我的網球日記

昨日の自分を越え、身近な幸せに感謝するための自叙伝!

帰国ラッシュ

2005-12-30 | 中国
今年も残りわずかになりました。中国ではご存知のように旧正月のため「師走」や「今年が終わる」という感覚が無いようです。ここにいると確かにそんな気は全く起こりません。

今週は月曜に体操やってる日本人、火曜にスウェーデン人、そして日曜に韓国人と早くも別れの時期が到来しました。

体操やっていた子は20歳と若かったけど体操に関しては一生懸命でした。いつも筋トレルームで会ってたなぁ。障害があったため初めは正直接し方に困ったけど、それを物ともせず普通の生活している彼から学ぶ事は多かった。最後の方になって、僕の部屋にパソコンをやりに来たりと関係ができた。結局、僕が変に意識していたのだろう。ぺヨンジュン「冬のソナタ」のDVDを頂いた(笑)。

スゥエーデンのリリーは同い年。韓国人のマブダチ「李植之」の恋人だ。彼女は欧米人なのに中国語が巧かった。特に中国語に対する勉強態度・積極的に中国社会に入るその姿勢は見習わないと。欧米人のイメージにある「気持ちの良くて爽やかで元気」そのまんまの女性だった。彼女が帰国後、彼氏の眼が腫れてたのが印象に残った。浪慢!

日曜の彼(朴燦山)は韓国体育大学の交換留学生三人組みの長兄で一緒に天津行ったことがあった。体がゴツイわりにいつも元気なくて。最後のHSKは本当に必死に勉強してました。厳しい就職状況のため、帰国を早めたそうです。さっきまで、部屋で最後の晩酌をしました。同い年なのに兵役で未だ現役大学生。今度会う時は、明るい自信に満ち溢れた顔でいて欲しいな。頑張れ!


今の寮生活は非常に「特別な環境」だと今頃ひしひし感じる。困った時はお互い助けれるし、暇な時は油を売りにいけるし、予定がなくてもいつでも一緒にご飯いったり遊びにいったりできる。日本では隣に誰か住んでて何をしているのかも知らないし興味もない。

この濃密な空間でもたった10ヶ月そこらの関係で、これから色々積み重ねていかなければならないのに。これから彼等も僕も各々の人生を描きながら進み、またどこかの交差点ですれ違うかもしれない。その会う日まで自分も頑張らないと。



明日の夜から、『西安』に旅行です。太極拳師匠マチヨさんの親友シビルと行きます(他に彼女の友人・妹・御両親 全部スイス人…)。

彼女もまた素敵な人で大切な親友です。真面目で少しづつ大事に人間関係を造るそのキャラクター凄くイイ。こういう人には本当に素敵な彼氏がいるんですけどね。彼女も1月末に帰国するので、旅行に行くのが非常に楽しみだ。話し変わりますが、何とスイスは自国の言葉がないらしい(ドイツ・イタリア・フランス)。厳密にはスイス式ドイツ語なんだけど不思議だな~。テニスだとヒンギス・フェデラーの国。タグホイヤーにビクトリノックス、チョコレート、『アルプスの少女ハイジ』!金融のイメージもあるけどスマートな国なんだろうな。

こんなメンバーに無理やり突っ込む僕もまた相変わらずです。年越しはスイス式で西安になります。なんじゃそりゃ…

最近、就職活動・勉強やらで忙しいけど充実しています。時間を大切にせねば~列車で色々考えようと。「なぜ北京にいたいのか?」「何がしたいのか?」「自分がしたいことは?」


クリスマスプレゼント それは…

2005-12-26 | 中国
遅れ馳せながら、メリークリスマス!!!皆様はどのように過ごされ、どんな幸せを分かち合ったのでしょうか。北京ではクリスマスムードは、余りないもののこの三日間で急に気分が入りました。

