我的網球日記

昨日の自分を越え、身近な幸せに感謝するための自叙伝!

現実感

2007-07-30 | 仕事 (工作)
中国からお客様が来ており、今日はタイムリーに議員会館に行って来ました。


『現実感』という言葉を最近よく考える。IT社会で情報が溢れている昨今、自分の手で足で目で触れた経験が如何に大事になってくるか…。「政治家」と「中国」も言わば父の遺産で経験できた『現実感』に他ならない。「ジャーナリズムの裏に何が隠されているか」を少しは考えるようになったのは、そういった実体験があるからだ。政治は特に興味がある訳でも無いが、情報に踊らされないようしっかりと自分の目を養っておきたいですわ。

会談が終わったら、すっかり晴れてました。う~ん、イイ天気だ♪

遅ればせながら、忌引き休暇

2007-07-24 | 日常思う事 (我的看法)
写真は島忠で購入したプチトマトです。ようやく、新しい「生命」の誕生です(?)。いつ食べられるんだろう…?今のままでは、プチプチプチプチ~~~トマトだわ写真上の小っこいのね。



親父が死んでから、営業が僕しかいないため会社を休むこともできず、ずっ~と突っ走って来ました。で、「忌引き休暇」を今頃取っております(本来の意味とは違うけどねぇ)。本当は北京に慰安旅行だの行きたいのだが、そんなまとまった休みは取れるわけなく、営業状況を見ながら平日一日休んだりしようかと今から計画中です。相続だのなんだのも早く終わらせたいっす。

さてさて、今日は久々の快晴です(熱中症に気をつけねば…)。お休みを満喫します!14:00に下北でフサコと会い、16:00から成蹊でテニス練習です。

最近の僕の癒しは、成蹊の練習ですな。前職の時から、好きで練習に出てたけど仕事で上手くいかない時はよく逆に励まされてたっけ。テニスに一生懸命な後輩を見ていると、「もっとこうやれば上手くなるよ」とか「俺もしっかりせんとなぁ」とか色々考えさせられる(単純にテニスできるのもいいのだが)。

にしても、ウチの沖縄社員はグデグデなのに成蹊後輩はなんでこんな「やる気」があるんだろうか?年齢的にも非常に近いのに。「仕事」と「体育会テニス」の違いはあるんだろうけど…。会社のコンセプトが曖昧ということだろーか。辛いけど、だからこそ中小企業はやりがいあるんだわな。

まっ、今日はお休みだし仕事は忘れようと。夏ですなぁ~

伊豆旅行

2007-07-15 | 日常思う事 (我的看法)
写真はJR伊豆急行線「運転見合わせ」を表示の案内板。台風4号直撃中!?


昨日から、伊豆へ母と弟と旅行で来ております。生憎の天気でしたが、家族水入らずでゆっくりできました。初日に行った『赤沢温泉』はなかなか最高でした。露天風呂は天候の所為もあり、景色は今ひとつでしたがDHCが力を入れた「ミルクの湯」とか「アロマの湯」は良かったなぁ。マッサージもしてゆっくり休めました。

さーて、どうやって帰ろうかねぇ~。小田原まで出て小田急線が確度高そう…。

距離感

2007-07-08 | 日常思う事 (我的看法)
写真は原宿にあるユニクロ『UT』の一コマ。久々に裏原宿にも行きました。


親父が亡くなって10日が経った。ここ最近、親父の旧友や親族などなど初対面の人ばかりで非常に気疲れした。それでいて、結構人間できて無いから尚更タチが悪い。歳取ると地位とか名誉とか色々なモノが邪魔するんだなぁとつくづく思う。左だか右だか知らんが、偉そうに思想や日本を語る前に自分の身の振り方を考えて欲しいっす。大人の都合て…あ~、うざったい。。。私は仲が良い人に愚痴をこぼしているのですが、ブログにも書くとは…ネット依存症というか病んでいると言うか。いかんいかん。

全然元気なんだけど人間関係がうざったく感じられるので、周りと少し『距離感』を保とうかと思う今日この頃です。今週末に親父を慕っていた35~40歳代の仲間達と新宿に繰り出します(これはOK)。彼等は親父が一番可愛がっていた方達で、2004年に北京へ出張した時のメンバーもいる。通夜でその中の一人が「君と父の『距離感』が絶妙だったからグレずにまともに育ち、最後は仕事を手伝うまでになったのではないか」とおっしゃっていた。

