我的網球日記

昨日の自分を越え、身近な幸せに感謝するための自叙伝!

血液型

2006-01-30 | 日常思う事 (我的看法)
日本の血液型はブーム息が長いですね。留学後期、ぐちぐち悩むことが多く血液型について考えたっけ。

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AB+O=A


相反する個性の間でもまれ、人間関係の調整に力を発揮する。

現実主義のO型と空想好きのAB型、情熱的なO型とクールなAB型。あなたの両親は、正反対の性質を特ち、相性もあまり良くない。あなたが、二人の間に立って、コミニケーションの媒介役を務めることも多かったのではないだろうか?子供ながらに両親に気をつかうことが多く、それがあなたの、人間関係面での能力を高めたようだ。・成長した今も、その才能を生かして、友入間の仲裁役、調整役として重宝されることが多いはず。

また、相反するタイプの両親に育てられたあなたは、個性を尊重する気持ちが強い。生まれながにして、世の中にはいろんな人がいることを知っているからだ。似た者同士で固まりやすいA型には珍しく、友人関係はバラエティに富でいる。交際範囲の広さは、あなたの財産といえるだろう。このタイプの人の特徴は、友人が恋愛のバックアップをしてくれやすい点だ。クループ交際から恋が芽生えたり、友人に異性を紹介されたり。恋の悩みやトラブルも、友人がうまく解決してくれるはずだ。友人との付さ合いは今後も大切にしたい。

行動面では、現実的なO型と合理的なAB型の気質を受け継ぎ、なかなかのやり手。スピーディな判断と大胆な実行力で、抜け目なく立ち回るタイプだ。ただ理屈っぽくなりがちな面もあるので注意を。総じていえば、O型、AB型と個性の大きく違う親に育てられたあなたは、多面的で、包容力の大きいA型といえるだろう。

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友人関係はそんなに広くないけど、自分から「勉強になる」と進んで広げている所はある。恋の悩みは昨夏にしました(笑)。皆様、其の節はお世話になりました!

うーん、仕事はやり手ではないなぁ。本日一日中パソコンに向かってたけど、依頼された「提案書」のたたき台ができた程度。。本日はこれから会議。2/1から正式に社員になりますが、既に社会の壁にぶち当たっています。まぁ、一歩ずつだな。

ふさこブログより御拝借

テニスに始まりテニスに終わる

2006-01-28 | テニス&スポーツ (網球&運動)
今日は28(土)、中国では旧正月前の大晦日である。先週土曜21、PFCで部内戦が行なわれ中国でのテニスは幕を閉じた。 タイトルどおりの留学生活だったな。

14(土)にPFCでテニスして、初めて不甲斐無い気持ち(ビビリかな)を自分で抱いた。上手くプレーできない、情けない、焦る『自分』。そこからでる過度のプレッシャーで足が吊ってパンパン。そこからの一週間、シビルにマッサージを御願いしながら上手く調整できた。木曜日には、語言大学のヨッシーさんとも練習して気持ちがより前向きになった。

試合はシングル3-6、4-6 ダブルス6-4の一勝二敗。結果以上に戦う気持ちでプレーできた。中国、最後のテニスが長い事働いていたPOTEER‘S WHEELという会場。御世話になりっぱなしのPFC。体育大アケミちゃん・シビルまで応援に駆けつけてくれた。当たり前だけど試合中は気にならなかったし、不思議と周りにパワーを貰えた気がした。試合後はPFCメンバーから、愛のしごき「振り回し」!200球位はやったのではないか…。

今までは、周りの期待に「応えないといけない!」と変に自分を追い詰めていた。
これからは、テニスを楽しみ、悩んでも人生を楽しむ。原点に戻るというべきか。 中国の旧正月にちなんで、新年の抱負は

『少しの進歩に気付き自分に感謝する』 こと。

そして大きくなってから初めて、多くの方々への感謝の気持ちを何らかの形に変え実現したい!「人生は長い」テニスへの夢も大切に温めておこう。

テニス課題
・サーブ    頭が下がる 
・ストローク  ボールを長く押す 
・フットワーク 動画みたら無駄が多い。「ちょっこちょっこしている」BYアケミ

まずは、可動域拡げるため、風呂後柔軟を常にする。

初動負荷理論(?)のトレーニングセンターや「ミライテニスアカデミー」が東京にある。行くべし!!!