2005年のクリスマスは、僕にとって非常に思い出深いモノになった。


①23(金)体育大のクリスマスパーティー

体育大留学生による国別に出し物をして、盛り上がりました。アフリカ系のカッコイイ踊り・中国語でのラップ、韓国人のテコンドー・チャンバラ(本物の真剣)・ブレイクダンス、ベトナム人全員による中国歌などなど。様々な国の趣向を凝らした大イベントでした。僕等日本人はと言えば、「上を向いて歩こう」「ドラえもん」を歌いました。ただ、あまりにも手配が悪く前に出て、10分位晒し者…浴衣・下駄を装備した僕もシラフでは何もできずオドオド。。歌が始まり寒い雰囲気を盛り上げてくれたのは、「Tian shan jin 加油!!!」という声援。応援してくれる人々に応えている余裕は無いけど、一人一人の声の主は僕には分った(ベトナム・韓国・ブラジル・スウェーデン語学の友人&アメリカ人や欧米人&ルームメイトを通じて知り合ったイスラム系の方などなど)。その後押しを受けて、マイクを片手に独り独唱…自分では上手いと思ってたけど。「上手くなかったからウケたよねぇ~」とのコメント。。余り乗り気でなく、周りの日本人のサポートに応える気持ちの現れだったのかなぁ。体育大のこのイベント、三年ばかし日本人は参加してなかったと言うから、やった事に意義があるだろう(北京の大学で日本人が少ない方とは言え、ここでは少数派)。体育大生活最後に良い思い出になりました。でも、惜しむらくは体育大の男共…日本人女性に比べると心許ない。結局、このイベントを通してもあまり変わらなかったなぁ(僕も含む)。

②24(土)クリスマスイブ

午前中はPFCで御世話になっているApさんの御手伝いで、「光明飯店」テニスコートでキッズのクラスに参加して来ました。
実は25日のPFC部内戦を、自分のバイト先の会場にするはずでした。「広告調査」で一番暖かく厳しい言葉を頂いた方達だし、最高の環境(コート)をプレゼントして自分の「復帰」とするはずだった。ところが先方とのヤリトリを勘違いし、Apさんに誤解を与え結局前回と同じコートを手配してもらうことに…。
クラス(コーチング)終了後にまたまた暖かい言葉を頂きました。「自分で責任とるにしても何もできないんだから、変に格好つけるんじゃない」「貴方はPFCではマイナスからスタート(広告の件で)しているのだから、一つずつ大事に積み重ねて行くしかない」「色々な意味で損をしているよ」 その方のキッズテニスも三年間やって来て、子供や駐在員の父母から今日の信頼を勝ち取ったのです。自分も大学の後輩をを教えていた時は、小さな積み重ねが当然あった。そして、日本の親友も多くの時間と「困ったときは助け助けられ(こっちが多いけど…)」、少しづつ人間関係を築いてきたはずだ。いつからか、自分に驕り格好つけるようになっている。最近、いつもこうだ。上手く行かない事ばかりだけど、本当に体に染み付くまで素直に謙虚に行きましょう!


午後は駐在員の奥様を入れて、5人でフランス料理に舌鼓を打ちました。元彼女の誕生日以来の素敵なコース料理(サラダ、スープ、メインディシュ、デザート)、本当に美味しかった。イヴの雰囲気を満喫できました。どうも御馳走様でした。

夕方は体育大出身日本語教師「純ちゃん」の誕生日会を『味徳』でしました。色々な方々から大評判である「モダン和食」のお店で、これまた非常に美味しく中国では考えられない接客サービスでした。値段も学生が「ちょっと贅沢」位の水準で、リーズナブルでお勧めです。
純ちゃんを始め、彼氏のジャング・サブちゃん・さっちゃん・れいちゃん・シビル・アケミちゃんと、いずれも非常に刺激を受け僕と同じように将来を模索する大切な友人です。北京に来てようやく10ヶ月、こんな人間関係が創れたのには非常に感謝しています。今までは留学前から、どちらかと言うと「群れるのが嫌い」という偏見を持っていた。なぜなら、自分で一杯一杯だったからだろう。日本でもたまに会って、御互い刺激しあえる友人とお付き合いしているけど、「中国」でそれを求めていなかった。その彼等は僕に感動・刺激を与えてくれる。その上、非常に独立した人間で、中国語を含めてそれぞれ専門(スポーツ)にも全力を注いでいる。その日は、その後深夜一時までカフェで喋って「ジェンガ(積み木みたいの)」をして素敵なイヴを過ごせた。こういう時間を大切と思える「余裕」が少しはでてきたみたい(笑)。それが、「甘え」にならないように頑張ります。*写真は体育大の友人(純ちゃん・サッチャン・シビル)に頂いたクリスマスプレゼントです。

