めには何も感じなくなってしまった。それがとても美味しいタイ料理の香りなのだということを、体が理解したのだろう。日本よりもひどい高温多湿の気候は、私をぐったりとさせ、ゆっくり歩くことを強いた。周りを見渡してみても、急ぎ足の人などいない。みんなゆっくり歩いている。仕事中の屋台のおじさんは、疲れてしまったのか路上で寝転がっている。なるべく疲れないように行動し、疲れたら休む。こうしてみんな暑すぎる一日をやり過すのだ。日本も十分暑いが、みんな急いでいる。そして疲れ、周りに笑いかける余裕もなくなる。日本人は勤勉とは言うが、笑顔という言葉を思い浮べる人はいないだろう。対してタイは『微笑みの国』と呼ばれている。
 タイのこのゆったりとした雰囲気と人々の柔らかい笑顔は確かに魅力的で、彼が買春目的だけのために訪れていたのではないと、私に少しの安心感を与えてくれた。
 安宿街で有名なカオサンには、私を含めたくさんの日本人旅行者がいた。大抵が1人旅で話しかけやすい。屋台や宿で、初対面同士でもすぐに打ち解ける。圧倒的に男性旅行者が多く、私は機会を見つけては、買春経験の有無をさぐった。タイの女の子は可愛いし安いから、もし私が男だったらきっと買うだろう。私が笑いながら、軽い雰囲気でこう話すと、理解ある女性もいるもんだと、大抵の人は打ち明けてくれた。最後にこう付け足して。「誰だって買ってるよ」
 しかしそれは嘘ではなかった。買春したことのない男性はほとんどいなかった。したことがないという人は、1人旅が初めての人か、まだ十代の大学生であった。少なくとも私がたずねた社会人で、一度も買春をしたことのない男性はいなかった。しかし買春目的でタイに来ているのかとたずねれば、そうではないという。皆、タイを拠点としながら、ラオスやインドまで足を延ばして遺跡や人々の暮らしを観光し、それぞれに旅を楽しんでいる。そして「せっかくタイに来たのだから」買春するのだという。まるで「せっかくタイに来たのだから、トムヤンクンを食べる。タイではトムヤンクンは安いし、簡単に手にはいるのだから、食べずして帰るのは勿体ない」と言うように。
 彼らにとっては買春とはタイ特産物という認識らしい。もちろん始めは抵抗があっただろう。中には「一度買春をしてみたものの、罪悪感や嫌悪感におそわれ、もう二度としないと決めた」人もいた。だが、そういった人は稀で、とりあえず日本からタイに飛び、買春してから他の国々に観光しに行く。最後にタイに戻り、買春して日本に帰る、というパターンの人がほとんどであった。
 ある人はカードでキャッシングまでしていた。今日バンコクに戻ってきたが、それまでの観光で持ち金を使い果たしてしまった。明日、帰国するのですぐに返せば利子も大したことはないだろう。とにかく「せっかくタイに来たのだから」買春せずに帰るわけにはいかないらしい。借金をしてでも「せっかくタイに来たのだから」やるべきことなのである。私の彼もそうだったのだろうか。何とも滑稽に思えた。彼らの心境としては、つまりこうである。「せっかくパリに来たのだから、借金をしてでもルイ・ヴィトンでバックを買うべきだ」
 買春する人々がそうであるように、次第に私も麻痺していった。みんなやっていることだ。彼が特別だったわけではない。タイで買春するということは、一般的日本人男性にとってはごく普通のことなのである。私はどうでもよくなってしまった。彼は買春することがどういうことか、きっと考えもしなかったのだろう。安くて可愛い娘がたくさんいて、みんなやっているから自分もした。楽しかった。気持ち良かった。危険なことは全くなく、簡単だった。そして何度も繰り返したのだろう。そこに「愛」があるの、ないの、だなんて考えもせずに人を一晩買ったのだろう。疑問もなく、食用に飼育された牛を買って食べるのと、まるで同じであるかのように。
 カンボジアへ向かう途中、タイ側の国境の町、アランヤプラテートの宿で、1人の日本人男性に出会った。長いことタイに住んでいるらしく、流暢なタイ語を喋った。国境でビザを更新するために、タイ中部の小さな町からやってきたのだと言う。私はたずねた。東北部の人々は貧しく、娘をバンコクの風俗街で働かせて収入を得ているというのは本当か。このぶしつけな質問は男性を不愉快にさせたようだった。