人間関係に『距離感』は大事で、どんなに仲が良くて馬があっても毎日一緒はうざったいし嫌なことが見えてくるのだろう。じゃあ、恋人は?と言うと…うーん、良くわからないなぁ。今までの恋愛は、距離が近すぎるから上手くいかないのかもねぇ(苦笑)。

もともと、群れたりする事が大っ嫌いでマイペースな性格の自分だが、しばらく孤独に大人しく過ごしますわ。

葬儀を終えて

2007-07-02 | 日常思う事 (我的看法)
昨日、一昨日と無事に葬儀を終えることができました。
たくさんの友人が来てくれた事もあり、父も安心したかと思います。お忙しい所お越しいただき、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。

葬儀を終えたら『父の死』という現実がすんなり入るかと思いきや、全然そんなことはありません。今日の天気のように何かモヤモヤしております。私の友人が励ましの声やメールをくれますが、心配して貰っているほど悲しくありませんし落ち込んでおりません(まぁ、確かにスピーチでは号泣しましたが…)。人前で泣くのは嫌いで、自身強がりな性格だとは思いますがそんなに気を張ってません(今日も早朝からテニスしました 普通の日常です)。全然落ち込んでないのですが、「父の死」という現実がイマイチ呑み込めない。「最近声聞かないなぁ~」とかそんなレベルです。不思議な感じです。ここ数日は、仕事をしながら葬儀をしていたため慌しく時が過ぎて、燃え尽き症候群みたいになってるのかもしれません。

ただ、『父の死』は家族の絆を間違いなく深めました。特に弟は非常に変わった気がします。弟はいつも父と母と私の距離感を調整して動いてました。僕は父にも母にもぶつかってましたが、弟はそれを見てフォーローを入れたり無意識に「距離感」というか「バランス」を保つ習性をつけたのでしょう。『父の死』による彼の悲しみは、父にぶつかれなかった「口惜しさ」「無念さ」の想いが強く感じました。仕事と葬儀の段取りで四苦八苦している私を助けようと「僕にも何かやらせて下さい!」と言っていたそうで、非常に頼もしく思いました。
また、母は父の悪口を一度も言ったことがなく「耐える」人でした。私は少し冷めた無関心な母親だと思ってましたが誤解でした。葬儀の母の姿は、今まで見たことが無い程の「悲しい姿」でした。父の友人づてに父が母をどう想っていたのかを聞きました。父はきっと母に直接伝えるのが苦手だったのでしょう。そんな風に父が母を想っていたとは、息子の私からは分かりませんでした。「間違って生まれた子」という解釈をちょっぴりしていたので、非常に救われた気がします。

父は「これからの世代に何かを残す」・「自分は大枠をつくる」ということを常に念頭に置き、一生懸命生きてきました。2004年の9月に手伝った北京への訪中団は、日本の若手政治家と中国の関係を築く「橋渡し役」を担ってました。事務を手伝った2人の先輩と私は、その後に具体的に何も活かせておりませんが…。今の会社は沖縄の若年者失業率が異様に高いことを憂い、沖縄にIT産業を根付かせるために沖縄の若者を雇用し教育しております。沖縄をかつての琉球王国のように、台湾・中国の都市と結びつかせる構想も必ずあったかと思います。夢や浪漫を描き・丁寧に自分の足で動き行動し、コツコツと理想に現実を近づけるそんなやり方でした。政治家や著名人を多く知っているわりに、媚びもせず驕らない…それでいて、熱苦しい人間でした。間際まで「死」を意識しなかったのも、彼らしいと言えば彼らしい最期だったのでしょう。私に仕事を教えたり・会社の体制を整えたり・遺した家族との関係をつくったり…何もかもきちんと「大枠をつくる」をしてから逝きました。そこまでの時間が不思議で仕方ない。父には多くの大切な優秀な友人・知人を紹介されましたが、「後はお前がその人と、どう人間の関係を築けるかだ」とよく父は言ってました。

これからは「私」がどうするかどうしたいかが一番求められる。会社も彼の強烈なリーダーシップにいつのまにか頼っていたのかもしれません。これからです。私は、父の足跡を辿りながら、この「主体性」を意識していこうかと思ってます。父が名付けた『晋』という名前は、春秋戦国時代の英雄「重耳」から来ております。いわゆる「大器晩成」の人物です。父も死ぬ間際「俺は大器晩成だからな」と嘯いていたようです。飽くなき向上心とパワーはどっから出てきたのだろうかねぇ。今頃、地獄で鬼退治でもしているのかもしれません。