我的網球日記

昨日の自分を越え、身近な幸せに感謝するための自叙伝!

親父ぃ!

2005-05-20 | 日常思う事 (我的看法)
今日は親父について書きたいと思います(注:写真は全く関係ありません 四川省黄竜)。

実はGW終わり頃から、親父があるプロジェクトのため北京に出張で来ていました。中国に留学するきっかけを与えてくれたのも、良く考えたら親父の紹介なんですよね。

そのきっかけというのは、日本の政治家と中国の要人のパイプを繋ぐ仕事でした。丁度、会社を辞めてどうするか決めかねてた時にたまたま来た機会でした。準備⇒訪中⇒次回の打ち合わせと親父と一緒に初めて仕事をして、『父の大きさ』を感じると共に一人の人間としても尊敬できる人だと肌で感じました。

ここで学んだ事は、例え政治家といえども名声だけで人を見てはいけないということ。マスコミを始めとする「情報」に対して、常に自分の軸と照らし合わせて「情報」を消化する、それこそが肝心だという事です(まぁ~僕の軸なんて、フニャフニャでしょうが…)。

色々と帝王学(笑)を叩き込まれた中で、特に印象に残っているのが以下の二つです。

① 立居、振る舞い、礼こそが人間の品格を決める。

② 常に自分だったらどうするか考える

①は、訪中する前に、僕が初めて接する政治家にビビッているのを感じたのでしょうか。外交でどういう所を見れば良いのか、ポイントを教えてくれました。①の意味は、可愛いとか綺麗とか良い服・格好で人間を見るのではないという事です。「昔の中国・日本では、汚い身なりの偉人を見抜く目を持つ人物がいた」とか「接待など食事を御馳走された際に、日本人はよく遠慮をして手を付けない」とか仰っていました。後者の食事の話はこういうことです⇒相手の『礼』に答えていない事になるし、何より自分に自信が無い(礼が出来ない)から遠慮をするということ。今、中国語を勉強している僕にも言えます。外人は間違いを恐れず質問するけど、日本人の僕は取り敢えず「こんな質問したら周りはどう思うかなぁ~」と思考してから「そんなの関係ないじゃん!」と再考して挙手しています。日本人の傾向でしょうか?自分中心であまり考えない僕でさえそうなんです。日本の教育は恐ろしい。。話が前後しますが、重要なのは「自分を客観視して、礼を意識する」ことだそうです。ふ~ん、今の自分には程遠い。。頑張ろ♪

②これは父と二人で商談に行く時に言われた言葉です。自分では『父』と意識して仕事をしているつもりはありませんでしたが、自分だったらどう交渉するかという意識が無く頼っていたのでした。これは、前職でも結構あったことでした。直接の上司には無かったですがMGRと一緒に商談へ行く時は、頭のどこかに「何とかしてくれるだろ」という甘い気持ちが常にありました。そんなわけないのにね(笑)。それで結果が自分の意図どうりに行かないと愚痴をこぼしてましたっけ(若いなぁ~)。。同じ機会を貰っても、気持ちの持ち様で『経験値』が全然違うということです。

『俺は財産を与える事はできないが、自分が見てきた・感じてきた事を分かち合えるような機会を提供はできる!』

これは僕の胸にジーンときた親父の決め台詞です。一見ケチのようですが、奢ってくれるし決してそうでもありません。子供の頃は金持っているのにケチだなぁ~と思ってましたが、今は解ります。例え親子でも、金だけの関係を創りたくないということなんだと思います。現に親父が仕事するパートナーは、おっさんおばさんでもエネルギーがあり心が広い方が多いです(学生運動時代の友人が多いからかなぁ?)。今回北京で会った時も、親父は心配して留学費を援助する申し出をしましたが、そんな気持ちが分る僕は断りました。ちゃんと自分でやりくりしてるんです!少しは僕も大人になったんだなぁ♪

北京でも親父の姿は、相変わらず活力に満ちていました。今回の『反日運動』・『台湾連戦訪中』の考察も鋭いもんでした。『反日運動』では、「なぜ日本国天○の写真を燃やさないのか」と過激な発言も。確かに歴史も利害関係も考えない騒ぎたいだけの学生がなんでやんなかったのでしょうか?やったら、間違いなく多くの日本国民が中国を嫌いになるだろうから、運動の首謀者から見たら効果絶大なんだが。。単純に存在自体知らないのでしょうかそれとも中国政府がコントロールしているのでしょうか。「日本の若者は例え間違った怒りでも、運動を起こすようなエネルギーが無い」とも嘆いていました。。若者(既におじさんか)の僕も同感…いかん!未来は僕達若い人が創るんだぁ~!

