今日は親父について書きたいと思います(注:写真は全く関係ありません 四川省黄竜)。
実はGW終わり頃から、親父があるプロジェクトのため北京に出張で来ていました。中国に留学するきっかけを与えてくれたのも、良く考えたら親父の紹介なんですよね。
そのきっかけというのは、日本の政治家と中国の要人のパイプを繋ぐ仕事でした。丁度、会社を辞めてどうするか決めかねてた時にたまたま来た機会でした。準備⇒訪中⇒次回の打ち合わせと親父と一緒に初めて仕事をして、『父の大きさ』を感じると共に一人の人間としても尊敬できる人だと肌で感じました。
ここで学んだ事は、例え政治家といえども名声だけで人を見てはいけないということ。マスコミを始めとする「情報」に対して、常に自分の軸と照らし合わせて「情報」を消化する、それこそが肝心だという事です(まぁ~僕の軸なんて、フニャフニャでしょうが…)。
色々と帝王学(笑)を叩き込まれた中で、特に印象に残っているのが以下の二つです。
① 立居、振る舞い、礼こそが人間の品格を決める。
② 常に自分だったらどうするか考える
①は、訪中する前に、僕が初めて接する政治家にビビッているのを感じたのでしょうか。外交でどういう所を見れば良いのか、ポイントを教えてくれました。①の意味は、可愛いとか綺麗とか良い服・格好で人間を見るのではないという事です。「昔の中国・日本では、汚い身なりの偉人を見抜く目を持つ人物がいた」とか「接待など食事を御馳走された際に、日本人はよく遠慮をして手を付けない」とか仰っていました。後者の食事の話はこういうことです⇒相手の『礼』に答えていない事になるし、何より自分に自信が無い(礼が出来ない)から遠慮をするということ。今、中国語を勉強している僕にも言えます。外人は間違いを恐れず質問するけど、日本人の僕は取り敢えず「こんな質問したら周りはどう思うかなぁ~」と思考してから「そんなの関係ないじゃん!」と再考して挙手しています。日本人の傾向でしょうか?自分中心であまり考えない僕でさえそうなんです。日本の教育は恐ろしい。。話が前後しますが、重要なのは「自分を客観視して、礼を意識する」ことだそうです。ふ~ん、今の自分には程遠い。。頑張ろ♪
②これは父と二人で商談に行く時に言われた言葉です。自分では『父』と意識して仕事をしているつもりはありませんでしたが、自分だったらどう交渉するかという意識が無く頼っていたのでした。これは、前職でも結構あったことでした。直接の上司には無かったですがMGRと一緒に商談へ行く時は、頭のどこかに「何とかしてくれるだろ」という甘い気持ちが常にありました。そんなわけないのにね(笑)。それで結果が自分の意図どうりに行かないと愚痴をこぼしてましたっけ(若いなぁ~)。。同じ機会を貰っても、気持ちの持ち様で『経験値』が全然違うということです。
『俺は財産を与える事はできないが、自分が見てきた・感じてきた事を分かち合えるような機会を提供はできる!』
これは僕の胸にジーンときた親父の決め台詞です。一見ケチのようですが、奢ってくれるし決してそうでもありません。子供の頃は金持っているのにケチだなぁ~と思ってましたが、今は解ります。例え親子でも、金だけの関係を創りたくないということなんだと思います。現に親父が仕事するパートナーは、おっさんおばさんでもエネルギーがあり心が広い方が多いです(学生運動時代の友人が多いからかなぁ?)。今回北京で会った時も、親父は心配して留学費を援助する申し出をしましたが、そんな気持ちが分る僕は断りました。ちゃんと自分でやりくりしてるんです!少しは僕も大人になったんだなぁ♪
北京でも親父の姿は、相変わらず活力に満ちていました。今回の『反日運動』・『台湾連戦訪中』の考察も鋭いもんでした。『反日運動』では、「なぜ日本国天○の写真を燃やさないのか」と過激な発言も。確かに歴史も利害関係も考えない騒ぎたいだけの学生がなんでやんなかったのでしょうか?やったら、間違いなく多くの日本国民が中国を嫌いになるだろうから、運動の首謀者から見たら効果絶大なんだが。。単純に存在自体知らないのでしょうかそれとも中国政府がコントロールしているのでしょうか。「日本の若者は例え間違った怒りでも、運動を起こすようなエネルギーが無い」とも嘆いていました。。若者(既におじさんか)の僕も同感…いかん!未来は僕達若い人が創るんだぁ~!