MIRAI  TENNIS ACADEMY

一期一会

2006-01-26 | 中国
さて、今日は少し時間があるのでブログをアップします。

今日は留学生活で会った素敵な友人を少し紹介します。血液型が同じで風水が『水』という共通点があるそう(僕は風水分からん)。また、それぞれタイ・スイスに住んでいるため簡単には会えません。だから、心に刻むためにもここに書きます!

◇マチヨさん

僕の太極拳老師であり「北京の母」でした。CB作成から広告調査のチェックなど御世話になりっぱなし…心のこもったアドバイスは今東京にいる自分に多くのモノを残してくれました。普段は駄洒落ばかりだけど、厳しくもあり優しい人でした。色々な苦労をされているし常に自分と向き合ってきた生き方が、マチヨさんの素敵な人格に出ているんだと思います。特に「家族」について、僕の考え方に大きな影響を与えました。旦那さんはタイの華僑、日本で勤続後彼の偉大な父の下に飛び込んだと言う。マチヨさん無くして、今日の僕は在り得なかった。一年中夏の国『タイ』、いつか行ってみたいなぁ♪


◇シビル

僕と同い年で長女、一緒に西安行ったマブダチである。スイスと言うEUでは「陸の孤島」&「永世中立国」でもある特別な国。テニスではフェデラー・ヒンギスの国。彼女はスイスと言うお国柄、サイクリング・山登り・スノボーと精通しています。太極拳を学びに体育大へ。母国では、障害者のカウンセリング兼マッサージ師という職業。日本語を聞いたら、すぐ口に出来る言語脳と「健康的」且つ「SMART」!
14(土)~21(土)PFC試合(送別会)まで、僕の足をマッサージしてくれた。御蔭で試合に万全の状態で挑めた(その話はまた後で)。また、西安旅行で家族の距離が近くなったと打ち明けた彼女はとてもイイ子だ。彼女曰く、僕はスイスではモテモテだそう(調子に乗るなぁ)!スイスに行きたいっす。


*写真はマチヨ&シビルの組み手…かっちょブ~!!!

シビルと彼氏のホームページ (ドイツ語)  自転車旅行や太極拳、中国留学生活をまとめたもの

完全帰国

2006-01-24 | 中国
東京に向かう滑走路
大気汚染で視界が悪く道に佇む
一筋の光が見えたのか
しばしの時を経て、ようやく動き出す
羽ばたけば、霧が満ちた北京の空を抜け
そこには眩い太陽が待っていた

この留学生活は夢か幻か走馬灯のように頭を思い出が横切って行く


最後の最後まで、友人に面倒をかける。スーツケースとボストン2つとリュック…みかねた朱美ちゃん&サブちゃんが空港まで見送りに着てくれた。先週から、マチヨさん・MICOちゃん・サッちゃん・シビルと次々と帰国。でも、なぜかそんなに悲しくない また会える気がするから。特に日本人は問題ない。スーツケースとボストンバッグは計31KG、全然オーバーなのに乗客数が少ないためか見逃してくれた。

一年分の想いに重量制限なんて無い!さぁ、舞台は東京 いっくぞゼェ~

テスト終了!

2006-01-18 | 中国
* 写真は内モンゴル「包頭」の砂漠にて『李汎植(リーファンジー)』と 

帰国の準備、テストやらでバタバタしておりました。

◇1/14(土)午前中、シビル・マチヨさんと中央戯劇学院近くの「胡同カフェ」へ。20時から、PFCに参加(今年初テニス)。

僕にとって、太極拳の先生兼北京の母であるマチヨさんの最後の週末。傍から見ていても素敵な関係であるシビル(スイス)&マチヨさん、最後の週末を演出すべきガイドとして「胡同カフェ」を案内。二人には本当に御世話になっているから、喜んで貰って良かった。その後、二人は王府井へ御買い物。僕はテニスのため帰宅。

PFCでの初テニスは散々。全敗という結果以上に「気持ち」の面で情けなかった。今
までは、強い相手とやるのにワクワクしていたのにビビッテいる自分がそこにいた。30分のアップ後に足が吊るし、運動不足も露呈。凹む凹む。