こうやって親父のことを書いていると色んな事を思い出します。

子供の頃は、親父はウルトラマンだと自称していました。家でパンツ一丁で逆立ちして筋トレしているパワフルな親父を見て、僕と弟は本気で信じていました(笑)。
母を守るためか?中学生の頃、親父と取っ組み合いの喧嘩をしました。結果は惨敗…しかも窓ガラスが割れる大惨事に。ごみ置き場で泣きながらガラスの破片を片付けている僕に、そっと親父は革手袋を差し出してくれましたっけ。

不思議な事に、最近は母ちゃんの方が付き合いにくいです(笑)。「反日運動」大丈夫かと心配メールをくれる割に、この前日本から荷物を送ってもらったら。。何と日本代表のサッカーシャツが二着!!「戦え!」てことか?と危うく勘違いする所でした。僕のキャラクターは、母の天然も色濃く受けているのは否めません。

うーん、まとまんなくなって来た…。とりあえず、親父には色々なプレゼントを貰っているので、いつか恩返します!その日まで、待ってろよ♪

GW報告~四川省~

2005-05-14 | 中国
GWに四川省へ行って来ました。

もともと西安に行くつもりでしたが、ツアーのプランを見ると5・4(五四運動の日)に共産党執行部やら歴史記念館に行くという予定だったので急遽変更したのです(曰く自己責任ですからねぇ~)。四川は「天府の国」と言われる程、食が豊富で且つ景観が素晴らしい地域です。留学先として迷った所でもあり、興味津々でした。

出発当日に彼女のいる北京大学へ行った時、この旅行を占うような事件がありました。バスで東門に着いたら、門には人の群れが…何と「出入り禁止」!学生証無しでは入れないのです。「反日運動」や台湾の連戦が北京大学に来た事が関係あるのでしょうか。結局タクシーで西門から入りましたが、今思うと出足からコケてました!

空港着いたら、やっぱり…飛行機が1時間遅れました。成都に着いたら着いたでガイドがなかなか見つからず、拾って貰うまで一時間半も待たされ(既に00:30)、着いたホテルの景観は最悪(僕等は300元払ってホテルのランクを上げてもらうプランにした それでも三ツ星)。。後に仲良くなった天津の銀行員カップルは猛烈に抗議していました。一階は廃墟(というか工事中)で、9階がロビーの変なホテルでした(中は綺麗だった)。
ホテル着いた初日はそれでも元気だったので、チェックイン後飲みに繰り出しました。浅草の人力車(もちろん中国版)みたいなのに揺られながら、オジサンの臭い体臭を嗅ぎながら、深夜の成都の町を廻り、これから旅が始まるぞという昂揚感に浸りながら、着いたのは少し怪しいディスコ?バー?でした。四川人は綺麗な人が多いらしく北京よりレベルが高いのをここではマザマザと見せつけられました。店員さんは背中のあいたドレスを着てセクシーだし、若者は皆ギャルっぽかったけど田舎臭さが残ってて可愛いし。でも男はなんかベトナム人ぽいというか濃い人ばかりで尚且つ小さい人ばかり。。。ここでも、男の立場は低そうです(笑)。そこのバーはよほど高級らしくフロアにいる兄さんが、僕がトイレに行くと着いてきて、手を洗おうとする僕に蛇口をひねってくれ、ハンドソープのポンプを押し、最後におしぼりまでくれました。なんかここまでやるか!?て思ったけど、初日はこれが一番印象残っています。