③25(日)PFC部内戦

体育大友人やPFCの方々への「感謝の気持ち」を試合に出すべく挑んだ「復帰戦」でした。結果はシングル(VS Ag)0-6、ダブルス2-6、1-4と散々だった。彼等の試合を見ていると、「気持ち」をボールに込めている。「ここにいる自分はまだPFCメンバーにはなれていない」と痛感した。ダブルスでも頭は使わない、コミュニケーション・パートナーへの配慮相性、など全く考えず自分だけで精一杯。。。人間すぐには変わらない。
試合後、「すき焼き」の会食に参加した。反省会で自分の言葉で試合への気持ちなどを語ったら、またまた厳しくも暖かいアドバイスを頂いた。技術・戦術よりも懇切丁寧に語ってくれる皆様に思わず涙してしまった。メールとは違う言葉の重みと愛を感じた。彼等は忙しい仕事の合間で、テニスに力を注いでいる。時間の融通が利く自分が、何もかも中途半端なのは本当に情けない。



今日できなかった「皆様への感謝」と「自分の想い」 テニスはもちろん普段の行動にも出るようにすることこそが最低目標だ。想いが強く素直に謙虚であれば、自然に付いてくるはず。毎回こんな内容だけど、僕へのクリスマスプレゼントはこれに他ならない。12月に入り、起こった出来事は全て共通することだ。そして、まだまだ不十分。一つ一つ丁寧に創っていき、自信を付けて行く事だ。中国語もテニスも然り。

さて、これから先どうするか。行動あるのみ。年賀状も書かないとね。

カフェ業界から~北京~

2005-12-21 | 中国
*写真は「カフェ」とは全く関係ありません(広告調査の写真)。中関村(中国の秋葉原)にある「大型ビジョン」です。車が渋滞する方角を睨んでます。


本日、飲食(カフェ)の仕事を捜している友人を『カフェ・デニーロ』のMGRであるCさんに紹介させて頂きました。

随分前から、「管理する仕事」or「日本人のサービスを見せてくれ」という主旨でCさんに誘われていました(本気なのかは分りません)。正直僕を買い被り過ぎている気がしますし、「テニス」に力を注いでいた状態では話を御受けする事が出来ませんでした。

三人で雲南料理に舌鼓をしながら、「白酒」を飲まされながらも真面目な話をしました(僕は案の定、吐いては飲み…そして寝る始末。酒方面も甘い)。

現状、北京のカフェ業界は非常に厳しい状況だそうです。カフェ・デニーロも値下げを余儀なくされ、ライバル店の『Jazz-ya』も食べ放題?を行い、消費者の裾野を広げているのが現状のようです。この二店舗がある『三里屯』地区はバーが建ち並ぶ夜の街。欧米人からイスラム系まで幅広い客層です。お水系の客引きも多く、また近年少数ではあるが「麻薬」も横行していると言う。この地区は三年後完成をメドに大幅に街開発が行われています。そのような現状を踏まえ、二店舗は先行投資をしている段階でしょう。「カフェ文化」が北京に根ざす時はいつくるか、先行きは未だ不透明なようです。ただ、Cさんや『Jazz-ya』日本人スタッフは自分達で新しい世界を切り開く挑戦をしております。休みがほぼ無いような激務でも、目が輝いている彼等は非常に素敵でカッコイイ。傍から見ている限りでは、彼等の仕事への情熱や苦労をほんの少ししか分らないだろうが。


また、貴重な御話を頂きました。Cさんからは、決して「働いてくれ」とは言いません。なぜならば、厳しい業界の現状に加え、中国人社会に入りポジションを築く『覚悟』が無ければ使いモノにならないからです。Cさんが日本語が出来るからと言って、彼のみとコミュニケーションを取ればそれでOKでは無いのです。現場は誰も助けてくれない「中国世界」なのです。
「夢を追うのは良いが現状を見なさい」 僕は「テニス」・友人は「カフェ」…現状では『中国語レベル』・『覚悟』も含めてまだまだ心許ない。「もしそう言う大望があるならば、どんな状況でも中国にいることをまず念頭に置きなさい」と。そして、彼が具体的に勧めてくれたのは、駐在員が多く住む「日本人居留アパート(マンション)」でした。そこにテニスコートがあれば、コーチングという付加価値をその会社にもたらす事が出来るかもしれない。中国語の勉強にならないかもしれないが、生活が保障され「駐在員の世界」を知る事は無駄ではない。
入社できればの話だが、それを「妥協している」と感じる僕達がいた。Cさんは僕等二人の表情を見て、「そういうことをカッコ悪いとか思って『耐え忍ぶ期間』と見れないならば、何をやってもモノに成らないに決まっている」と厳しい言葉を投げかけた。