この日は、北京は大気汚染で飛行機が国内・国際線共に飛ばなかった。何にも見えない霧?の世界。案の定、帰路もタクシーが迷いに迷って深夜0時辺りに体育大着。

シビル・マチヨさんに誘われて部屋のみ。ワインを温めて薬草・砂糖を入れたお酒。美味しい!今日の不甲斐ないテニスをそれとなく話す。同じくA型の二人も一緒に暗くなる(笑)。自分という『一生のパートナー』との付き合い方が、僕は下手だという事が良く分った。PFCへの感謝の気持ちで、「勝たなければいけない」と必要以上に心が力み過ぎている。だから、こんな風に足を吊る。来週21(土)の最後の部内戦こそは!と「結果」を求めすぎている自分は既に自分にプレッシャーを懸けすぎている。上手く行かない時こそ、小さな進歩に目を向け『一生のパートナー』ハタケヤマに感謝しないと。いつも、マチヨさんは僕を上手く導いてくれる。そして、シビルも言葉の壁を越えて温かく励ましてくれる(同い年なのに)。悪い時は寝て忘れるに限る。また明日があるさ!

◇1/15(日)朝6時、親友『李汎植』を送る。13時から光明飯店でコーチング御手伝い。夕食後、余りに足が痛いため按摩(マッサージ)に行く。

深夜2時まで飲んでいたけど、パッと6時に起きれた。『李汎植』は一緒に内モンゴルに行った親友。僕には少し欠けている「男から好かれるタイプ」で何より器が広く自由奔放。酒も強く野暮ったいけどいつも豪快な彼は、僕が小さな事で悩んでいるのを吹き飛ばしてくれるそんなヤツだ。彼も僕と同じく余り中国語勉強に実が入らなかったが(笑)、3月から一念発起!語言大学で彼女のリリーと中国語勉強に専念する。彼にはちゃんと中国にいる理由がある。結婚式には呼んでくれるとか行っていたけど、閉鎖的?な韓国社会がスウェーデンのリリーを受け入れられるのか…困難は一杯だけど素敵なカップルです。羨ましい。

午後は光明飯店でジュニアのコーチングのお手伝い。親子でコーチングしている所に僕も入る。素敵な親子関係で、生徒もどんどんテニスを好きになっている。やっぱ、テニスはいいです。ストロークの練習相手をしていたら、昨日吊った足が…。体育大近くのマッサージに行く。

◇1/16(月)テスト「報刊」「体育中国語」 サッチャンの新居に御邪魔する。

テストは日々の積み重ねの御蔭(?)でまずまず。五道口の新居に訪れる。何と「Konomico」の近くで素敵な部屋だった。サッチャンは体育大を出て、この新しい環境で後半年の留学生活を過ごすそう(加油!)。にしても、マチヨさん・シビル・レイちゃん・サッチャン・Micoちゃんと全部女性という面子。男の親友は留学してから、武漢に帰った中国人・ブライアン・李乏植・さぶちゃん位しかいない。当り障りない様で、結構人を選んでいると最近自分の性格に気付いた。男の基準はなぜか特にシビアだ。

先に帰宅してテスト勉強。深夜に戻ってきたシビルに足をマッサージしてもらう。

1/17(火)「高級口語」 HSK取りに語言へ シビル・マチヨさんとタイ料理を食す。

テストは最悪だった。「聴力」は上がっている。でも、中国人のダブルスパートナーが武漢に帰ってから日本人といる事が多く「口語」は余り進歩が無いかも。HSKはまずまずだった。なぜか総合(漢字書き取り)が三点足りず、一級下になる。日本人なのに漢字が…。

夕食は三人でタイ料理を食す。タイ住在のマチヨさんが料理をチョイス、素敵な夕食でした。19日に帰ってしまうマチヨさんには本当に色々御世話になった。いつか、タイに行ってみたいな。男嫌いの娘さん(なぜか僕には懐いていた)と華僑の御主人との家族は、本当に温かくて素敵だ。国際的な家庭で、今は離れ離れだけど御互いの信頼感が強く憧れる。こんな家庭を創りたいと本気で思う。

その後、また三人で僕の部屋でテレビ鑑賞。シビルにまたしてもマッサージをしてもらう。スイスのフィジカルトレーナーは伊達じゃない。そう明日は、マチヨ先生に最後に習う太極拳だ。

帰国の準備も整ってきたし、一日一日大事に過ごさないと。にしても、留学生活で色々な人と出会えたなぁ~。「別れ」よりも「出会い」に感謝して進まないといけない!