 ビールでも飲みに行こう、と男性は私を宿から連れ出した。アランヤプラテートは小さな何もない町だ。屋台がぽつんぽつんとある他に、コンビニエンスストアが一軒、それ以外に旅行者が立ち寄れる場所はないように見える。男性はスタスタ先を歩いて行き、やがて一軒の、ひかえ目だがピンクのネオンで飾られたバーに入って行った。客は地元住民の、しかも男性ばかりで、皆いぶかしげに私を見る。そこはゴーゴーバーだった。
 ゴーゴーバーとは、丸裸の女性が舞台の上で体をくねらせながらセクシーダンスを踊っていて、それを観ながらお酒を楽しむところだ。気に入った娘がいれば、バーに連れ出し料を払い、お持ち帰りすることも可能だ。その後のことは、女性との交渉次第で価格が決まる。つまりは買春するのにてっとり早いところである。バンコクでは一種の観光名所のようにすらなっていて、一部のぼったくりバーを除いては安全で、女性観光客もよく訪れる。そのくらい簡単に安全に買春はできる。
 アランヤプラテートのこのゴーゴーバーは、バンコクのそれとは違い、とても簡素なものだった。普通のバーカウンターの中に二畳程度の狭い舞台があり、その上で2人の女性が笑いながら踊っていた。とってつけたような質素な照明の下で、ラジカセから流れる音楽に合わせて踊っていた。バンコクの明るく華やかに演出された舞台では感じられなかった、生活感だとかわびしさだとかが感じられた。第一、踊っている女性が全く違う。バンコクの踊り子たちが美しく、痩せていてスタイル抜群であるのに対し、彼女たちはむちむちとしていて田舎くさく、化粧も乱暴だった。「たずねるまでもなく、彼女たちは東北部出身だよ。こんな小さな町で地元住民が、こういうところで働けるはずがない」しかしそれならば、なぜ彼女たちはバンコクで働かないのか。こんな小さなゴーゴーバーよりも、バンコクで稼いだ方がお金になるのではないか。「整形するのが嫌だったのか、太っていてクビにされたのか、そんなところだろう。もしくは日本人が嫌いなのかもしれない」男性は仕事でよく日本人をゴーゴーバーへ接待するらしい。その一環で、もちろん買春も世話する。「タイの若い世代には日本人に憧れる人も多いが、全体的に見たら軽蔑されてるよ。日本人は金持ちだけど、単なるスケベだってね」
 カウンターでお酒をつくっている女の子が、やけに若く見えたので年をきいてみた。14歳だった。「この娘も近いうちに踊ることになるだろう」
 微笑みの国、タイに魅了され、何度も訪れる日本人。その歓迎ともとれるタイの微笑みは、実は嘲りかもしれない。私の彼もタイを愛し、タイに嘲笑われていたのかもしれない。

 カンボジアでは、日本人による児童買春が大きな問題となっている。最近、日本のテレビニュースでもとり上げられていた。児童買春をしたという人には出会わなかったが、買春をした人は、もちろん残念ながらいた。カンボジアでの買春は、タイよりも格段に安価である。ただ性病に関する危機意識が乏しく、タイ以上にエイズが蔓延している。カンボジアで買春した日本人は、皆こう言った。「怖かった」
 彼らが「怖かった」のはエイズに感染するかもしれない、という恐怖感であり、彼らは「怖かった」にも関わらず買春したのである。彼らは「怖かった」のでもちろんコンドームを使用した。彼らがコンドームを使用したのは自身のためであり、相手の女性のことを考えたわけではないだろう。もし性病もエイズの可能性も0%ならば、彼らはコンドームを使用しただろうか。妊娠するかもしれない、とコンドームを使用するほど、相手の女性を気づかっただろうか。もしくは二度と会わないのだから、相手の女性の今後の生活のことなど、気にする必要なんてないのだろうか。