去る日曜日、駐在員子供達向けのテニスレッスンに参加した。ある方のアシスタントという形だ。コーチングは久しぶりだったが、非常に面白くやりがいがあった。そこは中国にある「日本の世界」でもある。これも中国の一つでもあり、こういうハイソサエティーな人々には、日本ではまず接する機会が無い。それはそれで勉強になるはずだ。

悩みながらも考えつつ、選択肢を実行し「将来」を模索しなければならない。

先日の土曜日参加した「就職セミナー」では、自分の甘さを痛感した。中国語レベルが仕事には程遠いと良く分っていた。仮に更に一年中国語を勉強するならば、具体的なビジョン(こういう会社・業界に入るには中国語以外にどういう能力が求められるか)を強固にし文字通り「わき目も振らず」という状態に自分を持っていかなければならない。そのためのセミナー参加ではあったのだが…。

第一線で活躍されている色々な方々の話を聞ける今の恵まれた「環境」。少しでも吸収しなければ、勿体無い。以前、タフな状況に変わりはないが頑張るのみだ。


⇒『Cafe de Niro』
⇒『Jazz-ya』

追想 

2005-12-15 | 日常思う事 (我的看法)
投稿した文章「ある珍事」を削除致しました。

読んで頂いている方々へ

あの投稿で不快な気持ちをさせた事を深く御詫び致します。
また、一時の感情であのような投稿をしたことを深く反省しております。




コメントを頂き、「自分」を見つめ直す良い機会になりました。


◇前職を退職した経緯を想い出しました。

始まりは、クレームを上司から振られたことに端を発します。新しい部署に異動したばかりの自分と引き続き担当の先輩が人事異動の挨拶回りをする時でした。先輩がそのクレーム処理を告げられていました。事情を聞いた自分は「非常識だ」と激昂して、すぐその上司に「また別の機会にしましょう」と申し出ました。
その上司と共通の知人に今回のクレームの件を話しました。その知人が「許してあげて」と目を潤ませながら訴えました。その時、やっと「怒り」も治まりました。この件だけでなく、当時会社ではこういう「世代間の溝」から起こるコミュニケーション不足が良く起こっていました。どうしたら良いか?と思案に耽る毎日、それで取った方法は…。それは全体会議の営業報告の際、社長以下全社員がいる前で「世代間のギャップを埋めるために御互いが理解しあいましょう」という趣旨の発言をしました。決して、内容は怒りに任せたものでなく冷静に練った内容でした。今思えば当然だが、その後営業本部長などに呼び出され「誰に言わされた」などの説教を受けました。
これがあってから、売上も取りつつ会社を少しでも変えようと必死になって仕事をしました。もともと、三年で転職・留学を考えていたのにそのまま会社にズルズルいました。そして、一年後に営業を外され商品部に異動辞令が出た時、やっと辞める決心が固まりました(三ヵ月後に退職)。その時は、『このまま「負け犬」みたいに辞めるのはやだな』『でも、新しい世界に飛び立つ良い機会だ』とか色々考えました。自分の力では何も出来ず、会社のブランドがあっての「自分」がそこにいました。「自分」を成長させるため、新たな環境へ挑戦したのでした。結果的に何もトラウマにもならず、会社の方々にも快く送別されました。

その事をある知人に話した時、深い言葉を頂きました。

>真の問題解決者は、人のパワーバランス、人の感情に十分配慮して、且つ「自分が改革の主体者である(必要であれば自分でやる)」という覚悟を持つ事が大事なのです。

これができない人は、まず「権威」を使います。
「権威」を使えない人は「理屈」を使います。

この両者は人の問題を指摘することはできても、人を変える事はできません。なぜなら、彼等は常に傍観者だからです。

「批判をする」ことと「自分が実行する」ことは天と地ほどの差があります。「改革」というのはそれほど大変で力がいるのです。


◇『自分』はなぜあんな誹謗中傷をこんな汚いやり方でしたのか?