ファザコン

2006-01-10 | 日常思う事 (我的看法)
*写真は父が北京出張で必ず行く『藩家園』 注:父ではありません。

はい、決心しました。決心したせいか、風邪も完治!心も非常に前向きです!「病は気から」とは良くいったものです。


2月中に帰国し、父の下ゼロから出直す事になります。様々な思いがありますが、肝心なことは「自分のために働く」。 このアドバイスを忘れずに今気持ちをもっと高めていきたいです。「招かれた」と勘違いしていたら、苦しい時言い訳する自分がいるに違いありませんもの。

幸いにも職場では、父は台湾姓・僕はハタケヤマと名乗るため、変な気遣いは少ないでしょう。そして、何度か手伝っているため面識がある方がほとんどです。問題は自分の「親への甘え」でしょうか。


でも、激甘な自分は父への私情も今は一杯膨らます時期かなと思っています。




家はずっ~と母・僕・弟の母子家庭でした。父は週末たまに来ては、近況を尋ねたり、説教したり、外食するのが常でした。子供時代、父が来ると言うだけでピリピリした緊張感になり嫌で溜まりませんでした。予想外に平日いたりすると、結構辛かったなぁ。悪い事をするとピンタされたのも良く覚えています。

クリスマスの時は「日本人はキリスト教じゃないのにクリスマスを祝う」と文句言っていました。子供時分、「クリスマスに政治を持ち込まなよ!」とか思っていましたっけ。夜遅くサンタを見たくて気付かれないように目を凝らすと、父の残像が見えた時ショックよりも逆に微笑ましかった記憶があります。う~ん、「政治」という言葉を使っていたということは、既にサンタの存在を疑っていたのか…おませなガキだ。

以前投稿した内容(下記リンク有り)にあったように、一度親父と格闘をしたこともありました。棒術もしていた父は当時は身体も逞しかった。未だに力強い父は健在ですが、丸くなったというか質が変わった気がします。話を戻します。中学生時代に父に惨敗してから、父に穏やかならぬ感情を持ちながらも巧く当り障り無いようにしていました。それでも、父は高校受験・大学受験・就職・退職と節目節目に愛情ある言葉をくれました。それが、少しづつ自分の父への見方を変えたのでした。

・高校受験 

私立3校落ちて第4希望(滑り止め)の都立高へ 「着いて行くのがやっとの学校に入るより、トップになれる学校に行った方が先生とも仲良くなるし色々な情報が入るしプラスになる」 
⇒ 5段階中平均評定4、7の成績で高校卒業。後にも先にも自慢できる成績はこれのみ。大学指定校推薦を取る(遅刻・早退30個ばかしを学校に揉み消してもらう)

・退職

退職のきっかけになった全体会議での発言について 「話を聞き・その社歴から判断すると、発言した事自体が問題なんだよ(笑)」 ⇒笑い飛ばされ、シンプルに納得した。
また、商品部に異動(左遷) 「あなたが動揺したり思いつめたりしているということを相手に見られている(感づかれる)ことに注意しなさい」 ⇒「敵に弱音を見せるな」とどれだけ不利になるか分った。そして、「強い心を持たないと」と思えた。


退職して、2004年9月訪中団の仕事では初めて父と仕事をした。父の大きさに強い尊敬の念を抱いた。

父の全てを尊敬しているかと言うと、もちろん人間だから気に入らない所もある。言い方がきつかったり、嫌味が入る場合もあるし…。でも、ファザコンである。


一年間の「留学」という充電期間を過ごし父の下へ。今までと違うのは、これからはほぼ毎日顔合わせ同じ職場でぶつかりながらも、「会社の利益」という唯一つの目標に向かい『仕事』をすることである。本当の『仕事』をこなせるよう早くなりたい。


残された留学生活は、中国語の勉強・御世話になった方への挨拶など色々ある。この機会に『テニス』についても良く考えるべきだな!!!