 ポル・ポト時代、カンボジアではほとんどの若い男性が虐殺された。売春宿がこんなにも発展してしまったのは、このせいだ。働き手の男がいなくなって、女はどうやって生きていくのか。私は屋台のテーブルに群がってくるストリートチルドレンを見遣りながら、やるせなさに食欲を失った。この子供たちは私の残飯を食べ今日を生きる。大きくなってからはどうするのだろう。少し離れたところでこちらをじっと見つめる母親。この子たちは父親を知っているのだろうか。この子たちの父親が日本人ではないと、どうして断言できるだろう。大きくなって、この子たちが売春以外で生きる方法があると、どうして言えるだろう。この子たちも将来、名前も知らない父親の子を産むかもしれない。そして、繰り返される。

 タイ・バンコクに戻り、私はバンコクの豊かさを再認識した。真夜中でもネオンの光で明るく照らされ、お洒落をした若者たちが楽しそうに歩く。カオサンには相変わらず、たくさんの旅行者が滞在していた。
 カンボジアで会った何人かの人々と再会した。ある男性が、カンボジアの売春宿に行ったときの話をしてくれた。5ドルだった。薄暗く、汚いベットが置かれた狭い部屋に通された。怖かった。二度と行きたくない。きっと彼は本当に不安だったと思う。知らない土地で知らない女性をオンボロ小屋で抱く。しかし相手の女性はどうだっただろうか。5ドルで自分を買った、見知らぬ日本人男性に抱かれる。彼女は生きるために、日々この恐怖に耐えなければならないのだ。ちなみにこの男性は25歳の、背が高くハンサムな好青年である。会話も楽しく、明るく優しい男性である。
 バンコクのゴーゴーバーで、私は1人の女性に出会った。ゴーゴーバーに行っても、女性客はあまり相手にされない。ゴーゴーバーで働く女性の主な収入源は売春であり、ショーだけを観に来た興味本位の女性客に構っても仕方ないからだ。しかし、その女性は私の隣に座ってくれた。もしかすると私をレズビアンを勘違いしたのかもしれない。髪は黒く、清楚な雰囲気で、白い貝殻でできたネックレスがよく似合っていた。ここで働き始めて二週間。まだ舞台には立ったことがないらしい。確かに不馴れな感じがあった。だからこそ、女性である私のところに来たのかもしれない。売春経験もないのかもしれない。どうしてここで働いているのか、の問いにはお決まりの答えが返ってきた。母親が病に倒れてしまったため、治療費を稼ぎにバンコクへやってきた。はじめはスーパーで働いていたが、それだけでは足りず、夜の仕事を始めた。彼女は東北部から来たとも言っていた。とてもよくある話だ。
 私は知人のタイ人女性に彼女のことを話した。バンコク在住で日本企業勤務の知人は、こう言い放った。「そんなの嘘に決まってる」バンコクの風俗で働く人々は、自分よりも収入がいい。彼女たちは性を売ることを平気でやってのける。人がいい日本人の同情をひくために、嘘だって平気でつく。知人は彼女たちを心底、軽蔑しているようだった。バンコクが風俗都市と思われるのが屈辱的なのだ、と厳しい口調で言っていた。
 あの女性の話が嘘だったのか本当だったのかは、私にはわからない。ただ、タイ東北部の人々の生活が困窮しているのは事実であり、バンコクで売春をして仕送りする、家族想いの女性がたくさんいるのも事実である。日本語も堪能なエリートの知人にとっては、邪魔ものですらあるのかもしれない。では彼女たちはどうやって生きていけばよいのだろうか。売春以外に、彼女やその家族が、食べていける方法はあるのだろうか。
 ゴーゴーバーと類を成して、ゴーゴーボーイというのが存在する。ネーミング通り、男性目的の人々のためのバーである。舞台で踊っているのは男性だ。ただゴーゴーバーと同じく女性客はほとんどおらず、男性客ばかりである。ゲイだ。日本人らしき人もいたが、西洋人が圧倒的に多い。アジアの男性は従順で肌のキメが細かく、ゲイに人気らしい。上半身裸の少年のような顔立ちの店員を周りにはべらせ、腰に手を回して上機嫌で酒を飲む白人。腰に番号札をつけて舞台で踊っている店員たちを、熱心に品定めする日本人らしき男性。異様な雰囲気だった。それは私が同性愛者ではないために、理解できない部分があるのだろう。とにかく私にとって、ここで働く男性たちは皆、奴隷のように見えた。彼らはゲイなわけではない。実際、女性である私のところに、自分を売り込みにきた店員が何人かいた。もちろんゲイである店員もいるのだろうが、少なくとも全員がそうではないということだ。それでも相手の客は大抵が男なのである。彼らは一晩を稼ぐためならば、相手が男だろうが女だろうが、無心に尽くすのだろう。