今回の件で、体育大の日本人留学生は皆大なり小なりモヤモヤしています。モヤモヤについてまた話し合うのも良いですし、このまま「うやむや」にするのも一つの解決策です。かさぶたを穿り返したら、また出血します。僕はスタッフには直接意見を言いましたが、本人には何も言っていません。前職の経験からか、「人間の関係ができていないのに話の内容が聞けるはずが無い」と感じたからです。今回取った手段は前回と違い「提言」でもない。ただの中傷にしか過ぎない。相変らず、「権力」とか「組織」に過剰反応する面は一緒だろうけど。


今までずっ~と間違っていたのは『自分の言葉で人を変えられる』という思い込みと傲慢さだ。神様でも何でも無いのに。。。「恋愛」が上手くいかないのも何となく分る気がする。

また、かさぶたを穿ろうとしているのは自分だけスッキリしたいからに他ならない。ある体育大の知人にある言葉を頂いた。

>人生で起きる「不安」「怒り」「葛藤」などを溜められる力(『ホールド力』)を付けなさい。然るべき時期と場所が来るまでに溜める事が大事です(溜めすぎも良くないけど)。



恐らく、その然るべき時期・場所を感じ取る能力も必要なのだろう。これは今まで全く意識していなかった…。何かスッキリしたいから、行動するというのが常であった。それは決して、勇気ある行動では無い…「匹夫の勇」にしかならない。今すぐにはもちろん変わらないだろうけど「意識する」ことが大事だ。

一つ対人関係において、「意識」してみよう。『ホールド力』を!

御報告

2005-12-15 | 日常思う事 (我的看法)
*北京 地下鉄2号線の吊り革「コカコーラ」

本日(昨日)22時、先方から「広告調査報告」受け取ったと連絡頂きました!

ふ~良かった良かった。提出から一日半空いて、こちらから確認メールしても返信ないから「生きた心地」がしませんでした。師走の忙しい時期なので仕方ないか。後は内容に対する返答がまだ待っていますが…。イイモノは出来たから問題ないな。

そして、「広告の勉強」以上に今回は得るものが大きかったです。



『自分は何と周囲の人々に恵まれているか』

・PFC
・成蹊の後輩
・MICOちゃん

これ以外にも多くの人々に御協力頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。

PFCはテニス団体で、僕との付き合いは一番短いです。なのに厳しく鋭い指摘をたくさん頂きました。ビジネスの基本も教えて貰いました。この二週間、気分が折れそうな時に頂いたメールを読み直した事も多々ありました。ボロクソ言っていても愛情があるのです。今時、珍しいテニス団体です。

成蹊後輩の成長は本当に嬉しくもあり自分の至らなさを痛感しました。3人共いずれも関東学生でテニスは強いし、仕事も出来るのです(嫉妬)。メールの文章を読んで「文章はその人の気持ちが出る」という事を改めて体験しました。それ程、後輩の文章は強く輝いていて温かみがあるものでした。

お店の宣伝(笑)と言う訳ではありませんが、店長ミコちゃんにも御世話になりました。中国語サイトを翻訳する事はほぼ彼女の力に拠る所が大きい。素晴らしい所は、就職活動をしながら不安で一杯なのに「勉強になるから」と嫌な顔せず協力してくれたことです。学生でお店を立ち上げる等、この子は年下とは思えない「器」を持っています。


『自分にしか出来ない事』

この方々に感謝し、恩に報いる事だ。その想いがある限り、何でもできるはず。形は自然について来る。

2005年が、後もう少しで終わる。「来年こそは!」ではなく、今一日一日を素敵な充実したものにしたい(て言うかするんです)。そうすれば、来年も自然と素敵な年になるに決まっている。「いつか…」なんて幻想だ。


そう強く思える事が少しは変わった所だろうか。


煩悩即菩提

2005-12-02 | 中国
マーケティング調査は「足!」と今日は外に出る。昨日一日こもってネットと格闘していたが限界を感じた。

仕事の期間は二週間。HSK〈中国語検定)と被っているが、身から出た錆び…やるしかありません。今は一応20代まだ恥じかける(そして、周りが言ってくれる)。この失敗を身にできるかどうかは自分次第。

今日は英国系広告会社の方にお会いした。そう、この方もテニス繋がりなのです。業界について、中国と日本の商売の違いについて色々アドバイスを頂いた。用意した質問も「自分の知識の浅さ」を痛感した。資料を貸して頂いたけど、こんな調子で大丈夫なのだろうか。素人だからこそ、目がつく観点を探さないとな…。

広告以上に自分の将来について、アドバイスを頂いた事が大きかった。まず、「近い未来30歳どうしてたいか?」を描く。そして、今何が一番それを成し遂げる可能性が高いかを考える。中でも、一番鮮烈に響いた言葉は「お金は借りても返せるけど、今の貴方の26歳という年齢は一生戻らないんだよ。」でした。