→以前投稿した「親父ぃ!」  注)文章、非常に寒いです。。。御詫び致します。

父からの電話

2006-01-05 | 中国
寝れない…から投稿。



自分の尊敬する人、それは今間違いなく父である。家庭の父は好きでは無かった。一人の男として、一番目標とすべき人。同時に自分には永遠に越えられない大きな「壁」でもある。

電話の内容は、「将来の事」や「広告調査」についてだった。

一番驚いたのは、「ウチで幹部候補生としてやらないか」という誘いだった。それは同時に本帰国をも意味する。ただし、『覚悟』がないとできないと念押しされた。
現状、父の会社は色々プロジェックトが進んでいて人が足りないそうだ。今まで手伝っていた事はあるが、第三者的な立場であった。今回の『調査』の評価は、モノとしてはできている。だが、分析したいという主体者が見えていないとコメント。第三者ではいつまでもそういう手伝い方しか出来ない。
また、中国語の勉強を継続するのなら「机に向う勉強はもういいだろう」と。自分の性格を見てのアドバイスで、非常にマトを得ている。結果が出ない今、「習うより慣れろ」ということだろう。その手段として就職活動をしているのだが。一つは大企業に入り、その仕組み中国への取り組み方を盗むなら良い。小さい会社なら、「自分が社長に請われて」or「尊敬できる人の傍にいたい」というなら良いと。現在、請われている(?)のはバイト先テニスセンターだが。。。

スポーツ業界の事は専門じゃないという前置きを置いて、「細々コーチングをやってて何になるのか?」と父。将来のための布石であるなら良いが。テニスセンターに任される仕事は、日本人の駐在員・子供・奥様に働きかけ生徒を増やす事(現状日本人はゼロ)。はっきり言って、簡単な事ではない。3年5年と地道にやっていかないと駄目だろう。そこで、コーチング・テニスを勉強していたら、中国人だらけの環境とは言え勉強を優先できるだろうか。
また、そこのスペイン人華僑オーナーとの人間関係を聞かれた。話を持ち掛けられた時、どう見ても上手すぎるしその人との関係は良く無い…。去年3月の中国語ができない時から働き出し、自分でもがいてい吸収している中、オーナーが遠くで見守っている安心感というものを感じた事は無い(ほったらかし)。衝突もしていないし、人間の付き合いが無いのである。もちろん相性もあるのだろうが、そこが一番の不安要素だ。そのような距離感で、ノウハウを学ぶ事ができるのだろうか(まして中国語だし)?父は華僑という人種を知っているだけに警告をくれたのだ。もう一度、条件も含めて先方と詰めてみよう。

「中国」という国はこれから僕等の世代はますます切れない関係になるはず。一年色々な方に出会えたし、恩返しは全くできなかったけどその未練を残して去るのも一つの選択肢かもしれない。ウダウダ理由も無くしがみ付き何年もいて、そのせいで嫌いになったらそれで「中国」との関係はプッツリ切れるだろう。嫌いでも割り切って付き合えるような事は、今の僕にはできない気がする。また「恩返し」について、スポーツ会社の方の意見は面白かった。「目上の方にそもそも恩返しできるはずが無い。甘い蜜を吸わせて頂き、その感謝から後の世代に伝える事でしか恩返しできない」多少冗談も入っているが考え方が楽になるはずだ。

周りの同世代の友人と中国語の上達に開きがあるのは、「覚悟」の違いだ。SARSで強制帰国をしてそれでも中国で!・中国に女がいる!・中国のこの業界でチェレンジしたい!…など頑張っている方は皆それぞれ必死な想いがある。もうじき「27歳」決して若くは無い。一般常識として日本企業に勤めるのはギリギリだし、今ある学生気分を抜くのは今ならまだ間に合うだろう。中国留学、自分にとって「御試し期間」という位置付けだった。『本帰国』それは決して恥ずべきことではない。三ヶ月で帰ったルームメイトを思い出した。

どこかで経験を積み、格好よく父を助けたいという今までの考えは「逃げ」だ。今までできなかった正面でブツカルことができるのである。この誘いには、「父の時間が限られている」という意味もあるのかも知れない。