 ゴーゴーバーではほとんど相手にされなかった私だが、ゴーゴーボーイでは1人の大切なお客様として扱われる。私の隣に座って、熱心に自分をアピールする店員。それは正直、私にとっては迷惑であった。私はただの好奇心からここにやってきたのである。しかし、そう考えること自体、真剣な彼らに対して失礼な話だ。
 私はゴーゴーボーイがどういうところか、知らないで来たわけではない。なのに彼らのサービスを受け入れられない。私は彼らを見せものとして捉えていたのか。私はまるで動物園にでも行くような気持ちで、ここに来たのだろうか。日本だったならば、例えばホストクラブのようなところに、私は行こうと思いもしない。それは高いから、なんて理由ではなく、相手が日本人男性である限り、私は気を遣ってしまうに違いないからだ。「観たい」なんて簡単な動機だけでは、とても行く気にはなれない。だが今回は、気後れなどちっとも感じずに来た。相手がタイ人だからなのか。私は少しも遠慮することなく、彼らを観察していた。問題は、なぜタイ人ならば平気なのか、という点である。
 ゴーゴーボーイを後にし、私は先日訪れたゴーゴーバーへタクシーで向かった。閉店間近の店の入り口で、私は彼女を待った。私の隣に座り、東北部出身だと話してくれたあの女性だ。男性客と腕を組んで、女性たちが出てくる。学生らしい若い日本人男性もいた。きっと初めてなのだろう。私を見るとバツが悪そうに下を向く。連れている女性と同様、私とも二度と会うことはないだろうに。賑やかに楽しそうに、たくさんの人々が私の前を通り過ぎて行った。私は彼女を待つ。とにかく私は彼女に会わなければならなかった。私は彼女を今夜買うつもりだ。
 ゴーゴーボーイでの自分に、私は失望していた。私は単なる好奇心であそこに行ったのだ。本当の彼を知りたい、という本来の目的はすっかり忘れていた。いつのまにか、風俗に対する関心の方が大きくなっていた。私はそこで働く人々を見たかった。彼らはあくまで「風俗で働く人」であり、「タイ人」だった。私は彼らを同じ1人の人間としては見ていなかった。しかし実際のところ、彼らは単なる見せものではなく、懸命に働き生きている1人の人間なのだ。
 たくさんの人々で混雑していた通りも、やがて誰も通らなくなってしまった。彼女は出てこない。私は店内に入ってみることにした。
 あやしくきらびやかな照明は消され、なんのへんてつもない蛍光灯で照らされた店内は、明るくがらんとしていて、以前訪れたときとは全く様子が異なっていた。けたたましく鳴っていた音楽もなく、何人かの女性店員が椅子を重ね、黙々と床をほうきで掃除していた。そこに彼女の姿は見えず、私はレジでお金を数えている店員に尋ねてみた。仕事を始めて2週間くらいの、美しい黒髪で白い貝ガラのネックレスを付けた少しシャイな女性は、今どこにいるのか。店員はこうこたえた。私はどの女性のことをあなたが言っているのかわからない。それにあなたも知っているように、客に指名されたらついて行くのだ。彼女は今日、休みだったのか客と一緒に出て行ったのか私にはわからないけれど、いずれにしてもあなたは来るのが遅すぎた。
 力になれなくてごめんなさい、と言って店員はまたお金の計算を始めた。私は所在なく、掃除する女性たちを見つめしかなかった。私はあの女性を買いたかった。一緒に屋台で食事をしたり、ディスコで踊りたかった。不馴れな素振りを見せた彼女に、すでに売春経験があるとは思えなかった。ここで私が彼女を買って、説得し売春を辞めさせようと考えたわけではない。彼女の今後の生活に責任を持てるほどの度量は、私にはない。ただ、もしかしたら初めて自分を買った客が私だったなら、体目当てでなく、自分の人間としての魅力を買った日本人がいたなどと後に思い出して、慰めや励ましになるのではないかと思ったのだ。しかしそれも私に都合のいい解釈なのだろう。ゴーゴーボーイで自分は彼らと正面から接していないのだと失望した私は、せめて彼女を1人の人間として見、彼女の仕事を成立させて償いたいだけだったのかもしれない。いずれにしろ店員が言うように、私の行動は遅すぎた。