二月が誕生日の僕は後二ヶ月で26歳が終わる。今まで、○歳の時は本当に死ぬ程良く頑張ったなぁ~という体験が無い(と思う)。もしそれがあれば、更なる自信に繋がるはずだ。26歳は中国に来た記念すべき歳だが、ここに来て大きな試練が来ている。ピンチをチャンスに換えられるかどうか。

今日お会いした方は多くの「啓示」を与えてくれた。人間の厚みを感じた。この経験は無駄にしない。

そうそう、その後王府井の大型ビジョンを見に行った。向かいのKFCでハンバーガーとコーヒーを食す。いよいよ19時ピッタシ…何が起こるか!?…何も起こらん。3,4個の企業広告のDVDをグルグル回しているだけのようだ。。これも中国得意の人海戦術だろうか?電話番号目盛ったし、明日は価格調査だ。


今日は徹夜だぁ!!!ブログもしばらくおやすみだ(笑)!!!

煩悩の犬は追えども去らず

2005-12-02 | テニス&スポーツ (網球&運動)
一昨日、久々にテニスセンターに行った。コーチングのテストに落ちてから、実に一ヵ月半振りでした。

久しぶりのコーチやスタッフは変わらぬ温かさで僕を迎えてくれた。彼等の笑顔は久々で多少緊張していた僕を和ませてくれた。小学生の子供まで「Shin!何で来ないんだよ~」とか言う。来たいけど来れないんだけど…泣。

現在、そこでは韓国人・日本人の生徒がいなくて困っているそう。僕に白羽の矢がかかっているが、言い様に利用されないようにしないと。中国の商習慣はまだ分らないし。

さて、今回訪れたのは日本人へのプロモーションよりも「自分」が主題だ。1月末に中国語を修了してからどうするかまだ決まっていない。もしここで働きながら、中国語を学ぶとしたら実際費用はどの位かかるのか。VISAの問題や住居・待遇などを聞きに言った。また、前回テストの落ちた要因を改めて聞かされた。ズバリ…中国語!何をするのでもまず中国語だ。自分の中国語は以前に比べれば伸びていると言うが、まだ足りないそうだ。授業が終わる一月末に改めて出直すことになった。


別の選択肢として、就職するかどうかはもちろん活動をして内定を頂いてから。今の中国語レベルでは、一生懸命本気で中国語勉強するのが一番良いのかもしれない。

この一年(まだ経っていないが)は、中国語・テニス(コーチング)・旅行・人脈作り…と何でもやり過ぎている。中国語を中心とし、それに乗っ取って派生しているわけでなく、これもあれもの文字通り「つまみ喰い」。PFCの方々にも厳しいアドバイスを頂いた。「PFCでも自分より上手い人がたくさんいるのにコーチ何かなれるのか?」「もっと、自分・親・恋人を養っていけるような能力を身に付けるべき。時間の無駄だし、フリーターという危機感が無い。」「今は、テニスも中国語も追っているから中途半端になる。もしも、テニスが全日本クラスだったら問題無いけど。」などなど。

コーチで食って行こうとは思っていない。コーチで生活した実体験が未だ無いながらも何となく「厳しさ」は知っているつもりだ。なぜ学びたいかと言うと、アジア圏に米ホップマンやスペインサンチェスアカデミーのようなテニスリゾート施設を造りたい(関わりたい)という漠然とした夢がある。そのために、今コーチングを勉強している。。だが、それにしてもいきなりステップアップし過ぎだろう。本当にコーチングを学ぶなら、母国語でやれる日本でやるべきだし、また本場のスペイン・アメリカに行くのも近道だ。
現役体育会で遣り残した事があると社会人になっても成蹊に足繁く通った。試行錯誤ながら、非常に勉強になったし逆にエネルギーを貰った。その延長でここ中国でも縁に恵まれてやっている。僕は人間が好きだ。彼等ができるようになったり成長したりする姿を見れるのが何より幸せだ。そして、テニスで巡りあった多くの人々がいる。PFCもそんな素晴らしい出会いだ。そんな『テニス』に対して、いつの日か何か恩返しをしたい。

こんな自分はまだまだ甘いのかもしれない。自分にしか出来ない事、それは何なのだろうか…。

*前回のコーチングテスト結果