決断にはまだ時間がまだかかるが、上手く気持ちの整理をしよう。

風邪引いた。

2006-01-05 | 中国
だから、滞っていたブログ更新。

テニスはおろかランニングも寒さでしていないから当然だなぁ。この二日は-5以下の寒さで文字通り「世間の冷たさ」が身に染みた。早く治さんと。

1/3 早朝、西安から北京駅に到着。 
今回の旅行は、環境を変えて物思いに耽るのが目的。シビルとも帰りの列車で話し込みました。今回の旅行で、長女のシビルは妹とも母とも関係が良くなったと言っていました。瑞西(スイス)でもシビル一家は離れ離れ、妹は春にはNPOの仕事でニュージーランド・グアテマラに行くそう。今、この時間が家族にとってどんなに大切か…その想いが伝わってきて心が和みました。やっぱ、家族てイイですね。


午後、スポーツマーケティング会社で働いている方にお会いさせて頂いた。

・事業内容
・現地採用の厳しさ
・中国にいる理由

事業内容は割愛します。その方は野球をこちらで教えていた事があり、アマとプロ(ビジネスとして)による金額の大きさに驚愕したと言う。「スポーツ」にある爽やか・感動などの甘い気持ちだけではやっていけないと話から感じた。

「現地採用」の弊害が色々見えてきた。駐在員に比べると給料は遥かに安い。ただ「中国にいたい」という漠然とした気持ちだと、後々給料の格差に不平を言うだろうと。あらかじめ、安い給料に甘んじてもここで何かを得ると言う気持ちが無いのなら日本で就職すべき。給料の見積もりに関してその方も甘く見ていた言っていた。バイト時代の時給より安いという。

彼は中国のスポーツ産業の将来性を見越して、ここで働いているそう。文章を書きたいそうで、仕事で見たことなどを雑誌・メルマガに投稿している。月三回の締め切りは、休みを返上してやっている。二年間の中国語勉強時代も旅行にも出ず、テレビを見てひたすら勉強したようだ。そして、今の会社は自分で中国社会に切り込み、社長に巡り合い投合して現在に至ったそう。

御忙しい合間を縫ってお会いして頂いたからには色々聞いた。自分の「中国にいる理由」は?

・父を助けたい
・自分を見つめ直したい

が主な理由であった。ある程度はその目的に添っている。。だが、決して具体的なビジョンを描いて来た訳ではない。その違いが中国語の勉強に如実に現れている。


1/4 父から電話⇒これはまた次回に。

MIKOちゃんと補導をして、発音を一からやり直す。この基礎勉強は確実にプラスになると感じた。勉強後、二人で魚太郎で酒を少し飲みながら話す。将来の事や恋愛の事などなど。話してて、色々な目上の方と御話して行動するのはいいけど少し休憩しようと悟った。相手も御忙しい合間を縫っているのに準備というか学ぶ姿勢が懸けているし、あくまで自分の思考の手助けにしないといけない。相手の言葉の発する意図を推測したり、自分で分析するなどあまりしていない。勿体無い。

1/5 ある物流会社と面接

御互い時間の無駄だった。せいぜいHSK5級の僕では門前払いであった。ものの五分の最短面接…風邪の中、一時間半かけて行った事で身を以って「甘さ」を痛感でき良かった。HSK7~8級でも使いものにならないのにそれでは御話にならないと。物流のスペシャリストで君位の語学レベルはいるけどさ。「くそっ」と思えたこと・実際の職場を見れた事が収穫かな。スタートラインにも立てない「現実」…これを噛み締めないと。

風邪が悪化…。やばい早く寝よ。今頃、正月休みがやって来た。


新年快楽!

2006-01-04 | 日常思う事 (我的看法)
*写真は西安の兵馬ヨウ 今にも動き出しそうな迫力です。

遅れ馳せながら、明けましておめでとうございます。

2005年に得た事を2006年少しでも身にして行く所存です。新しい年という実感が無いですが、引き続き頑張ります。

新年は西安で過ごし、昨日北京に戻って来ました。大学のテストも来週に迫っているし、面接もチラホラ…。先程、久々に父と話す事が出来ました。

もうすぐ27歳というこの微妙な時期、一日一日を大事にしてベストの選択をして行きたいです。

皆様にとっても良い2006年になりますように!