二日目は楽山(世界最大の大仏がある)、三日目は峨眉山(中国仏教四大名山の一つ)に行きました。何かツアーの旅行自体が初めてに近かったので新鮮でした。バスガイドさんは四川の女子大生で、小さいながら精力的に働いていて非常に好感もてました。ガイドさんの熱のこもったプレゼンに、上手いなぁ~とほとんど聞き取れてないのに関心してました。両手を広げたり、眉間にしわ寄せたり、ジェスチャーを入れたり、バスの中全員に視線を配ります。とにかく体全体で表現してて、全然退屈しないのです(基本的に中国人は皆こんな感じだけど)。ショックだったのは汗でだんだんガイドさんの眉毛が無くなったことと、二日間同じ服だったこと(靴下は変わってた)。中国では毎日同じ服着ている人は良くいるのだが、北京に比べ熱くて湿っぽい四川でそれは気持ち悪いんじゃないのか!?女性だし可愛いのに勿体無い!やっぱり、運が悪いようで峨眉山は前夜の大雨で土砂崩れが起こり、頂上まで登れませんでした。そして、このガイドさんとは3日目でお別れでした。「明日は眉毛かいて服替えるんだよ~♪」と言う暇も無いほど慌しい別れでした。

4日目は一日バスで移動。5・6日目には共に世界遺産に登録されている九塞溝(9つのチベット族の集落があることから呼ばれる)、黄竜(段々畑のように重なるエメラルドグリーンの池)に行きました。いずれも、綺麗な「水」を鑑賞できる秘境で、中国の壮大さを感じるには十二分でした。面白かったのは、写真を撮られる時に観光客がとるポーズだ。特に女性は「M字○脚」なんて無いものの(こんな例えでゴメンナサイ)、体育座り?をしたり、御尻をつきだしたり、モデル並とは言いませんが色々なポーズを取る…日本人女性と伝統的に美意識が違うんだろうか。やっぱ、中国は勢いが違う!と妙に納得。
観光地は空気が上手いし良かったのですが、二日共ホテルが最悪でした。まず、シャワーが出ない。しかも、カランで浴槽にお湯をためようとしたら穴があり溜まらない。。もう一つのホテルは外観が綺麗なので期待してたら、いきなりエレベーターが止まって閉じ込められていました(幸い僕達は乗り遅れた)。この旅で体が覚えた事は、部屋に入ったらすぐシャワーの確認をするようという条件反射でしょうか。はぁ~。

中国のツアーでは御土産品周りを良くする。四日以降、薬屋から水晶、ヤク(牛の一種)、ヒスイ…など廻らされた。中国人の観光客でもブーブー言うのに、誰も買わないともう一軒連れて行くと言うガイドも大したもんです。ツアー客用に水晶・ヒスイの本物か偽者の見分け方、漢方薬の効能など、説明を長々とされた後買い物するという具合だ。旅行会社とお店の方で何らかの契約がされているんだろうけど、これは何か時間が勿体ない気がした。最後には、途中で抜け出して近くの骨董市場を覗いて好き勝手に楽しんでました。

最終日、出発まで時間があったため、天津カップル・イギリス人カップルと武候嗣に行きました。ここは三国志(西暦約200年)で有名な蜀の劉備玄徳・諸葛亮孔明を祀っている観光名所で、僕は終始興奮しっぱなしでした。彼女に一々解説してたらウザがられましたが、横山光輝の三国志を読んでいた少年時代に戻った気がしました。
彼女「何で日本の男は皆中国の三国志に日本以上に興味があるの?」俺『織田信長の戦国時代に比べたら人物がより鮮明にイメージできるからじゃないかなぁ。単純に1800年も歴史を経て語り継がれていると言う事は、それだけストーリーが洗練されてくるからだよ』 確かに日本には司馬僚太郎を始め、色々な時代の中国の歴史小説がある。中国人は必ずしも昔の歴史には興味があるわけではないようだ。歴史の授業も近代から勉強するらしいし。確かに自国の事というのは知らない事が多いです(自分の国なのに!)。こういう所でガイドさんが解説してくれたら、中国語のトレーニングになったのになぁ…と思いながら空港に向かい帰路に着きました。

他にはチベット族の伝統的なダンスのナイトショーを見に行ったり、火鍋を食べに行ったり、色々な中国人と出会い喋ったりと楽しい旅行でした。特にこの天津の銀行員カップルは毎回助けてくれたし、毎日中国語を教えてくれたし、非常に仲良くなれました。次は天津甘栗でも食いに行こうと♪