 私はどこかで自分は金持ち日本人なのだ、という意識を常に持っていた。日本はアジアで最も発展した国。同じアジア人でも、日本人だけは違う。それは同じ人間にも関わらず、白人が有色人種に対して持つ優越感と同じようなものかもしれない。私の彼を含む多くの日本人男性が、タイをはじめとするアジア各国で買春するのは、単に安価で簡単だからだろうか。例えばその買春相手が西洋人だったならば、アメリカ人だったならば、彼らはどうするだろう。大抵の日本人が劣等感を抱いている西洋人に対して、アジア人相手と同じように、横柄に平気で値切り買春できる日本人男性は、こんなに多くないはずだ。私たちは「日本人」という意識を強く持ち過ぎているのかもしれない。外国人に対して、同じ1人の人間なのだという実感が湧きづらい。そのために人間ですら商品化してしまえる。買春だって平気でやってのける。昔、白人が黒人を奴隷として売買していたとき、黒人は人ではなく商品として扱われてきた。いかに良心的な白人にとってもそれが普通で、当然のこととして成り立っていた。それと同じなのだ。そこに罪悪感が伴わないのは、商品化してしまうことに何の疑問もなかったからである。 
 私の彼はタイの女性を買った。そこには単なる性への欲望の他に、日本人としての自意識によるアジア人への軽視、もしくは同じ人間という意識の低さがあったに違いない。そしてその意識は、私にも根付いていたのである。

 真夜中のカオサンロードを、たくさんの人々が楽しそうにすれ違ってゆく。西洋人、日本人、タイ人。誰もお互いの国籍を気にするものはいない。いろんな人種がいて当たり前のカオサンでは、皆、当たり前のように無関心にすれ違ってゆく。しかし心を覗けば、それぞれが自分の国や人種に強い意識を持ち、他者に対して劣等感なり優越感を抱いているのに違いない。 生暖かい風がゆったりと流れる。誰もが皆、同じようにその風の柔らかさを感じていた。


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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-10-07 16:17:55
考えすぎだね。買われる側が常に弱者だと思う発想自体が間違っている
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読んだ感想と自分の体験談 (ヤマモト)
2013-02-01 12:50:06
読みました。
小説家になれるくらいの文才ですね。
読みやすく、つたわりやすかったです。
結果、彼がなぜ売春したのか整理はついたのでしょうか。
ちなみに僕は今28で、23くらいのときに会社の先輩とバンコクいきました。
そして女を買いました。
遊び感覚でした、タイ人とエッチできるんだ~やった~くらいの気持ちでした。
罪悪感はありませんでした。
なぜならお金払っています、日本のデリヘルとなんら代わりありません。
やりたくないことをしてでもお金を稼いでる人はいくらでもいます。もちろん日本にも。

ただタイの場合、稼ぐ方法がないので売春しないといけないという現状は悲しいですね…
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Re;読んだ感想と自分の体験談 (ヤマモト) (syrs7922)
2013-02-01 16:38:52
ヤマモト様

初めまして、感想ありがとうございました。
冒頭書いてあるように実際私が書いた文章ではありません。友人が書いたもので、感じるものがあり断って掲載しました。

私は今中国で働いてますが、日本人から見る他国の「不平等」は難しい気がします。それは日本人目線だからでしょうが、実際私達はその目線からは抜け出せません。バンコクの売春に限らず、貧しい人々が本当に可哀想なのか?は分りません。日本みたいな恵まれた生活を知らない方が幸せな場合もあるんじゃないかと思います。
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