こうやって親父のことを書いていると色んな事を思い出します。
子供の頃は、親父はウルトラマンだと自称していました。家でパンツ一丁で逆立ちして筋トレしているパワフルな親父を見て、僕と弟は本気で信じていました(笑)。
母を守るためか?中学生の頃、親父と取っ組み合いの喧嘩をしました。結果は惨敗…しかも窓ガラスが割れる大惨事に。ごみ置き場で泣きながらガラスの破片を片付けている僕に、そっと親父は革手袋を差し出してくれましたっけ。
不思議な事に、最近は母ちゃんの方が付き合いにくいです(笑)。「反日運動」大丈夫かと心配メールをくれる割に、この前日本から荷物を送ってもらったら。。何と日本代表のサッカーシャツが二着!!「戦え!」てことか?と危うく勘違いする所でした。僕のキャラクターは、母の天然も色濃く受けているのは否めません。
うーん、まとまんなくなって来た…。とりあえず、親父には色々なプレゼントを貰っているので、いつか恩返します!その日まで、待ってろよ♪
実はGW終わり頃から、親父があるプロジェクトのため北京に出張で来ていました。中国に留学するきっかけを与えてくれたのも、良く考えたら親父の紹介なんですよね。
そのきっかけというのは、日本の政治家と中国の要人のパイプを繋ぐ仕事でした。丁度、会社を辞めてどうするか決めかねてた時にたまたま来た機会でした。準備⇒訪中⇒次回の打ち合わせと親父と一緒に初めて仕事をして、『父の大きさ』を感じると共に一人の人間としても尊敬できる人だと肌で感じました。
ここで学んだ事は、例え政治家といえども名声だけで人を見てはいけないということ。マスコミを始めとする「情報」に対して、常に自分の軸と照らし合わせて「情報」を消化する、それこそが肝心だという事です(まぁ~僕の軸なんて、フニャフニャでしょうが…)。
色々と帝王学(笑)を叩き込まれた中で、特に印象に残っているのが以下の二つです。
① 立居、振る舞い、礼こそが人間の品格を決める。
② 常に自分だったらどうするか考える
①は、訪中する前に、僕が初めて接する政治家にビビッているのを感じたのでしょうか。外交でどういう所を見れば良いのか、ポイントを教えてくれました。①の意味は、可愛いとか綺麗とか良い服・格好で人間を見るのではないという事です。「昔の中国・日本では、汚い身なりの偉人を見抜く目を持つ人物がいた」とか「接待など食事を御馳走された際に、日本人はよく遠慮をして手を付けない」とか仰っていました。後者の食事の話はこういうことです⇒相手の『礼』に答えていない事になるし、何より自分に自信が無い(礼が出来ない)から遠慮をするということ。今、中国語を勉強している僕にも言えます。外人は間違いを恐れず質問するけど、日本人の僕は取り敢えず「こんな質問したら周りはどう思うかなぁ~」と思考してから「そんなの関係ないじゃん!」と再考して挙手しています。日本人の傾向でしょうか?自分中心であまり考えない僕でさえそうなんです。日本の教育は恐ろしい。。話が前後しますが、重要なのは「自分を客観視して、礼を意識する」ことだそうです。ふ~ん、今の自分には程遠い。。頑張ろ♪
②これは父と二人で商談に行く時に言われた言葉です。自分では『父』と意識して仕事をしているつもりはありませんでしたが、自分だったらどう交渉するかという意識が無く頼っていたのでした。これは、前職でも結構あったことでした。直接の上司には無かったですがMGRと一緒に商談へ行く時は、頭のどこかに「何とかしてくれるだろ」という甘い気持ちが常にありました。そんなわけないのにね(笑)。それで結果が自分の意図どうりに行かないと愚痴をこぼしてましたっけ(若いなぁ~)。。同じ機会を貰っても、気持ちの持ち様で『経験値』が全然違うということです。
『俺は財産を与える事はできないが、自分が見てきた・感じてきた事を分かち合えるような機会を提供はできる!』
これは僕の胸にジーンときた親父の決め台詞です。一見ケチのようですが、奢ってくれるし決してそうでもありません。子供の頃は金持っているのにケチだなぁ~と思ってましたが、今は解ります。例え親子でも、金だけの関係を創りたくないということなんだと思います。現に親父が仕事するパートナーは、おっさんおばさんでもエネルギーがあり心が広い方が多いです(学生運動時代の友人が多いからかなぁ?)。今回北京で会った時も、親父は心配して留学費を援助する申し出をしましたが、そんな気持ちが分る僕は断りました。ちゃんと自分でやりくりしてるんです!少しは僕も大人になったんだなぁ♪
北京でも親父の姿は、相変わらず活力に満ちていました。今回の『反日運動』・『台湾連戦訪中』の考察も鋭いもんでした。『反日運動』では、「なぜ日本国天○の写真を燃やさないのか」と過激な発言も。確かに歴史も利害関係も考えない騒ぎたいだけの学生がなんでやんなかったのでしょうか?やったら、間違いなく多くの日本国民が中国を嫌いになるだろうから、運動の首謀者から見たら効果絶大なんだが。。単純に存在自体知らないのでしょうかそれとも中国政府がコントロールしているのでしょうか。「日本の若者は例え間違った怒りでも、運動を起こすようなエネルギーが無い」とも嘆いていました。。若者(既におじさんか)の僕も同感…いかん!未来は僕達若い人が創るんだぁ~!
こうやって親父のことを書いていると色んな事を思い出します。
子供の頃は、親父はウルトラマンだと自称していました。家でパンツ一丁で逆立ちして筋トレしているパワフルな親父を見て、僕と弟は本気で信じていました(笑)。
母を守るためか?中学生の頃、親父と取っ組み合いの喧嘩をしました。結果は惨敗…しかも窓ガラスが割れる大惨事に。ごみ置き場で泣きながらガラスの破片を片付けている僕に、そっと親父は革手袋を差し出してくれましたっけ。
不思議な事に、最近は母ちゃんの方が付き合いにくいです(笑)。「反日運動」大丈夫かと心配メールをくれる割に、この前日本から荷物を送ってもらったら。。何と日本代表のサッカーシャツが二着!!「戦え!」てことか?と危うく勘違いする所でした。僕のキャラクターは、母の天然も色濃く受けているのは否めません。
うーん、まとまんなくなって来た…。とりあえず、親父には色々なプレゼントを貰っているので、いつか恩返します!その日まで、待ってろよ♪